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    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
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2019年9月

2019年9月30日 (月)

台風18号は西にそれ、無事に『沖縄戦の図』全部見てきた(190930)

 今日2019年9月30日朝、未だ台風18号はかかってこないだろうとの予測の下、宜野湾市上原にある佐喜眞美術館へ行ってきました。詳しい報告は別途行いたいので、軽く。開館前に到着し、軽くお庭を撮影。3室ある美術館ですが、その全部に『沖縄戦の図』と『沖縄の図』がある姿を垣間見て、軽いめまいがしました。朝一でしたから空いているはずと思っていましたが、空きすぎです。折角の機会ですから、皆さん見に行って。

 『沖縄戦の図』は丸木俊さんの絵(洋画家)であり、位里さんの墨(日本画家)のコラボなのです。お二人のコラボの作品の中でも、私の判定では、一番の上等作です。『原爆の図』は1950年代から描かれましたが、こちらは1980年代の作品。描いて描いて描いてきた集約でもあります。集団自決と言われる現場を描いてもいますが、生き残られた方々や、関係者からお話を聞き出し、此を繋いでいるので、細部から全体像まで芸が細かいのです。見飽きることはありません。

 沖縄県立芸大や沖縄の皆さんがもっともっと見るべき作品群です。

 昼過ぎに自宅に戻りましたが、未だ名護湾は穏やかなまま。雨も降らずラッキーな半日でした。もっとも八重山や宮古島は台風が直撃しそうです。

防衛大臣と玉城知事面談、平行線(190930)

 河野太郎防衛大臣が2019年9月29日沖縄に来た。玉城知事と面談したが、お互いの認識は平行線と。知事は沖縄の民意を示し、中断を要請(あたりまえ)、大臣は「普天間飛行場の危険性除去は1日も早い全面返還が一番の対策。辺野古移設をしっかりと進める」と述べた。

 これは水と油。なじむことがない。普天間と辺野古・大浦湾の歴史的経緯と現実を認識させ、民意をもっともっと伝えなければならない。また利権の構造を白日の下に明らかにしていかなければならない。面談で知事は普天間が返還されるまでの危険性除去が課題だと言ったそうだが、日本政府の本音に危険性の除去は含まれていないのだから、やっかいだ。米軍が幾ら事件事故を起こそうが、騒音を立てようがかまわない。外来機を増やして、近隣住民の嫌気を高めて、沖縄を分断して、押しつけるこれだろう。

 だとすると私たちの課題は、沖縄全体で考えることが最重要だ。そして米日政府の沖縄に対する「期待」を打ち砕くためには、彼らの軍事戦略を暴露し、沖縄を再び戦場にするような動きを止めることだ。先日の本部港への米軍海兵隊の救助艇導入の動きなど、関連した問題が噴出している。

 渡具知名護市長が要請したというキャンプシュワブ内のヘリパッドの撤去は確実にやっていただきたい。戦争に備えている沖縄から、人々が暮らす沖縄へ、ここに一歩前に進めよう。明日2019年10月Ⅰ日、モノレールがてだこ浦西駅まで延長される。誇りある沖縄にするためには、ただ基地建設反対だけではできないのだ。道のりは遠いが、がんばろう。

2019年9月29日 (日)

緊急シンポジウムに行ってきましたが(190929)

 本日は台風対策のおかげで、緊急シンポジウム「辺野古の闘いの今と展望」に那覇まででかけてきた。主催は辺野古訴訟支援研究会。それにしても難しすぎる。私は元公務員であるばかりか、行政法批判をそれなりにやってきた人間であり文を書いてきたのだが、さっぱりわからなかった。いただいた資料を下に各法に当たり、論点を再構築しなければならない。要は国がなんとしても論点をずらして、県の訴えを肩すかしにしようとしているのだが、そのへりくつを正面から切り返す論拠が案外難しいようだ。

 会の最後に玉城デニー知事が登場。モノレールの延伸(10月Ⅰ日~)を祝う行事に参加していたので遅くなったようだ。彼の主張は明快だった。何事も対話でやるのが原則だと。そのとおりだが、絶対に乗ってこないのも国だ。彼が一言言ったのは、「民主主義の逆襲」をやろうとのどなたかの意見。これいいですね。沖縄の民主主義を国にかましていくことはさけて通れないでしょう。逆襲という以上、自治・民主主義にほかならない。この具体化に向けて知恵を出し合いたい。

 最後にこれから河野太郎防衛大臣との会談に行くと。忙しいこと! お疲れ様です。

 帰宅してネットを見たら既に報告が上がっていた。知事は「『直ちに埋め立て工事を中断し、県との対話に応じて欲しい』とニベもなく、会談は平行線に終った」(時事通信)とあった。「にべもなく」とあるが知事が冷淡であるかのような書き方だが、全く誠意がないのは国・防衛省でしょうに。こうした逆転の「論理」を打破していかなければならないのだ。

 それにしても国はニゲテ、ニゲテ、ウッチャロウとするから、よくわからない。シンポ報告者も法の論理を超えて、具体的な批判をしてくれないと、わからない。「法の論理の裏側」を暴露してくれ。頼むから。裁判に勝つ以前の問題だが、ここは大事。

愛知トリエンナーレ2019へのこの国のあり方に怒!

 愛知トリエンナーレ2019の「表現の不自由展」に対するこの国のあり方が極まっている。文化庁は当初、7800万円を補助するとしていたが、これを0円にすると決定。文化庁は、経緯から判断したので、内容については見ていないし、関係ないと言っている。しかし脅迫のメールや電話などが主催者に届き、河村たかし名古屋市長などが誹謗し、管官房長官らが牽制し、中止に追い込んだのだ。それを追認する文化庁であり、さらにおかしいのはこの7800万円なる金額は愛知トリエンナーレ全体の運営費に対する補助金であり、「表現の不自由展」にかかる金額の約16倍に当たる金額だ。

 文化が泣いています。この国の表現は官許の自由しかないと言うことだな。よってたかって潰しに掛かる時代に入っているのだ。これを文化に対する独裁という。これはいつか来た道。私たちはどこに押し流されていくのだろう。

 政治VS芸術・文化とかあるだろうが、敢えて言えば芸術・文化の方が間合いが遙かに広い。これを統制するということだ。人権VS国家の影も見えるね。人権は国家によっても踏みにじられてきたが、民主的な国家であれば個々人の人権を確保し確立していくのがあるべき道だ。

 芸術とは何か? これを考えておきたい。表現活動であり、その産物だが、人間がなす美的価値の追求だろう。美的とは美しい、美しくないではない。人間の、生命の生きることへの表現であり、讃歌であろう。要は生きることを阻む、生きることを無碍にすることへの抵抗や反発にも芸術的な価値があるということだ。

 かっての大日本帝国時代、様々な弾圧を受け統制され、型に塗り固められた。戦争賛美一色へ。殺しと従順の賛美だ。民族排外主義の賛美だ。GHQ(占領軍)の時代にも検閲があり、統制があった。52年4月28日以降もあったし、今もこうしてある。

 誰が抑圧しているのか? 邪悪な道に進みたい奴らがだ。人間とは邪悪なものでもある。だからこそ芸術が大事なのだ。

 沖縄の人々が言う「命どぅ宝」って、どれだけの人々が殺され、殺し合わされたりしてきた中から生まれたことばなのかを私たちは考えなければならない。死に誘導する統制に誘導する「文化」と闘わなければならないのだ。ひとまず「表現の不自由展」の再開を強く望む。必ず再開させねばならぬ。

 とうとう私たちは74年前の亡国に戻されてしまったようだ。だからこそ、しぶとく生きよう。怒りを超えて生きよう。

2019年9月28日 (土)

佐喜眞美術館で『沖縄戦の図』一挙公開(~2019年12月16日)

 宜野湾市上原にある佐喜眞美術館は今年開館25周年を迎えた。此を記念して『沖縄戦の図』全14部を一挙公開中。初めてのことです。「沖縄戦の図」を描いた画家は「原爆の図」を描いた丸木位里、丸木俊さんのお二人です。1980年代に入ってからでした。この絵に佐喜眞道夫さんがであい、あの普天間基地の一部返還を実現し、佐喜眞美術館を建設したのが1994年のことでした。

 こうして沖縄の地で、『沖縄戦の図』を見ることができるようになったのです。私はこれまで何回見に行ったのかわかりません。100回以上だと思います。だから当然14部を全部見ているはずです。

 これをみたら、沖縄戦を2度と繰り返してはならない、いいや戦争で何を守るつもりかとあきれ果てると思います。お二人の絵には凄惨な現場が描かれています。しかし一人一人の個が描かれており、生きようとした痛切なものが込められています。これらの絵にこそ「命どぅ宝」の思いが凝縮されているのです。

 お二人にとってはヒロシマ・ナガサキを描いたことと、「沖縄戦の図」とはつながっているはずです。人が生きることを絶ちきられていくことの深い悲しみであり、怒りであり、やはり「命どぅ宝」の命の営みを描ききることの一歩一歩だったのです。

 沖縄の島々が再び戦禍に巻き込まれていく動きの中で、私たちは過去から何を学んできたのか、学ぶのかをしっかりと確認するためにもこの機会にお出かけいただきたいと思います。

http://sakima.jp/

 

また、佐喜眞道夫さんの「アートで平和をつくる」(岩波ブックレット 14年7月刊)も参考になります。

辺野古テント村は、台風18号により、9月29日(日)~10月Ⅰ日(火)までお休みします(190928)

 本日2019年9月28日、辺野古テント村は完全に撤収しました。テント2も15時30分で撤収しました。未だ天気は良いです。9月29日から~10月Ⅰ日の台風を避けるためにテントでの座り込みは中止。恐縮ですがこの間、人はおりません。ゲート前の座り込みテントも同様です。悪しからず。

今日の記事からー嵐を呼ぶ男、来県(190928)

 今日の沖縄タイムスの基地関連記事はてんこ盛り。大きな記事は後にして、あの嵐を呼ぶ男が来県する。誰のことか? 河野太郎防衛大臣のことだ。映画「嵐を呼ぶ男」は石原裕次郎であり、太郎と裕次郎を対比しては、いかんだろう。

 しかし河野太郎防衛大臣は過去に脱原発を主張していたにもかかわらず、今では「管轄外だから(関係ありません)」の態度。ご本人もわかっているだろうが、原発と原爆は一字の違い。もとは同じモノ。原爆の開発から原発が生み出されたのであり、核エネルギーであることは福島原発の巨大事故(核爆発)で立証された。「もうどうにもとまらない」のだ。

 防衛大臣たるもの、現在の日本の防衛力なるモノは米国の核の傘にあることを承知しているだろう。核安保体制なのだ。沖縄の米軍基地はその一部を構成しているのだ。誤解なきように言うが、この問題は今沖縄の陸に核が貯蔵されている否かではない。米国の軍事戦略の問題。彼らが必要と判断したら、いつどこにでも持ってくることができるから懸念しているのだ。海中の潜水艦の中、辺野古弾薬庫、嘉手納弾薬庫にも。秘密裏に。

 太郎君に問いたいのだが、米国・米軍がいつの間にか核を持ち込んでも知らんぷり。共犯で隠す?

 河野太郎防衛大臣は、9月29日(日)に沖縄に来て、知事に会見、30日、松川正則宜野湾市長や渡具知武豊名護市長、久辺3区の区長にも会うそうだ。誘致派と何を面談するのか? 工事の現場も見るらしいが、台風接近もありどうなるか。29日の日曜日に自衛隊のヘリで来るのか?嵐(台風18号)を呼ぶ男はどんな運不運に見舞われるのか。興味は尽きない。

 衛藤沖縄担当相もモノレール延長祝賀会に来るらしい。やはり9月29日、30日の日程だ。こちらの動向も無視できない。

2019年9月27日 (金)

あぁ、台風18号接近の予報で対策を始めた基地建設工事(20190927)

 2019年9月27日(金)晴れ 暑い

 朝から台風18号接近の予報の話が出る。辺野古テント村も明日朝から台風対策をやると決定。またですか。うんざりだがやむおえない。

 と思えば、新基地建設の業者も台風対策を始めたようだ。オイルフェンスを上げたり下げたり。根固め袋材を置いたり、コンテナを撤去したり。お忙しい。

 私はと言えば、友のアプリで上空を飛ぶ民間機の撮影に専念。just  fine であり、撮影条件は良い。どっちからどっちにどこそこの航空会社の何という機体が飛ぶとわかるのだ。次から次へと撮影。なかでもジンベエザメの機体が真上を通過。以外にも胴体の真下にも絵が描いてありました。芸の細かさに感動。いつも横から見ており、下にも絵が描かれているとは知らなかった。

 しかし沖縄の空は民間機のみじゃない。辺野古沖から大浦湾へ10時過ぎにMC-130が3機低空を通過。午後にもう一度。もっと近くを。この飛行パターンは伊江島でのパラシュート降下訓練(人か物かは不明)ではないか。遊んでる場合じゃないです。バッチリ撮影済み。

 午後には豊原の高台を一巡り。この目的は彼らの台風対策の使用前と使用後を確認するため。K-4沖、辺野古崎と長島の間のオイルフェンスはそのままでした。ランプウェイ台船4隻が出て行きます。26日に入ってきたばかりなのにね。

 今日の埋め立て作業は午前中まででした。

 夕方シュワブの浜に行き、海兵隊のハンビーの走行練習を撮影に。7両おりました。私が行ったら逃げていきました。逃げるな! 無・鉄砲(カメラのみ)で米軍を撃退。訳がわかりました。彼らはハンビーの初心者マーク付きの兵隊。この砂浜ならば転倒したところで大事故にならないから。

 今日の海上行動は安和でしたので詳細不明。豊原の高台から見た情報を明日共有していきます。

 

 

明日台風対策へ(20190927)

 台風18号がフィリピン東方沖で発生の見込み。明日朝からテント村は撤収作業に入ります。今回は沖縄島直撃コースの見込み。襲来は9月30日~10月Ⅰ日頃。明日の座り込みはテント2にて。明後日以降は未定。海上行動も明日から暫くないでしょう。

 ゲート前も明日から撤収作業に入ります。詳細は不知。

 台風接近時の外出は差し控えて下さい。飛ばされますよ。13号でも何人かが怪我しています。

宜野湾市長・市議会の辺野古移設促進と名護市議会の新基地建設即中止の対立が露見(20190927)

 普天間基地の地元宜野湾市松川政則市長(18年9月当選)は辺野古移設容認派であり、同市議会も容認派が多数である。その宜野湾市長と市議会がこの本音を露見させてきた。2019年9月26日の宜野湾市議会でのことだ。市議会での答弁でこう答えたのだ。「容認せざるを得ないとの思いが強くなった」と。この理由に現状分析と知事発言を取り上げている。前者は新基地建設の進展の現状からの判断であり、後者は知事は移設の代替案を提案しないと明言したとしている。ご丁寧にも「市民のことを一番に考えると容認せざるを得ない。痛切に感じる」と言ったそうだ。

 この見解に多くの批判を上げることができるが、一番の問題は安倍政権への忖度がにじんでいることだ。沖縄の民意よりも安倍の基地建設強行を優先しており、例えば地元の緑が丘保育園や普天間第2小学校への落下物の件などに対して如何に取り組んできたのか、来なかったのか。また外来機の増加について、如何に考えているのか見えてこない。辺野古に移せば演習場もあちらだし、めでたしめでたしだとしたら、ずれすぎていないか。そもそも普天間基地と辺野古の滑走路(計画)は全く違う。前者が2800m、後者は1800mであり、後者は大型機や中型機の一部は使用不可であり、飛行場としての代替機能がないのだ。こんな単純なこともわかっていないの?!

 他方で名護市議会は9月26日、「辺野古新基地建設を即時中止し普天間飛行場の代替施設の必要性を国民的な議論で解決するように求める意見書を賛成13,反対11,退席1で可決している。この意見書の肝は即時中止と、何よりも代替施設が必要というならばそれを国民的な議論を通して決めるべしと言うことだ。沖縄に押しつけられている現状を日本全体に投げ返し、考えることを呼びかけたのだ。この発想は「新しい提案実行委員会」(安里長従代表)が提起しているものだ。

 安倍政権は、しきりに沖縄内の世論を分断し、政権の意向を押しつけようとしてきた。飛行場は基地の周辺の問題かもしれないが、当の航空機の実働は沖縄島どころか琉球諸島にアジアに飛んでいる。事故を起こすのは基地周辺ばかりでない。2016年12月13日夜、オスプレイは大浦湾のすぐそばに落ちた。東村の民地でも緊急着陸・炎上している。

 私たちに求められているのは、分断を乗り越え、沖縄としてまとまりつつ、日本政府、各地の皆様に問題を投げかけ、日本のアジアの平和を考えることではないのか。

2019年9月26日 (木)

予告「『島嶼防衛』という『泥船』に乗っているあなたへ」(仮題)20191121-24【拡散希望】

 来る2019年11月23日(土)の夜、多摩市で島嶼防衛論について話を聞きたいという講演依頼をいただきました。安倍政権のもと進められてきた「島嶼防衛論」は、与那国島で石垣島で宮古島で沖縄島で、日本全国で進められつつあります。満身創痍の泥船になるにもかかわらず、難破の危機が必ずまっているのに、事態が進む。

 本当にこれでいいの? 戦争の実態について考えたこともない安倍政権の無責任ぶりに呆れるしかありません。54基もの原発を抱えた国で資源のない国で、どだい戦争するなど不可能です。

 私は率直に申し上げます、自国第一主義など所詮絵空事です。力が正義だとしたら世界はどうなるのか? それも狭い琉球諸島を戦場にして何がおもしろいのか? 今私たちが望むのは不戦の沖縄をつくることです。皆さんも不戦の愛すべき地域を作り出して下さい。そこでご一緒に力を合わせましょう。

 詳細は未定ですが、11月23日夜(多摩市)は決まりです。これとあわせて、11月21日~24日まで伺います。11月21日(木)、11月22日(金)のあと2回東京・神奈川・千葉・埼玉等で企画を組んでいただけたら、幸いです。

 講師料20000円(90分~120分)、交通費約30000円。計50000円。ただし、23日と併せて2,3回企画が成立したら。交通費が割安になります。2回であれば15000円、3回であれば10000円。

 ご連絡、お問い合わせはメール(当ブログにある)で、ヤマヒデまでご連絡下さい。よろしくお願いいたします。お申し込みは10月15日まで

ミナミコメツキガニを撮る要点とは(190926)

 今日、フォトジャーナリストのMさんが辺野古テント村に見えた。潮が引いた干潟でミナミコメツキガニの撮影に夢中。暑さの中、粘りづよく取り組んでおられた。さすがです。戻ってきて、「難しいね」、「なかなか正面向いてくれないんだ」。そうなんですよ。

 私もいつも苦労しているところです。ミナミコメツキガニ撮影の第一の要点は振動を立てないことです。じっと待つ。待てば砂の中から出てきます。出てきたところを撮る。しかし何百何千のコメツキガニが隊列を組み行進しているのを撮ろうとすると、彼らの行く先を読まなければなりません。彼らが求めているのは餌がある場所に向かうことです。彼らが既に食べ尽くした場所には食べかすが砂の山になっています。こちらには行かないでしょう。砂中の水分の多少も影響しています。水分が十分にあっていつでも潜れる場所がいい。しかしべちょべちょの水分過多の環境も好まない。

 何よりも難しいのは彼らの生存本能でしょう。敏感に怪しい存在を認識して、明後日の方向に向いてしまいます。いつの間にか真後ろに向かっている。このとき自分が動いたら、それこそ土中に潜ってしまいます。私にもベストな方法はわかりません。根気よくチャンスを待つしかないのですが、彼らが怪しい動きを検知するのは振動と影がちらつくことです。そもそも撮影者にとって影は難敵です。自分が影を作っていたり、第三者の物質が影を作っているのに気づかなかった場合。しかしこの場合は具体的な影以前に彼らに影が届いていない距離でも気づかれてしまうことがあります。光の濃淡がでてしまったらだめです。明るいところだとこちらがあがいても光の差など見えない。こうなると難しいとしか言いようがない。

 そしてもう一つ。動物全般に言えることですが、警戒されないためにはこちらの集中力を最小限にすることです。油断している状態がベスト。しかしこれだと本気で撮れません。逃げられる。この油断と緊張の兼ね合いが動物写真の全てを決めると言ってもオーバーではありません。

 皆さんも研究してみて下さい。ここでも「勝つ方法は諦めないこと」です。

オスプレイ墜落事故で書類送検-曖昧のまま不起訴か(2019年9月25日)【是非拡散して下さい】

 2016年12月13日21時30分頃、名護市安部の海岸にオスプレイⅠ機が墜落。本件について中城海上保安部は機長の氏名不詳のまま航空危険行為処罰法違反の容疑で書類送検するそうだ。

 まず当時の様子を見ていただきたい。

http://photoyamahide.cocolog-nifty.com/yamahideblog/2016/12/post-965e.html

翌日に現場を海から私が観たモノ。このときはまだ海の規制線が張られておらず、近くまで入れた。ご覧の通り機体は大きく3つに分解。主翼・エンジンも2つに寸断。水平モードのまま。

オスプレイという奴は離発着は垂直モード(ヘリ仕様)でないとできません。日米政府はしきりに「不時着水」といっていますが、大嘘バレバレ。不時着できるなら垂直モードでなければならないでしょう。こうなっていない。エンジン・ペラは水平にある。

 今回の海保の書類送検はこのへぼ論理の上に立ている。要するに事故原因を探り当てるつもりもない、形式論理だけ。安倍政権と外務省の指揮に従ったらこうなる。米軍は一度も海保の事情聴取に応じなかった。真実を隠したいから。

日米地位協定第17条にこうある。刑事裁判権 公務中の米軍人等がおこした事件の刑事裁判権は米国に帰属する。捜査については日米相互に協力する。(要旨)

しかし米国・米軍の協力は得られていない。これを政府や外務省は容認。だからまともな捜査ができない。よって事故の再発防止はできないことになる。「操縦士のミス」で終ってしまう。

