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     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
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    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

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2019年8月

2019年8月31日 (土)

ボソボソと(190831)

 沖縄に帰ってきたら、やはり暑い。暑さが我が身にのしかかってくる。本州縦断の旅に出る前に眼科医に行き、治療を受けたが、再び強烈な紫外線を浴びて、眼が痛い。眼が半開きにしかならない。

 昨夕、我が家に歓迎しかねる訪問者があり、余計な時間をとられた。新たなパソコンに漸くカメラデータを流し込んだのだが、馬力が入ったのは、23時頃から。ひとつひとつどうすれば、的確にできるのか、確かめながら。パソコン会社から届く指南も見てみたが、どうも余計なソフトみたい。オーソドックスなやりかたが以前の器械とまるで違う。しかし驚いたのは、データの取り込み速度が速いこと。ひとまず1500枚ぐらいを30分余りでできた。寝たのは1時過ぎ。

 あとはブログにあげるためのデータの縮小の方法をどうするか。いろいろあるようだが、簡単に、素早くできるストレートな方法を探したい。

 今日の辺野古は暇だった。ゲート前も護岸も、安和もさしたる動きなし。来訪者も常連を除けばなし。私が制作したパネルが新潟から戻ってきた。評判良かったらしい。講師の話とうまくかみあったようで、創った甲斐があった。展示風景の写真をいただいた。壁がなくて、柱にぶら下げていただいたようだが、縦3枚×横6枚できっちり展示されていた。展示方法が楽にできるように細かい配慮が必要だろう。要検討。講師として新潟まで行かれたTさんに感謝。私の写真を持ち込んでくれたのはTさんです。主催者からの暖かいお手紙が添えられていた。ありがとうございました。

 新潟と言えば、私は2014年に写真展をやっていただいており(今回の主催者とは全く別)、今回のお客様で私の名前を知っていた方がいたという。写真は私の分身のようなものだが、繋がりを創る手段としてやはり重要なことだ。貸し出し、始めています。要領を改めて書きます。

シンポジウム 名護の原点=『逆格差論』を問い直す(190906)

「名護の原点=『逆格差論』を問い直す」

と き:2019年9月6日(金)18時30分から20時30分

ところ:名護市港区公民館

参加費:300円

基調報告:真喜屋美樹(名桜大リベラルアーツ機構 准教授)

パネリスト:島袋正敏(「蔓草庵」主宰/初代名護博物館館長) 稲嶺進(前名護市長) 岸本洋平(名護市議会議員)

 

 1970年に1町4村が合併し名護市が誕生してから来年で50年。「日本復帰」間もない1973年、名護市が打ち出した「名護市総合計画・基本構想」は次のように述べています。「いわゆる経済格差という単純な価値基準の延長上に展開される開発の図式から本市が学ぶものは何もない」「多くの都市が道を急ぐ余り、ほかならずも生活環境を破壊していった例に接するにつけ、たとえ遠回りでも風格が内部から滲み出てくるような町にしたい」

 「本土に追いつけ!追い越せ!」という当時の沖縄の風潮に与せず、やんばるの自然と伝統に根ざした「身の丈の発展」をめざすこの計画は、内外に大きな反響と感銘を与え「逆格差論」と呼ばれました。

 以来、名護市は、その原点をどのように実現してきたのか、あるいはしてこなかったのか。名護市の未来のために、今こそ原点を問い直し、検証することが求められています。新たな一歩に向けて、共に学び、考えましょう。

 

主催:いーなぐ会(名護市政を考える女性の会) 連絡先:090(7586)3348

 

◎名護市政50年と聞いていましたが、渡具知市政からはイベントしか聞こえてこなかった。この「逆格差論」は開発の構図が破綻し、復帰幻想が明らかになっている今、新たな視点から見直すべき時だと私も考えます。是非とも参加したいと思います。(やまひで)

 

 

 

2019年8月30日 (金)

三沢でいただいたニンニクを(190830)

 やはり沖縄は暑いです。秋田・青森が涼しかったから特段にそう思う。三沢でいただいたニンニクを辺野古テント村で早速いただきました。ニンニクのつけあわせならば、鰹のサシミ。鰹漁の本場、本部(もとぶ)漁港の近くまで行く人がいたので、鰹を買ってきてもらいました。一同、旨いと感嘆の声。ニンニクで一時ながら暑さも吹き飛ぶようでした。また、一同からニンニクをいただいた人にお礼をとなりました。

 今回は、三沢市もですが、秋田市、大館市で、友人・知人、初めて会った人からも大変お世話になりました。やはり現場でなければ聞くことができない話や、率直なご意見、自治に向かうことを自覚されている方の声、地域には地域の特殊事情があることなど、学ぶことも多でした。沖縄での取り組みと、各地の取り組みがもっともっとリンクしていくような方法を考えることが重要だと思いました。本当にありがとうございました。

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帰ってきたらこれだよ(190830)

 私は8月20日~29日まで県外に出かけていた。この間、テレビニュース、新聞に注目していたが、沖縄を巡るものを見ることはなかった。この意味では平穏だった。ところが、今日8月30日の沖縄タイムスの一面はこうだ。「米軍ヘリ窓落とす」「重さ1キロ 本島沖東8キロ沖に」「県への連絡 発生2日後」。

 またですか。CH-53E大型ヘリが窓枠を落としたのは27日17時30分頃、事故が米軍から沖縄防衛局に伝えられたのが28日夜、県に伝えられたのが、29日夕方。地上でない、死傷者が出ていないから、連絡が遅れたのか? わざわざ夜や夕方に伝達していないか。住民の安全を考えれば速報するのが当たり前。米軍は窓を落として気づかぬわけがない(風がすーすーする。否、ザーザーする)。基地に戻れば飛行点検報告が上がっているはずだ。

 一体誰が、こうした報告を止めているのか? 機長か、部隊長か、基地司令か、その他なのか? 防衛局も何様なのか? 事実確認にどれだけかけているのか。24時間、この情報をおいといて、米軍に照会していると、しらっとしているようだ。誰がそうしているのか? 問題は責任の所在だ。事故と報告を巡る。

 こうして同型機の飛行が続けられている。この機種の事故は頻発しているが、同様な事故では2017年12月13日の普天間第2小学校への窓枠落下がある。住民の安全を意識していれば、こうした対応が繰り返されることはないはずだ。この一点だけでも、基地撤去を主張する根拠たりうる。住民の安全を度外視している基地はいらないのだ。

本州縦断の旅から帰ってきました(190829)

 ご無沙汰しました。私は2019年8月20日~29日まで、本州縦断の旅(いささかオーバーな表現ですが)に出ていました。詳細については後ほどにしますが、若干のコンセプトを紹介します。

 私は昨年の6月以来、長めの旅に出ていませんでした。およそ2ヶ月前からこの企画立案に着手しました。コンセプトは、沖縄から岩国基地、三沢基地をラインで繋ぐです。無論私が2011年以来取り組んできた、「島嶼防衛」を掲げた軍事化の強化に反対する視点がベースにあります。「島嶼防衛は日本が担任する」と、2015年の米日防衛指針にありますが、そうだとしても日本側は米国・米軍の後ろ盾を求めています。だとすれば、やはり空軍力が要となる現在、私たちは岩国基地(米国海軍・米国海兵隊・日本国海上自衛隊)、三沢基地(米国空軍・同海軍・日本国航空自衛隊)を直視しておく必要があります。そんなわけでこの2つの基地をメインにしたのです。特に岩国基地は海兵隊の基地から海軍の航空母艦の艦載機の基地にもなり、また、オスプレイの沖縄と日本を結ぶ基地以上の意味をもっています。岩国基地が朝鮮半島と中国を股にかけた要中の要になっているのではないのか。

 私は、たまたま岩国行きの飛行機を予約できず、近くまで行く北九州飛行場(福岡県)の便をゲットしました。ならば本州の西端であり、軍事の要衝である関門海峡を起点にして。岩国まで行くならば、呉・広島も。広島市の平和記念資料館は去る1月にリニューアルされています。ここを見ない手はありません。他方、三沢に行くならば、イージス・アショアで話題になっている秋田市にも行こう。そうこうしているうちに、広島に行くならば、被害の地のみならず、加害の地にも行こう。秋田のほど近くの大館市・花岡ならば行ける。「徴用工問題」で大きな話題になっているし。こうしてスケジュールを立てていきました。さらに8月22日に、対馬丸が米軍に沈没され、約800名のこどもたちが殺された8月22日に広島の比治山陸軍墓地で、慰霊祭が行われると聞き、こちらにもお邪魔しよう。

 こうなると途中の温泉三昧など夢のまた夢に。キチキチ・バリバリになってしまいました。しかしまぁ、各地の友人知人を頼って、決行へ。今回の企画で私が意識したことは、空間を結び、歴史を結ぶことです。前半を、関門海峡(20日)、岩国基地(21日)、呉基地(22日)、広島(22日~24日)、大阪伊丹空港から秋田空港へ(24日)、後半を秋田市内(25日)と大館市内・花岡平和記念館(26日)、青森市・青森港(26日)、三沢基地(27日~29日)、八戸空港(28日午後の予定だったが、行けず)、帰りは三沢空港から羽田空港、羽田空港から那覇空港でした。途中で体調を崩したものの、概ね予定通り行くことができました。

 天候も概ね良好でした。結果は、多くの宿題が残されたものの、一歩前進。29日朝は、天気予報が大外れの晴天。終わりよければ、すべてよし。

 我ながらこんな無謀な計画をよくたてる。事前勉強もまにあわないまま。

 

2019年8月20日 (火)

夏休みの宿題のために(190820)

 とうとう出発の日が来てしまった。事前準備はまだ煮え切らないが、でかける。今回の旅先について事前に公開しないが、その多くは既知の場所だ。しかし新たな視点が浮かんでこないかという実験的な企画だ。報道写真というものは、空間と時間を超えて新たな視点を打ち出せるはずだと、常日頃から考えている私だが、これをもう一歩広げたいのだ。

 時代がこれほどヤバイと(ヤバイと思わない人が多数だと)、普通に勝負していたのでは、既に勝負がついてしまう。先の参議院選の3分の1以上取れば良しとする政治感覚を私は疑う。2分の1以上だろう。確かに物事には可能なことと不可能に見えることがあるから、または目標を大きく掲げすぎ、アウトだと、自信喪失につながり志気にさしつかえるかもしれない。だがあれほどむちゃくちゃ押し通してくる政権に対して、過半数をとれなければ、実際のところ独裁体制は安泰だ。これを覆せなかった。

 多くの人の頭が縮んでいる。視野狭窄に陥っている。だから、どんどん一人一人の視野の中から政治は取り崩されている。これを食い止めないとアウトだ。沖縄にいると、これが嫌でも見えてくるから、視野狭窄に陥る暇がないのだ。沖縄と県外とのこの差はどんどん開いているのじゃないか。

 先日、私の友人が県外に講演に行かれた。私の写真パネルをお持ちいただいた。それを見ながら話せたので、話しやすかったと言われた。沖縄はこうなのよと自信を持って言えたのだと思う。県外に沖縄をもちこみ、伝えることができるはずだ。昨日、県外から親子連れの30名ほどの団体が見えた。天気が良かったこともあり、現場をある程度見渡せる。現場があるからこそ、言葉以上にリアルに話せる。これは強い。自分にとっても。

 私が県外に出て撮影するのも、それぞれの実情を知っていることが、今後の出会いの際に役立つこともあるからだ。時によるが、私は地元の人よりも知っていることすらある。また知っていることで、親しみを覚えてもらうことにもなる。

 実は寝ながら重大な発見(気づき)をした。時間がなくなってしまったが、少々整理して帰ってきたらまた書く。この夏休みの宿題はデカイものを与えられてしまったようだ。

2019年8月19日 (月)

お盆明け工事が再開された(190819)

 2019年8月19日 曇り お盆が明けた月曜。新基地建設を巡る工事が再開された。ゲート前からは空のトラックが何十台と入ったそうだ。台風で避難していた基地内での運送用のトラックだろう。またこいつらが動くのか!

