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    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「旅行・地域」の記事

2019年9月19日 (木)

本州縦断の旅⑫ー番外編(三沢にて)

 本州縦断の旅も後半に入ったところで、書く私が息切れ。ブログの容量もなくなった。そこで三沢の番外編をまとめて。

 お子様の話と本屋の話。2019年8月27日昼の話から。三沢市内の中華屋で。私たちの隣のテーブルに米兵の妻とお子様3名の4人連れ。下の女の子は未だヤンチャ。テーブルの上にのりそうになり、お姉ちゃんがダメでしょと下ろしていた。お母さんは笑顔だが、しっかりみていた。彼女たちの会話はもちろん英語。ほほえましくて、こちらもついニンマリ。こういうのを見ていたら、私は米兵家族だからと怒ったり、揶揄するつもりはない。普通の街暮らしだ。借りている住宅はどでかいのかもしれないが(思いやり予算)、そこは見ていないし。

 翌日の夕方。雨降る中を一人で戦闘機音を追ったが、雲の上。何も見えず、撮れず。濡れただけ。三沢ベースのほぼ正面に本屋があった。つかつかと入ると、「防衛小6法入荷」の張り紙が。予想通り軍事関連の本が多い。だがちょっと様子が違う。「観光コースでない韓国」とか「観光コースでない沖縄」とかもある。よくよくみると、沖縄本が何冊もあり、私が読みたくなるような歴史本も多数。これは驚いた。

 思わず店主に話しかけたら、選択肢の広い本を置いていると。手に取ってみてもらいたいと。ナイスな本屋さんだ。近頃は本は売れないし、どんどん安易に流れているのだが、歯止めをかけようと頑張っているのだ。取り次ぎ任せにしていたら、どんどんバカボンばかりになっていく。

 大館の映画館(「新聞記者」を上映中だった)を知のプラットホームだと称したが、ここはまさに知のプラットホームだ。軍事の小都市でこうやる努力は大変なものだろう。

 その日の暗くなりかけていた時刻。夕食を食べ坂を下りていると、「おじちゃん」との声が掛かる。ほかにおじちゃんらしい人はいないので、振り向いた。目の前に3歳ぐらいの女の子。「オハヨウ」とか言っている。「こんばんわでしょ」と私。よく見たらお母さんが近くにいた。トボトボしていた私だが、急に元気が出た。お子様は未来を作るんだな。素晴らしい。

2019年9月 8日 (日)

本州縦断の旅⑪ー大館駅近くの映画館 御成座で「新聞記者」が上映されていた!(190825)

 2019年8月25日 午後になり晴れてきた

 予定通りの列車で秋田駅を発ち、大館駅に到着。約2時間。宿までどう行こうかと悩んだ末に歩くことにした。駅から2本目ほどの通りに御成座(おなりざ)なる映画館を発見。なんと「新聞記者」をやっているではないか!

 感激、感激! 失礼ながら地方都市に残されていた(いや、2014年に復活された)映画館がある。最高ですね。私は既に観ているので観なかったですが(失礼しました)、嬉しかった。

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この上の看板をみて唸った。思わずザックを置き撮りました。15:45

まだ上映中です。(~9月16日)詳細は以下。

onariza.oodate.or.jp

こういう場所は知のプラットホームと呼ぶべきですね。一人で盛り上がってしまいました。

余談ながら、このあと、宿が見当たらなくて探した探した。電話して聞いたが?? 思い込んでしまうと、見えるものが見えなくなってしまうものです。早くも薄暗くなり、吹き抜ける風が冷たかった。

 

 

 

 

本州縦断の旅⑩ー秋田市にイージスアショアの予定地を見て回る(190825)

 2019年8月25日 曇り 秋田の朝は涼しかった。

 今日はまず陸自秋田駐屯地を観る。第21普通科連隊。新屋の演習場は同部隊などの演習場だ。次に秋田港を観る。本件に関連して秋田港が重要なのは2つ。この港にミサイル等の軍事物資が運び込まれる。イ-ジスアショアの運用は日本海と太平洋側での海自のイージス艦の展開との統合展開になる。イージス艦が秋田港に随時入るようになるだろう。太平洋側の港も候補地があるはずだ。