沖縄の空、日本全体の空は米国のモノという地位協定を抜本的に変えるしかないのだ。

 

以下補足。こうした米国のための地位協定を変えなければ、辺野古にもってきても事故はどこでもおきる。どこで起きても事故原因は特定されない。いやいや安部は普天間からも辺野古からも北部訓練場や奄美大島への空路です。もしも辺野古に移されたら今よりも飛行の時間は多くなる。事故も多くなる。やばすぎる。

2019年9月25日 (水)

工事の船団が12隻入ってきた(190925)

2019年9月25日 (水)晴れ

朝から沖合にランプウエイ台船等が近づいてきた。昨日、入ったんじゃなかったのか。私が数えたのはランプウエイ台船4隻と土砂運搬船4隻計8隻。早朝からこの船を待ち構えていた海上行動メンバーによれば、7隻と5隻の12隻だそうだ。他にタグボートが数隻。カヌーメンバーは大浦湾側の波風の中で3時間余り頑張っていたようだ。海保に拘束されながら。

 埋め立てが始まったのは14時頃からだった。明日からこんな日常に戻るのだろう。しかしフィリピン沖に台風18号が発生しそうだ。来週早々においでのようだ。

 今日の米軍は朝から夕方まで実弾射撃演習が鳴り止まなかった。ヘリやオスプレイはなし。

 私は辺野古川河口でキアシシギの撮影。ミナミコメツキガニを盛んに食べている。良い写真連発。不思議なモノで一度咥えられたコメツキガニは嘴から弾かれ離れても、動かない。動けないのか。2度3度と喰わえらてしまう。お互いに生きようとする様は、クールだ。

 埋め立てられても辺野古の海は美しく、切なくなってくる。

今日の紙面から(190925)

 今日2019年9月25日の沖縄タイムスから。今日はてんこ盛り。先日(8月頃)キャンプシュワブ弾薬庫の工事現場の一角が崩壊したが、沖縄防衛局はこれを確認していないという。この件は琉球新報に出て広く知られたのだが、(私たちも現場確認済み)「米軍と立ち入り協議中」だそうだ。防衛局が市民からの連絡を受けたのが8月27日で、申し入れたのが9月17日。21日も経っていた。新聞に出なければ、無視するつもりだったか。

 この崖崩れだが、明らかに弾薬庫の再整備の工事が原因だろう。斜面の草木を切り開き、裸地にして工事しており、排水対策を講じなかったのではないか。水は低きに流れる。これ常識。そこからどっと土砂が流れたのだろう。幅15m~30m、高さは40mぐらいある場所だ(台風17号通過前に私も撮影済み)。

 防衛局は米軍とグルだから不都合なことを隠そうとする。現場を観るのは、大浦湾の瀬嵩などからも見えますよ。米軍の区域内だから入れない、確認できないなどと言うのは、やる気がないという証拠。土砂崩れによる自然環境の悪化を防止する、弾薬庫だから周辺住民への危険性/安全性の周知などするのが防衛局の役目でしょう。

 2016年12月13日に大浦湾の一つ外の(東に)安部﨑に墜落したオスプレイの件で、海上保安庁が書類送検。米軍を聴取できず、闇の中のままだ。地位協定の壁はあついようだ。いつまで米軍をのさばらせておくつもりか?!怒りがふつふつと湧いてくる。

2019年9月24日 (火)

文化活動こそ(190924)

 午後は昼食を外で食べ、新たなブログの構想を練る。余り代わり映えしないだろうが。Ⅳ期だから。「よんき」としたら「4機」とでた。私の心理を読んでいるのか? ニャロメ! 私はそんなモノを望まないのだ。

 帰宅したら2通の封書が届いていた。どちらにも演劇の案内が入っていた。懐かしさもあって行きたくなるが、むりだなぁ。ひとつは「野戦の月テント芝居」だ。演目は「2つ3つのイーハトーブ物語第2部 木偶ウーボの振り子」(19年10月19日~22日)。口上がたくさん書かれているが、現実批判の中から理想郷の影を追うかのような話なのだろうか。今回も台湾の役者も参加している。会場は国立市の富士見台4丁目の矢川上公園内特設テント(JR南部線矢川駅そば)

 もうひとつは劇団文化座の「地にありて静かに」。文化座といえば新劇の有名どころだ。こちらもタイトルだけではわからないが、北米のアーミッシュの人々の愛のドラマ。不戦の民族が外に飛び出したとき何を見たのか。2019年10月17日~27日。会場は両国にあるシアターXカイ。

 ここで朗報。文化座は来年沖縄で「命どぅ宝」を上演するそうだ。私は確か2017年に東京まで行って観ている。これは阿波根昌鴻と瀬長亀治郎が出てくる物語。この沖縄公演を是非とも成功させたいものだ。やはりそこで生身の人間が演じる芝居っていいよ。ぐっとくる。

 亀治郎と言えば佐古監督の映画「瀬長亀治郎不屈の生涯」がある。予告編を見たらおもしろそうだった。また先日開かれた公演、津嘉山正種(まさね)の朗読劇「瀬長亀治郎 不屈の生涯」(既報)もあった。

 今更亀治郎でもないはずだが、沖縄では今だからこそ亀治郎を読み直す、見直す事が重要な局面にあるようだ。亀治郎の生き方もあるが、あの時代は亀治郎と共に動いた人たちが層として動いていた。不屈というのは亀治郎本人のものでもあるが、何よりも沖縄民衆が不屈だった時代の事だから勇気と課題をもらえるのだ。

 及ばずながら私も沖縄の闘いを伝えるような努力を重ねていきたい。現場の闘いは重要だが、これだけでは広がらない。もっも広げるための努力があちこちから起こってこないものか。沖縄が米日政権によって再び戦場にされかねない今だからこそ、これを止める力が欲しい。止めなければならない。このための私たちの視線は国内に留まっていてはならない。アジアの人々と共に手を携えなければ、墓穴に蹴落とされかねない。

 

原稿を書き上げた(190924)

 8月の「本州縦断の旅」の途上でいただいた原稿依頼をようやく果たしました。お題は「安倍政権5年の新基地建設を巡って」(要旨)。色々と書こうとすると、そもそも沖縄は何故こんな目に遭うのかを見つめ直さなければ、書きようがない。この5年(正確には6年)どころかこの23年であり、この74年を見直す。案の定、とても上下に分けないと無理。

 私はよく言えば、クール。誰かさんの言葉と違い「かっこよい」じゃありませんよ。冷ややか・冷めた目で観る意。ドイツ語で言うと「ザッハリッヒ」なんです。スペル忘れた。「冷徹な」。なのでなかなか展望が浮かぶような総括が出ない。だからといってダメだとしたくないし、ここ数日悩んでいた。

 展望部分は「下」で書くのだが、やはり沖縄がどうするのかだ。このキーワードは自治と不戦。それと誰とつながるのかがキーポイントだろう。アジアの平和を考えれば自ずと香港や台湾、朝鮮半島、中国、チベットなどとも繋がれるはずだ。つながるべきだ。チベットを右翼が反中の文脈から散々利用してきたし、香港の民主化運動に対しても右翼の発言はそれなりの量が出ている。あほらし。

 今回はそれ以前の話で終わった。だが沖縄の問題を日本に置き直し、日本の問題を沖縄に置き直ししながら観る複眼的な思考をしないとダメでしょう。このさきに、米国との関係やアジア諸国との関係もとなるのだろう。

 今日から私の休みは原則火曜日になりました。執筆が早めに終わったので、洗濯し、布団を干し、玄関を掃除し、窓ガラスを拭き、台所の排煙機を掃除し、今あちこちの窓を開け広げている。気持ちいい。晴れ渡った海も見えるしね。

 午後から新しいブログの製作に掛かる予定。

 

2019年9月23日 (月)

小泉進次郎の頭の中は?(190923)

 あの小泉進次郎環境相が気候サミットの会談の記者会見でアホなことを言ったそうだ。気候温暖化の問題は「楽しく、かっこよく、セクシーな問題だ」と。予想通りの口あんぐり発言が飛び出した。すごいね、この感覚。これをすかさず、呆れるそぶりも見せずに言えるピエロぶり。役者だな。

 彼はこの問題について何も知らないのだろうが、彼の思いは米国の言うとおり。親爺譲りの米国ベッタリズム。米国政権は核安保の国であり、原発・火力発電の国だから米国への風当たりを立てない。そうだとストレートに言ったら、馬鹿にされるからこんな表現が出てきた。脱線ピエロなのだ。属国ピエロなのだ。図星だろう。

 しかしこんな役者はいらない。おひきとりください。いいや退場させよう。

 もしも彼が辺野古・大浦湾のサンゴの海をみたら、「ジュゴンもいる超セクシーの海だね。だから基地にしようね。だってアメリカの為だから」なんてことを言いそうな奴だ。

 

 

新しいブログの設計に入ります(190923)

 明日新しいブログの設計に入ります。いつ使える状態になるか未定。9月中を目処に。それまではこちらに続けます。できたら告示しますのでよろしくお願いします。

テント村復旧しました(190923)

 2019年9月23日(月) 曇り 台風17号が去った沖縄島。今日の予定ではテント2のメインテントを立ち上げることからでした。そのテントの所在がわからなくなっている。どうしたのと思ったら、場所がわかりました。犯人は誰か? もってきてくれたのでよかったですが、困りますよ。

 かたやトイレの電気が付かないと、M君が修理中。原因不明と頭をひねっていた(その後、無事に点いた)。

 海沿いのテント村の復旧も続けてやると。私も頑張ろうと思いましたが、大阪から見えた方々に浜でお話ししました。台風のために予定よりも沖縄での滞在はマイナスⅠ日となったそうです。ご苦労様でした。

 10時過ぎには全復旧できて一段落。来訪者はぼちぼち来てくださいました。K4護岸沿いにあったオイルフェンスが台風によってまたもやぶっとんでいました。一部が護岸の上に。午後、豊原の高台から見たら100m以上切れていました。今日だったら護岸の上に上がれた。海上保安庁も出ていないし。もっともこちらの海上メンバーは明日から来ます。

 お昼前に沖合からクレーン台船1隻と荷物置きの台船1隻がタグボートに引かれながら入ってきました。

 私は午後豊原の高台から観察。埋め立ては、Aー①区はほぼ終わりか。その他はまだまだですが。長島側のオイルフェンスも外れたようです。予定では滑走路面は現行の海水面よりも8.8m上げることになっています。まだ先の話ですが。大浦湾側の目処がつかないので、まだまだ辺野古側も形式的な工事です。今日は面白い発見いろいろありましたが、省力。

 豊原に上がったら、台風による風と塩害でサトウキビなどに案外被害が出ています。木々の葉もパシパシにきれていたり、黒く晴れて落ちている。農家の皆さんの痛手は、大きいことでしょう。ビニールハウスの補修工事をやっている皆さんもいらっしゃいました。

 

2019年9月22日 (日)

台風17号通過しました(190922)ー進路に当たる皆さんは、早めの対策を

 昨晩から台風17号による風は弱まっていましたが、今朝は雨も上がりました。私のところでは停電にならず無事でした。しかし沖縄島中南部を中心に最大4万戸が停電、避難所に避難した方々もいたそうです。けが人は20人。やはり危険なのは雨風が強くなってからの外での台風対策時です。思わぬところで転倒など起こしがち。

 これから台風は九州から日本海に向かいます。事前の対策を十分に願います。モノが飛んで自宅ばかりか、よそのお宅や電線などに掛かり、被害を大きくしてしまいかねません。隣近所でも声を掛け合って、台風対策に当たってください。くれぐれもお気をつけて願います。

 実は私の写真パネルはこの台風の進路に当たる場所に貸し出されています。心配しています。

 それにしても台風15号の家屋への被害は、15000戸を超えたそうです。約3700戸が停電中だそうです(21日20時現在)。9日~何日経っているんだ。呆然とします。安倍首相は他人任せでこの間、千葉の台風対策について何もせず、のんびりラグビー見学だとか。トホホを通り越しています。自分の利益とお楽しみしかやらない政治は、願い下げです。

 しかし安倍政権は政権の支持率が下がらない限り、何をやってもかまわないと決めているようです。そうとしか考えらない。所詮、下々の事など、かまったこっちゃないのです。私は、日本は安倍の独裁国家だと言ってきましたが、新たなファシズム国家になりつつあるのではないかと危惧しています。

 沖縄は不戦を生きる。福島は脱原発を生きてください。千葉は災害からの一日も早い回復を。各地で、よってたかって課題に取り組み、お互いに支えわなければ、この国によって放置され、潰されてしまいます。頑張りましょう。因みにこちらの在京の海上メンバー有志は、千葉にボランティアに入っています。

 

2019年9月21日 (土)

懐メロを聴いて-これはダメだ!(190921)

 昨夜、パソコンで懐メロ特集をやってしまった。3,4時間聴いた。ただ懐かしさに耽っていたのではない。やや教訓を引き出してみる。1960年代の日本の音楽シーンはアメリカンポップスから始まった。ザ・ピ-ナッツやら伊東ゆかり、中尾ミエ。これがオリジナル曲を始めたのが62年頃から。広い意味で歌謡曲。そういえば、高校時代(67~69年)、「走れ歌謡曲」などの深夜放送(ラジオ)を聴いていた。

 GS(グループサウンズ)が典型的だが、これらは殆ど歌謡曲ロック。フォークも流行った。60年代末と73年以降では全く違う。学生運動・反体制運動の波が潰され、夢も希望もなくなる。時代を反映していたな。

 この時代の中だと、北国ものはあっても、沖縄はない。南沙織は少し後。72年5月15日が大きいのだ。私が知らないだけかもしれないが。

 矢張り一番問題だと思うことは(今更だが)、歌謡曲、特に演歌は差別の塊だと言うこと。女性差別の塊。男が歌っても(おまえと見下げ)、女が歌っても(あなたと見上げ)。こういう感覚が流行歌ですり込まれているのだ。恥ずかしながら。左手でウーマンリブを唱え、右耳で歌謡曲だったのだ。こういう世代が時代の中で主流となり、一見進歩派が同時に保守に堕していった。

 文化戦略って重要なのだ。人の無意識を縛ってしまえば、簡単に押さえ込める。私は私。威張るな!

 補足。テレサ・テンは中国系の歌手。日本での歌はもろ歌謡曲だった。「空港」とか。私はたまたま中国で彼女のCDを買った(1995年)。声がまっすぐに届いていて素晴らしい。中国語だから意味はわからないが、歌謡曲を歌うテレサの顔とまるでちがうようだ。彼女には歌謡曲は抑圧的だったのだろう。昨日その画像を見ながら思ったのだった。稼ぎのために歌うのは辛い。

グローバル気候マーチに一歩踏み出した若者たちへ(190921)

 昨日は「ハッシュタグ グローバル気候マーチ」などで全世界のグローバル気候マーチの動きを垣間見た。この動きは昨年スゥエーデンの高校生グレタさんの単身ストライキから加速したようだ。1年余りで全世界に広がり、なんと日本国内でも東京・大阪・京都・名古屋・福岡・札幌など26カ所、5000人余りが参加した。

 こうした動きの特徴は若者たちが主体であることだ。多くの高校生、中学生が参加していた。若者たちが自分たちの未来が危ういことに気づきだしたのだ。若者たちのこれまでの人生は短いが、これからの人生は長いのだから、若者たちが関心を向けて当然の問題だ。

 私は気候変動には疑問をもっており、二酸化炭素の増大が気候変動をもたらしているのか疑わしく思っている。しかし近年の地球環境は変調を来していることは間違いない。天候の不安定化・激変や熱帯林の大規模火災、北極圈の氷雪の溶解、野生生物の減少、砂漠地帯の拡大など看過できない問題が広がっている。様々な事象について原因を究明し、対策を講じていかなければ手遅れになる。私たちが生きている地球は一つだけなのだ。他に代替できる星はないのだから。この問題の解決に国境はない。そして軍事力では悪化させることはあっても、よくすることは絶対にあり得ないのだ。軍事力の根本は殺し壊すことだからだ。

 「多様な生物 豊かな自然と希望ある未来に 私たちは生きたい」とのバナーが出ていたが、私も全く同感だ。こうした動きは始まったばかりであり、まだどこに行くのかわからないが、地球の中で生きようと考える以上、私たちの答えはかなり明確ではないか。「多様な生物 豊かな自然と希望ある未来」に託していくならば、具体策は見えてくるだろう。何をすべきなのか、何をしてはならないか。まず若者たちが考えて行動してもらいたい。私たちの地球・命は誰かの利益・儲けよりも重いのだ。重要だと言うこと。

 そしてできるならば、各地に広がっている開発・環境破壊を押しとどめてほしい。問題は具体的なことなのだ。無論、珊瑚礁の海(辺野古・大浦湾を含む)をまもることも一例だ。運動は楽しくなければならないが、問題によっては簡単にいかない。否、殆どの問題は固く閉ざされた現実政治にブロックされている。これを揺さぶり動かしていかなければならないのだ。

 若者であれば、生物を初めとした自然科学の未来を広げていただきたい。大人たちは自然などわかりきっていると思い違いをしているが、わかっていないことが圧倒的に多いのだ。殆ど研究者のいない分野も多数あるのだ。学際的な研究はこれからだ。研究と実際の活動はクロスしていかなければならない。このままいけば、人間が何も把握できない前に、景観を壊してしまったり、絶滅させてしまう種も多数に上るだろう。

 私は1962年頃から同じような危機感を抱いてきた。まだ小学生だった。高校一年の1967年から具体的な干潟を守る運動に取り組んだが成果はごくわずかだった。それでも後を引き継いでくれた人たちがいて、いささかなりとも自然を残すことができた。場所は東京湾の江戸川河口。当時日本列島最大の干潟があったのだ。あのディズニーランドの周辺だ。きみも遊びにいったことがあるだろうか。

 若者たちの未来を守のは、大人の責任でもある。だから私は私なりの歩みの中で手をつなげたらと思う。共に頑張ろう。

 

東電旧経営陣の無罪に思う(190921)

 2019年9月19日、東京地裁(永渕健一裁判長)は2011年3月11日に起きた原発事故を巡る業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力旧経営陣3被告に対して無罪判決を下した。

 被告は勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長だ。いずれも禁固5年を求刑されていた。経営者たる者でも自身の経営責任で他人を殺傷したら、刑事責任が問われるのは言うまでもない。それぐらいの覚悟を常にもつべきだ。本件では高い津波が襲うことを予見できたのか否かが争われた。検察官役の指定弁護士は、国は2002年に公表した地震予測「長期評価」をもとに、東電が08年に最大15.7mの津波が襲う可能性があるとの試算評価を得ており予測できたと主張。

 判決は3被告に「予見可能性がおよそなかったとはいいがたい」としながら「信頼性、具体性のある根拠を伴った認識ではなかった」と可能性を切り捨てた。しかし被告は万が一にも大規模事故を起こせば原発が如何なる反応を起こし、メルトダウンが起きるのか知らなかったのか。知っていたか否かにかかわらず、知らなかったとすれば意図的な「安全神話」に嵌まっていたにすぎないだろう。ますます重大な過失と断じざるをえまい。

 にもかかわらず、判決は「原発の運転を止めるには相当な負担と困難があり、津波を予見し、対策工事を終了するまでは運転を停止すべき法律上の義務は認められない」としている。ここでいう法律上の義務とは何のことか?原子力基本法などにないということか? 一般的に言って人を殺めれば此を罰するのは当然だろう。事業者が同じ事をやっても咎められないとすれば、余りにも不公平というものだ。そもそも起訴容疑は殺人罪などではなく、過失致死傷罪でしかないのだ。

 特に東電は2007年9月、中越沖地震を新潟県柏崎刈羽原発で経験している。震度6強だった。これで原発施設の一部が破損しているのだ。こうした経験を加味すれば、意図的な楽観論に立つことじたいが、予見可能性を意識的に排除し、従来通りの経営に固執したのではないのか。判決は被害者・住民の安全を過度に軽視している。刑事裁判で、被害者らの命と生活、悔しさをフォローできるものではないかもしれないが、裁判官が事実と向き合えばこんな判決を出せるわけがない。政治的な恣意的な判決と言わざるを得まい。

 それにしても原発事故はこれまでに、あちこちで起きてきた。完全な技術などないのだ。まして原発をコントロール下に常においておくことは難しい。様々な場面での対処が十分に準備されていなければ、メルトダウンを起こす。こうなれば手のつけようがなくなる。現に手がつけようがなかったし、ないのだ。

 全部の原発の廃炉を私は希望している。そして要求する。

 私は9月19日の判決報告集会の動画を約90分見たが、泣き出す人もいて、見るに堪えなかった。関係者の皆様は、一審判決で諦めることなく、前に進んでいただきたい。

台風本番の真っ最中だ(190921 12:00)

 我が家の外はいよいよ台風本番の様子。矢張り落ち着かない。雨強く風横殴り。このぐらいでは停電等にならないとは思うけれど。沖縄の電柱は柔じゃないから(言いたくないけど)。

 沖縄本島地方に大雨・暴風・波浪・高潮警報発令中。

 最大風速 渡嘉敷島 47.7m/s

      南城市  46.9m/s

      那覇市  41.1m/s

      那覇空港 40.6m/s

2019年9月21日 6時現在だそうです。

 

電気が時々途切れ始めた。ヤバイ! 我が家近くもそうですが、海に近いと潮が電線・変圧器等に付くのがヤバイのです。

私の今回の備蓄の失敗:お米が少なくなっていた。スパゲティもあるし、トウモロコシもあるから大丈夫だと思うけど。

 

パラシュート降下訓練を巡る本部港使用について再考(190921)

 2019年9月17日、米国海兵隊は本部港から救助用の大型ボートを使おうとして市民らに阻止された(既報)。

ponet-yamahide.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-bd48b9.html

 これは伊江島でのパラシュート降下訓練に伴うレスキュー用のボートだ。政府側は悪天候時、嘉手納でやってきたと言うが、悪天候なら延期するまでだろう。嘉手納でやる意味は市街地での降下訓練であり、こんな理由を私たちは容認できるわけがない。