 海からも、クレーン台船や土砂運搬船が大浦湾に入っていった。11時頃から、埋め立て予定地内で動くトラックを確認。埋め立て作業が再開されたのだ。午後から夕方にかけて4隻出て行った。

 海上のメンバーはまず、テント2の設営を完了させた。9時から平和丸で海に出て状況を確認してきた。10時から海案内を行っていた。

 テント村もお盆明けの印象。来訪者が訪れ、私は5回ほどお話した。暑く(風がない)30分余りしゃべるだけで、お疲れ。まだまだ辺野古・大浦湾ー沖縄の問題の真相は知られていないと思う。「再び戦争やりますか?!」これを私たちは正面から問わなければならない。沖縄はお断り!この意思をもっともっと明らかにしていかねばならない。よそ見していたら、酷い目に遭うのはあなたであり、あなたにつながるにんげんなのだ。

 午後、ヨーロッパの小国から来訪者あり。10年ほど彼の地に住んでいるが、そのぐらいの日本語はわかると(日本人)。外から見ていて、ドキドキしてくるという。日本が危ない国になっていることを痛感させられているようだ。

 そういえば、東西対立が激しかった時代に、「平和共存」と言う言葉は、まだ大文字の、マジョリティの言葉だったと思う。しかし今やどうだ!? マスメディアが伝える言葉の中にどれだけあるのか。政府が語る言葉にあるのだろうか。私は平和共存という選択こそが正しいと考えている。共に平和を求め合いながら、個が個としていきながら助け合うというつながりなしに人類は生き延びられるのか? 国家などというチャチな概念で生きていけるのか。

 大国を思考すれば奢りが吹き出る。小国でありながら、個が輝く社会を目指すことが長い眼で見たら断然勝っているはずだ。先日はカタロニアのひとたちがきた。踏みつけられている人たちがお互いに手を取り合い、小国であることを是としながら分かち合う、ハワイやグアムの先住民、先住民であるアイヌの人らと、もっと積極的な民衆・民際外交ができないものだろうか。

 私たちがやれることは、いくらでもあるのではないのか。必ずあるはずだ。

天皇制に終止符を! 「代替わり」で考える「天皇制」の戦争責任(190831)

 以下の案内が届きました。一見何でもないようなこの問題、奥が深い。沖縄ではよじれている分、案外わかりにくい。皆様のまっすぐな歩みに敬意を表します。(ヤマヒデ)

 

天皇制に終止符を!「代替わり」で考える「天皇制」の戦争責任

▼日時:2019年 8月31日(土)13時30分 開場  14時開始
▼場所:日本キリスト教団 紅葉坂教会     
      JR京浜東北・根岸線『桜木町』駅 北改札西口より 徒歩5分
        横浜市営地下鉄 『桜木町』駅 南1口より 徒歩7分 

▼講演:渡辺美奈さん 

 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)館長
 ★ WAMとは、
  2005年8月、 日本で唯一、日本軍性奴隷(日本軍「慰安婦」制度)の被害と
  加害を記憶する資料館として開館。「慰安婦」裁判や女性国際戦犯法廷を
  閲覧できるなど、「慰安婦」関係の書籍・雑誌・論文・軍関係資料をはじめ、

  支援団体の活動記録、ミニコミ誌、機関誌、市民運動の記録も含めて日本軍
  「慰安婦」アーカイブズにするプロジェクトを進めている。

▼資料代:500円


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◆戦後74年、天皇制は終わることなく、裕仁から明仁へ、そして5月1日に即位した「徳仁」によって受け継がれました。平和への思いを込めたという慰霊の旅を続けた「明仁天皇」は、象徴天皇制を安定させ、さらに新天皇を誕生させました。

❤しかし、天皇の戦争責任を問うことなく行われた祈りと追悼は平和をもたらしたのではなく、戦争責任を覆い隠し、あたかも平和な社会であるかのようにつくりあげた戦後だったのではないでしょうか。

♠映画「沈黙」で、はっきり語られていましたが、天皇の責任を問い続けたのは、日本軍性奴隷制の被害者のみなさんです。2000年12月の「女性国際戦犯法廷」は日本軍性奴隷制度の責任者として天皇裕仁と軍高官9名に有罪判決を下しています。

☘日本の戦後社会が向き合わなかった戦争責任と植民地支配責任を問うてきたと
 いう、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」の渡辺さんに
 お話を伺って、差別の象徴であり、平和・平等・民主主義に反する天皇制に終
 止符を打つための思考をさらに広げていきたいと思います。

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▼共催   日本基督教団神奈川教区社会委員会ヤスクニ・天皇制問題小委員会
    「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
    終わりにしょう天皇制!「代替わり」反対ネットワーク
    信仰とセクシュアリティを考えるキリスト者の会(ECQA)
    女性と天皇制研究会
 *連絡先:090ー3909ー9657


短歌甲子園で沖縄の高校生が団体準優勝(190818)

 全国21校の高校生が短歌を競う短歌甲子園(主催:同大会実行委員会)が盛岡市で8月18日に行われた。沖縄から参加した昭和薬科大学附属高校の3名が準優勝に輝いた。「特別審査員小島ゆかり賞」も同じく國吉伶菜さんが受賞した。

 島袋乃碧さんは「灰色の箱が生み出す爆音は 今か 咲く花ただ揺らすのみ」と詠んだ。灰色の箱とは基地のことであり、咲く花とは自身を含む住民。「ただ揺らすのみ」の「ただ」に感慨が込められている。

 國吉さんは「碧海に コンクリートを流し込み 儒良(ジュゴン)の墓を建てる辺野古に」。沖縄の高校生の面目躍如だね。まだコンクリートは流し込んでいないなどと野暮なことは言うまい。

 同校は浦添市内にあるので普天間基地のほど近く。浦添から辺野古を詠む高校生がいるのだ。

深夜のつれづれなるままに(190819)

 20日から出かけるための諸準備に追われている。台風休暇とお盆休暇が重なり、かなり整理できたり、論点整理ができた。15年5月に2週間かけて、神戸から門司まで出かけたが、今度は10日だが、計画では中身が濃い。全く未知の場所は1カ所のみであり、予定を立てやすい。また途中の何箇所かで、何人かが迎えてくれることになっている。ただの撮影を超える成果があるはずだ。後は体力と天道様次第。

 新しいパソコンの使い勝手は、色々だが、問題もある。メールののぞき方がまだうまくいかない。隠れて至りする。先ほどもそれを見つけて安堵。カメラもそうだが、シャッターを押すのは優しく優しく。ぎゅうと押していたらダメなのだが、今の器械は全くダメだ。馬鹿と叩いていたら、もっと馬鹿になる。

 明日から工事が再開されるのだろう。私は新たな発想に立ち、アクティブに動き回りたい。おやすみなさい。

2019年8月18日 (日)

重要なお知らせ(190818)

 当ブログ「ヤマヒデの沖縄便りⅢ」は2018年4月に立ち上げて今日に至っています。7月22日、パソコンが壊れてしまい中断を余儀なくされましたが、片肺飛行ながら、復活させてきました。まだ写真をあげることができませんし、メールで送ることもできません。今しばらくご容赦ください。

 そうこうしているうちに、ブログの容量が一杯に近づいてきました。今回はⅣにせず、有料ブログにする予定です。これでうるさいブログ内の宣伝がなくなります。その分、私がブログ管理者にお金を払わなければいけません。このブログから宣伝がなくなったら、有料ブログに移行したと思ってください。

 私は明後日から29日まで沖縄島を後にします。10日間、取材に出かけます。その間、ブログは休止。これからお世話になる皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。しっかりと交流できる事を楽しみにしています。

 まだまだ暑いようですから、お体にお気をつけてお過ごしください。

2019年8月17日 (土)

あのピーター・フォンダが亡くなった(190817)

 あのピーター・フォンダがなくなった。2019年8月16日 肺がんによる呼吸不全。

 私がピーター・フォンダを知ったのは、「イージー・ライダー」(1969年)。実際に映画館で見たのはずっと後のことだと記憶する。「イージー・ライダー」の冒頭に一瞬、スペイン語のシーンの出てくる。薬の密売人だ。

 「史上最大の作戦」を1962年に見たが、お父さんのヘンリー・フォンダがでていた。ヘンリーは第2次世界大戦に従軍している。あのジェーン・フォンダはピーターのお姉さん。ヘンリーの娘。ベトナム反戦運動に参加し、かっちょいいなと思っていた。

 現実と劇中と、いささかめまいがしてくるが、分かりやすい構図。アメリカ合衆国も一時代が終わり、まだ混迷が続くのだろう。日本にも時代を画する俳優がでてこないだろうか。稼ぎながら、ライフスタイルをしっかりと定める人。

護岸埋め立て工事の再開の兆し(190817)

 2019年8月17日 晴れ テント村に午前中のみ在席。

 今日からODB(沖縄防衛局)雇い上げの船が多数出ていた。警戒船、潜水調査船。沖合にクレーン台船、置き台船がやってきて、大浦湾に入る。護岸にはクレーンが出て、下準備を始めた。オイルフェンスをもちあげたり、張り込むのだろう。19日朝一番で土砂運搬船が入ってくるだろう。

 海上行動のメンバーにはこの事実を伝えた。お盆休みは終わったのだ。頑張ろう!

