2/24 県民投票キックオフ集会アピール文(190126)
沖縄県民は、これまで何度も辺野古新基地建設反対の民意を示してきました。県知事選でも辺野古容認で政権丸抱えの候補に対して、玉城デニー知事が約8万票の大差をつけ過去最高の39万票余りを獲得し、圧勝しました。政府はこの民意を受けて辺野古の埋立、新基地建設を直ちに断念すべきです。
下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。
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沖縄県民は、これまで何度も辺野古新基地建設反対の民意を示してきました。県知事選でも辺野古容認で政権丸抱えの候補に対して、玉城デニー知事が約8万票の大差をつけ過去最高の39万票余りを獲得し、圧勝しました。政府はこの民意を受けて辺野古の埋立、新基地建設を直ちに断念すべきです。
戯言だからと言って、不用意に人を傷つけていないか? 言う側が無頓着でも、パワハラ、セクハラは案外このパターンが多いものだ。「冗談だから」と、他人を攻撃する人は少なくない。ご本人は自分が「強者」であり、相手が「弱者」であることに無自覚だったりする。相手が嫌と言うことを続けたら、十分パワハラだ。
安倍首相が、大浦湾に存在する軟弱地盤を認めた。30日の国会の代表質問で。地盤改良工事を行い、新基地建設は可能だと強弁。工期や費用、設計変更申請についてはだんまり。
2019年1月26日 曇り
昨日、徳島県から2000年に「吉野川第10堰住民投票」を推進した方が辺野古テント村を訪ねてくださった。その彼らは「沖縄県民投票を勝手に応援する会」(OKOK)を結成したと言う。ある意味、勝手な応援だが、嬉しい応援だ。①沖縄の今回の県民投票は、この国の政府によって強いられたものであり、日本全体の問題と捉えてくれている。②彼ら自身の住民投票運動の総括に立ち、住民投票が果たした自治に向かう意味を改めて、全国的な課題として設定してくれているからだ。
来る19年2月10日に屋良朝博(やら ともひろ)さんの講演会が開催されます。お近くの方は是非ともご参加ください。沖縄のこれからを考えましょう。
既報の通り、沖縄県議会では、「賛成」「反対」に「どちらでもない」を加えた議長斡旋案を19年1月29日採決したが、全会一致にならなかった(自民党の賛成4名)。自民党内で意見調整が不成立に終わったため。反対したのは5名であり、退席2名。彼らは反対していた5市長、同市議の意向を慮ったともいえるのかもしれないが、自民党中央の意向になびいたことになる。否、彼らが挿入した「どちらでもない」に確信をもてなかったのだろうか。5市の反対と、それへの抗議の声が広がることで、「どちらでもない」を入れても、彼らなりの展望を掴めなかったのだろう。何故反対又は欠席したのか、明らかにしてもらいたいものだ。彼らは、これからも沖縄県民に背中をむけるつもりなのだろう。悲しみを覚えるのは、私だけではあるまい。
辺野古テント村は、機動隊との攻防もなければ、海保との攻防もない。だからといって、気楽な運営ではないのだ。今日も、来訪者は絶えず。様々なかたがたが来る。海外からも。様々な方の要求を満たすことは、不可能だ。同時に米軍の動きを監視し、撮影にも忙しい。今日はその両方が忙しかった。
沖縄タイムスの朝刊。「辺野古新護岸着工」、「監視リスト防衛省共有」、「県民投票改正案 一部議員が反発」だ。このトリプルの事態にはらわたが煮えくり返る。
今日は辺野古の帰りに那覇まで行き、沖展の落選作を回収してきた。疲れました。疲れついでなので、サテンで色々と考えをめぐらしてきた。ここに書けることは多くないが、一点だけ書きとめておく。私は2014年以来、「沖縄から問いかけたいこと」と題して、年に何回か東京に出向き、話をしてきたが、これはもうタイムオーバーだと考える。所詮私の能力でこんな話をやったところで、聴いてくれる人は極少数だから影響力はない。それよりも最近こちらのテントに来てユンタクしていく人との会話の方が余程効果があると思う。やはり現場力とじかでのワン・ツー・パースンは伝わっていることを実感できる。私自身も考え、唸りながら応答している。こちらは完全なボランティアであり、自分の経済生活は極めて厳しいのだが。
既報の件だが、この国は本日、新たな護岸K4護岸の造成工事を始めたと、海上行動チームから連絡を受けた。どうりで、午後から上空をヘリが舞っていると思っていた。