 また本部港を使うのは、キャンプ・シュワブから本部港まで陸送するというが、本部港が使えない場合、嘉手納マリーナ(嘉手納基地西の国道58号線沿い)から伊江島に向かうことになる(約40キロの海路)。嘉手納マリーナに運ぶのは道路上の混雑が予想されるから本部だとこだわっている。

 これは明らかにおかしい。米軍は大型ボートにこだわるのであれば、先にも書いたが伊江島フェリーで運び、伊江島の基地の中に保管しておけば良いではないか。保管庫や海に下りる進入路・着岸場所を整備する必要があるのであれば、いくらでもできるだろう。

 今日の沖縄タイムスで伊江村議の名嘉實さんは「米軍は小さな船で『実績作り』を試みたのでは。大型クルーズ船の寄港に向けて整備が進む本部港はいずれ、より大きな米艦船に利用される恐れもある」と懸念されている。私も全く同感だ。

 沖縄県の計画によれば、本部港に20万トン級のクルーズ船が停泊する計画だ。要は10万トン級の米空母も停泊可能になると言うことだ。彼らは空母艦載機を神奈川県厚木基地から山口県岩国基地に移したが、これは東シナ海・南シナ海での演習等の強化を見据えたものだ。空母には空母を守る・攻撃する戦闘艦が数隻つくのであり、こうした艦船の寄港は十分に考えられる。また先取りしてしまえば、辺野古・大浦湾への岸壁の建設とあいまって、沖縄島の東海岸と西海岸に大型艦が入れることも想定しているのではないか。

 米日政府による中国を主敵とする「島嶼防衛」への陣形作りは、与那国島から石垣島・宮古島、沖縄島をはさみ奄美大島に伸びる琉球諸島を最前線としつつ、日本列島をも戦禍に巻き込んでいきかねないものだ。私たちはこうした動きのひとつひとつに明確に反撃していかなければならない。

 クルーズ船を私は悪いとは言いたくないが、容易に軍事基地に転用されるような能力をもつ港湾整備はやめるべきだ。沖縄県もよほどしっかりと考えていただきたい。この意味では石垣港、宮古島の平良港共に転用可能な港湾になっている・なりつつあることをみれば、言い過ぎと言うことはあり得ない。

 私たちが臨むのは琉球諸島の平和であり、ここを戦争の発進基地にしないことだ。もしもこの周辺で戦争状態になれば、ただじゃすまないのは、琉球諸島の住民なのだ。

台風17号の防風圈に入っているようだー名護市内(190921朝)

 2019年9月21日9時過ぎ。名護市内も台風に覆われている。唸りも常続的だ。台風17号は6時現在、久米島近くにあり北北西に向かっている。970ヘクトパスカルで、最大風速35m/s。渡嘉敷島で最大瞬間風速47.7m/sだったと(21日4時54分)

 本日一日、明日午前中までこんだろう。定期路線バスも沖縄島は本日運休中。停電・断水に備えて飲み水をタンクに入れ替えていたら、1本ほぼ丸々床にこぼしてしまい、大慌て。拭き取りました。電源コードがあり、これも全部外した。だから焦ってやるなと言っているのに。

 本日は停電にならなければ、ブログや原稿を書いています。よろしく。

台風17号の中でブツブツと(190921)

 2019年9月20日午後から風雨がいささか強くなってきた。今は21日1時(25時)。森が唸っている。しかし建物が揺れていないから、全然大丈夫。原稿を2つかかえどうしようかと思案中。来年はいよいよ大浦湾を巡る埋め立てを阻止できるか否かの本番となるわけで、ここに絞り込んでいかなければならない。米日の両政権が、支配階級が如何なる野望を持って攻撃を深めてくるのかを見極めなければならないが、こちらが出遅れたら適わない。改めて歴史から学びつつ、「島嶼防衛」なる挑発を押しとどめなければならぬ。戦前であれば、朝鮮侵略を梃子として、軍隊を朝鮮や台湾に、そして中国に出していたから、あちらで戦争を始めのだ。現代はそうはいかぬ。わざわざ日本の最西端(与那国島)まで軍事化して、いざとなれば、戦うのだと構え始めている。

 安倍政権は国内法も国際法もお構いなしだ。憲法すら踏みにじって恥じずに、財界の最大限の利権を確保し、自分たちの儲けもいただくことに余念がない。戦争に踏み込んらどうなるかのリアクションを考えることができない馬鹿ばかりなので、困ってしまう。74年前の最大の敵だった米国とつるんでいるのだから、負けないだろうとの思い込みしかないのではないか。「奢る平家は久しからず」というではないか。しかしこんな者が滅びるのは一向にかまわぬが、それに巻き込まれたらかなわない。

 生きるという前向きな姿勢を堅持して、泥船に乗ることを拒否しよう。基地建設も軍事産業の振興もどちらもNO!だ。韓国へのバッシングにも、沖縄へのバッシングもお断りだ。跳ね返していこう。

 やはり私自身が1945年から1972年の沖縄に気づくのが遅く、気がつかぬ事で「忘れられた島」の加害者だったことを思えば、楽ではない。この27年間は日本を完全な米国の属国にしてきたわけで、此を跳ね返していかないとダメだ。沖縄の闘いは深いところで日本の闘いと通底しているのだ。日本側にこの自覚が余りにも薄い。それなのに「がんばってください」はないのだ。

 20日は世界各地で気候変動を巡る、地球を守ろうとの若者たち主体の闘いが行われたようだ。大いに歓迎したい。高校生中心な感じ。だが課題は具体的でなければならぬ。「地球環境問題」なるものは1980年代からあった。そんな静観的な態度では何もすすまないことがはっきりしている。問題は大企業の中心部にあり、周辺部にもある。巨大な国家にあり、周辺国家群にも広がっている。日本で言えば、福島原発の大爆発を抜きにできまい。辺野古・大浦湾を巡る問題もだ。

 だから私たちも若者たちとの丁寧な議論をしていかなければならぬ。誰がどう見たって、私たち人間は、この地球を離れて生きていけないのだ。

2019年9月20日 (金)

安倍首相は何を考えているの?(190920)

 2019年9月9日から内閣改造が行われていたが、これは丁度、台風15号が首都圏に掛かった日。東京湾をまたぐ形で千葉県周辺や伊豆七島を襲った。停電・断水・屋根や窓ガラスの破損、瓦が山のように飛び散っていた。今回の災害が驚きなのは、首都圏を襲った災害であり、例えば市原市や袖ケ浦市といった京葉工業地帯での被害。被害が出て、時間が経つほどに被害が発覚。情報収集の態勢が準備されていなかったようだ。

 私は自衛隊の防災出動を促す立場でないが、木更津に陸上自衛隊のヘリコプター団があるのだ。宇都宮には自衛隊のヘリコプター学校もある。機材はそろっているのだ。リサーチする気があるなら即できる。予想外に樹木が倒れて停電の復旧が遅れたと言うが、電力会社だけで不足ならば、県や国がカバーする態勢をとればいい。また個別の支援だけではたち行かないこともわかっているのだから、そのときどうするかの総合的な連係プレーが必要となる。防災訓練を積み重ねても、こうした本番に直結できなければ意味がない。わかっているんだろうか。命の営みを寸断された人たちにとって、ぬくいお部屋で閣議決定して、やってますの意味がどれだけ酷いのか

 災害対策基本法や災害救助法の適切な発動が重要であって、市町村・都道府県との下からの連携プレーが優先されるべきだ。下からのコールが届かなければ、上からバックアップする事が重要になる。

 そして11日が経った本日20日、漸く安倍首相は台風対策を閣議で命じたとか。あなたは亀さんですか? 亀さんはねぇ、水の中に入ったら速いぞ。ウサギとカメの童話の世界と違います。

 安倍さんは、自分に関わる儲け話以外は二の次三の次だということがますます鮮明になってきた。もしかして千葉で11日後ということは、沖縄ならば、110日後か。否、米軍が多いから復旧は早いか。いやいやフェンスで分断されるんだろうな。

 沖縄は、こうしたことも予測しながら自治の力をつけていくしかないのだろう。

米海兵隊による本部港使用を阻止(190917)

 2019年9月17日、米国海兵隊が伊江島でパラシュート降下訓練のための救助用ゴムボートを本部港から出航させようとしたが、全港湾の労働者や市民ら約100名が座り込みこれを阻んだ。16時30分頃、彼らは入港を断念し、トラックで戻っていった。事前に本部港を管理する本部町や沖縄県は使用しないように米軍に自粛を求めていた。これを無視して米軍が17日早朝6時50分に押しかけてきたのだ。県警も約100名の機動隊が来たが、介入しなかった。

 沖縄防衛局は「米軍艦船は地位協定で日本の港湾の出入りが認められている」として、自粛は求めていなかった。それどころか当日、先頭に立って米軍の入港を推し進めようとしていた。

 日米地位協定第5条に「受け入れ国内における移動の自由、公の船舶・航空機の出入国、基地への出入権」とあり、入港料や着陸料を払わずに出入りできるとされている。これを拡大解釈して、すべての米軍艦船や米軍機等は出入で来るとしているのだ。

 本部港はもとより民間港である。たとえ伊江島に近く伊江島周辺での米軍の演習に寄与すべきだとはならない。本部港は伊江島航路があるばかりか鹿児島~那覇港までの定期航路があり、民間優先であるべきだ。

 私が疑問に思うのは、米軍はなぜここ本部港を使いたがるのかだ。彼らの言い分はこうだ。キャンプシュワブからの移動は陸路。確かにここを航路で行けばぐるっと沖縄島を半周することになる。しかし伊江島演習場があるのだ。伊江島フェリーで渡れば、問題なく伊江島演習場から海に降りることができる。また逆も。ここに固執する根拠がないのだ。米軍が本部港をつかうのはもっと別の理由があるはずだ。一つを容認してしまえば、もっともっとになる。有事への道を民間港から切り開かせてはならない。私たちは常に他港や多空港との兼ね合いを見ながら考えなければならない。

街は誰がつくるものなのか?(190920)

 横浜市で林文子市長がカジノにイエスを示している。これに対して「止めろ!」の声が上がり、リコール運動まで起きてきた。沖縄から見ていても実に興味深い動きだ。林市長の立場が急変してこうなったとされているが、もともと彼女の本音はこうだったのだろう。それは横浜市民から悪く言われるに違いない。だまし討ちはいけません。市民自治あっての市長職ですからね。

 因みに地方自治法によれば「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として地域における行政を自主的かつ総合的な役割を担うものとする」(第1条の2)。地方公共団体の「住民」(第10条)を定め、「直接請求」(第74条以下)を定め、「議会」(第89条以下)を定め、「知事」(第139条)・「市町村長」(第140条)を定めている。

 カジノが住民の福祉を増進するのか、真逆なのか、住民がこれをどう捉えるかは大きな地域の課題となるのは必至だ。林市長も、これは危ういと思っていたから、隠してきたのだろう。利権が絡んでいるからダマシ討ちにしたのだろう。分かりやすいことだ。釈明すればするほど嘘がばれる。

 横浜市民がどう判断するのか、私にも興味深い。それは単にカジノがギャンブルであり、住民に与える余波が大きいだけでなく(それだけならば、行かなきゃいい、やらなきゃいい)、街が変わり、市政が変わる。儲け人と、奪われ人で極端な格差が出て、街もすさむだろう。住民の福祉を忘れた市政は、利権と絡み合い、主権者である住民をますます脇に置いていく。

 ここでリコールが成立しなければ、横浜市も破滅する。

 戦後生まれの私の横浜に対する印象は、世界への玄関口だ。ここでまた自分の思い出に触れるが、1961年に山下埠頭に氷川丸が係留され、宿ともなった。その年、ここに泊まった印象は忘れがたい。小学校4年生だった。氷川丸は貨客船だったが、戦時中病院船として負傷した兵隊を引き上げてきた。その話と、明るい横浜の印象は、闇と光を浮かびあがらせるものだった。氷川丸の経営主体は変わったものの、今でも健在だ。

 様々な魅力にあふれた街である横浜を支持する人々は市外にも多いだろう。横浜市民はカジノ問題をどう考えるのだろうか?

 私は小樽市の運河をまもる運動を思い出した。こちらは住民による必死の抵抗運動で辛くも運河の一部を守り、その後の小樽市の街作りに貢献しているだろう。私も事前と事後をみているので、一部といえども残して良かったと思う。カジノは景観ばかりか、見えない部分もかえてしまうだろう。カジノが繁盛すればするほどヤバイ。それほどヤバイことはないだろう。これって、基地が繁盛すればするほどヤバイのとどこか似ている。

 2019年9月14日、横浜市内で「横浜市にカジノはいらない! 女性たちよ 手をつなごう」の集会が開かれた。講師は沖縄の元参議院議員糸数慶子さん。糸数さんは沖縄の歴史に触れながら、72年前後からカジノ導入の誘致話が起きたことを話していた。また度々この話が出てきたが、いずれも止めてきたと。またあの仲井真県知事が辺野古新基地建設を承認した裏切り(2013年12月27日)のなかで、カジノ導入を国に呼びかけたことにも触れていた。しかし沖縄は今日までカジノを阻止してきたと報告していた。こうしたなかにも糸数さんらの長年にわたる取り組みが活きていたのか。私は恥ずかしながらよく知らなかった。

 カジノは依存症をもたらし、人々から現実を見えなくする。なんぼスったかでは収まらない問題を引き起こす。軍事の行き着くところは殺戮と破壊だが、これも現実を見失う猛烈な毒が体中に回り、帰還兵はのたうちまわるものだ。

 街を作るのは住民だ。街を作るリアリティをもちたいものだ。これはどこにあっても同じはずだ。

2019年9月19日 (木)

沖縄と向き合うのは、人として生きるため(190919)

本稿は、ある高校の文化祭に私の写真パネル展示のご依頼を受けました。以下の「はじめに」を「前文」  

につけさせていただきました。それを以下のように若者たちへの長いメッセ-ジにしてみました。自分でも

まだまだ整理しきれていませんが、若者たちに贈る言葉としてブログにあげさせていただきました。

 やや経緯を書いておきますが、今年の8月9月においでになった若い人たちの反応や質疑から触発されて書

きました。自分一人では到底書けませんでした。関係者の皆様に感謝します。

 若者の政治離れが言われて久しいわけですが、どうしたら若者たちに「今を生きている」と考えていただ

けるのか?、悩ましいです。そのささやかな一歩として本稿が役に立てば嬉しい限りです。

 以下長くてすいません。(ヤマヒデ)】

 

 

沖縄と向き合うのは、人として生きるため

山本英夫(フォトグラファー/沖縄県名護市在住)

【Ⅰ はじめに】

 

私の高校時代は50年も前のことです。今振り返ると、あの高校時代の経験が自分の「人間の基(もと)」を作る時間になり今に活きています。

 では「人間の基」とは、何でしょうか? 私は《人として生きる》ために失ってはならないこと、育まなければならないことだと考えています。

この定義では抽象的すぎますが、ひとまず《戦争と向き合う》ことが重要だと考えます。60年代中半当時は、外に眼を向ければベトナム戦争の一端が日々報道されていました。また、「大日本帝国」が戦争に負けて、未だ20年余りしか経たず、戦争の片鱗は消えていませんでした。

現代は戦争から遠く隔てられていると思われています。しかし沖縄にいると、ここは戦争につながっている《基地の島》だと思い知らされます。この30年間私は、沖縄と関わってきました。この中で「沖縄と向き合うのは、人として生きるため」だと考えるようになりました。

 

【Ⅱ「人として生きること」が重要なのは何故か?】

 

 皆さんは、人間のことを信じることができますか? 私はそう信じたいけれども「人として生きる」ためには、考えておくべき事があると思うのです。ここで私たちが想起すべき事が大きく言って3つあります。

 

①私たち人間は《生きもの》です。命を営みながら限りある生を生きており、また社会を作り集団で暮らしています。生きているからこそ私たちは、笑いもあり涙もあり、嬉しくもあるのです。私たちは決して機械ではありません。

そして人間は特殊な生物です。他の動物のように本能で生きているわけではなく、生まれた後に獲得する経験・学習が良くも悪くも大きく物を言います。ヒトの知的能力の高さを振りかざして、「万物の霊長」などと自惚れる向きもありますが、《生きる》ための道を踏み外す欲望も大きくなっているのです。だから大変な矛盾・葛藤を抱えてしまうのも人間であるがためです。そのうえ人間の社会は、同じ種(ヒト)でありながら、了見が狭く自国・自民族を優越するナショナリズムがはびこりがちです。また、個人にも善意と悪意が同居し絡まり合っています。時に優越意識・差別意識が頭をもたげ、戦争ともなれば、人間の悪意がぐるぐると渦を巻き、露わになるのです。

③人間はめざましい経済力の発展を獲得してきましたが、これもクセモノです。巨大な科学技術を獲得したものの、これを「万全」だと思いみ十分にコントロールできていません。それでも科学者・専門家は「予見可能・コントロールできる」と信じ込むきらいがあるものです。

 

こうした限界を抱えているからこそ、私たちは謙虚に生き、お互いを尊敬しあえる人類の、人と人がつながる心を育まなければなりません。これができなければ、強者・強国の「●●ファースト」が世界にのさばり、武力で勝つことを「正義」と主張し、挙げ句の果てに破滅への道を転げ落ちることでしょう。だから私たちは、「人として生きる」ことが常に問われているのです。

 

【Ⅲ 「人として生きる」ために戦争と向きあう】

 

戦争は、今あなたの目の前に見えないかもしれません。しかし地球の裏側で準備されているかもしれません。あなたの足下に潜んでいるかもしれません。今も世界には争いの基(もと)がごまんとあり、「弱肉強食の世界」が広がっています。現に世界各地で今日も戦争は現在進行形です。

 

今日の日本では、「韓国が全て悪い」という政府があります。例えばヘイトがはびこっています。例えば軍事機密が増えており、報道はスカスカになり、重要なことが隠されています。

 

それでは戦争は何故恐ろしいのでしょうか? これは個人と個人の間で起こる単なる殺し合いに留まらないからです。法令は無視され、理性や道義は蹴っ飛ばされ、めっぽう残虐性が組織され、発現されてきたのです。例えば「殺しつくし焼き尽くし奪い尽くす」と言われた「三光作戦」、例えば731部隊のような人体実験、例えば性暴力を兵隊に煽動しながら戦争マシーンに駆り立てた日本軍慰安婦制度などなど。

 

こうした事例を見たら、「人間に良心・理性なんてほんとにあるの?」との根本的な疑問にとりつかれてしまうでしょう。しかし同じような過ちを繰り返さないためには、私たちは「戦争だったから致し方なかった」と考えてはなりません。

 

私たちは、過去の歴史から学び考え直さなければなりません。私たちの気づきはとても鈍いのです。鈍くされているのです。例えば、1941128日(前後に)、日本軍は真珠湾攻撃等を強行し戦争をエスカレートさせました。日本の巷では「ヤッタ!大日本帝国万歳!」の大騒ぎだったのです。当時の日本は中国への侵略戦争に行き詰まり、戦争を継続するために資源を求め、アジア・太平洋に戦域を拡大したのです。時の天皇・政権・軍部は結果を見えていただろうに、止められる人がいなかった。軍事経済という麻薬に溺れていきました。このため人々は、騙され、或いはすすんで無謀な戦争に駆り出されたのです。戦争反対の声を上げる口は完全に封じられていました。

 

あの当時、「兵隊は鴻毛の如し」(人の命は鳥の羽より軽い)と言われていました。戦死したら「●●の命(みこと)」と靖国神社・護国神社に勝手に神にまつりあげられていたのです。これが74年前の日本です。

 

だからこそ私は、過去のことを無神経にやり過ごしたくありません。ひとつひとつの事実に、一人一人の体験に正面から向き合いたい。私たちが人として生きようと考えれば、過去と現在を紡ぎ、国家挙げての戦争と向き合う以外にありません。

どうしたらできるのでしょうか? 私たち自身が頭を使い、体を使い、心を研ぎ澄まして考えることが大切です。今こそ、自分って、何? 差別って、国家って、軍隊って、何だと問い続けていきましょう。

 

【Ⅳ 時間・歴史・政治・世界と経験について】

 

若い皆さんが生まれて過ごしてきた時間は、まだ10数年というわずかな時間です。だから政治について知らないことも多いでしょう。例えば、2001年9月11日の米国内で起きたテロ事件の時は生まれてもいなかった。2004年3月20日の米国等によるイラクへの攻撃・戦争も記憶にないかもしれません。2011年3月11日の東日本大震災と原発事故は? 2015年の日本の国会で戦争法が成立してしまい、米国等の「同盟国」と海外で戦う態勢ができてしまいました。

 

いや政治とはそんな自分の外側の話だけではありません。学校でいじめられた経験は、政治を考える大きな素材となります。いじめられていたのに、誰も振り向いてくれなかった。また、恋愛の中で何が重要なことなのかも、本来、政治がカバ-すべきこともあります。ここで私がいじめや恋愛を持ち出したのは、皆さんの関心を買うためではありません。今ではいじめはNOと言われ、恋愛はYESと言われているでしょうか? 私は甚だ疑問に思います。戦時中の軍隊では、体罰・イジメは日常茶飯事でした。これは地域社会でも学校の中でも似たり寄ったりだったと聞いています。戦後民主教育に変わったと言われてきましたが、1980年代になると、学校でのイジメが大きく訴えられ報じられました。あれから40年近く経ちますが、どれほどかわったのでしょうか。

 

実は政治とは私たちの暮らしの中にこびりついているのです。こびりついているので見えにくい。軍事力が強化されつつある現在、体罰・イジメもまた大手を振る時代に逆行しかねません。

 