 

海自空母艦載機にF-35B正式導入(190817)

 防衛省は2019年8月16日、F-35Bを正式に導入すると発表した。ついに日本国自衛隊が航空母艦をもとうとしているのだ。航空母艦とは端から外征軍の艦種であり、「専守防衛」を投げ出したことを国内外にうちだしたのだ。いずも型戦闘艦に42機導入。

 防衛省は「常時搭載はしない」と言っているが、世界に冠たる米国海軍の航空母艦の艦載機だって、常時搭載などしていないのだ。だからロナルドレーガンの艦載機の拠点は岩国基地になっている。つまり、いずも型(いづもは横須賀基地、「かが」は呉基地配備)の艦載機はどこに置くのか? やはり岩国ですか? それとも鹿児島県の鹿屋でしょうか。もしかしたら、辺野古新基地かもね。冗談きついな!

 日本は再び「守るも攻めるも黒金の」などとワクワクしながら、世界を股にかけた戦争をやるつもりなのだろうか。「攻撃は最大の防御」などといいながら米国第7艦隊などと共同作戦をやれば、かってと違い負けるわけがない、ナーンチャッテ。

 しかしF-35AもBもだが、ステルス戦闘機で軍事機密の塊。定期点検・修理を日本側で実施できない。そのたびに米国企業の技術者を招いてやるしかないのだ。1機110億円とか140億円と言われているのだが、+修理費にどこまでお金をつぎ込むつもりなのだろう? 日本って、そんなに豊かな国だったんか? おマヌケ国=日本

 こんなことを私たちは、断じて許してはならない!! お金は主権者のために使うべし! 主権者は私たちだ! 忘れるなかれ!

安倍晋三首相にはいかなる心があるのだろうか?(190817)

 2019年の夏、私は安倍晋三首相の式辞に目を通してきた。①6月23日の沖縄の慰霊の日、②8月6日の広島、③8月9日の長崎、④8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の4回だ。どれもこれも官僚が書いた作文だろうが、それにしても脂汗をかくとか、呻くとか、感情が何一つ揺らいでいない。いずれの日も、万(何十万から何百万)という人が亡くなった祈念日の追悼の式辞でだ。

 8月15日の式辞全文は、700字余り。短い。このなかに「平和」が4回、「み霊」が3回出てくる。彼は「平和」主義者の振る舞いをしているつもりなのか。彼の確信は「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは決して忘れません」としていることのようだ。否、戦後日本の平和と繁栄は、米国が担保してくれたものであり、そこには日本国憲法も含まれてきたはずだ。軍人・軍属210万人の戦没者が平和と繁栄をもたらしたとは、いかなる了見なのだろうか?(米国も地に落ち、米国と共に日本に「武力による安全保障」を担えと強引になっている)。 

 ここで貫かれているトリックは、戦死者個々の状況をかき消し、「み霊」に抽象化・美化する中で戦争の実像をしらっと消しているのだ。こうしたなかで、「平和で希望に満ちあふれる新たな時代を創り上げていく」と言われてもね。例えば、「広島や長崎での原爆投下」のなかに、朝鮮人被爆者を含んでいるのか?そもそも原爆を受けるとどうなるのかを考えたことがあるのか。 「沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々」にスパイ扱いされて皇軍に殺された人たちは含まれているのか、皇軍に壕から出て行けと言われて殺された人たちは? 軍隊慰安婦として殺された人たちは? どう考えても含まれていないだろう。頭数は数えられているのかもしれないが、彼は追悼していないのではないか。葛藤した気配が全くない。

 沖縄タイムスの19年8月16日の2面の上に「11歳、毒で母・妹あやめた」「満州引き上げ 京都の村上さん」との記事がある。大日本帝国が植民地にしていた満州から逃げ帰るとき、足手まといになりそうな人々を殺害したのだが、11歳の少年に殺害させていたのだ。実の妹と母をだ。薬での毒殺。何も知らせずに少年を実行行為者におとしめたのだ。これが戦争というものなのだろう。

 安倍晋三首相はこうした史実を知っているのか? 知らない知らないと、目も耳も手も塞ぎ、不都合な真実を覆い隠しているのではないか。

 未明に上記を書いた。朝起きたら、村上さん11歳に衝撃を覚えた。私は11歳の時、母が死んだ。病死だった。もしも村上さんが私だったら。絶望の余り自死していただろうな。84歳の村上さんは体験を語っていると。半端な決意でできることではない。こんな犯罪を誰がやらせたのだろうか? 

 私たちは、人間には悪魔が潜んでいる事を忘れてはならない。性善と性悪の2者が同居しているのだ。戦争はこの性善を駆逐し、性悪を増殖させていく。だからこそ私は戦争に反対するのだ。悪魔に牛耳られた「平和」はいらない。

 こう考えると、言葉って難しいものだ。いいえ、人間の心が難しいのだろう。だからこそ、私たちは素直に生きられる社会を求めていかなければなるまい。「忖度おじさん・老人」になったら寂しすぎる。

 

 

2019年8月16日 (金)

8月18日までの辺野古(190816)

 今朝、辺野古テント村(漁港脇)を復旧しました。18日の日曜日まで午前中のみのオープン(8時から12時)。辺野古ゲート前のテントはまだ復旧されていません。ゲート前での座り込みは19日(月)からです。

 工事は19日~再開されそうです。だから座り込みも19日~。お間違えないように願います。

2019年8月15日 (木)

那覇の8月15日は静かだった(190815)

 2019年8月15日、那覇まで出かけた。目的は様々であったのだが。実は私、これまで避けていたところがあるのだ。那覇にある護国神社であり、特に8月15日の護国神社だ。12時過ぎの境内も予想以上に静かだった。否、沖縄だからの意味は、思いのほか深いのではないか。

 ほっとしてこの後、那覇の街を歩いてしまった。暑さに絶え絶えしながらも。対馬丸記念館はお休み(木曜日定休)、不屈館に行き、2004年8月13日のヘリ墜落の写真展を見て、隣の部屋でやっていた石川真生さんの「大琉球写真絵巻」をみた。

 ヘリ墜落の写真展は継続することに意義があるだろう。忘れない、伝えるために。伝えるよりも忘れる人の方が多いのだろうか。沖縄国際大の校舎の壁をえぐった黒い爪痕はすさまじかった。あの壁を保存できなかったのは何故なのか?

 真生さんの写真展は正に真生ワールド。真生さんしかできない技であり、どれだけのエネルギーを注ぎ込んでいるのだろう。すさまじい。登場する配役には私の友人・知人も多い。真生ワールドの化身を身につけ、名優ばかり。お見それしました。

 これは必ず見に行くべし。余談ながら、先日、私の友人から写真家石川真生をしっている?、「大琉球写真絵巻」って?と聞かれたばかり。抜本的に彼への返答を撤回する。見に行くべし。

 冗談みたいな風情もありながら、生真面目。生真面目なのだが、硬直せず、人間が生きている。安倍晋三がこれをみたら、どん挽きするだろう。管官房長官も。奴らの青ざめた顔をみてみたい。

 名護に帰ってきたのは21時頃だった。お盆もたけなわ。今年の8月15日はウークイ。お先祖様をお送りする夜を迎え、シマは熱気に包まれている。この熱気は24時過ぎまで続くのだ。

 

「終戦記念日」のこの日に(190815)

 2019年8月15日の朝。台風10号も漸く去りつつあり、風も控えめになった。でかい台風だった。

 今朝、ここ数日悩まされていた眼科の治療に行く。それから再び那覇へ。私は沖縄に住んで6年目になるが、初めて「沖縄の8月15日」を迎えるのかもしれない。沖縄にいたら、8月15日の意味は薄い。「日本」の戦後はここ(天皇の「御聖断」)から始まったと言われているが、沖縄は投げ出されたままだ。そもそも沖縄の「戦後」はあったのかとすら言われているのだ。歴史を追うことは、そう単純ではない。

 そもそも1945年8月15日は天皇ヒロヒトが「終戦の詔勅」を国内に公表した日であって、敗戦を認めた日(1945年9月2日)ではない。そもそも沖縄にこのお達しは届いていない。すでに米軍が沖縄を統治していたからだ。沖縄の日本軍との降伏文書が交わされたのは1945年9月7日。あの戦争を巡って、沖縄においても、「日本」においても、朝鮮半島や台湾、「満州」(中国東北部)などの大日本帝国が植民地にしていた圏域を巡って、軋轢がいまだにある。そもそも朝鮮半島の分断は、大日本帝国がかの国を植民地にしていなければ、なかったであろう。今日の日韓関係、日朝関係はまるでちがっていたはずだ。日本が独立を許された52年4月28日、旧植民地の「帝国臣民」は、「日本国籍」を剥奪されたのだ。沖縄が米国の統治下に置かれるのと同じ日に。これは偶然ではあるまい。

 日韓関係は、「慰安婦問題」や徴用工問題を巡って、今や最悪の関係になってしまったが、過去に侵略した国が、その事実を居直り、再び圧力をかけることじたいが、お前は何様なんだ。沖縄にいて、戦後日本国のありようを、私は糞であると考えざるをえない。日本(日本列島)は海洋国であるからこそ近隣諸国との間に【間】があるものを、にじりよって、かみつく態度に傲慢さを禁じ得ない。

 安倍政権は韓国と戦争を始めるつもりなのか? 危機を煽って、軍拡ニッポンで儲けるつもりなのか。沖縄は、「島嶼防衛」を含めて、願い下げだ。断じて新たな戦死者を出してはならぬ。東アジアに、相互理解と信頼を得られる関係を沖縄から作るべきではないのか。

 私はこうした錯綜した歴史の総体を読み直すことなしに、私たちの歩みを前に進めることは不可能だと感じている。

 そんなこんなで、でかけます。まずは眼科へ。

2019年8月14日 (水)

歴史を考えると言うこと(190814)

 ここ数日、目が痛くて、頭が回っていない。今朝の名護は台風10号の返し風の中。強風域に入っている。

 ところで、昨日見えた県内の学生から、「何から学んでいるのですか?」と問われた。防衛省の文書はネットでも見れるし、日々の新聞報道、そして本も読むと。またここ現場で知り、わかることも多いのだ。それにしても、何をどう考えたら、わかるのということは、案外重要なことなのだろう。私からすれば、「常識」の一言で終わってしまうのだが、これは不親切すぎるのだろう。改めて考えておかなければならないと思った。