去る19年1月24日、島ぐるみ会議名護といーなぐ会(名護市政を考える女性の会)による県民投票を巡るシンポジウムが名護市港公民館で開催された。
パネリストは、「辺野古」県民投票の会代表の元山仁士郎さん、辺野古埋め立て・新基地建設反対の民意を示す県民投票連絡会共同代表の稲嶺進さん、名桜大学教授の大城渡さん、名桜大生の野村有那さん、名護の高校生渡具知和奏さんだった。
2019年1月24日 晴れ 巡視船1隻。。
本日、辺野古米軍基地のための埋め立ての賛否を問う県民投票まで、後28日になってしまいました。5市が業務を拒否する中で、実施が危ぶまれていましたが、3択にすることで妥協が成立。「賛成」か「反対」か、「どちらでもない」か。なんとか全県での実施のめどがたちました。
2019年1月23日 晴れ
昨日、名護市内で県民投票を巡るシンポジウムが開催された。本題については別稿に譲るが、一番すとんと落ちたことを書いておく。若者は何故、政治に無関心なのか?について。
2月24日に予定されている沖縄の県民投票が宜野湾市、沖縄市、宮古島市、石垣市、うるま市が県民投票事務を拒否し、実現が危ぶまれていたが、急転直下、『賛成』、『反対』、『どちらでもない』の3択案になって、全県で実施する気配が濃厚になってきた。要するに、国からの圧力を受け、賛成か反対かの2択方式は潰されてしまったのだ。
19年1月24日は思いのほか疲れた。予約の団体が3団体あり、私も3分の一を担当。撮影も様々な被写体があり、自分が撮ったり、撮られたり。説明中に、頭上にドクターヘリが旋回し、軍の消防が現れたり、何が起きたのか、気が気じゃない。投げ出して、走り回るわけにも行かず。
他方、例の水陸両用装甲車はキャタピラをまわす車軸が故障。兵隊が修理に汗を流していたが、動かず。沖に来ていたドック型揚陸艦も出番がないようす。ついでに連結棒の仕組みが分かった。先日見たとき、私はただ引っ張るものだと思っていたが、間違っていた。装甲車の自重は約20トン。それもキャタピラだから、押したり引いたり出来ないはず。ただの連結棒でなく、相方の車軸につながり、こちらのエンジンから他車のキャタピラをまわせるようになっているようだ。なるほどと感心しながら、弱点も分かるよねと、嫌味も。これ以上書くと、特定秘密法違反と言われそうなので、差し控えますが(ご用心、ご用心)。
夜は県民投票を巡るシンポジウム。漸く自分もなるほどと思ったことがあった。
本日、映画「米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー」を名護市民会館でみてきた。そう、私はまだ見ていなかったのだ。映画のイントロは、最近の映像から始まり、当時の映像や証言があり、またここ数年の映像で終わる。映画のちらしに「沖縄の戦後史、そこで闘った男の生き様を知れば、地続きの歴史が見えてくる」とある。正にその通りだった。
今朝の沖縄タイムスによれば、沖縄防衛局は、辺野古崎東側に新たな護岸、N-4(135m)、K-8(515mのうち250m)を工事に着手する見通し。既に環境監視委員会に報告し、サンゴを移植しなくてもそのままやれるとの内諾を得たようだ。
本日やっと、沖展の作品を提出してきました。何とか間に合わせました。予定では4枚で一組の組写真のつもりが、提出のルールで、全部を一枚に張り込んでいないとダメと分かり、今更そんな額縁を買えず、断念。近くの画材屋さんで、多少大きめの額を改めて購入し、単写真と2枚構成の組写真にしました。
私は通常、2台のカメラを携行している。だからといって、2丁拳銃のようにはいかない。手は2つあっても、頭はひとつであり、ファインダーを同時に2個見ることは不可能だから。そう考えると、あの西部劇に良く出てきた2丁拳銃とやらは本当にあったのだろうか。ガンは両手に2個もてる。引き金も引けるだろう。だが打ち合いに掛ける神経は1個。同時に巧くいくものなのか。こんなことは所詮人殺しの時代のことであり、あってはならないことだが、いささか疑問に思っている。
安倍政権・防衛省が遂に動き出した。大浦湾側(辺野古崎側)にあることが分かっていた軟弱地盤の存在を認め、設計変更すると。ここは水深30mあるのだが、その海底が約40mにわたって軟弱地盤なのだ。当初設計では、ここにケーソンを置いて埋め立てるはずだったのだ。これが不可。ケーソンとは巨大なコンクリート性の箱。一個が50mプール程であり、高さが25m。1個7500トンもあるそうだ。こんな重い物を置けるはずがないのだ。防衛省は、地盤改良をどうやるのか、まだ詳細を明らかにしていないが、何れにしてもこの方式を変更せざるをえなくなっていた。