 ところであなたは、時間を何で捉えていますか? 元号ですか、西暦ですか。例えば令和元年と言ったら、意味不明。日本国内にしか成立しない天皇が統治する時間だからです。世界の中で起きていることがバラバラにされ、ひとつながりになりません。私は西暦の2019年と考えています。こうすれば、過去に容易に遡ることもできれば、世界で起きていることも見えてきます。あと10年後と言えば、2029年だと断定できます。日本の10年後、沖縄の10年後、朝鮮半島の10年後、アメリカの10年後、中国の10年後、イスラム諸国の10年後も見えてくるはずです。それにしても日本という国は、何故不合理な元号に固執しているのでしょうか? この問題は実は大変意味深です。

 

【Ⅴ 沖縄と向き合うのは、人として生きること】

 

 私が沖縄を初めて知ったのは1971年のことでした。それまでの私は沖縄のオの字も知らなかった。それ以前の私は自然保護運動に没頭しており、沖縄がベトナム戦争の一大軍事拠点にされているなどと思ってもいなかった。無知蒙昧が服を着て歩いていたのです。ただ71年頃、沖縄を巡る書物を読むうちに、元号を捨て西暦に換えた記憶は鮮明です。

 

1972515日、沖縄は日本に返還されました。この沖縄の闘いは、「平和憲法のある日本に復帰したい」との思いが込められたものでした。だが米日政権はこれを押し潰し、米軍は基地・軍隊の自由使用を今日まで強行しています。

私もしばらくの間、沖縄から目が離れていきました。19895月、私は初めて沖縄の地に足を踏み入れました。私が沖縄に行くと決めたのは、単純です。「沖縄に行けば、日米安保が見える」と示唆されたからです。それから今日まで30年が経ちました。以下、この30年を大胆に整理します。

 

 ①19895月を画期点として

  確かに米日安保が見えたようでした。沖縄は1972年以降、今日まで基地の島でした。いやいや1945年(正確には1944年)以降ずっと基地の島だったのです。この基本的な事すら知らなかった自分に、慌てました。恥ずかしかった。ベトナム反戦・反安保を叫んだ時代を経たのに、余りにも薄っぺらだった。他方、現地の人々と知り合えたことが、大いに力になりました。これは通うしかないと思いました。

  

199594日の少女レイプ事件

 

199594日。沖縄島で米兵3名が12歳の少女を拉致してレイプした事件が報じられました。軍隊は性暴力の温床だ、米兵が起こした事件に日本の警察の権限や法が及ばないとも。951021日の県民大会に85000名の怒りが爆発しました。大田昌秀沖縄県知事も動きました。私は軍隊と性暴力、男と性暴力について、改めて考えることになりました。これで沖縄から眼を離せなくなりました。沖縄は米日政府の植民地。その影を見た思いでした。

 

③2004419日(未明) 国が辺野古での新基地建設に着手しようとした日

 

この日、沖縄の人々は沖縄防衛施設局(当時)を自力で押し返し、座り込みを始めたのです。この話を私は同年6月、東京での現地報告会で詳しく聞きました。「これは行くしかない!」 私は同年7月、初めて辺野古での座り込みを取材、否、参加。「お前はどっちだ?!」と度々つめよられたものです。通う度に現地の厳しさも知ることになりました。

  

④20116月、9月 与那国島・石垣島・宮古島に通い始める

 

 2006年に日米政府は在沖海兵隊の約半数に当たる8000名の「グアム再編」を合意しました。しかし新基地建設は止まらない。何でと考えていました。2010年の日本政府の「防衛計画大綱」にこうありました。「島嶼防衛」を中心に軍事化を進めると。これは対中戦略の軍事拠点に沖縄を据えると。冗談じゃない! 私は与那国島、石垣島、宮古島にも通い出しました。

 現地を見たら、これは狙われると実感。もし万が一、これをやられたら、琉球諸島は再び戦場にされてしまいます。沖縄島の辺野古にも自衛隊がやってくる!フザケルナ!

  

⑤201310月 名護市に居を移す 

 

 私は201310月、遂に名護市に居を移しました(ひとりぐらし)。予想通りでしたが、14年夏から安倍政権は新基地建設に本腰を入れてきました。また、こちらに来てからわかったことがあります。軍隊は沖縄に何故こだわるのか? 実際の集落のそばで軍事演習ができるからだと気づきました。戦争は無人島ではやらないものです。こんなことができるのが沖縄だからなのか。改めてうんざりしながら、天を見上げてしまいました。 

  

⑥そして今(20199月)

 

 新基地建設をどうしたら止められるのか、沖縄は基地の島から脱することができるのか。自然豊かな沖縄にするためには何をすべきなのか? 沖縄の自立は如何にしたら可能なのか? 悩ましい課題ばかりですが、共にやりぬかなければなりません。フォトグラファーとしても貢献したい。

 

沖縄が軍事拠点である限り、平穏ではあり得ない。私は沖縄と関わることで「人として生きたい」(本稿Ⅱ、Ⅲ参照)。軍事拠点という実像から学び考えます。

皆さんは、戦争と平和について学ぶ機会をもつ学校におり、図書館の蔵書も多いと聞いています。共に考える仲間がいることが最大の財産です。自分の経験を社会の経験に繋ぐ、社会の経験を自分の経験に繋ぐことができます。若い柔らかい感性を磨いてください。期待しています。

 

 

 

 

本日台風対策完結(190919)

2019年9月19日 曇り時々雨。

 予想外にも今日台風対策をやると。熱帯低気圧が台風に発達してくるようだ。テント2の撤去が始まっていた。我々の海のテントも撤収作業を終えた。本日はテント2で座り込み。2団体等が来て私も分担する。15時過ぎから降雨の中、テント2も撤収した。土砂投入はやっていなかった。風強し。

 台風で明日9月20日~22日まで完全にお休みです。23日(月)はテント2にて。24日にテント村の復旧作業です。当然海上行動もありません。24日以降の判断になると思います。

 ゲート前のことは聞いていません。悪しからず(9月20日、21日)。22,23(月)は搬入が予定されていないので、座り込みはありません。

 これから自分の台風対策で買い出しに。

 

本州縦断の旅⑫ー番外編(三沢にて)

 本州縦断の旅も後半に入ったところで、書く私が息切れ。ブログの容量もなくなった。そこで三沢の番外編をまとめて。

 お子様の話と本屋の話。2019年8月27日昼の話から。三沢市内の中華屋で。私たちの隣のテーブルに米兵の妻とお子様3名の4人連れ。下の女の子は未だヤンチャ。テーブルの上にのりそうになり、お姉ちゃんがダメでしょと下ろしていた。お母さんは笑顔だが、しっかりみていた。彼女たちの会話はもちろん英語。ほほえましくて、こちらもついニンマリ。こういうのを見ていたら、私は米兵家族だからと怒ったり、揶揄するつもりはない。普通の街暮らしだ。借りている住宅はどでかいのかもしれないが(思いやり予算)、そこは見ていないし。

 翌日の夕方。雨降る中を一人で戦闘機音を追ったが、雲の上。何も見えず、撮れず。濡れただけ。三沢ベースのほぼ正面に本屋があった。つかつかと入ると、「防衛小6法入荷」の張り紙が。予想通り軍事関連の本が多い。だがちょっと様子が違う。「観光コースでない韓国」とか「観光コースでない沖縄」とかもある。よくよくみると、沖縄本が何冊もあり、私が読みたくなるような歴史本も多数。これは驚いた。

 思わず店主に話しかけたら、選択肢の広い本を置いていると。手に取ってみてもらいたいと。ナイスな本屋さんだ。近頃は本は売れないし、どんどん安易に流れているのだが、歯止めをかけようと頑張っているのだ。取り次ぎ任せにしていたら、どんどんバカボンばかりになっていく。

 大館の映画館(「新聞記者」を上映中だった)を知のプラットホームだと称したが、ここはまさに知のプラットホームだ。軍事の小都市でこうやる努力は大変なものだろう。

 その日の暗くなりかけていた時刻。夕食を食べ坂を下りていると、「おじちゃん」との声が掛かる。ほかにおじちゃんらしい人はいないので、振り向いた。目の前に3歳ぐらいの女の子。「オハヨウ」とか言っている。「こんばんわでしょ」と私。よく見たらお母さんが近くにいた。トボトボしていた私だが、急に元気が出た。お子様は未来を作るんだな。素晴らしい。

2019年9月18日 (水)

精根尽き果てた(190918)

 この6日間かけて、いささか長い原稿を書いた。約5000字だ。原稿用紙で言えば13枚に匹敵する。ここまで長くするつもりはなかったのだが、いささかぐちょぐちょしてしまった。大分整理したのだが。もしもこれにそってしゃべると、15分ぐらいになりそうだ。前置きだか、終わりにだかで、15分は長い。構成が複雑で覚えきらないし。もう少し消化できたら、話にも使いたい。

 ところで、パソコンの文書フォルダーの中身を開けない。どうやってもダメだ。精根尽き果てた。そんなわけでブログに挙げるべきことがあるのだが、サボらせていただく。メールに添付したら素直に送れた。ひとまず喪失していなければ、よろしい。フーム。今日は9月18日、1931年9月18日の満州事変から88年も経つのだ。

 

2019年9月17日 (火)

当ブログの画像は終了しました(190917)

 先日当ブログ(「ヤマヒデの沖縄便り Ⅲ」)は近日終了と書きましたが、昨夜、画像の容量が一杯となりました。此にてオシマイ(続く)としたいところですが、今何本かの原稿を抱えていて、新たなブログを即立ち上げられない。よって暫く原稿のみのブログを続けます。恐縮ですが、ご承知ください。また8月末に出かけた「本州縦断の旅」も完結していません。これも次に引き継ぎます。もうしわけありませんが、よろしくおねがいいたします。

 なお次のブログはタイトル名ほかを変えての再出発にするつもりです。どれだけリニューアルできるかわかりませんが、新たな決意で取り組みます。無論新たなものができた際には、当ページからも見れるようにします。

水陸両用装甲車が激しく走行を繰り返していた(190916)

2019年9月16日(月)晴れ

朝からシュワブのハマから水陸両用装甲車の唸る音、きしむ音が聞こえてきた。日本では3連休だが彼らのカレンダーは違う。

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3両いたが、1両は戻っていった。波をキャタピラで巻き上げながら走る。8:32

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でこぼこ道を行く。8:38

しばらくするといなくなったので引き上げたら、また始めた。お昼頃まで。

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その脇にはグンバイヒルガオが静かに咲き誇っていた。8:40

浜はこうでなければいかん。

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午後になると潮が引いた辺野古川河口で遊ぶ犬たち。濡れた足で飛びついたら汚れるだろうに。14:22

この後、この2匹は炎天下の干潟の上で座り込みを始めてしまった。何があったか?

犬にも個性があり、思いがあるのだということはわかった。

 

時々激しい雨に(190915)

2019年9月15日(日) 曇り時々激しい雨だ。

私は那覇から戻ってきた。那覇では降っていなかったが、高速の途中から降り出した。宜野座で「77番」に乗り換えた。下りるとき運転手さんに傘あるの?とご心配いただいた。

辺野古バス停に下りたら一部が川のようになっていた。サンダルじゃぶじゃぶだった。

このとき私は気づいていなかったのだが、「雨大丈夫?」とメールが届いていた。テント村の人からだった。迎えに来てもらえば良かったのか。

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沖に雨雲。こっちにも来るぞ。また降るのか! 11:19 降りました。

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ミナミコメツキガニを食べるキアシシギ。14:24

シギがどこまでこちらに近づくかは、潮の干満による。砂中の水分含有率によってミナミコメツキガニの多い少ないがきまるようなので、私が幾らお願いしてみても近づかないときは近づかない。

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テントのすぐそばにきたイソヒヨドリ雌 14:32

どういうわけか、イソヒヨドリもテントに近づく時期がある。観察していると、なーるほどと思うことがあるのだ。

来訪者の少ない、時々強い雨の一日でした。

 

 

 

 

 

2019年9月16日 (月)

3連休初日(190914)

2019年9月14日(土) 晴れ 今日からゲート前の搬入も護岸での工事もない3連休。

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そんなわけでカヌー練習だ。辺野古河口にブルーの船が入る。9:19

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風もなく暑さ満点にあえぐ。テントの裏手 10:53

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カヌー練習終了。11:07 ここじゃ当然。

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カヌーの跡を横切るキアシシギ。12:37

 

 

 

 

 

 

 

2019年9月15日 (日)

津嘉山正種「沖縄の魂 瀬長亀治郎物語」をみてきた(190914)

 昨夜、2019年9月14日、那覇市内にある沖縄タイムスホールで、津嘉山正種さんの一人朗読劇「沖縄の魂 瀬長亀治郎物語」を観てきた。会場は補助席を含めて一杯だった。

 私は津嘉山さんの芝居を観るのは初めて。どんなかなと思って出かけた。開始のブザーが鳴り照明が落とされ、津嘉山さんが舞台に入場。彼は初っぱなに舞台に入りそびれたようだった。ベテラン俳優も緊張しているのだ。おじいちゃんがお孫さんに瀬長亀治郎の追っかけをしていた経験を説明し、舞台設定が会場の私たちにわかる頃から彼はこの役柄(対話形式)に乗ってきた。以降、私はほっとして、時に緊張感を持ちながら聞くことができた。

 亀治郎が当時の那覇市民など沖縄の人々の支持・信頼を得て、如何に闘ったのかが、にじみ出る朗読劇だった。特におじいちゃんと孫との会話を通じて、亀治郎の言動を追うため、亀治郎の発言ばかりかその時代性を裏打ちするもが出ており、当時を知らない私たちの心にも染みたのではないか。また、復帰前の彼は、沖縄の人々の声をひたすら打ち出していた。2年間獄中に捕らわれて出所したときの万余の支持の声は彼を大いに励ましたはずだ。市民もまた一緒に闘えると励まされ鼓舞したはずだ。こうしたことは彼らが「共産党」ではなく「人民党」だった事がそれを物語っている。そして津嘉山さんが強調してやまないことは、今に至るも沖縄の現実は基本的に変わっておらんということだろう。ただここを解きほぐすためには、もっともっと2つの時代の考証を行い、明確に示すことが必要だろう。でもなんもかわっちゃいないのだというところは、観ていて、悲しすぎる。だからこそ、彼らの経験を引き継いでいく努力が重要なのだ。津嘉山さんのこの一人語りはこの意味で成功していると私は考える。

 余談ではあるが、会場に来た多くのお客様の中に、私の友人知人がどれだけ来ているかと思いきや、案外少なかった。普段現場に来ていない人たちが多かったことは、これからの可能性を示唆してくれるので、かえってよかったと思う。

 亀治郎の標語とされている「不屈」は亀治郎自身の不屈であり、なによりも沖縄県民の不屈だということも確認できた。だが復帰前と今の違いは、米国の支配から日本の支配になり、お金を積極的にばらまきながら分断支配していることが、より巧妙な支配になっていることだろう。これをオール沖縄の闘いとして跳ね返してきたのだが、まだまだであり、米日共同の支配を如何にして跳ね返すかが未だに課題なのだ。だからこそ私たちは「沖縄の魂」をリニューアルしていく必要があるのだと思う。

 15日も16日もチケットは完売しており、そうじて3日間でどうなるか。可能であれば沖縄県内で連続上演されることを期待している。

 なお、瀬長亀治郎の著書に「瀬長亀治郎日記」3部作がある。琉球新報社編。私も未だ読んでいないので、是非とも読んでみたい。否、読むしかないようだ。それは彼が、党派の人間であって、党派を超えたところに輝きがあったからだろう。

雨の辺野古川下流でセイタカシギ3羽を確認(190915)

 2019年9月9日、辺野古川河口でセイタカシギ1羽を確認し撮影にも成功していますが、翌日以降姿は見えなくなっていました。これが今朝、8:25頃、雨が降るなか、辺野古川下流(平和の塔下)でセイタカシギ2羽とその後を1羽が上流に向かって飛び去りました。潮が満ちてきたので上流に飛んだと思います。計3羽。

 午後、引き潮になったので再び現れないかと待っていましたが、来なかった。

 今年渡ってくるセイタカシギが多いのか、それともたまたま辺野古にも来ただけなのかはわかりませんが、貴重な記録です。北で繁殖し、南で越冬する旅鳥は、時々羽を休め、餌をとれる場所がなければ、渡ることができなくなります。この意味で、辺野古川河口・流域が寄与していることは心強い限りです。こうした自然環境をなんとしても残したいものです。

 

2019年9月13日 (金)

あいちトリエンナーレ2019 出展作家 表現の不自由展・その後 〈壁を橋に〉プロジェクト 今こそ集会

あいちトリエンナーレ2019 出展作家

表現の不自由展・その後

〈壁を橋に〉プロジェクト 今こそ集会

 

【発言者】

表現の不自由展実行委員会

●アライ=ヒロユキ(美術批評)

●岩崎貞明(『放送レポート』編集長)

●岡本有佳(編集者)

●小倉利丸(批評)

●永田浩三(武蔵大学教授)

 

9/15は下線のメンバー、9/17は全員予定)

●中谷雄二弁護団団長(9/15,9/17予定)

●李春熙弁護士(9/17

 

in 名古屋

日時:2019年9月15日(日)開場13時半、1416

会場:東別院会館2階 蓮・橘

(地下鉄名城線「東別院駅」4番出口より、西に徒歩約5

資料代:1000

 

in 東京

・ 日時:2019年9月17日(火)開場18時、18:3020:30

・ 会場:文京区民センター2階 2-A

・ 資料代:1000

 

【〈壁を橋に〉プロジェクト支援カンパのお願い】

中止発表以降の不自由展の保全活動を含む、再開のための様々な活動と、仮処分申し立てに関する費用がかなりかかります。全員東京在住のため新幹線だけでもすでに相当な金額になっています。趣旨をご理解いただき、どうかご支援のほどよろしくお願いします。

 

口座名「表現の不自由展実行委員会」

郵便振替:10140-94898811

ゆうちょ銀行 店番018 普通9489881

 

主催:表現の不自由展実行委員会

■ 問合せ:info@fujiyu.net

公式ホームページ http://fujiyu.net/fujiyu/

FB https://www.facebook.com/hyogennofujiyu/

ツイッター @hyougen_fujiyu

 

(呼びかけ文)少し長いですが、お読みいただければ

■8月1日に開幕した、日本で最大規模の国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」(以下、不自由展)がわずか3日で中止されました。この中止決定は大村秀章愛知県知事と津田大介芸術監督によるものです。作家たちへの事前通知もなく、私たち不自由展委員会と約束した協議もありませんでした。

 

■「表現の不自由展・その後」に対して人種主義や性差別、日本の植民地責任・戦争責任の否定を背景とした不当な攻撃があり、あいちトリエンナーレ事務局が大変な困難にさらされたことは事実です。しかし、こうした攻撃が日本社会でマイノリティにかかわる表現に加えられるという状況は、あいちトリエンナーレから始まったわけではありません。、そうした現状こそが2015年の「表現の不自由展」、そして今回の「表現の不自由展・その後」が展示を通して問題提起しようとしてきたものです。

 

■しかし、「表現の不自由展・その後」が中止され、再開されることのないままの状況は、結果的に不当な攻撃の効果を主催者自らが肯定し、後押しするものになってしまいます。

 

■作家や市民からは、理不尽な妨害、攻撃、脅迫への抗議し、再開を求める声が同時多発的に上がっています。それは日本を超え世界に広がっています。

 

■私たちは中止が発表された8月3日当日、その一方的中止に抗議し、それ以来一貫して展示の再開を求めています。しかし、あいちトリエンナーレ実行委員会・大村秀章会長との再開のための協議は実現していません。

 

■私たちは繰り返し協議を呼びかけ、今まで待って待って待ちづつけましたが、このままでは時間切れで会期が終了してしまいます。

なんとしても再開のための具体的な対策も含めた協議の場を作るために、仮処分申し立てに踏み切ることにしました。これがトリエンナーレ実行委員会と契約を結んでいる不自由展実行委員会が取りうる現実的な手段であり、小さな風穴をあける可能性にかけたいと考えたからです。苦渋の思いでの選択です。

 言うまでもなく、これは、市民の皆さん、作家の皆さんがそれぞれの立場から努力されている「再開のための行動」とともにあるものです。

 

■不自由展会場入り口を塞いでいる巨大な壁の向こうは、8月3日のままです。私たち不自由展委員会は東京〜名古屋を往復しながら交代で作品を守っています。

 

「壁が横に倒れると、それは橋だ」(アンジェラ・デービス)の言葉から、私たち不自由展実行委員会は、再開を求める行動を「〈壁を橋に〉プロジェクト」と命名し、再開に向けた具体的な対策も提案していきます。

■この〈不自由の壁〉を倒し、「表現の伝達と交流の場」を取り戻すのは、私たちです。〈不自由の壁〉を倒したとき、それは、民主主義の基本である表現の自由が守られる世界への「橋」となるでしょう。

 

 ともに知恵と力を出し合っていきましょう!