 今朝のタイムスの「大弦小弦」(1面コラム)に「沖縄に住む私たちが平和を訴え続けるのは、歴史に裏付けられた必然性がある。沖縄の心とは。ウヤファーフジ(ご先祖様ー引用者註)と過ごすお盆の期間に、仏壇の前で考えたい。(吉田央)」とある。

 過去を洗い流してしまえば、楽なのかもしれぬ。だが、こうすると、再び三度手痛い失敗もする。悪いことに失敗だとすら気づかぬまま。だからこそ、歴史から考えることが、どこにいても、どこで育っても重要なのだ。

 たった15年前のヘリの沖縄国際大への墜落、74年前の沖縄戦、東京大空襲、広島・長崎も。こうなったのは誰のため? どうして? まずは事実の認定ができなければならぬ。大日本帝国がしかけた侵略戦争が様々な問題を起こし、あげくに最終的に悲劇が半ば可視化されてしまったのだ。だから被害のみならず加害をみつめなければ、何も見えてこない。「勝てば官軍」「夢をもう一度」てな調子で再び戦争などやられては、たまったものじゃない。

 東京に官邸があり、そこの指揮で、さしがねで、事が動かされているのだ。その肝心の都民の感度の悪さが沖縄を俄然圧迫しているのだ。人間は反省しなければ、ずんずん悪の道にはまっていく。このままいけば、必ずや日本は自滅していく。沖縄などを巻き込みながら。冗談じゃないと言えるためにも、歴史から学ぶことが重要だと覚悟しなければならないのだ。

2019年8月13日 (火)

香港はどうなっているのか?(190813)

 私は数日前から、目を痛めてしまい、よく見えない。眼科医に行くしかないようだ。だから頭もよく働かない。

 

 それにしても香港はどうなっているのか? 過激化しているとも見えたが、どうもそうでもなさそうだ。明らかに警察が過激化している。殴る蹴るが半端じゃない。高層ビルの上から催涙弾を無差別攻撃。催涙弾て、明らかな化学兵器ですぞ。こんなものを目に食らったら失明しかねないものだ。香港空港が閉鎖になっているようだが、空港内座り込みに対して、警察が排除にかかった。こうした対立が激化し、広汎化している。

 雨傘革命とも言われていたが、今出てきたスローガンの一つは、[be water]だ。要するに水のように柔軟に、水のようにしなやかにだろう。だとすれば、どこかのイデオロギー集団が運動をのっとったのではなく、香港市民革命の延長だろう。変わったのは香港政府のバックにいる中国政府があからさまな警戒心をうちだしてきて、対立が先鋭になってしまったのではないか。

 もっときちんと調べないとわからないが、言葉の壁があり、動画も出ているのだが、英語への翻訳であり、私の読解力では追いつかない。いずれにしても、いかなる権力がであれ、市民の自治、人権侵害を許すべきではない。この限りだけでも、私は今の香港市民の運動にYESといいたい。

 那覇から香港まで約1200キロぐらいだろう。東京までより近いのだ。与那国島から見たら600キロもない。もっと情報を集めて、考えたい。少なくとも人権弾圧は止めろ!

https://twitter.com/hashtag/香港加油?src=hash

これツイッター、ハッシュタグ、見てください。」

◎ただし、日本のネトウヨが多数書き込み中。見るべきは香港からの情報。

 

 

 

台風10号の影響が出てきた辺野古(190813)

 2019年8月13日(火)曇りのち雨 また台風の影響下にある雲が出てきた。時々雨が降るだろう。

 午前中に、私は松田浜とゲート前(手前の演習道の拡幅工事の状況)と豊原の高台に撮影に出る。松田浜から上陸してきた水陸両用装甲車8両を確認。午前中から上陸か? 沖に揚陸艦がいるのではないのか? 見えないな。マナヌ岩付近の白波の大きさを確認。いた! ドック型揚陸艦グリーンベイだ。これからでてきたのだろう。台風の合間にご帰還か。実弾射撃演習の音がきこえてくる。

 国道329の下の拡幅工事を撮る。台風のためシートを外しているときに撮らぬとみえない。だいぶできてきた。辺野古ダム周辺の土砂を陸路から入れるのだろう。バイパスを渡って、豊原の高台へ。護岸の内側での工事はやっていない。異物は護岸のみだ。埋め立て作業はまだまだだ。歩くとますます暑い。仕方がないのだが。

 13時過ぎ。県内の学生ら11名がお見えになる。松田浜まで移動いただき日陰で現場を見ながら話す。このパターン良い。何がどうしてこうなったと分かりやすく話せる。途中で雨が降り出したが、小降りなので無視。一通りの話だが、時間があるよしなので、1時間余り。この23年間の話をして、戦後74年間の話をして、1991年以降の話をして、ダブらせながら。ベトナム戦争からイラク戦争、「島嶼防衛」まで。土木技術から現代科学技術批判まで。いくら日陰でも長すぎたか。申し訳ない。最後には沖縄の可能性まで。質問にもお答えした。

 このように熱心に聞いていただけると私も熱心にお話しできる。問題なのはこのレベルに至っていない人たちにどうするかだ。悩ましい。どんな関心をもっているかがわかると、話しやすいので、よろしく。

 終わったら15時。暑いはずだ。15時30分早めに引き上げるか。明日は海外からのお客様が来ると由里さんから電話が入る。これはたっぷり話せるな。バス停で待っていたら大雨になった。庇があるから助かる。

8月12日と13日に思うこと。前編(190813)

 私にとって、85年8月12日は日航機が公称御巣鷹山に墜落した日であり、2004年8月13日は普天間基地のCHー53が沖縄国際大に墜落した日として記憶されており、忘れることができない。

 以下簡潔に触れていきたい。

 この2つの事故はたまたま夏の悪夢の2デイだったのだろうか? むろん9年の時間が経った事件であり、連続性はない。だが怪しげな事件であることは共通している。

 一般的に大事故(航空事故に限らない)が起きたとき、事故原因は何かと、このとき当事者(この2件であれば、日航と米軍)と政府(中曽根政権と小泉政権)がいかなる動きを示したのか、マスコミはどう報じたのかは問われるべきだろう。

 この日航機事故を忘れがたいのは、凄惨な結果(500名余りがなくなった)とその経緯と事故原因が怪しいからだ。ここで並べて取り上げたのもどうみても日米両軍と政府が関わっているとしか思えないからだ。簡潔に述べる。

◎85年8月12日夕刻、私はテレビニュースで、日航機123便がダッチロールしている、その後、落ちたと聞いた。しかし怪しい情報だった。どこに落ちたのかが全く不分明な報道。2転3転していた。目撃情報は多数寄せられているのに、電波情報だってあるはずなのに。結果として御巣鷹山事故といわれているが、これも不正確。御巣鷹山からかなり離れた無名峰の山並み(群馬県上野村)に落ちていた。私は事故後に現場に入っている。

◎捜索への出動が余りにも遅かった。何故か。地元の消防団などの現地到着を遅らせ、自衛隊が部隊で現場に入った。それも現場に近いはずの長野側からのアプローチを避け、群馬側からのみ。この間に息絶えた人も多かった(生存者の記憶・証言)。長野側から当時ゼミ合宿できていたあるグループが一番乗りしていた。

◎そもそも飛行に差し支える状態となり、何故内陸側に誘導したのかが納得できない。乗客乗員の安全を考えるならば、せめて海(駿河湾・相模湾)に誘導すべきだった。ダッチロールしていて結果的に山に向かったと報道された。

◎私はここにいくつかの故意が介在したと考えている。参照:「日航123便/墜落の新事実ー目撃証言から真相に迫る」(青山秀子著ー著者は元日航客室乗務員ー河出書房新社刊 2017年7月刊)など。

◎こうした事態になった一因に、日航機に放射性物質が組み込まれていたのと、医療用放射性物質を積んでいたことがあげられていた。私たちが現場に赴いたのもこの調査のためだった(土壌から不検出だった)。

◎マスコミは疑義を疑義として問わなかった。無論、報道しなかった。

◎教訓1:怪しいなと思ったらしつこく調べる。公表を鵜呑みにしない。マスコミがどれだけ報じても真相が含まれているかはわからない。政府広報部になってしまったマスコミに価値はない。

◎教訓2:事故当事者が民間機でも、軍事が絡んでいるとすれば、よほど慎重に調べなければ真相は闇の中。これを沖縄にあてはめれば、2重3重にブロックされており、なかなか真相はわからないということだ。だからこそ事件事故の真相に迫る努力が徹底的に求められているのだ。

 肝心な沖縄国際大への墜落事故については後編で。

 

2019年8月12日 (月)

映画『新聞記者』を見てきました(190811)

 台風9号が去った8月11日、那覇にある桜坂劇場に行ってきました。映画『新聞記者』を上映しているからです。2時間びっしり闇の世界を照らし出す画面を見つめてしまいました。

 噂に聞いていたとおりというか、それ以上だったり、なんだだったりを以下に記します。

 やはりこうした映画が、今でき、公開されたことが快挙です。実に今の空気の中で練り上げられた作品でした。例えば、伊藤詩織さんへのレイプ事件のもみ消し事案やモリ・カケ問題が起きるなど、政権は真っ黒ながら、ごまかされているという恐るべき自体の中で。映画のスートーリー展開もまさに現代風。新聞記者の吉岡記者(シム・ウンギョン)と内閣情報調査室の若き官僚の杉原(松坂桃李)が主人公です。杉原の元上司が自殺してしまうことから話は急展開。キーワードならぬキーピクチュアが真実に近づき、2名を結びつけていく。家族を巻き込む心理劇としても、役者さんの好演もあり、納得。

 フォトグラファーである私は映画を見ると、当然カメラワークに目が入ってしまいます。実に優れたカメラワークが光ります。これだけみていたら、大拍手。官邸前だったり、国会前が出てきますから、私の通いなれていたところ。それだけにポイントを押さえていることが痛いほどわかります。ラスト近くで、お二人が近づくシーンでのそれぞれのバックのぼかし方。にくらしいほど。

 しかし時代に迫ろうとしただけに、難しさもあったようです。新聞記者なのか、内閣情報調査室なのか、半端だという批判も散見します。ここは闇の世界である後者よりも前者に的を絞るべきだった。映画の中に望月衣塑子記者もでてくるのですし、もっと実態に迫れたはずです。いや、本人をだしてしまったから、実態に迫れなかったのかもしれません。内調は闇でわからないのであれば、闇であることをもっと大胆に示唆すべきでしょう。