 予想通り秋田港は「適地」だった。岸壁の長さ、水深、広さが戦闘艦や貨物船が十分使用可能だ。

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これは秋田ポートタワーの看板。岸壁の水深は13メートル。恐れ入りました。これでは米海軍の空母でも接岸できる。

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ここはフェリーターミナル。長さ700m。水深13.9m ここにクイーンエリザベス号も今年入港している。9万トン余りある船だ。(約100mの階から撮影)

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これは北西側の岸壁。長さ250mほどある。

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タワーから南側(旧雄物川上流)を観る。右上の煙突モクモクは製紙工場。その左奥が新屋演習場だ。煙で見えない。9:37

それでは新屋演習場に向かう。ポートタワーから新屋演習場最北端まで3250m(直線距離)。演習場は南北に5000m弱。東西に750m(幅広のところで)。

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周囲の道路を車で走る。フェンスの中が演習場。風力発電機が見えるだけ。10:24

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ここも中は見えない。10:28

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西側の道路。左(海)に防風の柵が。右側が演習場。

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イージス・アショア反対のポスターが出ている。

この演習場の何が「適地」なのか? ①秋田港かに近い、②陸自演習場の中であり、周囲をきにせずにできる。中を見られる心配がない(軍事衛星には丸見え)。

しかし、①道路ひとつ隔てた周辺(東側)に住宅街が広がる。小中学校、高校、特別支援学校、児相、障害者施設が固まってある地域。②県庁・市役所(両隣)まで3000m。住民の安全を何も考慮していないのではないか。

 因みに新屋地区だけでも人口は15000人余り(18年度)、秋田市全体で306321人(19年8月Ⅰ日現在)

 確かに東アジアの地図を広げれば、北に朝鮮民主主義人民共和国、中国、ロシアが広がっている。だからミサイルを撃ち込まれたら、安倍政権はここらで迎撃するというのだが、本気でミサイル合戦になりそうならば、まずここを叩いてくるよね(多分潜水艦からほぼ同時的な攻撃)。それがセオリーというものでしょう。周辺部の住宅街や秋田市の都心部に着弾しないと考えるのが非常識だ。夜間だろうから学校には人はいないかもしれないが、施設や住宅には多数の人が暮らしている。深夜或いは未明にたたき起こされるかも。否、ターゲットはインド・太平洋統合軍基地のあるハワイかもしれない。だとすれば上空を通過するだけかもしれない。このために住民の暮らしが脅かされて良いのか。政府・防衛省の狙いは住民の生活圏を後ろ盾とした米国の「国益」を守る攻撃・防衛拠点ではないのか。私たちは、武力には武力でを排し、外交力で、民際外交の力で市民・住民の安全を守りたい。

 何事も現場を観る事が重要だ。ご案内いただいたKさんに感謝。地元のKさんもダメだと改めて納得していた。

 

 

 

2019年9月 6日 (金)

本州縦断の旅⑨ーヒロシマと言うとき②(190824)

 2019年8月24日 晴れ 広島3日目 私は今日の午後から秋田に飛ぶのだ。

 二人して、ラストは平和記念公園と原爆ドームだよねと、一致。韓国人被爆者の塔も。

 宿から平和記念公園に向かう。

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元安川を渡れば、原爆ドームが近くに見える。10:04

ここは観光地? 被爆地であり、戦場であり、慰霊の地。だから光を観るだけでなく闇も観なければならないはずだ。闇を観ることは、後ろ向きなのではない。闇を観ようとするからこそ、生者である人間は、生き続けられるのではないのか。

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公園内から。10:06 爆心地からわずかな距離にありながら、よくも耐えたものだ。

バラの花は既に盛りを過ぎていたが、彩りを添えれば、この建物の意味が一層わかるだろう。あのとき(1945年8月6日8:15)ここに働いている人がいたのだ。私はまずもってこの一点を想起したい。この付近には、今平和記念公園になっているところを含めて、人々が暮らしていた場所だ。

このバラ園だが、世界中のあちこちから寄せられた、多品種があるのだ。醜い私たち人間が少しでも美しく生きるためには、自然力をお借りする以外にないだろう。

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韓国人被爆者の塔を探した。この塔は、以前は公園の外に置かれていた。中に置かれるようになってから、私たちは余り来ていなかったので探す羽目に。10:18