 

 

 

 

2019年9月12日 (木)

「ヤマヒデの沖縄便りⅢ」も終わりに近づいてきました(190912)

 ブログには容量があり、2000mbのうち既に1997mbになってしまいました。このⅢを始めたのが2018年4月でしたから1年4ヶ月余り。皆様には、これまで大変お世話になりました。ありがとうございました。まだ次を決めていないのですが、多分新たな表題と形を考えようかと思っています。10月頃から心機一転始めようかと思います。こちらは文章を中心に今、暫く続けます(ほぼダブらないように)。

 思えば私が沖縄に東京から通い始めて30年が経過し、自分も歳をとりました。何しろ半世紀余りを語れる歳になっているのです。沖縄の名護に居を移してからも丸6年が経ちます。多くの人々によるご協力や励ましがあったればこそ、今日までやってこられました。沖縄を巡る闘いは、次なる局面に変わります。ぼやぼやしていたら、私たちは丸ごと奈落の底に転落させられてしまいます。ここはしっかりと落ち着いて、いきましょう。一人一人は微力でもお互いに手をつないでいければ、負けることはありません。ただ、ちょっとした行き違いが、お互いの信頼関係を壊してしまいかねません。だからこそ、いつも余裕と思いやりが大切ですね。

 最近では辺野古川河口でセイタカシギを見たり、ミナミコメツキガニを巡るバトルを観察したり、お互いに生きることは大変なのだと痛感させられています。私たち人間がもう少し欲を捨て、謙虚に生きれればいいのですが、難しいですね。

「改憲や、ああ改憲や、改憲や」の安倍の内閣改造(190912)

 台風15号が関東地方・千葉県各地に爪痕を残す中、安倍晋三首相は内閣改造を行った。さぞご苦労なことでした。結果は予想通りの顔ぶれ。高市早苗が復活し、茂木俊充が外務大臣に流れ、河野太郎が防衛大臣だぞ。出ました萩生田光一が文部科学大臣。初入閣組が19名中13名もいる。70歳以上の初入閣が4名だ。最後のおつとめか。

 なんのことはない。「改憲や、ああ改憲や、改憲や」ということでしょう。これじゃ松島が泣いている。先の参議院選で改憲派は3分の2を下回ったが、安倍たちは改憲に固執。無理に無理を重ねてでもやるつもりでしょう。このための素材が沖縄と韓国敵視策。自衛隊を憲法に明記するとは、将来的な【我が軍】をつくること、だからこそ、個人の人権や自治など踏み荒らす。国家優先であり、大日本帝国が行ってきた過去をなかったことにする。軍事産業の儲けを我がこととする。

 「安定と挑戦」を掲げているそうですが、俺たちの安定であり、そのための挑戦に他ならない。その心は独裁だ。

 小泉進次郎が環境相だと言うのも笑わせる。彼は環境について何か知っているのか。人間も酸素を吸って、水を飲んで生きていることすら自覚してないのじゃないのか。こういう者たちが省庁のトップを務まるのは、よほど官僚組織がしっかりしているからだろうが、官僚たちのお仕事も、みくびられたものだ。

 環境庁ができたのが1972年だから、沖縄返還(沖縄併合)と同じ年限が過ぎたわけか。私もこう書いていて気づいたのだが、いかなる縁があるのだろう。政権にとっては2大アキレス腱かもしれない。他方、災害が多発し激甚化していても安倍政権は知らぬふりだし、統括する省庁もない。国家公安と防災を兼務する、自衛隊の組織力に頼り、あとは野となれ山となれ。「自助」と言いながら国家の出番だけは確保している。

 改憲・改憲と叫ぶ(どこで)連中に対して、私たちが主権者ですと言い切らなければならない。何事であれ、そこからしか出発できないようだ。他人任せにしていては、またぞろお国が絶対に戻ってしまう。

 沖縄は形あるものだから、そうはさせない! 河野太郎君については別項で書くか。

玉城知事の大浦湾にて(190911)

 2019年9月11日午後、既報の通り玉城デニー知事が辺野古・大浦湾を巡った。沖縄タイムスが報じるところでは以下のようだった。辺野古側の埋め立て土砂投入現場をリーフの外から双眼鏡でのぞき、大浦湾ではゴムボートに乗り、軟弱地盤の地点や希少サンゴの移植候補地について、職員から説明を受けたようだ。ハマサンゴやアオサンゴも直接観たようだ。

 うるま市の石川漁港での記者会見で、「生物多様性豊かな海域であると改めて認識した。相当量の土砂を投入するという工事が際限なく予算を投下する一方、環境に与える影響は計り知れないと実感した」とある。素直な感慨だろう。もっと早く観るべきだった。矢張り実際に体験しなければわからないことが多すぎる。それだけ自然環境とは緻密で繊細なものであり、多様性がなければ、お互いに生存できないのだ。工事は自然を単にぶち壊すだけに留まらず、海の多様性を根本から潰してしまうのだ。沖縄防衛局が口を開けば繰り返す「環境への影響はありません」こそ、根本的なウソの塊だ。

 玉城知事や県の幹部は可能な限り繰り返し現地を観てほしい。一度観たからわかったつもりにならないでほしい。人が二度や三度の試みで体験したり聞いたところでわかっていないことだらけなのだ。私たち人間が自然を理解しているつもりになっていることじたいが、奢りの表れに他ならない。デニーさんは、そこまで踏み込んだ知見をアピールしてほしかった。

玉城デニー県知事が辺野古・大浦湾の海上にやってきた(190911)

 2019年9月11日(水) 晴れ 暑い

 今日の海上行動は急遽変更に。安和は石炭の積み込み船が入っており、土砂の積み出しはない。午前中限定で辺野古でやると。午後はカヌーに付く船が手配できないらしい。

 久しぶりにカヌーがすぐそこで抗議行動を始めたので、私は松田浜に移動した。

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すると業者みたいな人が2名、前に来ている。何かな? よくわからなかったが、写真で見たら、沖縄防衛局の職員のようだ。何しにきたのだろう。8:57

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漁港の護岸に上がる。南西を振り向けば、金武湾の石油タンクがくっきりみえる。9:11

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K-1護岸の消波ブロックは、どうも36個になっている。9:12

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K-2護岸辺りにいるカヌーの皆さん。奥は海保のGB.9:13

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根固め袋材を下ろす。9:13 

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一方で、こちらも問題。漁港と外洋への航路を浚渫した集積地の一つ。大雨が降る度に浜に土砂が流出。税金の無駄遣いと自然破壊をどちらも一緒か。9:14

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これ(電信柱3本の上の台地)も同じく集積地。ここ滑走路予定地の延長上じゃないか。飛行場の誘導灯の形状にそっくりだ。9:14 こんな偶然ってあり?!

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K-1護岸前テトラポットを落としている。9:17 やめろ!

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いったんテントに戻ったら、今日も海兵隊のハンビーが出てきた。7両。9:36

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テントの中の椅子に今日生まれたばかりのカマキリが一匹。体長2cm。10:14 

午後、実はこれから玉城知事がこの海にやってくるのだと。事前に教えてくれよ!

というので、私の目を海に注力していた。

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来た!県の船「はやて」13:47 SPEEDダッシュ!

即、無線で我らの船に連絡。

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上を見れば、こいつは米海軍のP-8対潜哨戒機。東へ。13:50

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はやて、巡視船の前を通過していく。13:52

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通過していく。漁港内はODB(沖縄防衛局)の船。基地建設推進の2隻と反対のはやて・玉城デニー知事。シンボリックな絵になった。13:55 こういうのを重ねる視点が我ながらいいね。 

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知事はこうした海をどうみているのだろうか?13:55

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9日~ここにいる海上保安庁巡視船PL09「くにさき」第7管区(福岡)から出張中。9日に気づかなかったのだけれど、辺野古側にいるのは、工事が辺野古側のK1-3になるからなのだろう。そうでしたか。だからこそ、 返れ! 14:40

 

  

2019年9月11日 (水)

土砂投入が再開された(190910)

 2019年9月10日(火)晴れ 暑い

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テント内にいたら突然の轟音にたまげつつ、カメラを上げた。9:50

KC-135空中給油機が沖合低空を東に飛ぶ。

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9:50 クレーンの上を掠めるかのように。それはオーバーだが、この機種がこれほど低い位置を飛ぶのを私は初めて見た。

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土砂運搬船と資材置きの台船とランプウェイ台船がおそろいでやってきた。11:31

この写真の右の小舟はタグボート。

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干潟で自然観察中に豊原上空をオスプレイが飛んだ。3機。12:54

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再びランプウエイ台船と土砂運搬船が入る。13:08

今日は海上行動のメンバーは安和に出かけているので、対応できず。

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松田浜に出た。K-1護岸前に消波ブロックを置いている。13:28

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今度もランプウエイ台船と土砂運搬船。13:31

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海兵隊のブルドーザーが出てきた。13:39

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K-1護岸で消波ブロックの存置の作業が進む。13:40 23個目か。

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海兵隊の機材が砂を下ろしている。台風ででこぼこになったところを整地するようだ。13:48

ダンプ&ブルか。

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漁港側にミジュンがごまんといる。13:53

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フェンスの下で観光客が撮影としゃれ込んだ。ガードマンが上からオイオイと。後方では整地作業が進められている。  13:54 彼は無事に引き返した。ヒヤッとする場面だった。

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とうとう土砂投入が始まった。埋め立て再開だ。14:55

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K-2にコンクリートミキサー車が入ってきた。15:24

◎自然観察の件は別稿にて。

 

 

  

昨夜は、ダウン休(190911)

 昨夜は21時30分にダウン。9日にセイタカシギの観察記録をあげ、昨日も観察記録をバッチリ撮った。だが酷暑の中だったので、バテた。結果としてこうなった。今朝はいつもより早く起き、2本書いた。今日は昨日の続きの記録を撮れた。自然観察を重ねても新基地建設を止めることはできないが、こうした自然があるところだよと言い続けていきたい。

 今日の昼にある船長がこう言っていた。埋め立ては、1%程度だと、容積比から説明されるが、自然環境への影響で言えば、4割ぐらいじゃないかと。一面だけで云々すべきじゃないと。私も同感。この問題はいくつもの視点があり、単純にはいかない。①新たな基地ができ、戦争準備が強化されるという問題。②自然環境の破壊であるという問題、③基地被害が減るどころか増強されるだろうという問題。

 さらに続けてみよう。④国家財政が一部の連中だけの儲けになるだけで、税金が主権者であるはずの私たちをスルーし無駄に使われているという問題、⑤沖縄は捨て石にされ、「日本」はいつまで米国の属国なのかという問題。⑥民主主義って何だ、人権てなんだ? 住民の自治とは何か? 地域経済を立て直す中から、人はもっとまともに生きていけるのではないかという問題。

 このどれをとってもあなた自身の問題じゃありませんか?! 私にとっては、50年あまり前に気づかされた自然環境の問題があるからこそ、未だに多義的になりながら今日まで半世紀を語るまでになったいる。悔しいけれど、だからこそしぶとく頑張れる。

 今日県内の学生に聞かれた。基地の問題は若い人からスルーされやすいのだが、どうしたら若い人に伝えられるのかと。オイ!、それは君たちが考えるべきじゃないのか。しかし私たちにも責任があり、私が考えていることを2点にまとめて説明した。なかなか十分な答えは得られないが、改めて考えるべき事であることは間違いない。

 ある高校の文化祭に私の沖縄の写真を寄せることになっており、イントロに高校生に向けた文を書く。これと併せて、考えをまとめてみたい。

移植サンゴ一部死滅の報告(190910)

 2019年9月10日の沖縄タイムスにこうある。「移植サンゴ一部死滅」と。これは昨年の8月に沖縄防衛局が強行したものの1年後の結果報告だ。環境監視等委員会の場に報告された。移植したオキナワハマサンゴ9群体のうち3群体が死滅ないし消失。防衛局は台風のせいにしているようだが、夏の海水が高くなる時期の移植は特に危険としたサンゴ学者の指摘を無視した結果でもある。

 サンゴの海は移植という外科手術では救えないことは明らかだ。そもそもこの海を壊すことを前提にした「保護」など端からナンセンスなのだ。サンゴの海に軍事基地を造ろうというおごれる者に明日はない。

9月集中行動から(190907)

 2019年9月7日(土) 曇り 毎月第一土曜日は辺野古集中行動日だ。私もゲート前に上がった。

10時30分頃、上がったら、事前集会が賑やかに行われていた。各地からバスで来ている。

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オール沖縄会議共同代表の高里鈴代さんが開会の挨拶。11時

集会はいつもどおり、国会議員(沖縄選出の全員出席)、県議と続いた。

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7月に参議院議員なったばかりの高良鉄美さん。それらしく見えるから不思議なものだ。今度ハワイに行くと。ハワイでは先住民の土地に勝手に天文台建設をしようとしていることに反対している先住民の皆さんと交流してくると。こうした闘いから学ぶべきことがあるだろう。

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屋良朝博衆議院議員。彼は渡米報告。堪能な語学力と専門知識を活かして、沖縄のことを訴えてきたようだ。米国の中で、基地を減らすアクションが始まるようだ。こうした動きと沖縄が連携していけるように働きかけたと。

 

他に赤嶺政賢、照屋寛徳衆議院議員、伊波洋一参議院議員、糸数慶子元参議院議員も発言。

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土木技師の北上田毅さん。国はいよいよ軟弱地盤が広がる大浦湾側の動きを始めたことを報告した。沖縄防衛局が作った技術検討委員会がお墨付きを与えるためのものに過ぎないことを指摘。県と共に頑張ろうと。

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フェンスの中では軍警がメモをとっていた。12:04

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最後は「辺野古に行こう!」のダンスだ。

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フェンス側でも。この感じ、いいね。

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糸数慶子さんもお元気だった。今後も活躍を期待しています。

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団結頑張ろう。闘いはまだまだ続く。勝つまで続くのだ。

今日の集会は、一人一人の取り組みが見え、可能性を予見できるものがあった元気の出る集会になった。750名が参加していたと報告された。

ちょっと反省(190911朝)

 台風15号が関東地方を抜ける(予報)と聞いて、私はごく親しい者に停電と断水対策を講じるようにメールで伝えておいた。台風のコースはそちらをはずれたので、さほどの影響はなかったらしい。それはよかったのだが、千葉方面が大きな被害を受けたようだ。

 人工の密集する都心部での被害は、また違う形になることも予想できるはずだ。的確な予報と予想なしに迅速な対策はできない。自分もブログで何をすべきだが書いておけば良かった。停電になってしまえば、パソコンもインターネットも大きく影響を受けるので、事前の注意が重要だ。ちょっと反省している。

 因みに停電になると言うことは、冷蔵庫も止まる。生ものは傷む。これ必然なのだ。だから確保して置く食料はこうなっても大丈夫なものも置いておかないとダメ。お子さんのいる世帯など特に死活問題だろう。

 それにしても鉄道が止まる中で、無理無理して通勤に向かう姿は哀れだな。行く手立てを考えるのではなく、休む手立てを考えたら。あるいは生活を確保するための対策を考えるのが先でしょ。あなたが一日出勤しなくても「仕事」は破綻しないから。無理して出たら「まともな会社員」、出なかったら埒外との評価を変えるべきだろう。

 安倍政権による内閣改造の話が話題だが、台風対策やれよ。台風は地震じゃないんだから、ある程度予想できるのだ。内閣のことが、身内のことが、願望である改憲が大事だと書いてある内閣改造騒ぎだな。彼らこそ反省すべき台風15号事件だったな。否、過去形じゃない、現在進行形だ。

2019年9月10日 (火)

コンサート・自由な風の歌14「南の海 貝はうたう」(191006-東京)

 主催:コンサート・自由な風の歌14実行委員会

日時:2019年10月6日(日)14時開演

会場:杉並公会堂大ホール(荻窪駅北口7分)

前売り 2500円 当日3000円 高校生以下100円

問い合わせ/申し込み ℡・fax 03-3998-3685 伊東

 

主な曲目:J.S.バッハ「シャコンヌ」無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番より

B.バルト-ク「コントラスト」(バァイオリン・クラリネット・ピアノ)

「平和の琉歌」「見果てぬ夢」メドレー

林光「ティンサグヌ花」「ベーベーぬ草刈が」

  「新 原爆光景 あるいは平和の使徒たちの行列と死者たちの歌」原民喜・林光 詩

  「日本国憲法・はじめのことば(前文)」「第9条」

 

崔善愛(企画構成・ピアノ) 飯村孝夫(合唱指揮) 戸島さや野(ヴァイオリン) ダヴィット・ヤジンスキー(クラリネット)

上原なな江(打楽器) 自由な風14合唱団(教職員と市民有志による)

 

◎沖縄から駆けつけたかったけれど、無理。でも、勇気をもらえるコンサートだと思います。日の丸/君が代反対運動に対する処分攻撃に抗してきた人たちによる実行委員会が14回も続いてきたことが、不屈の道しるべ。時には力を抜いて、入れ直して、いけるコンサートのはず。応援してます。(ヤマヒデ)

2019年9月 9日 (月)

辺野古テント村復旧しました(190909)

2019年9月9日 晴れ 暑い 

 昨日の悪天候がウソのよう。おかげさまで、テント村(テント2も)完全復旧させました。あちらは、ランプウエイ台船が来ていないので、今日の埋め立て工事はなさそうだ。新聞記者さんが「ないのですか?」ときくので、「ないでしょう」と答えたのですが、腑に落ちないらしい。

 来訪者が午前中続出。テント立ち上げた頃からおいでになり、一休みするまもなく説明に入る。

 

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 11時頃、シュワブの浜で水陸両用装甲車が陸の上を爆走。松田浜に様子を見に行ったが、いなくなっていた。走り回った跡はある。11:08

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ちらとみたら、これだ。デカイテトラポットが2個。釣り下ろしているところだ。11:09

何をするつもりか?

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海上行動は中止と聞いていたが、カヌー練習をやっていた。11:26

あちらの工事がないのだから、中止はあたりまえ。ブルーの船でK8,K9護岸を見に行った。動きなし。

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台風13号であげられたゴミの山。11:28

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k2護岸にコンクリートミキサー車が入ってきた。12:31

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今日はこれで楽しみました。セイタカシギ。テント前。13:04

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漁港の中にミジュンの群れが入っている。巡視船がやってきた。PL09 「くにさき」だ。14:25

暑い暑い一日だった。巡視船が来たと言うことは明日からまた工事が始まる。

午後も水陸両用装甲車が浜で訓練。

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15時過ぎ。テント脇から撮影。バギーかと思えば、ハンビーだ(6両)。何をしている? 台風で荒れた場所での走行訓練だろう。

追加:先日窓枠を落下させたCH-53の同型機が辺野古沖合を2,3回飛んでいた。沖合いすぎて撮影していないが、北部訓練場に向かったもよう。

 

 

 

 

 

 

辺野古川河口テント前にセイタカシギが来た!(190909)

 2019年9月9日 晴れ 暑い 長潮 干潮:10:25 満潮:17:18(那覇港 辺野古では約40分の誤差がある)

長潮なので干満差が少ない日。ひょっとみたらそこにセイタカシギが1羽。

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やや遠い。急いでカメラを取りに行った。光もイマイチ。12:21 でもテント前です。私がカメラを構えても逃げない。

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12:26 光が良くなってきた。後方はキアシシギ。ミナミコメツキガニを食べています。

周囲の人も細いね、きれいだねと、言ってくれるのだが、「アシナガシギ?」とか訊くから、「違う。セイタカシギ」と何遍も答える私。

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長いくちばしでミナミコメツキガニを器用に持ち上げる。13:04

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13:20 潮が満ちてきたが、足が長いし、平気平気。近づいてきた。

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13:51 セイタカシギの雄。

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13:54 あくまでも優美に。テント前でじっくりセイタカシギを観ようとは思いませんでした。

もしも群れでここにきたら、新聞社などに連絡します。

因みに私のセイタカシギの今年の観察は、4月の石垣島、5月の与那国島のみです。ブルービーチ周辺の水田(金武町)や漫湖(那覇市)などにもやってきますが。

 

 

 

 

 

沖縄と共に声をあげよう 横田基地もいらない!市民交流集会(191005)

日時:2019年10月5日(土)12:00 12:30開演

会場:福生市民会館大ホール

https://fussa-shiminkaikan.jp/

プログラム:

平和の歌声:三多摩青年合唱団

鼎談:テーマー激変する横田基地の様相

   布施祐仁(ジャーナリスト)

   寉田一忠(市民交流集会実行委事務局長)

   小柴康男(軍事情報アナリスト)

2019年7月から第21特殊作戦中隊として発足。従来に増して激しい訓練が懸念される。

横田基地に航空宇宙戦略センター(AOC)設置の計画が浮上、戦争司令基地への変貌。

繰り返されるC130Jの編隊飛行、低空飛行訓練、パラシュート降下訓練 連続する事故

無人偵察機グローバルホーク配備の準備が着々と進行

 

主催:横田基地もいらない!市民交流集会実行委員会 連絡先 080(8721)7177 岩田

緊急シンポジウム「辺野古のたたかいの今と展望ー2つの裁判の埋め立て工事」

発言

①辺野古新基地建設阻止のたたかいの今と展望 紙野健二さん(名古屋大学名誉教授)

②何を問う裁判なのか、2つの裁判の関係について 仲西孝治さん(辺野古弁護団)

パネルディスカッション

日時:19年9月29日(日) 13:30~16:30

会場:沖縄県市町村自治会館(2階)

主催:辺野古訴訟支援研究会

後援:オール沖縄会議・うりずんの会

問い合わせ:琉球大行政法研究室 henokoshienken@gmail.com

 

◎国と県の法的対抗がまた始まっています。昨年沖縄県が行った埋め立て承認撤回に対して国は行政不服審査請求で無効に追い込み工事を再開してきました。沖縄防衛局(国)は、法の趣旨を勝手にねじ曲げ、事業者と「私人」の2つの立場を使い分け、都合良くたち振る舞っています。この欺瞞を明らかにしなければ、沖縄は法的には如何ともしがたいかのように置かれている。この理不尽を如何にしたら払拭できるのか。「裁判所は法治主義に則って適切に判断せよ!」との憲法上、道義的にも当然のことが無視されている中で、私たちは何をどうすればいいのか?

 このさき、大浦湾側の埋め立て工事に着手しようとしてくる国に対して、これを止めていくためにも緊急な課題です。(ヤマヒデ) 

 

平和学習連続講座「平和を築く主権者教育」(190920)

第1回「沖縄と憲法」

日時:19年9月20日(金)19時~20時30分

会場:教育福祉会館3F大ホール(那覇市古島駅近く)

講師:高良鉄美さん(参議院議員 元琉球大法科大学院教授【憲法学】

 

「政治は私たちとは関係ない」と思っていませんか。

政治の主人公はわたしたちです。

フェイクやヘイトに惑わされず、自分で考え、行動することが大切ではないでしょうか。

再び戦争への道を歩まないために!