来る19年2月24日、辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票が行なわれます(宜野湾市、沖縄市、宮古島市、石垣市、うるま市は事務を拒否)。
菅原文子さんが琉球新報の19年1月18日号に書いていた。「プラハの春と沖縄」と題し、「軍需産業に売る海ない」と。県民投票を5市長が阻む中で、1968年のプラハの春とソ連軍の侵攻を想起されているのだ。
2019年1月17日 曇り時々雨。
「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票」まであと36日になった。宜野湾市、沖縄市、宮古島市、石垣市、うるま市の5市がこの事務を拒否している。おかしなことに何れの市も米軍基地があったり、自衛隊基地建設の当事者だ。何でまたと思う。県民・住民の命の営みよりも基地・軍事が大切なのだろうか。一人ひとりの権利を奪うことになる投票事務の不実施の決定を直ちに撤回すべきだ。
今日は辺野古をお休み。漸く3月9日の大西順子トリオのチケットを購入。いやぁ、いい席を取れた!大西順子はジャズ・ピアニスト。私が聴いていたのは、90年代後半だろうか。当時聴いていた女性ピアニストでは高瀬アキがいた(彼女は、90年代半ばにドイツに活動基盤を移してしまいいなくなっていた)。そこに彗星のように現れた大西順子は抜群だった。だが、数年のうちに日本のジャズシーンから消えてしまい、どうしたんだろうと思っていた。数年前から復活していると聞いていたが、私が沖縄にきている以上、再び聴くことはかなわないと思っていた。これが琉球新報とラジオ沖縄の主催で、コンサートがあるときいたときには、朝のテント村で、場違いにも歓喜してしまった。だが忙しくてなかなかチケットを買えずにいたのだ。後は本番まで生きていなければならぬ。パーソナルは井上陽介(b)、高橋信之助(d)だ。
2019年1月16日 曇り後雨
今回の直木賞に真藤順丈さんの「宝島」が選ばれたようだ。私は未読であり、何も紹介できることはないが、沖縄戦後のアギヤーたちが主人公。何もない時代に「別世界」だった米軍基地から物資を盗み出して、生活の糧にしていた、せざるを得なかった時代生きた人々を描いているとのこと。
「画員たちはどんな絵を描き残したのか」
2017年に話題になったこの「米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー」の上映会がある。
2019年1月15日 ④ お昼前にテントに到着。一休み。
2019年1月15日 ③晴れ
2019年1月15日 晴れ 大浦湾瀬嵩のお山から。
2019年1月15日。昨日の疲れも何のその、私は有津(あっつ)行きのバスに乗った。
2019年1月14日 晴れ。
今日は夜明け前に家を出て、大浦湾の瀬嵩(せだけ)で撮影。概ね予定通りの撮影が出来た。6時30分から9時まで瀬嵩、辺野古テント村に着いたのは、11時40分。すっかり撮影モードになってしまった(まっすぐに歩けば90分)。
この3連休は忙しかった。今日もまた。これを「土砂投入効果」と言っていいのか分からないが、何れにしても県内外からの関心が高まっていることは間違いない。
2019年1月14日の朝を迎えた。2018年12月14日に始まった土砂投入から1ヶ月を迎える。辺野古崎近くの区域②-1は、既に半分近くが埋め立てられている。既に埋め立て工事はルーティンワークと化しており、既成事実が積み上げられており、自然が民意が打ち壊されている。
2019年1月13日 晴れ 今日はいい天気。1月とは思えぬ暖かさ。
【拡散希望】
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できない!つくらせない!辺野古新基地
1・20新宿アクション
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政府の強行する辺野古の海の埋め立て――
沖縄の民意を無視した法律違反がまかり通っています
あなたは「仕方がない」と考えますか?
