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     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
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  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

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2018年5月16日 (水)

5月15日という日を考えたらこれまでの自分を問い直すしかない

 今日は5月15日。1972年5月15日から46年が経つ。沖縄が日本に「復帰」した、否、組み込まれてから46年が経つのだ。どうしてこんな46年であり、沖縄戦後73年なのだろうか。

 これを考えようと思い、多少過去の自分に思いを巡らしたら、沖縄の5月15日を考えるためには、その前提として自分の歩みを考え直さなければならないことに気がついた。この問題を当ブログで正面から書くことは差し支えるが、大雑把な整理をしておきたい。
 
 私が沖縄を知ることになったのは、70年から72年の反安保、沖縄闘争と出会い、街頭闘争に参加する中でだった。当事はべトナム反戦・反安保闘争の時代だった。何万、何十万人もの多くの労働者・学生の課題だったのだ。だがこのなかに沖縄をどう位置づけていたのか、極めて怪しいものだった。
 当事の左翼の運動は、共産党系と非共産党系(新左翼)に大別されていたが、自分たちの正義、イデオロギー闘争に偏っていたことはぬぐいがたい。当事の私は新左翼系シンパ(同調者)だったが、今思えば、事実から考えることよりもイデオロギーから学ぶことが大勢を占めていた。沖縄の実相を知ることよりも、ご都合主義。大概、沖縄の現実と人々と出会い、向き合い考える姿勢を欠いていた。自分もそうだった。
 
 72年で反戦の大衆運動の波は大きく後退し、73年から私は新左翼党派に近づくことになった。1980年、この党派は大きく分裂し、私はこの組織から遠ざかり、物を書くことと写真に依拠するようになった。こうした経緯を経て、1989年5月、ある種偶然に沖縄に行くことになり、具体的な係わりを創り出すようになった。前後して新たな反戦運動(「派兵チェック」編集委員会等)のささやかな担い手にもなっていった。このなかで、各地の現場を訪ね知ることの重要さを学んだのだ。
 それから29年の歩みを重ねる中で、様々な沖縄内外の人々との出会いに支えられながら今日までを生きてきた。感謝しかない。

 最近私が強調して止まない自分の頭で考えろということも、こうしてみれば、たかが20年余りの時間の中で考え始めたに過ぎず、えらそうなことを言えないのだった。だが72年から89年の空白の17年間の苦闘があったればこそ今があり、随分遠回りしたが、まだまだ諦めずに行動し、私たちの未来を切り拓きたい。考え続けたい。
 5月15日の沖縄の「日本復帰」は沖縄の人々が望んだからでもあったが、米日の2つの国家が仕組んだことであり、私たち日本国民が再び、三度、押し付けたことを忘れてはなるまい。潮が引くように消えてなくなった「沖縄返還」の闘いとは何だったのか?

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