 

第2回 10月18日(金)「何故今改憲なのか?」

第3回 11月22日(金)「世界の主権者教育」

主催:沖縄県高教組教育資料センター

 

◎この大きなテーマ(「平和を築く主権者教育」)の中で、この3回の連続講座。沖縄で考えるべき事、今に流れる改憲潮流の動き、だから主権者教育はどうあるべきなのかを考えることは極めて重要でしょう。絡み合う暮らしと歴史と政治を目に見える形に据えて考えるべき時代です。(ヤマヒデ)

 

国の『違法』を許さない!住民の訴訟 第4回口頭弁論へ(190926)

 辺野古・大浦湾周辺住民16名による裁判。沖縄県による「埋め立て承認撤回」に対する国土交通大臣による「執行停止」の取り消しを求めて」提訴した訴訟は、4月5日の国交大臣による不当な「裁決」をうけ、裁決の取り消しと執行停止を求めて続けらている。裁判では原告適格、行政不服審査法を悪用した沖縄防衛局の審査請求の違法性、請求を認めた国交大臣の裁決の違法性などが争点となり、今回の弁論では、沖縄防衛局の「私人なりすまし」に対して原告代理人(弁護士)が反論します。

 (中略)

 今回の原告意見陳述は、地元の新基地建設反対運動の中で育った瀬嵩(せだけ)の渡具知武龍(琉大生)が行います。

日時:19年9月26日(木)

       10時 那覇地裁前 城岳公園集合

       10字30分 第4回口頭弁論(那覇地裁101号法廷)原告意見陳述 渡具知武龍

    終了後、城岳公園で報告集会

 訴状原告団【団長:東恩納琢磨 連絡先:090(4409)1682 田仲】辺野古弁護団

2019年9月 8日 (日)

今日の辺野古テント村はテント2で(190908)

 2019年9月8日 雨のち曇りのち雨

 昨日から、辺野古テント村はテント2で座り込み。昨日テント2のメインテントだけ設営。

 今日は朝からバス待ちの時間にどっしゃり濡れた。運転手さんに同情されてしまった。

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物静かに時が過ぎていく。11:29

去年の夏と今年の夏の来訪者の数を比べると明らかに減っている。全体状況が悪くなりすぎている。

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いつのまにかの土砂降り。3m先の車にも乗れない感じ。12:54

16時前までおりました。

 

明日の浜テントの復旧はむりかもしれない。今夕の買い物時、どしゃんぶり。雨が降り風に煽られ、全身濡れた。明日は下手をするとテント2でもやばいかもしれない。海上行動などもってのほか!

本州縦断の旅⑪ー大館駅近くの映画館 御成座で「新聞記者」が上映されていた!(190825)

 2019年8月25日 午後になり晴れてきた

 予定通りの列車で秋田駅を発ち、大館駅に到着。約2時間。宿までどう行こうかと悩んだ末に歩くことにした。駅から2本目ほどの通りに御成座(おなりざ)なる映画館を発見。なんと「新聞記者」をやっているではないか!

 感激、感激! 失礼ながら地方都市に残されていた(いや、2014年に復活された)映画館がある。最高ですね。私は既に観ているので観なかったですが(失礼しました)、嬉しかった。

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この上の看板をみて唸った。思わずザックを置き撮りました。15:45

まだ上映中です。(~9月16日)詳細は以下。

onariza.oodate.or.jp

こういう場所は知のプラットホームと呼ぶべきですね。一人で盛り上がってしまいました。

余談ながら、このあと、宿が見当たらなくて探した探した。電話して聞いたが?? 思い込んでしまうと、見えるものが見えなくなってしまうものです。早くも薄暗くなり、吹き抜ける風が冷たかった。

 

 

 

 

本州縦断の旅⑩ー秋田市にイージスアショアの予定地を見て回る(190825)

 2019年8月25日 曇り 秋田の朝は涼しかった。

 今日はまず陸自秋田駐屯地を観る。第21普通科連隊。新屋の演習場は同部隊などの演習場だ。次に秋田港を観る。本件に関連して秋田港が重要なのは2つ。この港にミサイル等の軍事物資が運び込まれる。イ-ジスアショアの運用は日本海と太平洋側での海自のイージス艦の展開との統合展開になる。イージス艦が秋田港に随時入るようになるだろう。太平洋側の港も候補地があるはずだ。

 予想通り秋田港は「適地」だった。岸壁の長さ、水深、広さが戦闘艦や貨物船が十分使用可能だ。

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これは秋田ポートタワーの看板。岸壁の水深は13メートル。恐れ入りました。これでは米海軍の空母でも接岸できる。

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ここはフェリーターミナル。長さ700m。水深13.9m ここにクイーンエリザベス号も今年入港している。9万トン余りある船だ。(約100mの階から撮影)

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これは北西側の岸壁。長さ250mほどある。

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タワーから南側(旧雄物川上流)を観る。右上の煙突モクモクは製紙工場。その左奥が新屋演習場だ。煙で見えない。9:37

それでは新屋演習場に向かう。ポートタワーから新屋演習場最北端まで3250m(直線距離)。演習場は南北に5000m弱。東西に750m(幅広のところで)。

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周囲の道路を車で走る。フェンスの中が演習場。風力発電機が見えるだけ。10:24

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ここも中は見えない。10:28

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西側の道路。左(海)に防風の柵が。右側が演習場。

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イージス・アショア反対のポスターが出ている。

この演習場の何が「適地」なのか? ①秋田港かに近い、②陸自演習場の中であり、周囲をきにせずにできる。中を見られる心配がない(軍事衛星には丸見え)。

しかし、①道路ひとつ隔てた周辺(東側)に住宅街が広がる。小中学校、高校、特別支援学校、児相、障害者施設が固まってある地域。②県庁・市役所(両隣)まで3000m。住民の安全を何も考慮していないのではないか。

 因みに新屋地区だけでも人口は15000人余り(18年度)、秋田市全体で306321人(19年8月Ⅰ日現在)

 確かに東アジアの地図を広げれば、北に朝鮮民主主義人民共和国、中国、ロシアが広がっている。だからミサイルを撃ち込まれたら、安倍政権はここらで迎撃するというのだが、本気でミサイル合戦になりそうならば、まずここを叩いてくるよね(多分潜水艦からほぼ同時的な攻撃)。それがセオリーというものでしょう。周辺部の住宅街や秋田市の都心部に着弾しないと考えるのが非常識だ。夜間だろうから学校には人はいないかもしれないが、施設や住宅には多数の人が暮らしている。深夜或いは未明にたたき起こされるかも。否、ターゲットはインド・太平洋統合軍基地のあるハワイかもしれない。だとすれば上空を通過するだけかもしれない。このために住民の暮らしが脅かされて良いのか。政府・防衛省の狙いは住民の生活圏を後ろ盾とした米国の「国益」を守る攻撃・防衛拠点ではないのか。私たちは、武力には武力でを排し、外交力で、民際外交の力で市民・住民の安全を守りたい。

 何事も現場を観る事が重要だ。ご案内いただいたKさんに感謝。地元のKさんもダメだと改めて納得していた。

 

 

 

2019年9月 7日 (土)

「国益」なのか「親善」なのか?(190907)

 沖縄にはモノレールを除けば鉄道はない。わたしはテレビをもたないし、パソコンでも見れるようにしていない。おかげで、日々愚劣なことで悩まされることが少ない。

 玉城デニー知事が昨日、こう呼びかけている。「日韓友好 推進しよう」と。「肝心(チムグクル)の地域間交流の推進を呼びかけ、自らが韓国に出向き、商談会や関係者との意見交流も検討していると明かした。

 その背景には、最近の日韓関係の常軌を逸した悪化がある。沖縄においても沖縄と韓国を結ぶ航空便が縮小し、韓国のプロ野球球団が沖縄におけるキャンプを中止する方針を出している。玉城知事は「経済面のみならず、文化・スポーツ交流までもが萎縮し、各方面へ損失が広がるという負の連鎖が起きる」と強調したようだ。

 日本政府は、韓国司法の「徴用工問題」への判決への介入があり、1965年の日韓会談で、全て解決済みとする一方的な解釈を強めている。その裏には、大日本帝国が犯した罪を認めない開き直りと大国意識の亡霊があるからだろう。そもそも論になるかもしれないが、1894年-95年の日清戦争も、1904年-05年の日露戦争も朝鮮半島の領有を巡る戦争であった。そして大日本帝国は1910年、朝鮮半島を植民地支配した。戦後日本国家は、この一連の歴史をごまかしてきたが、安倍政権は過去の負をすべて覆い隠したいのだ。

 そこにべったりと貼りついているのが、1868年以降にできあがっていく近代天皇制であり、政治責任を徹底的に曖昧にしていく仕組みを権威づけながら、侵略と侵略戦争を重ねてきたのが日本という国だ。

 こうした戦後日本国家の勢いを韓国政府は観ているのではないか。堪忍袋の緒が切れて日韓軍事情報包括保護協定を破棄するまでに至ったのだ。ここに同盟関係の終わりが見え始めてきた。この先の両国関係がどうなるかは、まだ見通せない。そこにマスコミまでもが不埒な差別心丸出しの煽動記事を載せたり、番組を垂れ流している。

 新聞労連が抗議声明を出した。http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/20190906.html

 いくらなんでもやめるべしなのだろう。当然だろう。それにしても「国益」とは何か? いかなる実際の国益があるからやっているのかを安倍政権は明確に示すべきだろう。過去の汚点を隠すだけならば、今更何が国益なのか? 戦争に負け、植民地を手放さざるを得なかったことが、悔しいのか? 

 日本という国は、軍事力を削られ、1947年「平和国家」になりましたといっても、自ら反省することをサボってきたからいつの間にか軍事力を復活させ、2014年には集団的自衛権まで合憲化するまでに至ったのだ。再び武力で他国をいたぶるだけの力を持ち、力の政治をもってしまった日本。

 政治の中に歴史問題は隠れているが、私たちはこれを明らかにして、どこからどこにむかうのかを定かにしていかなければならない。悪戯に対立を深めていては、人類の歴史を汚すだけだ。国家の力を肥大化させようとすればするほど、生物に他ならない人間は、傷を負っていく。地球規模の環境破壊も、自然災害も年々激しさをましている。こうした事案に対して、軍事力では、何ひとつ解決不能だ。また、国境というバリアを押し下げ、共生の心をもたなければ、お互いに救われない。

 無意味な対立を避け、落ち着いた親善友好をわたしは求めたい。対立を煽れば煽るほど、無意味な「国益」がもたげ、純化すればするほど一方的になり、暴力による衝突が生じてしまうだろう。そうなってしまってからでは遅いのだ。日本では先行するヘイトスピーチも横行してきたが、まだ沖縄では抑制されてきた。

 沖縄県は自然と調和し、国内外の他地域の文化に敬意を表しつつ、交流し、共に支え合い共生する優しい社会を目指した「肝心 チムグクル」の政策を推進しているという。

 私たちは、この道に自信をもって共に歩き出そう。

◎蛇足ー先日、韓国産のカボチャを買いました。野菜類は原則沖縄産を、せめて国内産に決めています。この時期の沖縄には、カボチャはありませんから。

秋田と言えば?(190907)

 本州縦断の旅もいよいよ後半戦に入る。2019年8月24日(土)の秋田から。今回は広島ー新大阪ー大阪伊丹飛行場ー秋田空港と移動した。このフライトはやや遅れたが、1時間ちょっとだった。これはわたしの偏見かもしれないが、予想外に近いのだった。大阪ー東京(550キロ)東京-秋田(約450キロ)計1000キロだが、大阪-秋田間の飛行経路だと811キロだとANAは記載していた。

 なんだか得した気分になった。今回の旅で秋田に寄るのは、今イージス・アショアで話題になっていること、これに関心を喚起したのが地元紙である秋田魁(さきがけ)の報道からだと知ったからだ。それに秋田在住の方が昨年末、辺野古に来られ、わたしが沖縄島の基地問題の概説をした縁もあり、連絡をとったところ、現地ご案内や懇親会まで設定していただいた。感謝である。

 わたしが秋田に出かけたことがあるのは、栗駒山(山頂は岩手県・宮城県の県境)の周辺が秋田県でもあり、また八幡平にも足を伸ばしている。また、7年前には秋田市に趣味の領分で遠征している。わたしが秋田県に馴染みを感じるのは、わたしが子ども時代に大変お世話になった人が秋田県人だったからでもある。

 子どもが育つのは親や教員によるばかりではない。親戚でも遠戚でもない人たちに可愛がられて育つことが多様性を担保するのかもしれない。

 そしてわたしが反戦運動に取り組んだ最初の1970年、最初にテキストにしたのが、むのたけじ・岡村昭彦共著の「1968年ー歩み出すための素材」(三省堂新書ー1968年刊)だった。これは、わたしの大学の先輩が勧めてくれた本だが、むのたけじさんが秋田県出身なのだ。彼は戦時中、朝日新聞記者で、従軍記事を書かされた。新聞が戦争を煽ったと考えて、1945年8月15日、退職し、郷里の秋田県横手市に戻り、個人紙「たいまつ」をこつこつと続けてこられた方だ。こう書けば、ただ秋田出身というだけの偶然かのように思う向きがあろうが、彼がこだわったのは、貧しい農村が故に兵隊にとられ、殺し殺されたことだった。そういう思想的なイデオローグに堕していた自分・新聞・新聞社にいたたまれなかったようだ。だから彼の誠意は決して個人的なものだけではなく秋田県民としての自己批判があったと、わたしは考えている。

 そしてもう一つわたしの決定的な秋田との縁をあげておく。1974年の一年間、わたしは就職浪人中だった。このときにわたしをサポートしてくれたのが、世田谷の若い労働者のグループであり、彼らから三軒茶屋のきりたんぽのお店で、幾たびも飲ませてもらった。きりたんぽは寒い夜に、暖かくキュンときたものだった。

 今回の8月24日の夜の懇親会でもきりたんぽをだしてくれた。懐かしいこと、懐かしいこと。そんな昔に戻ることはできないし、したいとも思わないが、懐かしさと感謝の気持ちだけは忘れまい。様々な縁があるから自分は生きてきたし、今回も新たな縁ができた。偶然は偶然だが、偶然を必然にするのは、自分の努力である。様々な縁を社会的なプラスに転じるのも自分の努力である。

 そして今回の出会いは、去る参議院選で勝った寺田静さんを勝たせたメンバーでもありました(当然か)。わたしが気に入ったのは、お一人お一人が個性的で、自治の心を育んでこられた方々ばかりでした。秋田には秋田のやり方がある、そこにこだわっている。わたしは沖縄には沖縄のやり方があり、世田谷には世田谷のやりかたがあると考えてきたから、納得納得でした。

 そんなことで後半を始めます。

2019年9月 6日 (金)

岩屋毅防衛大臣、沖縄に来県ー闘いは最大のクライマックスを迎えるだろう(20190906)

 岩屋毅防衛大臣が今更のように沖縄にやってきた。安倍総理は9月11日にも内閣改造をやるそうだから、飛び込みの動きだ。特に、就任以来(2018年10月)初のキャンプシュワブへの訪問となった。また、時を同じくして外務省の辻清人政務官もやってきた。同省は具体的な面談相手について、「台風などの影響で誰とは言えない」としている(190905現在)。

 2019年9月6日の沖縄タイムスの報道に因れば、こういうことだったらしい。5日、岩屋防衛大臣はキャンプシュワブを視察し、「自然環境、安全に配慮し工事が丁寧に進められていることを確認した」としている。沖縄防衛局からいかなる説明を受けたのかわからないが、「自然環境」への配慮とは、何を指しているのだろうか。護岸工事をやっているが、何も影響は出ていませんと言うことだろう。

 玉城デニー知事と会談した岩屋大臣は、のっけから「疑念に応えるために専門家が透明性をもって、地盤改良を検討し、事業を進めさせてほしい」と述べた。

 知事は、「防衛省の資料で地盤改良は狭い湾内に90隻を超える作業船が東京ドーム5,2個分の砂杭を7万7千本を打ち込む。貴重な環境に多大な影響を与える懸念が拭いえない」と指摘した。「埋め立てを前提とした検討会を設置する前に、工事を中止し工期や工費を明らかにして、県と対話による解決を図るべきだ」とも述べた。米国海兵隊が8月27日に起こしたCH-53の窓枠落下についても抗議した。

 このすれ違いは今に始まったことではないが、安倍政権はこの機に及んでも猪突猛進あるのみのようだ。ごり押しに次ぐごり押しを進めてくるのだろう。公有水面埋立法による変更申請を出し、既成事実化を進めるつもりだろう。知事は当然、変更申請に対して、否とするだろうが、国はさも当然であるかのように司法に訴え、国の主張を通すつもりだろう。

 このためにこそ防衛省は、「普天間飛行場代替施設建設事業に関わる技術検討会」を新設し、本日6日に第1回の会合を開催したようだ。有識者会合などは常に事業を正当化するものだが、今次検討会は、来る裁判にも資することを狙っているだろう。

 いよいよ大浦湾の埋め立てを巡る、新基地建設を潰すことができるか否かの最大のクライマックスに入ってきたのだろう。私たちも沖縄県と共に何ができるかの詰めを十全に行い、断固たる取り組みに全力を尽くしていこう。この闘いは必ず勝たなければならないのだ。

 他方、岩屋防衛大臣は、久辺3区(辺野古、豊原区、久志区)の区長や渡具知武豊名護市長と面談し、懐柔を図ることに腐心している。私たちは、こうした分断工作にも一層留意しながら取り組まなければならないだろう。

 

合間にて(190906)

 台風休みを活用して、本州縦断の旅①から⑨まで書きました。これでやっと半分が終わった。今回の旅は、約2ヶ月前から準備を始め、その中で様々に、芋づる式に具体化していきました。

 第一の眼目は、岩国と三沢をほぼ同時に観ることにありました。そもそも米軍が日本列島に構えているのは、対ロであれ、対中であれ、それぞれの最前線だからであり、つごういいことにそこに最愛(?)の「息子」がいるからです。今安倍政権が「島嶼防衛」といいながら、進めているのも米国の指示であり、これをいいことに「軍事で儲ける国」を強化するという時代錯誤に陥っているのです。だから益々沖縄は、この政権によって押し込めらるのかもしれませんが、私たちはこの局面を最大のチャンスにしていかなければなりません。

 そんなわけで企画をたてておりましたところ、折角だから広島にも行こうとなりました。ほぼ同時に三沢に行くのならば、秋田のイージスアショアを無視できまいとなり、秋田市には過日からの友人がおり、この人にお骨折りいただきました。秋田県は、丁度参院選で結果を出したところであり、そんな話も参考になろうと、懇親会を設定いただきました。

 で、ヒロシマ、秋田ならば、大館により花岡鉱山を巡る徴用工の問題に触れないわけに行かぬと、被害のヒロシマと加害の花岡を同時に考えることにしました。事前の準備は殆どできませんでしたが、一通りおさらいをしながら、あとは地元の方にご案内いただけることになり、ありがたかったです。

 わたしの信条である空間と時間(歴史)を重ね合わせて撮ることに一歩近づけたと思います。総じて課題ばかり膨らむことによって、十分な結果を出せたとは言えませんが、いくつもの面白い視点が出てきたようです。こうしたことを沖縄とさらにダブらせていくのが、これからの課題でしょう。

 わたしは所詮「日本人」。うちなーんちゅでありませんから、まねごとをしても致し方ない。抑圧者としての日本人であることに徹底的にこだわりながら、前をみるためにはどうすればいいのか。孤立感もありますが、冷徹な思考が問われます。

 そんなかんじです。後半の執筆にもご期待ください。

本州縦断の旅⑨ーヒロシマと言うとき②(190824)

 2019年8月24日 晴れ 広島3日目 私は今日の午後から秋田に飛ぶのだ。

 二人して、ラストは平和記念公園と原爆ドームだよねと、一致。韓国人被爆者の塔も。

 宿から平和記念公園に向かう。

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元安川を渡れば、原爆ドームが近くに見える。10:04

ここは観光地? 被爆地であり、戦場であり、慰霊の地。だから光を観るだけでなく闇も観なければならないはずだ。闇を観ることは、後ろ向きなのではない。闇を観ようとするからこそ、生者である人間は、生き続けられるのではないのか。

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公園内から。10:06 爆心地からわずかな距離にありながら、よくも耐えたものだ。

バラの花は既に盛りを過ぎていたが、彩りを添えれば、この建物の意味が一層わかるだろう。あのとき(1945年8月6日8:15)ここに働いている人がいたのだ。私はまずもってこの一点を想起したい。この付近には、今平和記念公園になっているところを含めて、人々が暮らしていた場所だ。

このバラ園だが、世界中のあちこちから寄せられた、多品種があるのだ。醜い私たち人間が少しでも美しく生きるためには、自然力をお借りする以外にないだろう。

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韓国人被爆者の塔を探した。この塔は、以前は公園の外に置かれていた。中に置かれるようになってから、私たちは余り来ていなかったので探す羽目に。10:18

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亀の背中に建つ慰霊碑。形が複雑で、色々試してみたが、ベストショットを探しあぐねた。10:22

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こちらにこの慰霊碑の由来が出ている。10:23

末尾を記す。

「今なお理解されていない韓国人被爆者の現状に対しての関心を喚起し、一日も早い良識ある支援が実現されることを念じる。(中略)ー在日韓国青年商工人連合会および有志一同」

そもそもなにゆえに1945年8月の広島に韓国人がおり、2万人もの韓国人が亡くなったのか。この事実を私たちは踏まえなければ、私たちに「良識ある支援」などできるはずがないのだ。

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韓国人被爆者の塔から30mほどのところにある無縁仏。真正面から撮影。10:33

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同説明板。あちこちから掘り出されたお骨たちが埋葬されていることを知る。10:35

沖縄もそうだが、まだ埋もれた骨は少なくないだろう。ドデカイ爆弾で壊滅してしまったのだから、生存の可否を訴える人もいなくなり、ただ偶然発掘されるしかないのか? 