辺野古の海を埋めるな!首都圏連絡会(埋めるな!連)
は、政府による辺野古への土砂投入強行という事態を
うけ、辺野古の現状を伝えるリーフレットを刷新して
あらたなキャンペーン行動に取り組みます。
1月20日、新宿アクションにぜひご参加ください。
★できない!つくらせない!辺野古新基地
1・20新宿アクション★
☆1月20日(日)☆
13時30分~14時30分
三箇所にて、同時にリーフレット配布とアピール
埋めるな!連・青いのぼりを目印にお集まりください
・新宿駅西口前
・新宿駅南口前(甲州街道側)
・新宿三丁目交差点
15時~16時
新宿東口アルタ前に集まって大アピール行動!
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【辺野古の海を土砂で埋めるな!リーフレット第5弾】
―沖縄の民意を無視した法律違反がまかり通っています―
・辺野古の海はいのちの海
・違法な工事に対し「承認撤回」、しかし政府は工事を強行
・辺野古の海に土砂投入 全体のわずか4%
・辺野古新基地が造られても普天間は返還されない
・埋め立て予定地はマヨネーズのような軟弱地盤
・工事費は当初計画の10倍=2兆5千億円にも!
―あなたは「仕方ない」と考えますか?―
*各地で、さまざまな場で、このリーフレットの配布に
ご協力ください。製版でき次第ブログでもご紹介します
https://henokoumeruna2018.exbl
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辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会
https://henokoumeruna2018.exbl
連絡先:
〇辺野古への基地建設を許さない実行委員会
TEL・090-3910-4140
(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
〇平和を実現するキリスト者ネット
TEL&FAX・03-3813-2885
〇辺野古・高江を守ろう!NGOネットワーク
Emale・henokotakaengo@gmail.com
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2019年1月12日 晴れ
私はブログの中で軍事を大きく取り上げている。沖縄だから目が行くだけではない。軍事は、巨大な人殺しの、自然破壊のシステムだからだ。そんなものが巨大な利権とつながり、金儲けになっているからだ。憲法9条を守っていれば、平和で居られるという時代は終わっているのだ。否、これがそもそも勘違いだった。沖縄を軍事拠点として米国は、日本国に『平和憲法』を与えながら、再軍備を図ったのだ。この矛盾の極みが安保体制なのだ。
今日の辺野古テント村は暇だった。天気も程々なので、私は撮影に出た。目指すは豊原の高台。徒歩20分だった。詳細は明日に譲るが、例の場所にトラックが数台入っており、埋め立て作業は進んでいる。帰途はやや遠回りしながら、他の埋め立て工事を撮れる撮影ポイントを探した。案外あるものだ。ただ第3者の方にご案内できる場所は限られてしまう。
この報告が遅れたことを主催者等の関係者の皆様方にお詫び申し上げます。長野から帰宅したら、土砂投入が待っており、その後にパソコンが壊れてしまい、年末年始になど。申し訳ありませんでした。
「第35回 永久に不戦を誓うつどい」にて、沖縄から講演をさせていただきました
Ⅰ:ありがとうございました
今回の企画は、上伊那地区憲法を守る会と上伊那地区労働組合会議の主催によるものであり、共催は上伊那母親大会連絡会、原水爆禁止上伊那地域協議会、戦争させない1000人委員会・上伊那、さらに協賛団体に長野県憲法擁護連合、憲法9条を守る上伊那連絡会とあるように、幅広い集まりでした。
会場は宮田村(みやだむら)村民会館大ホール。
「歌声サークルざざむし」の皆さん。
長野県の野山を私は、かってあちこち歩いており、懐かしくも大好きな場であり、喜んで出かけました。お呼びいただいた相方は、やはり辺野古テント村の相馬由里さんであり、より無名な私が足を引っ張らないように頑張りました。
Ⅱ:「12月8日」に寄せて
やはり一番驚かされたことは、12月8日の不戦を誓うつどいが35回目ということです。積み重ねてこられたことが、この日の結果にでていました。参加者約300名、それも20代、30代のお顔があちらにもこちらにおられて、それだけで嬉しい会になりました。