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亀の背中に建つ慰霊碑。形が複雑で、色々試してみたが、ベストショットを探しあぐねた。10:22

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こちらにこの慰霊碑の由来が出ている。10:23

末尾を記す。

「今なお理解されていない韓国人被爆者の現状に対しての関心を喚起し、一日も早い良識ある支援が実現されることを念じる。(中略)ー在日韓国青年商工人連合会および有志一同」

そもそもなにゆえに1945年8月の広島に韓国人がおり、2万人もの韓国人が亡くなったのか。この事実を私たちは踏まえなければ、私たちに「良識ある支援」などできるはずがないのだ。

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韓国人被爆者の塔から30mほどのところにある無縁仏。真正面から撮影。10:33

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同説明板。あちこちから掘り出されたお骨たちが埋葬されていることを知る。10:35

沖縄もそうだが、まだ埋もれた骨は少なくないだろう。ドデカイ爆弾で壊滅してしまったのだから、生存の可否を訴える人もいなくなり、ただ偶然発掘されるしかないのか? 

こうした下手人は米国・米軍であり、補佐人は大日本帝国だ。

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やや下がって撮る。10:39

無縁仏こそ、戦争の惨禍を表すことなのかもしれないな。生きるための再生は、私たち自身に掛かっているだろう。峠三吉が言う「わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ」とつながっているはずだ。

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もういちど、韓国人被爆者の慰霊碑を観る。このたたずまいが乱されませんように。10:42

「ヒロシマというとき」ー栗原貞子

「(前略)

〈ヒロシマ〉といえば

〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは

返ってこない

アジアの国々の死者たちや無告の民が

いっせいに犯されたものの怒りを

噴き出すのだ

(中略)

〈ヒロシマといえば

〈ああヒロシマ〉と

やさしいこたえがかえって来るためには

わたしたちは

私たちの汚れた手を

きよめねばならない」

 

それにしても私たちの手が益々汚されていることは、否定しようもないだろう。わたしにつながる人間であれ、あなたにつながる人間であれと思うと同時に、被害と加害を、加害と被害を受け止める思想が必要だろう。国家なるものが人間を分断している現実がある限り、この2重性を生きる以外にすべがないのだろう。

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平和の鐘。ドームをバックにドームを向きながら鐘をつく。手前左手の人は平和ボランティア。10:55

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元安川をみる。橋は広島の復興を標しているが、十全なのか? 11:02

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もう一度公園の中へ。原民喜の碑銘。「遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ堕ち 天地のまなか/一輪の花の幻」

唸るしかない。

これで私たちは広島をあとにする。私は新大阪ー大阪伊丹空港から秋田へ。

 

 

本州縦断の旅⑧ーヒロシマと言えば①(190823)

 2019年8月23日 ヒロシマの2日目。晴れ 

 今日はのんびり宿を出た。目指すは旧被服廠。平和大通りを抜けて京橋川に出たら、南下。南区文化センターの脇を右に入る。

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これだな。デカイ建物だ。9:47

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ゲートは閉じられている。9:50

確かに色々とゆがんでいる。爆風と熱線のせいか。

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窓枠などゆがみまくっている。9:54

しかしよく倒れなかったものだ。

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鉄板をアップに。9:59

苔むす。そういえば、どこかのお国にありましたね。「こけのむすまで」とかの楽曲が。こういうことをいんでしょうか?

どこかの大将は、「文学方面のことはわからない」って、言っていたよね。

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狭い通りを挟んで住宅街だ。地震の時は近づくなと張り紙してある。10:05

因みにここは1945年8月6日、臨時救護所になった場所だ。

峠三吉の「原爆詩集」のなかにある「倉庫の記録」がここでのことだ。

正直に言って、私はこれまでこの「原爆詩集」を読んでいなかった。栗原貞子の「ヒロシマというとき」などを読み、わかったつもりになっていた。峠三吉の詩は、もっとダイレクトだ。怒り・怨念がつまっている。これでもか、これでもかと、言葉を駆使し突き刺してくる。痛い痛い詩集だ。

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角を曲がるとこうだ。今は被爆遺構で、がらんとしているが、長さ数百mある。しかし当時はこの何倍もあった。高校などに売られてしまっている。大規模な被服廠だったのだ。10:07