 この映画を生み出したのは望月さんとプロューサ-の河村光庸さんの活躍によるのでしょう。まだまだちぐはぐさが残るのは、制作集団内部の不統一もあったのでしょうか。

 舞台に乗せられるのは、下っ端ばかりで、首相や官房長官、官房長、などの責任者が出てこない。新聞社もデスクだけ。これだけの事案になれば、編集局長や経営陣との葛藤を映し出して当然。論理展開的にはいささか無理がある。よく言えば絵に描いたように分かりやすいが、オイオイのところが随ぶんありました。シリアスさをカメラワークだけで押すのはちょっと。

 もっと切り込むためには、もっと熟議が必要だったのでしょう。ただエンタメとして興行収入をあげるためにはお客がはいらないとならないから、この程度のわかりやすさが適度だったのかもしれない。ジレンマですね。

 文句つけましたが、わざわざ那覇まで行った甲斐はありました。これだけははっきりさせておきます。 

今日の辺野古テント村(190812)

 久しぶりに辺野古テント村に行きました。曇り。9号は去ったものの台風10号が張り出しそう(強風域に入るかも)なので、しばらくテントの復旧を見合わせます。今朝はテント2のメインテントのみ復旧しました。ゲート前テントも復旧作業に取りかかっています。いずれにしてもお盆休みなので、トラックの出入りはないでしょう。

 お昼で引き上げてきました。明日も同様の予定です。

2019年8月11日 (日)

「視点」展に励まされている私(190811)

 2019年視点展は去る6月に東京都美術館で開催された。巡回展が7月に名古屋、8月大阪(~11日)で行われている。全国公募写真展であり、大規模なものだ(まだ浜松展以下続く)。私の入選作は「沖縄 不条理を超えて」(6枚組)。

 先日、辺野古テント村に見えた方から、ハイテンションで「視点展、見てきました」との挨拶をいただいた。去年のも今年のも見たと。私の写真も辺野古を思い、沖縄を思う一助になっているとすれば、素直に嬉しい。こうして現地に来るエネルギーになっていれば、なおさらだ。

 もっとも写真をみていても、私の顔とダブらなければ、こうした挨拶に至らない。だから声に形に出ていないケースもあるだろう。

 昨夜、奈良のN君から大阪展を見てきたとメールが入ってきた。様々な分野の写真が並び、見て良かったと。そして私の写真についてこう批評されていた。「不条理』に込められたこれまでの歴史と、抗ったり闘ったりじゃなく(時にはそれも大事だけど)これまでもこれからも『乗り越えて』いくんだっていう想いを感じました」と。

 まさに私が本作に込めた思いを正確に読み取ってくれた。写真は事実を記録し、記憶することも大事だが、その上に立って、これでいこうとの思いを喚起したいものだ。

 だからこそ、こうした応答があると、励まされるというか、またやるぞと思える。表現したことが、また自分にも返ってくるのだ。展覧会とはまさにコミュニケーションの場なのだ。私にとって視点展は、貴重な発表と交流の場だ。

 また、新たな貸し出し用のパネルを作ったが、もっと練り込んで作ってみようとの意欲もわいている。

 関連してお礼の言葉を。今回の制作は、あるひとの講演資料として始まった。ならば、一度ならず何度かやれるようにしたい。パソコンが壊れるという不測の事態が起きてしまったが、なんとか間に合わせた。こうして私を押してくれる人がいるから、やっていられるのだ。また日常のテントの運営でも、ヤマヒデはフォトグラファーとしてやるために沖縄に来たと言うことを承知いただいている。細かなご配慮をいただいている。ありがたいことです。

 こうした声に応えるためにも、私は表現の場を作っていかなければならないだろう。これは2019年後半の決意だ。

新基地建設事業の進展のウソ・ホント(190811)

 本日の沖縄タイムスにこう出ている。「地盤改良事業を発注」と、別の記事で「初回工事区域『7割進捗』」と。新基地建設は、いよいよ新たな段階を迎えるのだろうか。

 まず後者の記事について。昨年の12月14日から始まった辺野古側の辺野古崎あたりの約6.3㌶の約7割を終えたという防衛省。3月25日から始めた約33㌶の区域は1割以下らしい。これを沖縄県は事業全体の2.8パーと言っている。

 しかし問題はこうした表面的なことにあるんじゃない。埋め立て工事が始まって、自然環境の悪化に如何ほど「貢献」したのかである。また、実際の基地建設にどれほど近づいているのか否かだ。ここでは後者について言及する。先に示した記事「地盤改良事業を発注」にかかわってくる。記事の中身を読めばわかることだが、軟弱地盤改良工事の基本設計と環境影響を検討する事業が発注されたのだ。

 基本設計は日本工営・日本港湾コンサルタント共同体が4億6805万円、環境影響の検討は、いであ・沖縄環境保全研究所共同体が6710万円で契約した。因みに日本港湾コンサル以外の3社は防衛省OBが再就職している会社だ。謂わば仲間内企業なのだ。

 こうして軟弱地盤改良工事の設計書ができれば、公有水面埋立法に元ずく変更申請が防衛省から沖縄県に出される。これを知事が阻めば、国は再び伝家の宝刀を振り下ろす。裁判所に訴え、県の不許可は「不当」との判決を得る。こうなればヤバヤバだ。こうなるまえに、私たちは何ができるのか? そこが求められている。

 その前に現状をみておきたい。「新基地建設事業の進展のウソ・ホント」と書いた、この問題。辺野古側の一部区域の約7割といっているが、これは実態とまるでかけ離れている。土砂を入れているというにすぎないからだ。

 子どものどろんこ遊びならば、このレベルでけっこう。しかしここはまがりにも埠頭であり、小型であれ空港だ。大型機は飛ばないとは言え、それなりに地盤を固めなければならない。辺野古側は軟弱地盤じゃないが、埋め立て工事というものは、埋め立てる土中の水分を抜いていく事が不可欠だ。辺野古側の工事はこれをまったくやっていないのだ。そもそも海との仕切りを鉄板やコンクリートで固めていない。石を置いてコンクリートブロックを置いただけ。水は融通無碍。

 このように防衛省は信じられないことをやっている。だがここにはわけがある。大浦湾側の工事のめどが立たないからだ。大浦湾側を差し置いて、辺野古側だけやっても意味がないのだ。かといって、やってますとのポーズを示さないとならない。だから「土砂投入」と派手に宣伝したのだ。

 問題はこれだけじゃない。現在の高さは約3m。これを水面から8.8mまで嵩上げするのだ。そのうえに施設を作っていく。これだけの高さに嵩上げするのは理由がある。台風時の問題と日常の問題だ。ここに大型台風が襲えば、波が土砂が乗り上がってくる。塩分を含んだ有機物が機体などに侵入したらおしゃかになる。機体はどこかに逃げても、構造物は逃げられない。日常も海水を含んだ風にさらされている。これを少しでも避けたいからだ。

 2019年末から2020年にかけて新たな段階に入ってくる。ここが勝負どころになる。私たちの闘いが問われているのだ。

台風9号が去る(190811)

 昨夜まで、ここ名護も台風9号の影響下にあった。夕方、買い物に出ようかと思ったがやめた。冷蔵庫の中、ほぼ空っぽだ。台風が来ると体は一休みでき、いろいろとやれそうなものだが、気圧の低下の影響か、だるくなり、結果的に何もできていない。今回も。困った。

 できたのは、新たなパソコンに、皆さんのメールアドレスを入れ直したことくらい。記録が残っている限りだから、かなり取りこぼしがありそうだ。また、8月の旅のスケジュールも漸く組んだ。多義的立体的な設計なので、いささか苦しんだ。やはり紙の「時刻表」がほしい。ネット検索の留意点として、過去の時刻表が出てくるので、うっかりすると大失態につながる。危なかった。おかげで大幅な迂回路を通ることになった。思い出の場所よ、もう一度。

 私のようなアナログ人間は、じかの勘で記憶し考える。紙の時刻表を記憶しておけば、列車の乗り換えなど間違えない。ポイントしかわかっていないと、ポカを起こす。今回の計画はかなり濃度が濃いので、指さし確認しながらやらないと、ポカをやらかしそうだ。理屈上これで行けるというのと、本当に行けるかは別であり、自身の体調管理とお天気、交通機関がスムースに動いていること。アウトの場合の善後策。

 今回の楽しみの一つは地元の方との交流会。個人的に再会できればと思っていたのだが、仲間を集めてくれるという。少しは気の利いたことを言わねば。他方で、ある場所の昔からの仲間は、メールで連絡したのに、連絡なし。行ってから電話すれば良いか。それでも友人たちが全国に広がっているのは、心強い。人と人の輪こそ隠れた財産である。

2019年8月10日 (土)

今日も台風の影響下にある(190810)

 朝起きたら、あたりはまだまだ台風の影響下にある。森から唸りが聞こえ、雨も強い。台風9号は八重山から華南に抜けたはずだ。他方で、10号が小笠原近海にあり、この影響も出てくるだろう。いつまで悪天候が続くかね。食糧尽きてきた。こういうときに先日いただいたレトルトカレーは俄然意味を発揮する。

 しかしこちらはこの程度の不満でなんとかなっているが、被害に遭われた八重山、宮古の人々に励ましを。那覇市、宜野湾市、石垣市で6名が重軽傷を負ったそうだ。ご快癒を願うばかりだ。

 私は一昨日来、目の調子が悪い。よく見えないのだ。早く眼科に行きたいが、これじゃでれないし、連休明けか。不快だ。

 昨夜は8月の旅の計画を練った。知らないところは、入念に慎重に考えないとダメだ。大失策を発見。だからデジタルでの調べはこれだから。バスがあると思いきや、今は走っていないようだ。「徒歩7時間」とでた。3時間以内と見込んでいたのに、このルートは不可。1日行程ならば、フル装備でも7,8時間歩くのは問題なしだが。午前の部、午後の部をこなしたうえでの計画だから、この原案はおじゃん。事前に気づいて良かった。こうなれば迂回路を行くしかない。

 前日の場所は私が予測したとおり、見るべきところがあった。ここを外すわけに行かぬ。目的は遊びじゃないが、日程が長いので、途中休みをいれないと、体力が持たない。昨日の算段では初日から踏ん張らないと行き着けない。集中力は常に重要だが、過剰でも過小でもダメなのだ。適度。これが難しい。これを常に保つ。猛暑でないことを願うばかりだ。

2019年8月 9日 (金)

不屈館で学ぶ沖縄の戦後史「0(ゼロ)からの出発展」

 不屈館の正式名称は「瀬長亀治郎と民衆資料 不屈館」です。住所は那覇市若狭2ー21-5 ℡ 098(943)8374

火曜日定休 開館時間:10時~17時 入館料:500円(大学高校生:300円 小学生:無料)

www.senaga-kamejiro.com/about.html

今『0(ゼロ)からの主発展』が開催中。19年7月15日~9月30日

 沖縄戦が終わり、沖縄の人々は、家も着るものも、すべて焼き尽くされ、何もない中から、たくましく立ち上がりました。

 米兵が飲んだ、コ-ラ瓶で、コップを作り、飛行機の残骸で、様々な生活道具を作りました。その実物を展示します。

 夏休みの「自由研究」になるようなアイデアがひらめく事でしょう。(以下略)

 

是非お立ち寄りください。 

三多摩反弾圧集会 講演「表現の自由は今」(190910)

 こんなお知らせが届いた。

講演:「表現の自由は今」

講師:志田陽子さん(憲法学者/武蔵野美大造形学部教授)

日時:2019年9月10日 18時30分から

資料代:500円

会場:国分寺労政会館 第3会議室(中央線国分寺駅南口下車徒歩5分)

主催:三多摩労組争議団連絡会議・三多摩労働者法律センタ-

連絡先:三多摩労働者法律センター ℡ 042(325)1371

 

開催趣旨:2004年、立川の反戦ビラ事件や国家公務員法事件など様々なビラまき弾圧がありました。15年の月日が流れ、憲法9条俳句不掲載問題、市民祭りへの原発反対出店などの出店禁止問題、政治批判のフラッシュモブへの駅員からの介入、公園のデモ出発地許可規制・会館の使用規制など表現の自由はますます脅かされているようにみえます。憲法で定められたはずの「表現の自由」は今どんな状況にあるのでしょうか?