こうした下手人は米国・米軍であり、補佐人は大日本帝国だ。

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やや下がって撮る。10:39

無縁仏こそ、戦争の惨禍を表すことなのかもしれないな。生きるための再生は、私たち自身に掛かっているだろう。峠三吉が言う「わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ」とつながっているはずだ。

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もういちど、韓国人被爆者の慰霊碑を観る。このたたずまいが乱されませんように。10:42

「ヒロシマというとき」ー栗原貞子

「(前略)

〈ヒロシマ〉といえば

〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは

返ってこない

アジアの国々の死者たちや無告の民が

いっせいに犯されたものの怒りを

噴き出すのだ

(中略)

〈ヒロシマといえば

〈ああヒロシマ〉と

やさしいこたえがかえって来るためには

わたしたちは

私たちの汚れた手を

きよめねばならない」

 

それにしても私たちの手が益々汚されていることは、否定しようもないだろう。わたしにつながる人間であれ、あなたにつながる人間であれと思うと同時に、被害と加害を、加害と被害を受け止める思想が必要だろう。国家なるものが人間を分断している現実がある限り、この2重性を生きる以外にすべがないのだろう。

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平和の鐘。ドームをバックにドームを向きながら鐘をつく。手前左手の人は平和ボランティア。10:55

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元安川をみる。橋は広島の復興を標しているが、十全なのか? 11:02

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もう一度公園の中へ。原民喜の碑銘。「遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ堕ち 天地のまなか/一輪の花の幻」

唸るしかない。

これで私たちは広島をあとにする。私は新大阪ー大阪伊丹空港から秋田へ。

 

 

台風13号、宮古島に直撃(190906)

 私が住む名護市(西海岸)でも昨夜は、森が唸り、雨が強く降っていたが、今朝は風が強いだけ。通過したのだろう。ただ返し風がこれから吹くかもしれない。

 ただ6日付けのオキナワタイムスに寄れば、5日21時現在、久米島の西南西約170kmを約15k/hで北上中。宮古空港では最大瞬間風速61.2mを記録とある。一時、全世帯が停電になったようだ。避難勧告も全世帯に出されているようだ。皆さんご無事で。

 今年の台風は西寄りの宮古・八重山コースが多い。島嶼部は経済地盤が限られており、交通が閉ざされると、あっという間に生活がたちゆかなくなる。個人のストックもだが、島単位でのストックがなければ破綻する。それから水と電気の確保。それぞれの島の中で工夫されているのだろう。ご苦労は一入だろう。

 小さな島にいると、風の唸りが半端じゃない。海の変貌ぶりにも、驚かされる。そんなときには決して近づかないことだ。こんなことをかくのは、時々こうしたふらちものがいて、海難事故をおこしているので。観光客として遊びに行きながら、地元の人に迷惑をかけないように願いたい。

 さて、天気図で見る限り、沖縄島は13号の暴風域に入ることはなさそうだ。私は今日一日自宅待機となる。台風対策で食料は確保されているし、まず問題はないだろう。今日は、本州縦断の旅の続きと、旅の途中で受けた原稿に着手する。

本州縦断の旅⑧ーヒロシマと言えば①(190823)

 2019年8月23日 ヒロシマの2日目。晴れ 

 今日はのんびり宿を出た。目指すは旧被服廠。平和大通りを抜けて京橋川に出たら、南下。南区文化センターの脇を右に入る。

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これだな。デカイ建物だ。9:47

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ゲートは閉じられている。9:50

確かに色々とゆがんでいる。爆風と熱線のせいか。

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窓枠などゆがみまくっている。9:54

しかしよく倒れなかったものだ。

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鉄板をアップに。9:59

苔むす。そういえば、どこかのお国にありましたね。「こけのむすまで」とかの楽曲が。こういうことをいんでしょうか?

どこかの大将は、「文学方面のことはわからない」って、言っていたよね。

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狭い通りを挟んで住宅街だ。地震の時は近づくなと張り紙してある。10:05

因みにここは1945年8月6日、臨時救護所になった場所だ。

峠三吉の「原爆詩集」のなかにある「倉庫の記録」がここでのことだ。

正直に言って、私はこれまでこの「原爆詩集」を読んでいなかった。栗原貞子の「ヒロシマというとき」などを読み、わかったつもりになっていた。峠三吉の詩は、もっとダイレクトだ。怒り・怨念がつまっている。これでもか、これでもかと、言葉を駆使し突き刺してくる。痛い痛い詩集だ。

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角を曲がるとこうだ。今は被爆遺構で、がらんとしているが、長さ数百mある。しかし当時はこの何倍もあった。高校などに売られてしまっている。大規模な被服廠だったのだ。10:07

次はどこに行くか? 近くに広島大学の医学部がある。そこにも記念館がある。

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赤煉瓦。広島大学医学部と言えば、放射線医療で有名だが、国・原発と癒着した研究も進められている。また個人的には私の旧親友がここを卒業して医者になった。初めてきたのだが、ちょっと懐かしい。11:26

広島大学医学部 医学資料館は、医学の一般的な展示で、放射線医療でもなかった。期待外れ。

ならばランチの場はないか。近くにナイスゲット。旨かった。

次は、平和公園を越えて中央公園へ。1時間ぐらい歩く。暑いがいいか。

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お目当ての大田洋子の石碑をみつけた。「屍の街」の詩文から。14:07

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石碑建立の解説文。14:09

文学者も苦労しているのだな。形で残すのは、ありがたい。

このあと、連れは再び原爆資料館を見たいと。私はパス。サテンで、秋葉忠利の「報復ではなく和解を」を読了。おっしゃるとおりだな。彼は数学者で、広島市長でもあった。

夜のとばりがおりてきた。

平和公園に入るところで原爆ドームを撮る。

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なかなかうまくいかない。18:27

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これでどうだ。18:33

ほどほどにヒロシマと言えばと言える1枚になった。ここはヒロシマを超え、どこの街でも原爆で戦争で壊されてはならないことを標しているのではないか。

公園内でつれとばったり会えた。

2019年9月 5日 (木)

本州縦断の旅⑦ー広島平和記念資料館の巻(190822)

 2019年8月22日夕刻。久しぶりに広島平和記念資料館に入る。実は今度の広島篇はつれ合いのイニシアによる。

 同館はこの1月にリニューアルされていると聞いていたので、どんなものだろうと思っていたのだ。つれが是非行きたいと。私の問題意識はこうだ。1発の爆弾で多数の人が殺されたヒロシマ・ナガサキ。沖縄は数ヶ月にわたる沖縄戦での被害だが、共通することがある。ジェノサイド(皆殺し)を是とする軍事の魂だ。私はヒロシマ・ナガサキとオキナワがもっともっと垣根を超えて、現実を直視していくことが重要だと思っている。そのためにはどうすればいいのかを目下思案中なのだ。

 さて平和記念資料館に入ると、平日の17時でも来訪者が多い。外国人が3分の1ぐらいいるんじゃないか。東館3階から。Ⅰ導入展示の3Dの模型がすごい。大きさは4m×3mぐらいか。廣島の町。原爆投下前と投下、そして、大地が揺らぐ。3Dだからなのだろうが、この揺らぎは何だ。建物が市電が自動車が弾き飛ばされていく。のっけからの衝撃はデカイ! 続いて、Ⅱ核兵器の危険性。①原子爆弾の開発と投下、②原子爆弾の脅威、③核の時代から核兵器廃絶に向けて。ややテキスト的だが要点がまとめられている。しかし一息入れさせてくれない。原爆の危険が迫ってくるからだ。

 次は本館。Ⅲ被爆の実相として、①8月6日の惨状、②放射線による被害、③魂の叫び、④生きる。すべてが具体的であろうと工夫されている。被爆し、切り刻まれていたり、血がついていたりの現物がそこにあるのだ。そして6日の写真を初め、衝撃のシーンがこれでもかと続く。いや、よくもあの日に撮りにいったものだ。後日、被爆して亡くなったフォトグラファーも少なくないに違いない。そこに映っている姿はこうだ。文やお芝居で、皮膚がヨレヨレにぶら下がっているとある表現がそこにみえるのだ。こうした表現は決してオーバーなものじゃなかったのだ。

 それと具体的に誰それさんがこうだったと、集合体にせず、個が語る方法が採られている。それでいて、断片にならないような組み合わせにも配慮している。私は唸るよというか、恐れ入りました。

 次のコーナーはⅣ広島の歩み。④戦時下の広島と戦争、⑤広島の復興、様々な支援、⑥平和な世界をつくるだ。この章は広島に原爆が投下された背景を明らかにしている。復興から核廃絶に向かう呼びかけが提起されている。

 このあたりに来て、私はややバテた。集中力が落ちたこともあり、知っていることが多いこともあり、ややはしょってしまった。ただ米軍は事前に原爆投下候補地を130カ所余りセレクトして原爆模擬爆弾を落としていたことを知った。計画的な確信犯なのだ。原爆2丁で米兵ら、日本人の死者を併せて50万人余りを減らした人道兵器だとのデマゴギーを完膚なく粉砕しなければならぬ。

 いやはや冷や汗たらたらでした。おっかねえ! 原爆恐るべきなのだ。これはイデオロギーに関係なく見るべし。しかしねぇ、この地球上から核兵器をなくさなければならないが、否、核そのものをなくす。巨大国が核兵器をもてあそんでいる姿をどうしたらかえられるのだろうか。核を使うな! もつな! おしつけるな! 一切の核実験をやめろ! 我が国の責任は余りにも重い。被爆国が核安保体制をとり、原発を推進しているのだから。この絶対矛盾に何故気づかないのだろう。巨大な破壊力によって水に流してしまったのだろうか。否、米日の共犯関係によって、責任の所在を私たちは問うことを忘却してきたのではないのか。その日本側のチャンピオンは天皇ヒロヒトであり、継いだアキヒトであり、ナルヒトだろう。

 これはオキナワを巡る話でも同様だろう。【未完】

◎見学には2,3時間を要す。生半可ではみられない。お子さんは同伴の大人がしっかりフォロ-してあげて。

本州縦断のたび⑥ー比治山陸軍墓地での対馬丸慰霊祭へ(190822)

 広島市内の今日の宿にひとまずデポし、比治山公園内にある陸軍墓地に急ぐ。

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比治山公園入り口にある陸軍墓地の標識 12:58

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ここ、行き止まりだ。13:04

右にカーブして、下りる。

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苔むす石。13:06

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そこに、これ。放射線影響研究所だが、今でも日米共同研究機関なのだ。13:12

悪名高いのは、被爆者の体を探りながら、治療を一切してくれなかったことだ。被爆による人体実験の研究機関だろう。怪しい怪しい。まだ現役の共同機関ということは、核開発の一端に日本も関わっていることにならないのか、疑念が湧く。

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陸軍墓地の入り口。13:14

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船舶砲兵部隊とある。輸送隊の一部で、乗客を敵の攻撃から守るべく配置されていた部隊だった。

対馬丸に41名が乗船。21名が亡くなっている。13:23

報道カメラマンが来ている。しかし「大東亜戦争」と右下の石碑にあり、そのなかに乗船していた対馬丸の学童も刻印されている。1944年8月22日に亡くなられた乗船者計1418名が亡くなり、学童は784名(6歳から15歳までの825人が乗っていた。他に836名の大人の疎開者がいた。他に乗員、兵員127名乗船)

大東亜戦争とは「大東亜共栄圏」を謳った侵略戦争を肯定的に掲げる名称。対中国との戦争の渦中、資源を求めて東南アジアにまで戦線を広げ墓穴を掘った戦だ。兵隊だって、好き好んでいったのではなかろう。命令であり、逆らえないものだったのだろう。しかし集団疎開は矢張り軍命であり、好むと好まざるとにかかわらず乗せられたのだ。国家のための戦は、人間の命を魚の餌に投げ出したのだ。真っ暗な海の中で、怖いと思う余裕もなかったに違いない。無念だろう。時は1944年8月22日。沖縄戦が始まる7ヶ月前のことだ。米海軍の潜水艦に捉えられたのは屋久島と奄美大島の中間地点の悪石島付近。この時点で大日本帝国は、奄美諸島、琉球諸島の制海権を奪われていたことになる。取り返しの効かない無謀な戦争だったことを隠し続けるべく、大日本帝国は生き残った人たちに「極秘」を強いていたのだ。

あれから75年が経っている。今回の慰霊祭は広島経済大学の岡本貞雄ゼミによる昨年に続く2度目の催し。

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ご住職が挨拶。こうしたことが繰り返されないようにと。14:04

県議と市議も挨拶。しかし沖縄の学童が亡くなっている事への衷心を感じることはできなかった。

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海洋少年団の代表が挨拶。戦争は絶対ダメだと発言。 ちょっとほっとする。14:21

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広島学院中学高校の生徒さんが生き残った人の手記を朗読。14:31

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呉海洋少年団が手旗信号で「助けて! 助けて!」と再現した。14:35

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広島女学院高校音楽部が合唱。「小桜の塔」と「月桃」。 沖縄の方向を向いて歌いますという姿勢に、私は誠意を感じた。小桜の塔は、1957年に建立された対馬丸受難者の碑。59年に那覇市若狭に移転。対馬丸記念館の隣にある。「月桃」はなじみ深い曲だが、慰霊が入っており、そうだろうなと思いながらも得心できず。

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陸軍墓地をあとにする。14:48

広島と沖縄は、軍事ラインでつながっていたのか。船舶砲兵隊は広島市宇品に駐屯していたのだ。

次は広島平和記念資料館にむかう。

 

 

 

 

 

 

旭日旗を巡って(190905)

 果たして現代の「日本人」にとって、旭日旗は、どれほどなじみ親しまれているのか? 私は疑問に思う。こう書くのは、2020東京オリンピック・パラリンピック委員会が、韓国国会の文化体育観光委員会からの申し入れを拒否したことで、思ったのだ。曰く「旭日旗は、日本国内で広く使用されており、旗の掲示そのものが政治宣伝にならないと考えており、持ち込み禁止品にすることは考えていない」。(共同通信 20190903)

 同委員会は、広く使用されておりと言うが、実際広く使用されているのか? 自衛隊の旗であり、右翼が持ち出す旗ではないのか?! 明確な認識を示していただきたいものだ。

 関連して私が思うことをあげておこう。

①オリンピックとは5輪のマークに示されているように、お互いの尊重が基本の基でなかったのか。ナショナリズムの高揚と経済投資だけなのか。愛国心なるものと無縁な私には、へーぇてなものだ。

②旭日旗なるものは、明治維新政府が、天皇の軍隊を新編したのだが、このときムツヒト天皇から親授されたのが始まりだ。1870年のことだ。そもそも近代国家日本の新生のために天皇と軍隊と旗が三位一体で用いられたのだ。そして数々の戦争の中で、旭日旗は日の丸と並んで振られ、侵略を肯定し、民衆を殺すために打ち振られてきたのだ。血塗られているものだ。

③1945年9月、大日本帝国は崩壊した。軍隊は基本的に解散に追い込まれた。1947年日本国憲法が施行され、軍隊をもたずの国になったはずだった。ところがどっこい、1950年、警察予備隊が発足し、52年、保安隊、54年、自衛隊が編制され、再軍備がなされていく。旭日旗は、54年の自衛隊の発足に際して、陸上自衛隊旗(連隊旗)、自衛艦旗として採用されたのだ。

 ここで問題。ではなぜ、50年、52年にでなかったものが、54年の自衛隊の発足で採用されたのか? この明確な回答を私はもちあわせていない。だが、考えられることが2つある。予備隊も、保安隊も日本の独立以前のことだから、米英などの連合国に遠慮したのだろう。また、54年の独立後の自衛隊はより米日の共同の意思が高まり、軍隊化することを目指したからだろう。幹部連中には旧軍出も多く、わだかまりも消えていたのだろう。消したかったのかもしれない。

 あれから65年が経った今、「専守防衛」の自衛隊が、遙か遠方の敵基地攻撃を可能とするミサイルや航空母艦をもち、空中給油機を駆使する時代になろうとしている。米国などと集団的自衛権の行使も可能となっている。

 2020年の東京オリンピックで、日本の民衆は、旭日旗を振り回しながら、「頑張れ!ニッポン!」とやるのだろうか。真夏の熱砂の中でも背筋が寒くなる。熱中症で倒れるなど、根性がない「非国民」と言われなければいいのだが。あってはならないことだ。

 韓国の人々をはじめとして、大日本帝国に侵略された方々を不愉快にさせ、侵略戦争の実態を覆い隠すような開き直りを是としたら、国際親善とはほど遠くなる。私たち自身が過去に犯してきた事実を正面から見ていかなければ、再び同じような過ちを犯していくだろう。繰り返すが、あってはならないことなのだ。

2019年9月 4日 (水)

本州縦断の旅⑤ー呉軍港(190822)

 本日2019年8月22日の日程はぎっしりだ。岩国を出て、呉に行き、船で広島に戻り、宿に荷物を預け、比治山の陸軍墓地で対馬丸で亡くなられた方々の慰霊祭、そして広島原爆資料館を見る。

 予定通り、8:10頃呉駅に着いた。大急ぎで港の見える丘まで急ぐ。

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目の前のドックでは民間船を組み立てているようだ。8:38

沖の荷台はこのための部材を置いているようだ。

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大型船だが何だろう。右側に置いてある部材は、船体後方の素材なのだろうか。8:40

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大型のクレーンがレール上を前進中。8:40

ついつい見とれてしまう。

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大型クレーンの中心に作業員のボックスがある。ここで操縦しているようだ。8:44

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クレーン移動中。動いているよーと警報音が鳴り続けている。8:46

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旧石川島播磨のドック記念碑。ここで大和や長門を造りましたと。8:59

1993年の碑。

ここで呉軍港について

1886年、全国を5ブロックに分けて艦隊を置くことをきめた海軍条例を制定。

1889年7月、呉は第2海軍区として開庁。海軍の町、海軍工廠の町として栄える。

1896年 呉に水野組が誕生。軍港などの土木工事から始まり、今では五洋建設として海洋土木の筆頭企業。因みに辺野古の新基地建設を受注し、埋め立て工事中。

1935年3月から5月、「国防と産業大博覧会」開催。「非常時日本の意気と覚悟」を示したそうだ。

1940年、戦艦大和、この海軍工廠のドックから進水。

1945年7月、度々空襲にあう。戦艦、航空母艦も大破、撃沈される。

1945年10月、連合軍が進駐。

1954年10月、海上自衛隊呉地方総監部が設置される。

1955年6月、旧軍港市転換法公布さる。平和産業都市が目指された。

しかし戦後も自衛隊と(軍民の)造船の町に変わりがない。

現在、海自呉地方総監部。第4護衛隊群、第1潜水隊群、第1音響測定隊、第1輸送隊などが駐屯。Imgp0425800x600

JMU(ジャパン・マリン・ユナイテッド)正面入り口。9:04

ではフェリーの港まで戻るぞ。

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海上自衛隊呉総監部。旧呉鎮守府。9:07

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大急ぎで歩いていたら、海自の敷地に中学生か高校生か。50名余り。9:14

慌てて止まり、撮った。自衛隊への勧誘の夏休み企画だろう。女性自衛官がやさしげに説明中。

若者を戦場に引っ張るような国にしてはいけない。

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フェーリーの待合所(2F)から。赤白の鉄塔は海上自衛隊。奥のクレーン群がJMU.9:22

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荷台船上をこちらからみれば、デカさを改めて認識できる。9:26

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恥ずかしげもなく「大和のふるさと」だ。手前は海自の戦闘艦。旭日旗も見える。9:27

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予想外にも新鋭船「シーパセオ」がきた。これに乗れるのか。高松・呉・広島宇品港を結ぶ瀬戸内海汽船。10:11

私は乗り込む前に撮影と。速く乗れと叱られる。すいません。

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目の前に深田サルベージの船がいる。大浦湾の地盤調査をやったのがここの会社。呉が本拠だとは知っていたが。10:19

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手前は補給艦ときわ。奥が航空母艦に改修する動きがある話題の「かが」。10:20

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シーパセオ出港。「かが」でかい! 全長248m 19950トン(基準排水量) 10:21

以前にも戦艦を航空母艦に変更した歴史を日本国はもっているのだ。「専守防衛」など安倍政権や自衛隊トップには、ないようだ。日本国憲法を無視してどこへ行くつもりだ?!