次はどこに行くか? 近くに広島大学の医学部がある。そこにも記念館がある。

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赤煉瓦。広島大学医学部と言えば、放射線医療で有名だが、国・原発と癒着した研究も進められている。また個人的には私の旧親友がここを卒業して医者になった。初めてきたのだが、ちょっと懐かしい。11:26

広島大学医学部 医学資料館は、医学の一般的な展示で、放射線医療でもなかった。期待外れ。

ならばランチの場はないか。近くにナイスゲット。旨かった。

次は、平和公園を越えて中央公園へ。1時間ぐらい歩く。暑いがいいか。

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お目当ての大田洋子の石碑をみつけた。「屍の街」の詩文から。14:07

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石碑建立の解説文。14:09

文学者も苦労しているのだな。形で残すのは、ありがたい。

このあと、連れは再び原爆資料館を見たいと。私はパス。サテンで、秋葉忠利の「報復ではなく和解を」を読了。おっしゃるとおりだな。彼は数学者で、広島市長でもあった。

夜のとばりがおりてきた。

平和公園に入るところで原爆ドームを撮る。

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なかなかうまくいかない。18:27

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これでどうだ。18:33

ほどほどにヒロシマと言えばと言える1枚になった。ここはヒロシマを超え、どこの街でも原爆で戦争で壊されてはならないことを標しているのではないか。

公園内でつれとばったり会えた。

2019年9月 5日 (木)

本州縦断の旅⑦ー広島平和記念資料館の巻(190822)

 2019年8月22日夕刻。久しぶりに広島平和記念資料館に入る。実は今度の広島篇はつれ合いのイニシアによる。

 同館はこの1月にリニューアルされていると聞いていたので、どんなものだろうと思っていたのだ。つれが是非行きたいと。私の問題意識はこうだ。1発の爆弾で多数の人が殺されたヒロシマ・ナガサキ。沖縄は数ヶ月にわたる沖縄戦での被害だが、共通することがある。ジェノサイド(皆殺し)を是とする軍事の魂だ。私はヒロシマ・ナガサキとオキナワがもっともっと垣根を超えて、現実を直視していくことが重要だと思っている。そのためにはどうすればいいのかを目下思案中なのだ。

 さて平和記念資料館に入ると、平日の17時でも来訪者が多い。外国人が3分の1ぐらいいるんじゃないか。東館3階から。Ⅰ導入展示の3Dの模型がすごい。大きさは4m×3mぐらいか。廣島の町。原爆投下前と投下、そして、大地が揺らぐ。3Dだからなのだろうが、この揺らぎは何だ。建物が市電が自動車が弾き飛ばされていく。のっけからの衝撃はデカイ! 続いて、Ⅱ核兵器の危険性。①原子爆弾の開発と投下、②原子爆弾の脅威、③核の時代から核兵器廃絶に向けて。ややテキスト的だが要点がまとめられている。しかし一息入れさせてくれない。原爆の危険が迫ってくるからだ。

 次は本館。Ⅲ被爆の実相として、①8月6日の惨状、②放射線による被害、③魂の叫び、④生きる。すべてが具体的であろうと工夫されている。被爆し、切り刻まれていたり、血がついていたりの現物がそこにあるのだ。そして6日の写真を初め、衝撃のシーンがこれでもかと続く。いや、よくもあの日に撮りにいったものだ。後日、被爆して亡くなったフォトグラファーも少なくないに違いない。そこに映っている姿はこうだ。文やお芝居で、皮膚がヨレヨレにぶら下がっているとある表現がそこにみえるのだ。こうした表現は決してオーバーなものじゃなかったのだ。

 それと具体的に誰それさんがこうだったと、集合体にせず、個が語る方法が採られている。それでいて、断片にならないような組み合わせにも配慮している。私は唸るよというか、恐れ入りました。

 次のコーナーはⅣ広島の歩み。④戦時下の広島と戦争、⑤広島の復興、様々な支援、⑥平和な世界をつくるだ。この章は広島に原爆が投下された背景を明らかにしている。復興から核廃絶に向かう呼びかけが提起されている。

 このあたりに来て、私はややバテた。集中力が落ちたこともあり、知っていることが多いこともあり、ややはしょってしまった。ただ米軍は事前に原爆投下候補地を130カ所余りセレクトして原爆模擬爆弾を落としていたことを知った。計画的な確信犯なのだ。原爆2丁で米兵ら、日本人の死者を併せて50万人余りを減らした人道兵器だとのデマゴギーを完膚なく粉砕しなければならぬ。