 

 だそうです。そこに愛知トリエンナーレ展の中の「表現の不自由展ーその後」に対する介入事件がおきてしまいました。8月1日から始まった展示は3日であえなく中止。不自由の不自由が形作られてしまいました。志田さんも早速動いています。表現の自由は市民の問題です。市民そのものが本来、表現者だからです。(ヤマヒデ)

土砂降りだった!(190809)

 台風9号は石垣島・与那国島を離れて北西に進んでいるらしい。雨風の合間に、私はできあがったばかりの写真パネル「基地の島 辺野古・沖縄 人々は抗う」の第1回目の展示主催者(県外)に送るために郵便局に出向いた。その後、昼食を取り、喫茶店で休憩し、次のパネルの制作の概略を考えた。考え始めたら次々と、何やらやるべきことが浮かんできた。大風呂敷というやつですか。否、毒をもってやろうと。毒と言えば穏やかじゃないが、時代の転生を促すような作品を是非とも考えたい。

 ちょうど、高校野球をやっていて、沖縄尚学対習志野高校(千葉県)。沖縄尚学のピッチャーは緊張しまくっていた。2点取られてしまった。3回目(?)に打ち返し、3対2に。やれやれ。突然ニュースになり、栃木県の山間部で120ミリの豪雨が降ったと。えっと我に返り外を見たら、我が方も。滝のような降り方。自宅まで徒歩30分の距離だが、ズ・ブ・ヌ・レに。雨がビシ・バシ痛い。痛いほどの雨には何度もあっているが、痛いものは痛いね。風がさほどでもなく、まだ歩けるから良かったが。

 高校野球どうなったかな。

 でかけるまえに、メール・アドレスの回復作業をやった。送信記録が残っている人たちの分は復活できた。かなり見当たらないものがあるが、やむおえない。途切れてしまった方々には申し訳ないが、関心があればまたみてくださるだろう。再見。

 

 

2019年8月 8日 (木)

漸く完成しました!ー「基地の島 沖縄・辺野古 人々は抗う」写真パネル

 4年ぶりに貸し出し用のパネルを製作しました。題して「基地の島 沖縄・辺野古 人々は抗う」。A4の写真で18枚セットです。

 途中でパソコンが壊れてしまい、もう間に合わないかと思いましたが、あり合わせのプリントと素材ですが、我ながらよくできました。台紙に貼ってあるだけの(キャプションと概説付き)ものなので、見かけはイマイチですが、コンパクトで、展示方法も画鋲でオーケイです。ということで貸し出しも1日ー5000円、7日以内(展示期間)ー10000円にて。

 是非、辺野古の問題って何なの? と思っている方に見ていただければ、ありがたい。

内容は以下を参照。

「基地の島 沖縄・辺野古 人々は抗う」

撮影:山本英夫(名護市在住/フォトグラファー)

 沖縄島は1945年の沖縄戦以来、基地の島。74年経った今も変わらない。何故だ? 日米政府は辺野古・大浦湾に「普天間代替施設」を造り、沖縄に「寄り添う」そうだ。普天間飛行場の滑走路は2800m。ここは1800mの計画だ。代替できないのだ。大浦湾に広がる水深の深い海。活断層があるからだ。そこは軟弱地盤。水面から90m下まで軟弱地盤がある。これに対応できる機械がない。政府・防衛省は手抜き工事を容認しながら、受注企業に丸儲けさせる。ちょっと待った!それ税金の横流しだぞ。「公共工事」はお気楽だったか。

 ここに岸壁を造るのが第一の意義。海兵隊を運ぶ揚陸艦を停泊できる。海は広いな大きなと世界を制す。沖縄をいつまで戦争のための基地の島にしておくのか?

 沖縄の人々はめげない。沖縄の子どもたちの、未来のために。「命どぅ宝」―これが沖縄戦を経験させられた沖縄の至言。私たちの、みんなの命を大切にする。だから基地はいらない。戦争をなくす。自然を大切に。自分の、人間の生き方を貫こう。国に盗られまい。

 こんな政府に誰がした? 私はまっすぐ歩きつづける。皆さんも、ですね。(2019年8月7日)」

◎問い合わせや申し込みは当ブログのメールにて。山本英夫まで

なお、一般への貸し出しは、9月1日以降となります。

 

 

今日は翁長雄志前知事の1周忌(190808)

 昨年の今頃、新基地建設撤回を巡って緊張した日々が続いていた。昨年の7月27日、翁長知事は病に苦しみながらも、「すべての責任を持ち自分の決断の下で撤回する」と言っていたのだ。それなのに、8月8日夜、私は「知事が亡くなった」とのメールを受けた。体調は悪いのだろうが、ここまでだったのかと、愕然としたことを昨日のことのように思い出す。

 私が翁長雄志さんを記憶したのは、2012年4月25日のオスプレイ配備撤回の県民大会での那覇市長時代の発言。これを正面から聞いていた。沖縄・自民党の翁長さんがここまで言うのかと唸ってしまう大演説だった。基地建設を止めるのが沖縄の心だと、確信に満ちた張りのある声を私は忘れない。このとき私は、「こいつは信じられるな」と思ったのだ。それから14年11月の知事選に彼が立候補して、保革を超えたオール沖縄の態勢ができ、仲井真弘多候補に10万票の大差をつけて勝ったのだ。相手候補が、突然この国が出してきた埋め立て申請を承認してしまうという裏切りの中でのことであったが、この1歩は大きかった。

 翁長知事に対して私は、生前、様々な思いがあった。だが彼は最後まで初心を貫かれたのだと今は思っている。志半ばで倒れたが、沖縄は今でも彼の思いを共有しつつ、玉城デニー知事をはじめ、様々な人たちが頑張っている。14年11月の知事選以降、オール沖縄は12勝1敗と選挙結果では不動の力を確保している。沖縄の民意を示し続けているのだ。

 しかし安倍政権は「沖縄に寄り添う」と言いながら沖縄の民意を無視し、工事強行と「島嶼防衛」・軍事態勢の強化に血道をあげている。基地建設・戦争とは金儲けだと心得ているからだろう。

 翁長雄志さんはこうも言っていた。「沖縄の政治家は沖縄の子を守るため頑張る。日米同盟や日米安保が大切と言えるのは 自ら負担しないから。本土と沖縄の保守の違いだ」(15年5月20日日本記者クラブでの会見で)。ここまで言い切れる政治家はほかにいただろうか。

 また「あれだけの権力に脅迫され、それでも突っぱねられたのか。同じウチナーンチュとして、『自主的に提供した』と言われた人の気持ちも考えてみてほしい」と答弁していた(15年6月29日)。これは県議会自民党が「知事は『県民が自ら基地を提供したことはない』というが、キャンプ・シュワブは旧久志村も認めて議会が議決している」と主張したことに対して、知事は地元の「辺野古」誌を引用し、「これ以上反対するなら強制立ち退き行使も辞さず、しかも補償も一切しない」と米軍に勧告・恫喝された当時(1955年)の経緯を提示したのだ。自民党県議団は踏みにじられてきた沖縄の歴史をおもんぱかる気持ちすらないのだろうか。

 私たちは翁長雄志さんを失ったが、彼が歩んできた経緯の中に、言動の中に、改めて考えるべきことが多数あるだろう。私もこれからも共に歩みたい。

台風9号発達して八重山直撃か(190808)

 2019年8月8日朝、名護市の空にも台風の風がうごめいている。沖縄島も強風域に入りそうだ。7日21時、台風9号は940ヘクトパスカルになっているそうだ。これから石垣島、与那国島直撃コースのようだ。宮古島も暴風域に入るだろう。8日から9日にかけてが特に警戒すべき時間だ。風雨による被害が出ないことを祈るしかない。農家では台風対策を行っただろうが、農産物への被害はどうなるだろうか。心配だ。

 また、観光客の人たちは、慌てているだろうが、どうか落ち着いて、身の安全を確保してください。もっとも船や飛行機は止まってしまえば、如何ともしがたい。台風の島を楽しむぐらいの気持ちで過ごしてもらいたい。自身に関わる農産物被害などないのだから。もちろん身の安全確保が大前提であり、こんな日に海に近づいたりしないように。何しろ森も海も台風によって、普段とはまるで別物になっている。だから、怖いもの見たさも、決してしないように。

 皆様、おきをつけてお過ごしください。私はしばらくの間、部屋の中におります。

2019年8月 7日 (水)

今夜も悪戦苦闘(190807)

 今日も締め切りを過ぎた作業に追われている。あるパネルの制作だ。キャプションを書き上げ、プリントを張り込む台紙を作り、ガイドを書いた。それにしても久しぶりに使うWordで往生した。色々と新たなことがついているのだが、使い勝手がわからない。途中でギブアップ。夕食後に出直しだ。ちょいとわかりました。

 ということで、台紙への張り込み作業はこれからだ。細かい作業だし、新たな手法を試してみるので、うまくいけばおなぐさみ。うまくいってください。明日お渡ししたい。お金になる仕事、大歓迎です。

今日から辺野古はお休みです-台風休暇(190807)

 今朝、辺野古のテント2に行った。とうとうテント2も撤収した。台風9号の強風域に入るからだ。濡れた。そんなわけで、私は自宅でやるべきことをやらせてもらう。早くパソコンを元に戻さなければならない。アナログの資料も整理しなければならない。

 人から頼まれたパネルを完成させなければならない。今回はパソコンが壊れてしまったので、ありあわせのプリント作品を整理し18枚構成の作品にしたが、案外良いので、改めてきちんと制作したい。

戦後74年も経つのに(190807)

 今年は2019年。あの夏から数えれば、74年が経つのだ。

「ちちをかえせ ははをかえせ

 としよりをかえせ

 こどもをかえせ

 

 わたしをかえせ わたしにつながる

 にんげんをかえせ

 

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり

 くずれぬへいわを

 へいわをかえせ」

 

  これは広島で被爆した峠三吉の「原爆詩集」の「序」の部分。一字一句がひらがなであり、「わたしにつながる にんげんをかえせ」が肝であり、さらにほぼ全壊させられてしまったからこそ、「くずれぬへいわを へいわをかえせ」と書いたのだろう。絶望的な状況・体験の中で、人は何を伝えられるだろうか?

