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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

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2018年12月31日 (月)

今年も終わっていく(181231)

 あと6時間で2018年が終わる。時の刻みは止まないのだから。2018年年末は大掃除のひとつもできなかった。情けない。365日がただただ時を刻んでいるだけなのか。悲しい。悲しみにくれることがありすぎる。途方に暮れることがありすぎる。

 「土砂投入に涙した」と言ってくる人が居る。私なんか「そうなんだ」としか思えない。もっと早く涙してよと思うからだ。それはマスコミが伝えていないから知らないのだろう。私たちが伝え切れていないのだし。私は、今涙してくる人に伝えるべき言葉を探している。どう話したら伝わるのか。無論写真もそうだ。どうしたら伝えられるのか?
 帰宅して、こんな言葉を目にした。「決定的なものは大衆である」(思想運動1036号)。違うだろう。「私たち一人ひとりが決定的なのだ」。こんなことをいっているから「左翼」は決定的にダメなのだ。「大衆」の語の中に、主体に立ち上がる人々を抽象化していないか。生身の私たち一人ひとりが立ち上がらなくてどうするのか?また私たちは、ものではない。主体そのものなのだ。
 安倍が言う「日本をとり戻す」ではなく、私たち自身を取り戻さなければならないのだ。長時間労働に呻吟している人たちも、セクハラに苦しんでいる人たちも、サポート体制がとられてこそ、立ち上がれるのだ。沖縄の人たちもそうだろう。何故、基地を容認してしまうのか、声をあげられる条件があるのか?声をあげる条件を作っていくことが必須なのだ。これを抜きに前に進めない。県民投票の成否は、正にこの一点にかかっているのではないか。
 だとすれば沖縄の私たちは、まだまだ負けていない。日本の人々も、徒労感に負けずに、徒労感を払拭できる人と人の環を作ってほしい。サポート体制の根底に問われるものだ。個人の力量だけで図ったら、展望はでてこない。
 

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