 いやはや冷や汗たらたらでした。おっかねえ! 原爆恐るべきなのだ。これはイデオロギーに関係なく見るべし。しかしねぇ、この地球上から核兵器をなくさなければならないが、否、核そのものをなくす。巨大国が核兵器をもてあそんでいる姿をどうしたらかえられるのだろうか。核を使うな! もつな! おしつけるな! 一切の核実験をやめろ! 我が国の責任は余りにも重い。被爆国が核安保体制をとり、原発を推進しているのだから。この絶対矛盾に何故気づかないのだろう。巨大な破壊力によって水に流してしまったのだろうか。否、米日の共犯関係によって、責任の所在を私たちは問うことを忘却してきたのではないのか。その日本側のチャンピオンは天皇ヒロヒトであり、継いだアキヒトであり、ナルヒトだろう。

 これはオキナワを巡る話でも同様だろう。【未完】

◎見学には2,3時間を要す。生半可ではみられない。お子さんは同伴の大人がしっかりフォロ-してあげて。

本州縦断のたび⑥ー比治山陸軍墓地での対馬丸慰霊祭へ(190822)

 広島市内の今日の宿にひとまずデポし、比治山公園内にある陸軍墓地に急ぐ。

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比治山公園入り口にある陸軍墓地の標識 12:58

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ここ、行き止まりだ。13:04

右にカーブして、下りる。

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苔むす石。13:06

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そこに、これ。放射線影響研究所だが、今でも日米共同研究機関なのだ。13:12

悪名高いのは、被爆者の体を探りながら、治療を一切してくれなかったことだ。被爆による人体実験の研究機関だろう。怪しい怪しい。まだ現役の共同機関ということは、核開発の一端に日本も関わっていることにならないのか、疑念が湧く。

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陸軍墓地の入り口。13:14

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船舶砲兵部隊とある。輸送隊の一部で、乗客を敵の攻撃から守るべく配置されていた部隊だった。

対馬丸に41名が乗船。21名が亡くなっている。13:23

報道カメラマンが来ている。しかし「大東亜戦争」と右下の石碑にあり、そのなかに乗船していた対馬丸の学童も刻印されている。1944年8月22日に亡くなられた乗船者計1418名が亡くなり、学童は784名(6歳から15歳までの825人が乗っていた。他に836名の大人の疎開者がいた。他に乗員、兵員127名乗船)

大東亜戦争とは「大東亜共栄圏」を謳った侵略戦争を肯定的に掲げる名称。対中国との戦争の渦中、資源を求めて東南アジアにまで戦線を広げ墓穴を掘った戦だ。兵隊だって、好き好んでいったのではなかろう。命令であり、逆らえないものだったのだろう。しかし集団疎開は矢張り軍命であり、好むと好まざるとにかかわらず乗せられたのだ。国家のための戦は、人間の命を魚の餌に投げ出したのだ。真っ暗な海の中で、怖いと思う余裕もなかったに違いない。無念だろう。時は1944年8月22日。沖縄戦が始まる7ヶ月前のことだ。米海軍の潜水艦に捉えられたのは屋久島と奄美大島の中間地点の悪石島付近。この時点で大日本帝国は、奄美諸島、琉球諸島の制海権を奪われていたことになる。取り返しの効かない無謀な戦争だったことを隠し続けるべく、大日本帝国は生き残った人たちに「極秘」を強いていたのだ。

あれから75年が経っている。今回の慰霊祭は広島経済大学の岡本貞雄ゼミによる昨年に続く2度目の催し。

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ご住職が挨拶。こうしたことが繰り返されないようにと。14:04

県議と市議も挨拶。しかし沖縄の学童が亡くなっている事への衷心を感じることはできなかった。

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海洋少年団の代表が挨拶。戦争は絶対ダメだと発言。 ちょっとほっとする。14:21

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広島学院中学高校の生徒さんが生き残った人の手記を朗読。14:31

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呉海洋少年団が手旗信号で「助けて! 助けて!」と再現した。14:35