 

 私は1951年東京生まれであり、ヒロシマ・ナガサキ、オキナワを体験していない。体験していないからと言って、無関係なのか? 峠三吉が、また無数の死者たちが、生者たちが「わたしにつながる にんげんをかえせ」と呪い、願ってきたはずなのだ。

 しかし米VSロは中距離核ミサイル全廃条約を去る2月1で、米国が廃棄することを通告した。核軍縮のベクトルが核軍拡のベクトルに変る。ヒロシマ・ナガサキから74年が経ち、戦後74年が経った今も、私たちは核の脅威の中で暮らしているのだ。

 自身が体験していないことに私が無関心のままならば、それを追認したことになる。現にヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマときてしまった。このフクシマは言うまでもなく2011年3月11日から12日のことだ。否、現在進行形の一連の事態だ。

 ヒロシマ・ナガサキは戦争の惨禍であり、戦争の帰結であり、戦争の未来であり続けているのだ。人間はどれほど学習能力が劣る存在なのか、どれほど想像力に欠けているのか。科学技術の「進歩」を統御する力がないか。傲慢なのか。

 沖縄にいると、オキナワは8/6,8/9のような記念日で終わらない。1発の爆弾ではなく、無数の攻撃にさらされてきたからであり、「友軍」にも殺されたから、人々の中に記憶が刻まれてきたのだ。

わたしにつながる にんげん に 伝えられてきたのだろう。

 

 ヒロシマ・ナガサキとオキナワを私たちはもっともっと結んで記憶していかなければならないはずだ。わたしたちは 戦争の実相に迫らなければならない。人間の愚劣さに気づかなければならない。特に上に立つ者の愚劣さについて知るべきだ。

 反省のない人間からは腐臭が匂い立つ。しかし人間の嗅覚はごまかされやすい。被害に無頓着であれば、加害に気づかない。 

 戦後日本国家は、70年目にして戦前に舞い戻っている。この間、沖縄は一貫して基地の島にさせられてきた。戦争の前進基地のままに置かれてきたのだ。おきなわは、戦後日本国家に首をしめられてしまうのか? 否だ! ひとりひとりが否の声を発し続けていくだろう。だからこそ安倍政権は、沖縄を忌み嫌うのだろう。

 私にもできることがある。この夏に私は広島に行く。過去と現在を考え、沖縄と「日本」を考える。 

2019年8月 5日 (月)

辺野古海上行動のお盆休み等による休止について(190805)

 今海上行動のメンバーから入ってきた情報によれば、来る19年8月6日から9日は、台風8号、9号の影響から海上行動はありません。行えません。また8月10日から18日(今年は旧盆と新盆が重なっている)はお盆であり、海上行動も中止です。抗議船も出ません。工事も中止です。

 ご承知おきください。

今日の来訪者(190805)

 参議院選挙が終わり、辺野古テント村に久しく来訪者がほとんどありませんでした。今日(2019年8月5日)は久しぶりに来訪者があって、お話ししました。午前は予約されていた団体です。中学生高校生の26名(引率者を含む)。松田浜の木陰で。私だけが日向にて。

 20分と言うことで、ここから見えることから話しました。フェンスの向こうが米軍海兵隊基地。ちょうど沖合を飛んだ普天間基地のヘリコプター。辺野古の海と大浦湾の違いを示し、揚陸艦等が停泊する基地建設が狙われていること。軍隊ってどういう集団か。前日に南部戦跡で沖縄戦の話を聞いてきたということで、そのことと絡ませながら。

 みんな良く聴いてくれた。拍手! 皆さんの目が真剣でした。私は全然話したりなかったけど、皆さんにはヒントにはなったことでしょう。

 午後には、3世代のご家族。東京から。お孫さんは中学生。以前にもきたことがあるそうで、この1年の現状から。形だけの埋め立て工事。国は基地建設のイロハには入れていないと。話は安倍政権の評価、今次参議院選挙の総括まで。無論何故沖縄が狙われているのか、さらに「島嶼防衛」という問題まで、約1時間。軍事の世界では朝鮮半島を巡る問題と中国への米日の視座が重なっていること、最近の日韓対立の深刻さと原因などにも、それぞれの世代の違いは大きいでしょうが、各自各様に真剣でした。地元が東京の横田基地の近くで、オスプレイが飛ぶ姿をよく見るそうです。やはり我がこととして捉える姿勢があると、反応が全然違います。

 今中学生と言うことは15歳として、後10年後の2029年に日本はどうなっているのか? 沖縄は? 相当ヤバイでしょうね。お子さんがお孫さんがいることはこうした先を考えずにはいられないはずです。安倍政権が舵を切った方向は戦争を可能にする道です。これは明文改憲の如何に関わりません。すでにルビコン川を渡ってしまったのですから(2015年戦争法)。だから今度の選挙の総括点は3分の2を割り込ませたことではありません。2分の1をとれたか否かです。アウト! 安倍政権の開き直りと独裁制を容認してしまった? ここから考えるしかないのです。基地・安保問題は沖縄だけの問題じゃありません。

 刺激的な一日でした。 

全国的な猛暑の中、沖縄は涼しいのか?(190805)

 全国的な猛暑のようですね。暑中お見舞い申し上げます。

 今日(2019年8月5日)の辺野古は晴れ、暑い。うねりが入っており、防衛局も台風対策を始めました。台風8号と9号。それに10号も発生か。今日おいでになった団体は全国から来ているそうで、そのなかの福岡から来た数名は明日の福岡便欠航のため(台風8号)、帰れないそうです。

 沖縄は涼しいかですが、札幌と那覇が同じ気温だとか。こうきいたら、沖縄は涼しいのかもしれない。平地でダントツに涼しいのは釧路です。広く言えば道東。

 沖縄が涼しいのは海風が入り、森の木々の風が入るからです。コンクリートで覆われた街はどうにもならない。この海がある、森があるの経済的な価値はいかばかりでしょうか? 海や森からいかなる経済的利益が生まれるかなど、知らないという方々も多いでしょう。こういう皆さんは地球を壊し、人間の明日の生存を脅かしています。まして文化的な利益など、念頭にない。

 こういう連中が大手を振っていることじたいが、終わっています。

 沖縄の紫外線は半端じゃない。油断して長袖着ていなかったら、お肌は真っ赤っかになります。特に帽子がなければ、耳の周辺や首筋など痛々しくなってしまいます。日頃から焼いていない人は決して焼かないように。お気をつけください。もし炎症になったら、冷たい水や氷で冷やしてください。無論水分補給と塩分補給は不可欠です。

 そういえば、私の周辺にも草取りして、グロッキーになった人がおりました。野外作業は夢中になってやらないように。日陰で休憩しながらやってください。日陰のないところでは動かない。野外作業には人工的な日よけを必ず調達してからやりましょう。

 そう考えるとガードマンの皆さんの直立不動など言語道断です。どうか死なないでください。職務命令に従っていたら、死んでしまったなどないように願います。警察官も海上保安官も、沖縄防衛局の職員の皆さんもです。

 そういえば思い出した。1987年の夏、伊豆七島の三宅島で、防衛庁(当時)がNLP訓練施設を作るとかで、地元の方々の抵抗に遭い、多くの機動隊員が暑さで倒れました。彼らを助けてくれたのが抵抗していた人たちでした。当時の私なら助けなかったでしょう。今は違います。非暴力の闘いとはこういうことでもあるのです。

 もしも顔面蒼白になって倒れた人がいたら、救急車を。体の風通しをよくし、水が飲めるようだったら(意識があれば)飲まして(意識がないときにこれをやったら危険)、脈拍をとってください。そうなるまえに、必ず顔が赤いうちに休むこと。

 お仲間がいたら、お隣の人にも声をかけてください。お互いに。

まだまだうまくいかない(190805)

 おはようございます。昨晩は暑さもあり、早々と寝るしかありませんでした。連日、新しいパソコンと格闘していますが、どうにもうまくいかないことの連続です。困った。今度の会社は多くのことを有料サービスにしており、これもまいっています。

 このタイミングで、愛知トリエンナーレ展を巡る「表現の不自由展・その後」展の中止騒ぎがあり、もう頭はぶっ壊れそうです。この国の人々はもうおしまいでしょうか。先の選挙結果を見ても、私は「おしまい」に三角印をつけたくなっていました。差別は戦争への道だとこれまで何回書いてきたかわかりません。

 パソコンは器械ですからなんとかできても、人間社会は簡単じゃない。私個人が奮闘しただけじゃどうにもならない。昨夜、カメラのソフトをやっとパソコンに入れてみました。これは簡単にできた。試行錯誤でやるしかないでしょう。人間社会は必ずしも試行錯誤とはいかない。昔、アンドレ・ブルトン(だったよね)は「大胆なれ」といいましたが、大胆さのなかによほど慎重でなければならないこともある。自然と人間、社会と機械。なんだか頭が痛くなる。

 

2019年8月 3日 (土)

辺野古テント村台風対策完了(190803)

 2019年8月3日。晴れ。風波強し。海上行動なし。

 テント村は午後台風対策を敢行。無事に終了。明日からの座り込みは浜のテントは不在です。奥のテント2へ。数名でやると汗だらだら。台風8号が周辺を通ります。風が強まる。フィリピン沖には熱帯低気圧あります。これが台風9号になるか。予断を許さない。いつ復旧できるかは未定。

 昨日の雷雨はすさまじかったようです。あちこちが水没。大浦湾側の各所が氾濫。友人宅も床上浸水とか。昨夜遅くには大浦湾沿いは通行可になっています。しかし今確認したところによれば、国道331号線の嘉陽(かよう)から天仁屋(てにや)の間が崖崩れのため通行禁止だそうです。お気をつけください。

