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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

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2019年9月 7日 (土)

秋田と言えば?(190907)

 本州縦断の旅もいよいよ後半戦に入る。2019年8月24日(土)の秋田から。今回は広島ー新大阪ー大阪伊丹飛行場ー秋田空港と移動した。このフライトはやや遅れたが、1時間ちょっとだった。これはわたしの偏見かもしれないが、予想外に近いのだった。大阪ー東京(550キロ)東京-秋田(約450キロ)計1000キロだが、大阪-秋田間の飛行経路だと811キロだとANAは記載していた。

 なんだか得した気分になった。今回の旅で秋田に寄るのは、今イージス・アショアで話題になっていること、これに関心を喚起したのが地元紙である秋田魁(さきがけ)の報道からだと知ったからだ。それに秋田在住の方が昨年末、辺野古に来られ、わたしが沖縄島の基地問題の概説をした縁もあり、連絡をとったところ、現地ご案内や懇親会まで設定していただいた。感謝である。

 わたしが秋田に出かけたことがあるのは、栗駒山(山頂は岩手県・宮城県の県境)の周辺が秋田県でもあり、また八幡平にも足を伸ばしている。また、7年前には秋田市に趣味の領分で遠征している。わたしが秋田県に馴染みを感じるのは、わたしが子ども時代に大変お世話になった人が秋田県人だったからでもある。

 子どもが育つのは親や教員によるばかりではない。親戚でも遠戚でもない人たちに可愛がられて育つことが多様性を担保するのかもしれない。

 そしてわたしが反戦運動に取り組んだ最初の1970年、最初にテキストにしたのが、むのたけじ・岡村昭彦共著の「1968年ー歩み出すための素材」(三省堂新書ー1968年刊)だった。これは、わたしの大学の先輩が勧めてくれた本だが、むのたけじさんが秋田県出身なのだ。彼は戦時中、朝日新聞記者で、従軍記事を書かされた。新聞が戦争を煽ったと考えて、1945年8月15日、退職し、郷里の秋田県横手市に戻り、個人紙「たいまつ」をこつこつと続けてこられた方だ。こう書けば、ただ秋田出身というだけの偶然かのように思う向きがあろうが、彼がこだわったのは、貧しい農村が故に兵隊にとられ、殺し殺されたことだった。そういう思想的なイデオローグに堕していた自分・新聞・新聞社にいたたまれなかったようだ。だから彼の誠意は決して個人的なものだけではなく秋田県民としての自己批判があったと、わたしは考えている。

 そしてもう一つわたしの決定的な秋田との縁をあげておく。1974年の一年間、わたしは就職浪人中だった。このときにわたしをサポートしてくれたのが、世田谷の若い労働者のグループであり、彼らから三軒茶屋のきりたんぽのお店で、幾たびも飲ませてもらった。きりたんぽは寒い夜に、暖かくキュンときたものだった。

 今回の8月24日の夜の懇親会でもきりたんぽをだしてくれた。懐かしいこと、懐かしいこと。そんな昔に戻ることはできないし、したいとも思わないが、懐かしさと感謝の気持ちだけは忘れまい。様々な縁があるから自分は生きてきたし、今回も新たな縁ができた。偶然は偶然だが、偶然を必然にするのは、自分の努力である。様々な縁を社会的なプラスに転じるのも自分の努力である。

 そして今回の出会いは、去る参議院選で勝った寺田静さんを勝たせたメンバーでもありました(当然か)。わたしが気に入ったのは、お一人お一人が個性的で、自治の心を育んでこられた方々ばかりでした。秋田には秋田のやり方がある、そこにこだわっている。わたしは沖縄には沖縄のやり方があり、世田谷には世田谷のやりかたがあると考えてきたから、納得納得でした。

 そんなことで後半を始めます。

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