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広島女学院高校音楽部が合唱。「小桜の塔」と「月桃」。 沖縄の方向を向いて歌いますという姿勢に、私は誠意を感じた。小桜の塔は、1957年に建立された対馬丸受難者の碑。59年に那覇市若狭に移転。対馬丸記念館の隣にある。「月桃」はなじみ深い曲だが、慰霊が入っており、そうだろうなと思いながらも得心できず。

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陸軍墓地をあとにする。14:48

広島と沖縄は、軍事ラインでつながっていたのか。船舶砲兵隊は広島市宇品に駐屯していたのだ。

次は広島平和記念資料館にむかう。

 

 

 

 

 

 

2019年9月 4日 (水)

本州縦断の旅⑤ー呉軍港(190822)

 本日2019年8月22日の日程はぎっしりだ。岩国を出て、呉に行き、船で広島に戻り、宿に荷物を預け、比治山の陸軍墓地で対馬丸で亡くなられた方々の慰霊祭、そして広島原爆資料館を見る。

 予定通り、8:10頃呉駅に着いた。大急ぎで港の見える丘まで急ぐ。

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目の前のドックでは民間船を組み立てているようだ。8:38

沖の荷台はこのための部材を置いているようだ。

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大型船だが何だろう。右側に置いてある部材は、船体後方の素材なのだろうか。8:40

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大型のクレーンがレール上を前進中。8:40

ついつい見とれてしまう。

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大型クレーンの中心に作業員のボックスがある。ここで操縦しているようだ。8:44

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クレーン移動中。動いているよーと警報音が鳴り続けている。8:46

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旧石川島播磨のドック記念碑。ここで大和や長門を造りましたと。8:59

1993年の碑。

ここで呉軍港について

1886年、全国を5ブロックに分けて艦隊を置くことをきめた海軍条例を制定。

1889年7月、呉は第2海軍区として開庁。海軍の町、海軍工廠の町として栄える。

1896年 呉に水野組が誕生。軍港などの土木工事から始まり、今では五洋建設として海洋土木の筆頭企業。因みに辺野古の新基地建設を受注し、埋め立て工事中。

1935年3月から5月、「国防と産業大博覧会」開催。「非常時日本の意気と覚悟」を示したそうだ。

1940年、戦艦大和、この海軍工廠のドックから進水。

1945年7月、度々空襲にあう。戦艦、航空母艦も大破、撃沈される。

1945年10月、連合軍が進駐。

1954年10月、海上自衛隊呉地方総監部が設置される。

1955年6月、旧軍港市転換法公布さる。平和産業都市が目指された。

しかし戦後も自衛隊と(軍民の)造船の町に変わりがない。

現在、海自呉地方総監部。第4護衛隊群、第1潜水隊群、第1音響測定隊、第1輸送隊などが駐屯。Imgp0425800x600

JMU(ジャパン・マリン・ユナイテッド)正面入り口。9:04

ではフェリーの港まで戻るぞ。

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海上自衛隊呉総監部。旧呉鎮守府。9:07

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大急ぎで歩いていたら、海自の敷地に中学生か高校生か。50名余り。9:14

慌てて止まり、撮った。自衛隊への勧誘の夏休み企画だろう。女性自衛官がやさしげに説明中。

若者を戦場に引っ張るような国にしてはいけない。

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フェーリーの待合所(2F)から。赤白の鉄塔は海上自衛隊。奥のクレーン群がJMU.9:22

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荷台船上をこちらからみれば、デカさを改めて認識できる。9:26

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恥ずかしげもなく「大和のふるさと」だ。手前は海自の戦闘艦。旭日旗も見える。9:27

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予想外にも新鋭船「シーパセオ」がきた。これに乗れるのか。高松・呉・広島宇品港を結ぶ瀬戸内海汽船。10:11

私は乗り込む前に撮影と。速く乗れと叱られる。すいません。

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目の前に深田サルベージの船がいる。大浦湾の地盤調査をやったのがここの会社。呉が本拠だとは知っていたが。10:19

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手前は補給艦ときわ。奥が航空母艦に改修する動きがある話題の「かが」。10:20

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シーパセオ出港。「かが」でかい! 全長248m 19950トン(基準排水量) 10:21

以前にも戦艦を航空母艦に変更した歴史を日本国はもっているのだ。「専守防衛」など安倍政権や自衛隊トップには、ないようだ。日本国憲法を無視してどこへ行くつもりだ?!