2019年8月 2日 (金)

漸く雷鳴が遠ざかった(190802 20:10)

 先ほども書いたが本日は終日雷雨に見舞われた。自宅に戻ってからもそうで、19時頃からいっそうはげしくなり、間近でバリバリ音がし、光る。同時多発、雷公。思わずパソコンを切り、電源を外した。買ったばかりのパソコンをやられたら大変なことだ。20:30分、もう大丈夫と思って、パソコンをつけた。今日中に写真をパソコンに取り込んだり、ブログにあげられるようにしたいものだ。

 

今日の辺野古・名護市は終日雷雨(190802)

 本日、2019年8月2日の辺野古は終日雷雨でした。時々大降りになり、風も激しく。長島や平島も見えなくなる。朝、平和丸を出しそうでしたが、止まったようです。そのときは遠雷だったですが。雲がこっちにむかっているぐらい見えるんだけどね。船長がきちんと判断してほしい。結果的に出なくてほっとしました。

 埋め立て関連の工事は終日やっておりませんでした。ただゲート前からは、トラックが今日も入ってきたようです。

 実は今日で辺野古側の護岸工事ができて1周年です。屈辱の1周年。今日の沖縄の新聞には関連記事なかったです。

パソコンの復旧の現状(190802)

 この10日間、パソコンが壊れて大童でした。やっと新しい器械のセットアップがほぼ終わり、再開にこぎつけました。まだ写真の取り込みなどこれからです。

 Ai技術が叫ばれる時代になっています。だが、考えるのは人間なんです。技術に人間が振り回されてはならない。人間が考えることをやめたら、おしまいです。技術だけはのこるからです。核ミサイルもあれば、原発もある。これらをどうするのじゃないですか。人間はゴミの山に埋もれていくのでしょうか。生命の生存への負荷はますます大きくなる。私たちが戦争反対や原発反対を主張するのはそういうことでしょう。個々の命を守りたいばかりか、生命の生存への負荷を増やさない努力でもあります。

 便利な器械があると、ついついそれにおわれて、考えが浅くなります。パソコンのない生活は、こんなことを考えさせてくれた。

 世界的にナショナリストが増えているって。思考のレベルを下げたら(視界を狭くしたら)、対立しか生まないです。生命の生存よりも国家や民族が大切なのか。多様な人人が生きていける社会は、難しいかもしれないけれど、そこに可能性が見えますよね。様々な人間の可能性を今開かなくてどうする。

 人間はぼちぼちであり、様々なんですよね。しかし近代化は素早くであり、均質化してきた。この先に私は暗黒をみます。沖縄の歩みもぼちぼちであり、さまざま。各地からぼちぼちであり、様々な動きをつくりだしましょう。

2019年8月 1日 (木)

若者たちはどこに行くのか?ー歌に寄せて(190801)

 「歴史をまるで知らない若者たち」を書いた。気が収まりきれず、「戦争を知らない子供たち」を思い出していた。1970年の曲。ベトナム反戦の時代の中で、アジア太平洋戦争を知らないと。時代は移りゆくのだから、様々に情景も入れかわっていく。なんてことでパソコンで遊んでしまった。

 1967年 「思い出の渚」歌:ワイルドワンズ、「バラ色の雲」歌:ヴィレッジ・シンガーズ

 1968年 「亜麻色の髪の乙女」歌:ヴィレッジ・シンガーズ、「小さなスナック」歌:パープルシャドゥズ

 1969年 「遠い世界に」歌:五つの赤い風船、

 1970年 「戦争を知らない子供たち」歌:ジローズ

 1971年 「出発の歌」歌:上条恒彦と六文銭、「翼をください」歌:赤い鳥、「また会う日まで」歌:尾崎紀世彦

 この1971年に南沙織の「17歳」もでている。すべて懐かしい。1971年は沖縄返還をめぐる闘いがあった時代だ。南沙織は返還を見越して沖縄からデビューし、大いに売れたのだ。当時はまだまだレコード。南沙織のはレコードもCDも持っていた(後者は現存)。

 因みに私は67年が高校1年、70年が大学1年。

 今こうした曲を聴くと、70年安保に負けて、闘いは大きく後退したのだが、71年の曲は案外希望を捨てていない。時代状況とヒット曲、自分の頭にも曲の流れが残存しているものをここにあげてみた。個人的に大好きだった曲・歌手は秘密。

 約10年飛ぶが、1980年「雨の慕情」歌:八代亜紀 は「雨雨降れ降れ、もっと降れ」のフレイズが忘れられない。確か北アルプスの後立山縦走を目指し、毎日雨に打たれ、雷雨に襲われ、コースを変更して下りた(単独行)。体で記憶していることは忘れないな。2800m余りの稜線の上では「慕情」もへったくれもなかったが。やけくそ的なのりだった。

 昔の若者たちはどこへ行くって、いつの間にか安住してしまい、「青年は荒野をめざす」(五木寛之の小説)を外れ、忘れ、荒れ野を作り出してしまったのではないのか。2000年代に入ってから、2001年9月11日、2011年3月11日、安保法や明文改憲などに恐れを抱いて、活動を再開した人もいるが、空白の30年から40年を議論した記憶がない。機会があったら、議論してみたいものだ。

 今の若者たちに待っているのは、「お国のために働け」であろう。これを正面突破するためには、相当なエネルギーと、豊かな発想がなければかなうまい。この50年を総括するような歳になってしまったが、改めて歴史を学び考えることなしに私たちの未来を切り開くことはできまい。若者を嘆いている場合じゃないのだ。

 

歴史をまるで知らない若者たち(190801)

 昨日のことだ。某大学のゼミ生を辺野古・大浦湾に案内した。普通は、漁港脇の辺野古テント村にきていただくのだが、ゲート前、大浦湾の瀬嵩、辺野古側に位置する豊原の丘に案内した。学生たちは暑いし、ここはどこだったのかもしれないが、彼らが、彼女らがあまりにも歴史を知らないことに、私はしばしば呆然。何度も言葉を失った。

 ここはキャンプ・シュワブゲート前であり、米国海兵隊は3つの海兵遠征軍を擁するが、沖縄・ハワイにいるのは第3海兵遠征軍だ。ところでお立ち会い(私を除き皆さん座っているが)、なぜ沖縄に米国海兵隊がいるのか、何故、日本国土の0.6%しかない沖縄に在日米軍の70%もが集中しているのか? さらに何故沖縄限定で「普天間基地の移設」を考えるのか?

 そんなこと知らない。わからない。ならば、そもそも米軍が沖縄を占領し、何故未だに駐留しているの? 戦後74年たっているんだよ。学生の皆さんが生まれたのは1990年代後半。何があった? それは(勉強していない限り)知らないよね、生まれた頃のことじゃ。46都道府県に米軍基地はごく限られている。特に関西はないに等しいから無理もない? だから米日安保体制は安泰なのだ。基地・軍隊は傍若無人でいられるのだ。この米日安保体制は日本全体の問題でありながら、世界中に駆け巡る。

 ここで私があげる時間軸がある。①第2次世界大戦から戦後の米ソ冷戦構造を巡って(主にアジアで)、②戦後「日本」国家の成立前後から今日まで、③琉球が日本・米国から受けてきた支配抑圧の中で、 この3次元を重ねて話すことになる。

 沖縄は、何故新基地建設に反対するのかをおわかりいただかなければならない。ゲート前で海上で理不尽なことが行われているが、この意味がわからなければ、どこかの誰かさんのように「暴れている輩」で、かたづけられてしまう。だから私は語るのだ。沖縄戦がなければ今の沖縄の基地問題はありませんでした。では、何故沖縄戦が生じたのか? 歴史を振り返らないわけに行かないのだ。 

 そのうえに米ソ冷戦構造が崩壊(1991年)した後の時間こそが今日の決定的な問題を形作っているのだ。主に1995年から1997年のことだ。この時間の中から新基地建設が始まった。1966年という前史があるが。

 何も知らなくても生きていける。生きてきたのだ。本当かな? しかし物を知らない、歴史を知らないと、選択の余地がない。今こうなっているんだけど、君たちもこの流れに乗るよねと。「あのー」としか言えない。だとすると74年前の、否、90年前の過ちを繰り返す。若者たちはお国に命を捧げましたとさ。今度は核攻撃の相互報復戦となり、あたりに屍が散乱し、骨を拾い出すこともままならない。当然、食べ物も、水も、大気も放射能で激しく汚染されています。こんな近未来をあなたは望みますか?

 こんな大事になるかって? 「ならない」に賭けられても困る。では、沖縄の玄関口は那覇空港だ。もしもここが使用不可になったらどうなるか? 人も物資もこなくなる。兵糧ぜめにあうかもしれない。でれなくなる。ミサイルが飛んでくる以前の話だよ。

 そう考えると、知らないということは恐ろしいことだ。与えられた選択肢に身も心も任せるしかないからだ。過去をわきまえておけば、反省点が見つかる。次は同じ過ちを犯さない。もっと精緻に考える。歴史を知らないから、安倍政権が強いのだ。そういえば故人曰く「見ざる、聴かざる、言わざる」これなのだ。安倍ちゃんの手口は古いね! 近代天皇制はたかだか150年だが、こちらはもっともっと古いね。こんな「伝統文化」にだまされるな!

 私が青年時代を過ごしたのは60年代から70年代の東京・神奈川。ベトナム戦争反対や安保反対が時流だった。今思えば、沖縄に思いを馳せていなかったのを、猛省している。自分は自然保護運動に邁進していた。それでも同時代史をある程度共有していた。自分たちが闘えば変えられると思っていた。ペケなものにはペケをつける。これが人生の落とし前だった。

 歴史を学び、歴史から考えるとは、暗記とは無縁。想像力と思考力、生きることへの愛があれば大丈夫。私も気持ちを取り戻して考えてみよう。これは20名の学生とS先生に感謝すべきなのだろう。しばらく試行錯誤するしかないだろう。

シュワーブゲート前、大行動(190803)とお盆休暇のおしらせ(2019年8月11日から17日)

 おはようございます。連日酷暑の中、誠にご苦労様です。今年も8月に入りました。8月3日(土)は第一土曜日であり、新基地建設阻止の大行動を行います。11時から12時。シュワーブゲート前。ご参集ください。主催:オール沖縄会議

 また8月11日から17日の1週間は工事がお盆休暇となり止まります。このため、ゲート前での座り込みは中断します。海上行動については別途確認して掲載します。

 尚この期間も、辺野古漁港に隣接した辺野古テント村は連日8:00から16:00座り込んでいます。お待ちしております。

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