今日は輸送艦3隻が全く見えない。どこで何をしているのだろう。

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シーパセオ甲板の上。10:24

やっと甲板の上で静かな気持ちに。

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ちょっと優雅な感じ。甲板に私一人だ。10:26

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瀬戸内海を行く。10:29

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広島側から船体の組み立て部材が運ばれてきた。10:40

広島が近づいてきた。

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広島宇品港に到着。11:00 予定よりも少々早く着いた。

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宇品港におりてシーパセオを撮り直す。11:00

ここは日清戦争以来、軍港にされてきた。

SEA PASEOが似合う平和の海であってほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもたちは何故乗り物が好きなのか?(190904)

 私の本州縦断の旅を振り返りながら、改めて思うことがある。これは個人の趣味なのか、それに留まらないのか、この際、若干の考察をしておきたい。

 やはり自分は乗り物が好きなのだ。めちゃくちゃ好きとはいえないが、結構好き。今回の旅の中でも、乗ったり、見てたりする中で、にんまりしてしまうことが時々あった。誤解を恐れずに言えば、こういう趣向があるからこそ、人殺しの武器である戦闘機や戦闘艦にも正面から注目できるのだと思う。もちろん、武器は、人殺しと物質の破壊を本旨としている。純然たる乗り物は、人間の移動力を飛躍的に高めてきたし、物(ぶつ)が動くことによって爽快感をえることもできるものだ。

 人を乗せて動くという点で同じ性格をもちながら、決定的な違いに、私はこだわりぬきたい。

 私の5歳頃のことだった。誕生日に金髪の女の子の着せ替え人形をもらって、大いに喜んだ。かわいいという感情だったように思う。しかしいつのまにか、着せ替え人形遊びをしなくなっていった。親から言われた記憶はないから、多分、地域の友達と遊ぶ年齢になると、そういう遊びをしなくなったのではないか。

 乗り物遊びと言っても当時は、身近に現物は殆どないから(三輪車・自転車・リヤカーはあった)、絵本を読み、プラモデルを製作するなかで、乗り物を認識していったのだろう。プラモデルではゼロ戦・隼・ムスタング・大和などなどを創った。当時はプラモデルにするような元に、普通の乗り物はまだ普及しておらず、旧軍用だったのだ。いや、モデルを選定する世代は戦中世代であり、何らかの郷愁があったのだろうか。

 いずれにしても、私にはそれが人殺しの武器だとの自覚はなかった。なんとなくかっこいいイメージはあった。またゴム輪で飛ばせる模型飛行機もつくった。ラジコンにも憧れたが、まだこれには手が届かなかった。

 他方、小学生時代は、内房線(千葉県を走る)に乗る機会があり、当時はまだ蒸気機関車が走っていた。あの重量感、存在感は忘れがたい。だがいつのまにか内房線はディーゼル列車に変わっていた。1961年(小学校4年)、横浜港に係留されたホテル氷川丸(現役当時、貨物船、軍用医療船だった)にお泊まりした記憶は未だに鮮明だ。めちゃくちゃ楽しかった思い出がある。蒸気機関車はどんどんなくなり、学生時代(1970年頃)の小海線や米坂線でSLと再会して郷愁を感じたものだ。

 他方で戦時中の子どもたちは、武器のおもちゃで遊びながら、兵隊にとられていったのではないか。生身の人間が乗り込んで突っ込み、自爆する特攻兵器まであてがわれていった。無念、痛恨の極みだったと察する。しかし今思えば、国鉄が敷かれたのは大日本帝国の海外膨張と機を一にしている。まだ人々は国内では戦争を感じないままに、鉄道の便を得ていたのだろう。

 乗り物は動く。新しい景色と新たな人の暮らしを間近に見せてくれる。私たちを別の世界に連れて行ってくれる。興味津々。メカが好きという人もいる。何で動くのかから、科学・工学に関心をもつひともいる。こうしたことに本来、男女の別などあるのだろうか。社会的に与えられてきただけではないのか。

 私は乗り物が好きというきわどさを感じながら、乗り物を楽しみ、戦争に導かれない生き方を指向したい。

辺野古テント村台風のためお休みです(190904)

 台風13号の接近により、昨日浜辺のテントは完全に撤収しました(既報)。今朝はテント2の撤収作業が海上メンバーによって行われました。本日よりテント2での座り込みも中断します。9月5日、6日はお休みです。以降についてはあらためて検討の上で。台風14号が後ろに控えているため。

 ゲート前での行動は、本日は実施されています(搬入がなされています)。今入ってきた情報に寄れば(190904 11:30)5日、6日搬入作業もない事が判明したため、ゲート前での座り込みもありません。ご承知おきください。

 今日の名護は晴れ。風が出てきています。八重山、宮古島周辺の皆さんは、特に警戒してください。ご無事で。 

 

本州縦断の旅④ー岩国駅(190822朝)

2019年8月22日 夜明け前から宿を出発。今日は忙しくなる。

岩国駅前の変貌ぶりを2ショットで。

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岩国駅に駅ビルが建ったのだ。駅前広場はまだ工事中だが。5:54

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駅ビル2階からあたり(西側)を見回す。ここいらは余り変わっていない。

時間の関係でビルの中を散策できなかったのは残念。

22日のスタートがこうして始まった。

本州縦断の旅③ー岩国基地②(190821)

 2019年8月21日 予定よりも午前の部を早めに切り上げてしまった。昨日の疲れもあり、きちんと食事を摂ろうと考えた。しばらくの休憩のつもりが、いささか伸びた。午後は岩国基地を高台から展望する予定だった。

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岩徳線の踏切を渡ろうとしていたら、警笛が鳴り出した。左右どちらから来るのか、これが問題だ。錦川線だ。左が岩国駅終点方向。いやはや鉄道写真は難しいのだ。13:27

その後、南岩国駅手前の高台への道を探したが、わからずじまい。ここ数年で町並みが変わってしまい、どうして? しかたなく、岩国基地の南側に面する門前川河口を目指す。

岩国基地は錦川河口の今津川と門前川に挟まれた砂州にある。ご承知おきください。

こちら(概ね門前川の西、山陽本線南側)は蓮田が広がる。

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花とつぼみ。15:21

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花と葉 15:23

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つぼみ。15:31

時間さえあればいくらでも撮れる。しかし遊んでもいられない。

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北側を遠望すれば、野球場? いつの間にか巨大なスタジアムができている。国と米軍が結託した形の開発がされていたのだ。15:42

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門前川河口付近から西に岩国火力発電所(正面左)東洋紡岩国工場(右)が遠望できる。ごらんのように蓮田が広がっている。ここはレンコンの里だ。15:51

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真正面が北側に位置する旧愛宕山開発地。この丘を削って、沖合に滑走路を造るために埋め立てたのだ。

今回は遠望のみ。左に見える煙突はゴミの焼却場。これはあったが、右の建物群の変貌ぶりに驚かされた。16:23

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南東の空にANA機。着陸する。16:31

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先頭がEAー18G電子戦機。後方はFA-18スーパーネット戦闘攻撃機か? 米海軍の空母艦載機だ。

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離陸したC-40A兵站輸送機。米国海兵隊の輸送機だ。16:45

軍用機はなりを潜めている。ならば、干潮になり河口に集まりだした野鳥を見るとするか。

私のこの二股戦術はなかなか優れていると我ながら考えている。

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ダイゼン。数羽いる。16:50

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ダイゼン3羽。潮がひくにつれ一点に集まってくる。16:59

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河口手前の海藻の上を歩き回るキアシシギ。17:05

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コサギとウミネコ。17:21

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ウミネコ同士が鳴き交わす。17:28

暗くなってきたので、本日の撮影を終えよう。東洋紡の手前の道を北上。南岩国駅を目指す。

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川沿いにゴイサギがいた。正面成鳥。右の茶髪は幼鳥。17:58

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レンコンの田のための排水施設。もう使われていない。残照が美しい。18:08

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正面から見ると。18:09

過去の施設だが、共同労働の史跡とも言えるのだろう。

蓮田は130㌶だそうだ。見渡したら確かに広い。辺野古・大浦湾の埋め立て予定面積は160ha.

私は改めて怒りを覚えたのだった。

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南岩国駅にgo! 残照の中の蓮田。美しきかな。18:17

南岩国駅周辺も変わっていた。

 

 

2019年9月 3日 (火)

週刊ポストの「暴発」を聞いて思うこと(190903)

 週刊ポストが「暴発」している。曰く「韓国などいらない」などを特集記事にした。私はここまで来たかと呆れるが、少なからぬ日本のマスコミはとうにマスゴミに堕していた。ヘイトやって幾ら儲けるかにマスコミの経営・編集部の関心が集中しているのだ。既に許しがたい時代になっているのだ。

 「いらない」であれ、「断韓」であれ、すぐそこにある・いるものをいらないというのは、殲滅し征服するぞの意だろう。「大日本帝国の夢のまた夢」をまたやるぞなのではないのか?! ただの恥知らずなのか? この国が犯したことに蓋をして、よくもまぁ言えるものだ。週刊ポスト編集部は、ここまで覚悟した上でこうした煽動記事を載せたのか。それにしても、そんなで日本が良い国になるんですか?! 

 だがしかし、今私たちが考えるべき事は、国のレベルじゃない。もっと言ってしまおう。国民のレベルでもない。ひとりひとりの人々がまっすぐに生きれるのか、命を大切に生きれるのかだ。命を第一に考えれば、これ「国家・国民」という概念自体がおかしくないか。私はおかしいと考えている。

 私たちは、たまたまマルマル国民だと言われている。そこで生まれたから(地縁主義)、あるいは両親の国籍を受けて(血縁主義)。因みに日本国では血縁主義が採用されている。

 護憲派の皆さん、リベラルの皆さんにも、国民主義が好きな人が多い。何故だろうと、私は不思議に思っていた。日本国憲法のテキストには、「国民主権」が基礎概念だとされている。確かに「臣民」よりは、「YESサー」を畏まりつつ連発しないで済むだろう。しかし日本国憲法の草案段階ではpeopleだったものを「国民」に意図的に誤訳してしまい、大日本帝国が台湾・朝鮮・「満州」などを植民地支配してきた、こうした人々の「日本国籍」を一方的に剥奪したのだ。「国民」とは、侵略・植民地支配の過去の影を消し去ろうとした概念でもあるのだ。

 だからこそ、今私たちは、「国民」という仮面を被りながら、ものを考え続けるのか、そうした囚われから解放させながらものを考えるのか、ここが問われているのだ。全く遅ればせながらだが、「嫌韓」であれ「断韓」であれ、隣人を見下した見方を私たちは何故是とするのだろうか。これを問い直すことがまず重要だろう。そのためには、私たちはお互いの歴史を学び合うことが避けられない。友好のために何が必要なのか、ここが問われている。偏見を捨て、個人と個人の関係を作り出すことからしか始まらない。しかし偏見を捨てるのは易しくない。私たちが歩まされてきた(偏見をもたされてきた)歴史を、もう一度真摯に問い直しながら、個人と個人の関係をつくりだすしかあるまい。

 売られたけんかは買うと言う安倍政権だが、違うでしょう。大日本帝国が犯してきた罪過を、私たちは不問にしてはならないのだ。歴史はつながっているのだよ。

 儲けのためならば差別も戦争も厭わない危険なラインを超えているマスゴミ状況の中で、私たちは何ができるのか。

台風13号接近により、辺野古テント村撤収しました(190903)

 台風13号が石垣島・宮古島・沖縄島などに近づいてきました。辺野古テント村は、いち早く対応し、今日9月3日午前中に撤収作業を終えました。天気はまだ晴れていますが、強風域に入ってからの撤収作業では危険が伴うので、ごめんなさい。今日は昼頃、テント2での座り込みも中止しました。明日も半日のテント2での座り込みになると思います。5日、6日は、お休みの予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

2019年9月 2日 (月)

本州縦断のたび②ー岩国基地周辺の①(190821-1)

 2019年8月21日 曇り 宿から今津川河口を目指す。

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今津川沿いに出る。対岸に岩国の工場地帯が広がる。風は殆ど感じないが、ご覧の通り。西風だ。7:48

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キョウチクトウの花が咲き誇る。後ろの「B」は基地の倉庫だ。7:55

この奥に蓮田があるはず。もう咲いていないかな? 蓮の花を目指して脇道に入る。

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咲いている、咲いている。7:58 美しい。

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これは白の蓮の花。8:02

葉と花のコラボがいいでしょう。デカイ花だからそれだけでも映える。この時期だから葉が痛んでいるのはやむおえまい。

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今津川河口から 救難機(飛行艇)US-2 長さも幅もほぼ同じ33mあまり。8:26

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河口部の貯水池から岩国基地の格納庫を望む。8:32

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2機目のUSー2が飛び上がらずに戻ってきた。8:43

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格納庫の奥で多用機(電子線データ収集機)EP-3が洗浄されている。海上を飛べば塩水を浴びるからこの作業は間違いなく必要。だが、大量の合成洗剤を使っており、汚水が海に流れ込んでいるだろう。むろん油水分離槽を備えているはずだが、ごらんのように水はバーバーの如しであり、分離槽の範囲を超えているのじゃないか。8:45

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対潜哨戒機のP3-Cが飛び上がった。8:55

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沖合に滑走路が拡張されたが、米軍による人々を監視する姿勢は全く変わっていない。9:00

「無許可立ち入りは、日本法規により処罰されます」とあるが、米軍こそが、国内法を守るべきだ(参照:日米地位協定)。

 しばしあたりをうががう。暑くなってきたので、河口先端の滑走路北側に陣取る。ここには小さな木陰があるのだ。

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ご当地より世界中にある米軍基地までキロ数が書かれている。一番下が横田基地まで、その上に嘉手納基地までとある。

9:03 沖縄の嘉手納まで900キロ余り。東京の横田まで700キロ弱だ。

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EP-3が飛び上がった。9:11 木陰で撮影。木陰で楽な分、いささか余計なものが写る。これが絵になるのだ。

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ANAのボーイング737が下り、駐機場へタキシング。10:29

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多用機UP-3Dがタッチ・アンド・ゴーを繰り返している。滑走路北端のフェンスに設置されている侵入防止の鉄条網に被さる形で撮影。10:52

なかなかうまく入らない。鉄条網にピントを合わせれば、機体はすっきりしないし、機体にピントを合わせると、この網に覆われてしまい、機体の細部が見づらいために。

UP-3Dは「本格的な電子戦環境下で艦隊の訓練が可能になる」(自衛隊装備年鑑)とある。日米の戦闘艦などとの訓練用機なのだな。

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やっとでてきた海兵隊の空中給油機KC-130.離陸するため滑走路に向かう。10:57

2014年にこの機種は、普天間から岩国に配置換えになった。沖縄の「負担軽減」と称して。しかし空中給油の相方であるオスプレイの飛ぶところに動くのだろう。朝鮮半島から中国周辺や、フィリピン付近まで。

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戦闘機が下りてきた。あれれ、空自のF-15ですぞ。82-8066番機。10:59

どこから飛んできた? 私は空自のF-15を、ここで見るのは初めてだ。

風防ガラスの後方の突飛は着陸時の制動。

 

木陰で撮っていると、パトカーなどが3台、私の前でUターン。見ない見ない、撮影続行。

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出た! 空母艦載機の小型輸送機C-2。2機下りた。11:10

空母ロナルドレーガンは日本近海にいないはずだ。だがこれが帰還したと言うことは、空母も戻ってくるのだろう。2019年8月24日、横須賀港に帰還。

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UP-3D下りてきた。11:13 ちょっとぴんとはずしている。

ここらで午前の部終了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漸く写真を添付できるようになりました(190902)

 ご覧の通り、漸く写真の添付を再開しました。新しい器械に写真データを取り込み、整理し、縮小して、無事にあげることができました。お待たせしました。(やまひで)

本州縦断の旅①ー関門海峡を渡った(190820)

 自分のうっかりから関門海峡を渡ることになった。予定では、「小倉ー門司(ここでのりかえる)ー下関」だったのだが、久しぶりに鉄道に乗って、はしゃいでいたら、のりこしてしまった。致し方なく、終点の門司港まで。戻るにしても、ここまできたら小雨の中の散策を。

 真正面に関門海峡を渡る船を発見。小倉から岩国まで通しの切符を買ったが、ま、いいか。

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30分に一本ぐらいある定期船。17:24

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まっすぐに進む。ただそれだけ。17:29

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天気は悪い。それでも甲板から撮らなければ。17:30

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いつも、ここは行き交う船が多い。瀬戸内海側から来る船。17:31

戦闘艦は見当たらず。ほっとしながら、がっかりする自分。

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下関側につき、とぼとぼと下関駅まで歩く(徒歩30分余り)。途中の遊園地の観覧車。18:04

途中でそば屋をみつけて、夕食に。

岩国駅に着いたのは予定より遅れること2時間の22時30分頃。初日からの失敗に唸りながら寝た。

 

 

2019年9月 1日 (日)

ヘリ基地反対協議会のブログが立ち上がりました(おしらせ)

 ヘリ基地反対協議会ではHPをもっていましたが、この度、ブログが立ち上がりました。

www.mco.ne.jp/~herikiti/blog.html

これが同HP.このページの左側3番目にブログができています。開いてみてください。これで私のブログはよりヤマヒデ流を貫けます。反対協議会が載せるべきことがらについてはそちらにおまかせします。同ブログもどうぞご覧ください。よろしくお願い申し上げます。

また、海上行動は別にブログをもっています。こちらもよろしく。

https://henokoblue.wixsite.com/henokoblue

安倍政権、「被害ない」と、窓枠を落とした米軍ヘリの飛行停止要求を阻む(190830)

 米国海兵隊普天間基地所属の大型ヘリコプターCH-53Eがまたもや窓枠を落としたのが、2019年8月27日。その事実が沖縄県に伝わったのが翌々日の29日。30日、沖縄県は沖縄防衛局等に抗議し、原因究明と1週間の飛行停止を求めた。しかし岩屋防衛大臣は、事故は遺憾だが、飛行停止は求めないと表明。どういうことなのだろうか。「被害がなかった」からだという。

 しかし米国海兵隊はこの事故を詳細に認識すらしていないのだ。認識する必要すら感じていないのではないか。どこでおとしたのかすら把握していないのだ。落ちたのは後部の窓枠だが、これが落ちれば、乗員は気がつかないはずがないだろう。当然エンジン音やローターの音が違って聞こえるはずだ。また室内に強い風が吹き込むだろう。これで気づかないとすれば、余程油断していないか。このままでは事故は繰り返されるし、大事故も起きてしまいかねない。

 どう考えても詳細を隠すために居直っているんじゃないか。米軍はどうせ日本政府の抗議など本気じゃないから、聞き流せなのではないか。

 通報体制も1997年の日米合同委員会の合意である「在沖米軍ー在日米軍ー在日米大使館ー外務省」と「在沖米軍ー沖縄防衛局」の2ルートが正規の通報経路だと確認している。これが今回無視されたのだ。事故発生(27日夕刻)ー在沖米軍ー外務省(28日)ー沖縄防衛局(28日夜)-県や宜野湾市(29日夕)だったと報道されている(190831)。

 これだけデタラメな事態を岩屋防衛大臣は無視している。どうせ俺の頭上に落ちてくるわけじゃなしか。繰り返すが、日米政府が住民の安全に留意しないというのであれば、飛行停止に留まらず、在沖米軍は即刻沖縄から出て行くしかないではないか! 沖縄の人々は、沖縄の空を沖縄に取り戻そう! もしも沖縄の人々が諦めてものを言わなくなってしまったら、一巻の終わりである。米国・米軍大好きな安倍政権だからこそ、私たちの安全は私たちが守る意識をもつしかないのだ。そのために私たちはどうしたらいいのだろうか。

 ◎先行記事 http://ponet-yamahide.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-e818e6.html

図書館の利用者情報を3市立図書館が警察の求めに応じていたー糸満・名護・那覇ーどういうことだ?(190831)

 2019年8月31日の沖縄タイムスに因れば、糸満市・名護市・那覇市の図書館が警察の任意捜査である「捜査関係事項照会」に応じていたことがわかった。いったいどういうことなのだろう。

 図書館とはそもそも何かから始めなければならない。図書館法の目的にこうある。「国民の教育と文化の発展に寄与する」と。単なる資料提供の場に留まらないのだ。住民の知的発展に寄与することが求められている。そこに警察が個人の特定をしたうえで(無差別でも)、任意捜査として「捜査関係事項照会」を出し、読書の履歴等を収集することは、個人の内心への介入でもあり、恐ろしいことだ。捜査関係事項照会とは刑事訴訟法に基づく手続きだが、その照会の仕方は余りにも一般的であり、求められた方は、YESかNOかしかない。個々の判断のしようがないものだ(だからNOなのだが)。

 図書館の中には、照会に応じるのは義務だと考えていると新聞社の取材に答えたところもあるようだ。とんでもないことだ。図書館、図書館人として、襟を正すべきだ。因みに図書館の自由宣言にこうある。①図書館は資料収集の自由を有する、②図書館は、資料提供の自由を有する、③図書館は利用者の秘密を守る、④図書館は、すべての検閲に反対する。

www.jla.or.jp/library/gudeline/tabid/232/Default.aspx

こうしたことがまもられていなければ、利用者は落ち着いて図書館を利用できまい。図書館こそは、憲法が掲げる個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利(第13条)を擁護すべきだし、思想良心の自由(第19条)、集会・結社・表現の自由、検閲の禁止(第21条)、学問の自由(23条)、生存権(25条)などの住民の諸権利を守るべき機関でなければならない。ここに図書館の図書館たるゆえんがあり、図書館たる根拠があるはずだ。

 図書館の利用者は、無意識であれ、自分がこだわりたい事を如何にしたらできるのか、何をどうすれば良いのかを考えているからこそ来館する。読書等を楽しみながらも、どう生きたら良いのかを考える社会資源として図書館を活用しているはずだ。だから、図書館の潜在的な価値はもっともっとあるはずだ。そこで、諸個人のプライバシーが守られず、知る権利が侵されているとすれば、どれだけの損失になるか。住民諸個人の読書履歴・読書傾向が第3者に盗み見されているとしたら、安心して図書館を使えない。【註】

 特に沖縄では住民が基地のある暮らしに疑問を抱いた際の社会資源として図書館があることに気づけば、図書館は住民に大きく寄与するはずだ。政府が、警察が、ここに注目しているとすれば、恐ろしいことだ。これは沖縄に限らない。各地には各地の問題があり、同様に有力な社会資源であるはずだ。

 公立図書館は地域行政が運営しているが、地域の利用者がリクエストなどを通して図書館を育てているのだ。安易に公設・民営化して貸出冊数を競うだけの図書館になれば、地域住民の要望に応えられなくなる。こうなれば図書館の本来の姿を見失っているのだ。因みに、図書館は今述べてきたとおりの性格をもっており、首長の政治方針で偏向させてはならない。首長の図書館であってはならず、住民の図書館だからだ。

 今やインターネットの時代だからこそ、直接探している用語しかでてこない電子情報だけでは限界があり、事の本質を間違えかねない。その背後にある事柄や、考え方を探れる図書の意味を見直すべきなのだ。一見便利なデジタル社会になればなるほど、底の浅い人間になっていないか。監視の目が強まり、萎縮していないか。

 私たちは、改めて声をあげよう。検閲の廃止! これは私たちが生きていくために欠かしてはならないことなのだ。

 

【註】図書館のコンピュータは、住民基本台帳などの行政事務の機械とは、当然独立しているはずだ。そうでなければ、プライバシーもヘチマもない。図書館の貸し出し事務を司どっているのが、図書館コンピュータシステムだ。これは利用者が借りたものを返却すれば、貸し出し履歴に残らないと言われている。確かに端末のデータからは削除される。しかし大元のホストコンピュータの記録からも完全に削除されているのだろうか。私は疑問に思っている。

 なお蛇足ながら私は、公立図書館で9年余り図書館業務についていたことがある。






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