海のない上伊那で、沖縄の辺野古・大浦湾を巡る、無名な私たちの話に、300名に私は驚かされ、大いに励まされました。そこに勇気をいただき、ほぼ予定通り話ができました。
12月8日が不戦を誓うことへの異議(意義ではありません)からはじめる私に驚かれた方もいらしたと思います。1941年12月8日に到る侵略戦争の歴史に思いを致さなければ、不戦が泣いてしまいます。特に現代のようにヘイト・差別が公然と語られる時代の中で、時間軸を、原因と結果を質さなければなりません。こう考えると長野県上伊那には、満蒙開拓団に組織されていった歴史があります。阿智村には満蒙開拓記念館があり、過去の歴史に思いを馳せ、反省する心があり、営みがあります。私も以前に拝見させていただきました。
沖縄では、南洋庁なる植民地支配の拠点等に移民が行きました。このことの是非も考えなければなりません。戦争による加害と被害は、常に同時に抉らなければなりません。表と裏の関係に置かれているのに、そこに無自覚では、反省の心もぽろぽろと漏れ出してしまいます。
Ⅲ:演題について
私の演題は「今、沖縄・辺野古に新たな基地が何故必要だと言うのか?!」とさせていただきました。これはいただいた仮題を私なりにいささか変えました。詳細はレジュメをご参照ください。
正直わたしの話は渋い、重い。参加者の皆様のお顔が見えないと、反応を確認できず、不安になります。果たして聞いていただいているのだろうかと。照明の関係で、壇上から皆様方を見ることは殆ど出来なかったので、エイ、ヤァ!と強気で押し通しました。300名の皆様に講演するのは稀な私ですから、申し訳ありませんでした。
Ⅳ:何を言いたかったのか?
それでも概ね聞いていただけたかと思います。質問に出た「基地のある不幸、ない不幸」との私のまとめに賛意をいただきましたことは、大変嬉しかった。基地がなければ、知らずに済んでしまう。知らぬが仏。そこにいつの間にやら地獄が待っているのです。「しまった!」と思った時には遅きに失する。いつもいつも苛まれたくないものですが、ぽかんとしていて、こうなったらヤバイのです。私たちには過去に犯してしまった失敗があるのです。歴史をから学びなおすこと、考えること抜きに明るい未来を導き出すことはできません。地獄への大ガマがもはやドンと私たちの前に開いている今ですから。
だから私は、希望を語らなければりません。だが、これが難しい。私は明るい性格でないから。無関心を乗越えるために、①自閉的な関係に気付くこと、②差別的な関係に気付くこと、③私を、私たちを取り戻せるのか、④LIFE(命の営み)をキーワードに、私たちは歩み出せるのか、の4点を掲げてみました。時間の都合で、具体的なことをお話できなかったのは、残念でした。
ここでやや補足します。①は自分が漫然と生きていたのでは何も外界から吸収できません。息を吸って吐いての繰り返しを呼吸器は生理的にやってくれていますが、頭はそうはいかない。心を閉ざしていれば、自らを窮地に追い込んでしまう。バカにおぼれるのでなく、自分は前を向いているのか? ここがスタート地点。
②はもっともっと難しい。いつのまにか差別するのに慣れっこになっていたりする。他人を見下す。無自覚な差別者は怖いです。特に同じ人間にもジキルとハイドがいるから。私自身にも。当日もお話しましたが、人間は犬や猫も愛せるのに、何故同じ人間を愛せないのでしょうか。人類の共通性をこそ考え抜きたいものです。
③は、安倍たちが言う「日本を取り戻す」への対抗で私が考えてきたことです。自分を取り戻すと。自分を取り戻し、人類として生きるのだと。何も大風呂敷を広げる必要はありません。自分らしさを表現できれば、国家ごときに押しつぶされたりはしないものです。一人は微力ですが、一人ひとりが環になってつながれれば、強い。負けない。ここで勘違いしないでください。「環」と「和」は同じように見えても、真逆な思考です。和は一点にぶら下がる。環は多様に刺激しあう。支えあう。一個ならば簡単ですがこれではダメ。如何なる「正義」も一点に収斂したら、おかしくなっていく。独裁の道を掃き清めてしまいます。如何なる正義も腐敗していくのです。所詮人間はこの程度な存在です。だからこそ、愛すべき存在なのです。愛とは常々積み重ねていかなければなりたたないようですから、やっかいですが。