今日は輸送艦3隻が全く見えない。どこで何をしているのだろう。

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シーパセオ甲板の上。10:24

やっと甲板の上で静かな気持ちに。

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ちょっと優雅な感じ。甲板に私一人だ。10:26

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瀬戸内海を行く。10:29

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広島側から船体の組み立て部材が運ばれてきた。10:40

広島が近づいてきた。

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広島宇品港に到着。11:00 予定よりも少々早く着いた。

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宇品港におりてシーパセオを撮り直す。11:00

ここは日清戦争以来、軍港にされてきた。

SEA PASEOが似合う平和の海であってほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本州縦断の旅④ー岩国駅(190822朝)

2019年8月22日 夜明け前から宿を出発。今日は忙しくなる。

岩国駅前の変貌ぶりを2ショットで。

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岩国駅に駅ビルが建ったのだ。駅前広場はまだ工事中だが。5:54

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駅ビル2階からあたり(西側)を見回す。ここいらは余り変わっていない。

時間の関係でビルの中を散策できなかったのは残念。

22日のスタートがこうして始まった。

本州縦断の旅③ー岩国基地②(190821)

 2019年8月21日 予定よりも午前の部を早めに切り上げてしまった。昨日の疲れもあり、きちんと食事を摂ろうと考えた。しばらくの休憩のつもりが、いささか伸びた。午後は岩国基地を高台から展望する予定だった。

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岩徳線の踏切を渡ろうとしていたら、警笛が鳴り出した。左右どちらから来るのか、これが問題だ。錦川線だ。左が岩国駅終点方向。いやはや鉄道写真は難しいのだ。13:27

その後、南岩国駅手前の高台への道を探したが、わからずじまい。ここ数年で町並みが変わってしまい、どうして? しかたなく、岩国基地の南側に面する門前川河口を目指す。

岩国基地は錦川河口の今津川と門前川に挟まれた砂州にある。ご承知おきください。

こちら(概ね門前川の西、山陽本線南側)は蓮田が広がる。

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花とつぼみ。15:21

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花と葉 15:23

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つぼみ。15:31

時間さえあればいくらでも撮れる。しかし遊んでもいられない。

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北側を遠望すれば、野球場? いつの間にか巨大なスタジアムができている。国と米軍が結託した形の開発がされていたのだ。15:42

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門前川河口付近から西に岩国火力発電所(正面左)東洋紡岩国工場(右)が遠望できる。ごらんのように蓮田が広がっている。ここはレンコンの里だ。15:51

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真正面が北側に位置する旧愛宕山開発地。この丘を削って、沖合に滑走路を造るために埋め立てたのだ。

今回は遠望のみ。左に見える煙突はゴミの焼却場。これはあったが、右の建物群の変貌ぶりに驚かされた。16:23

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南東の空にANA機。着陸する。16:31

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先頭がEAー18G電子戦機。後方はFA-18スーパーネット戦闘攻撃機か? 米海軍の空母艦載機だ。

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離陸したC-40A兵站輸送機。米国海兵隊の輸送機だ。16:45

軍用機はなりを潜めている。ならば、干潮になり河口に集まりだした野鳥を見るとするか。

私のこの二股戦術はなかなか優れていると我ながら考えている。

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ダイゼン。数羽いる。16:50

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ダイゼン3羽。潮がひくにつれ一点に集まってくる。16:59

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河口手前の海藻の上を歩き回るキアシシギ。17:05

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コサギとウミネコ。17:21

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ウミネコ同士が鳴き交わす。17:28

暗くなってきたので、本日の撮影を終えよう。東洋紡の手前の道を北上。南岩国駅を目指す。

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川沿いにゴイサギがいた。正面成鳥。右の茶髪は幼鳥。17:58

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レンコンの田のための排水施設。もう使われていない。残照が美しい。18:08

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正面から見ると。18:09

過去の施設だが、共同労働の史跡とも言えるのだろう。

蓮田は130㌶だそうだ。見渡したら確かに広い。辺野古・大浦湾の埋め立て予定面積は160ha.

私は改めて怒りを覚えたのだった。

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南岩国駅にgo! 残照の中の蓮田。美しきかな。18:17

南岩国駅周辺も変わっていた。

 

 

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