④は、LIFEの日本語訳は、「命」とか「暮らし」になりますが、こう分けてしまうのは、おかしくないか。命は暮らしを営んでいるからこそ、持続するはずです。様々な生物によって、暮らしぶりは様々ですが、この両者を繋げてもっと動的に考えたいものです。生物は生きるために生まれてきたものです。生きるためにこそ、食い合いはありますが、結果的にお互いに類としてのまとまりを維持している。人間が行なっている殺人や他の残虐行為は、類に収斂できません。愚劣な利益のため。
私たちは、お互いの命の営みを尊重しあい、支えあい、愛し合いたいものです。
今沖縄で起きていることは、沖縄発ではなく、この国(くに)発(はつ)の問題です。シビアなことに国に国民は服属させられています。だからこそ、こんな無関心による服属関係から自由になって、質すべき事は質さなければいけない。過去の負を改めることも出来ない。
Ⅴ:相馬由里さんに感謝
私の堅い話の後、由里さんは、ダイビングから沖縄の海に魅せられ、島に移り住んだと体験的なお話でした。介護福祉士として働くうちにお年寄りの体に傷がある人の多さに気がついたと。沖縄戦が今に通じているのだと実感せざるを得なかったと。この話を私もいままでも聞いておりましたが、公的な場で聞くと、あらためてそうなんだと実感。
後半は、海中の写真を示しながら、こんな海を守りたいと。誰にも納得出来る話だったと思います。分かりやすくて、大変良かった。
前を向いて話す相馬由里さん。
辺野古での普段の由里さんの姿とは違う様子をみて、私も少し得した気分でした。
Ⅵ:まとめ
今回は主催者の皆様の至れり尽くせりのご尽力に、私たちはあらためて感謝申し上げます。物販にご協力いただいた方にも感謝です。物販を手配していただいた沖縄のTさんにも。ご参加いただいた方々にも感謝の言葉を。また沖縄でお会いできることを楽しみにしております。その際には事前にご連絡いただければ、ありがたいです。お互いにがんばりましょう。(19年1月11日)
2019年1月10日 曇り たまに晴れ間が出ると暖かい。巡視船1隻。海上行動やってました。
2019年1月9日、午前中、来訪者が多かった。60代のご夫婦。40代の男性(教員)。たまたま相前後したが、共通する問題意識があるようだ。
2019年1月9日 曇り 巡視船1隻
来る19年2月24日に「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票」が行なわれます。ここにむけてシンポジウムが行なわれます。
2019年1月8日 曇り 巡視船1隻
今日は偶数の日ですが、悪しからず。
ハワイ在住の沖縄県系(4世)のロブ・カジワラさんが呼びかけた“SAVE HENOKO OURA BAY”の署名が19万を超えた。内容は「県民投票(19年2月24日)まで辺野古・大浦湾の埋め立てをやめて!」というソフトで、幅広い支持を得られるものだからなのか、人から人へと多数の人々に伝わっていった。
2019年1月7日 曇り時々晴れ
2019年1月5日 小雨(時々止んでいた)
2019年1月7日になりました。1月3日に予告したとおり、今年からブログを書くのは奇数日にしました。偶数日はアナログの仕事に邁進する。
2019年1月4日 晴れ 巡視船1隻。警戒船はほとんどなし。
2019年1月3日午後、那覇に戻ってきた。連れは今夜帰る。さて、どうしようか。そうだ!福州園に行こうとなった。思い付き的な決断。
2019年1月3日。曇り。だが雨降りそうな雲だ。海辺での遊びをカット。バスで読谷村座喜味に向かう。目指すは座喜味城址。
2019年1月2日。曇り。 沖縄市からうるま市へバスで移動。うるまの西原で下りると、勝連城址がくっきり見える。
石道を歩く。
今年の正月は沖縄で過ごした。連れに沖縄にきてもらい、お互いの意思を交えたスケジュールを私が組んだ。正月ぐらい、ノーベース(基地なし)でいきたいものだ。2日朝、那覇出発、同午前、沖縄市のこどもの国、午後、うるま市の勝連城址、夕方、真栄田岬、宿へ。3日、読谷村、座喜味城址、午後、那覇に戻る。私たちは車の運転をしないので、行程は公共交通機関と徒歩。移動時間と待ち時間がどうしても長くなる。結果的には、優・良・可のうち、自己採点は可というところだろう。
2019年になりました。いかがお過ごしでしたか?
あけましておめでとうございます。
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