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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2019年3月24日 (日)

東京から帰ってきました(190324)

  東京から帰宅。今回は完全なプライベートなので報告すべき事はありませんが、余談を少々。少しゆったりしてきました。久しぶりに世田谷区下北沢や、旧住所近くにも行きました。やはり懐かしさもありますね。以前良く通っていたレストランはご夫婦共にお元気そうでした。覚えていてくださいました。
 他方、新宿(駅周辺)といい、池袋(駅周辺)といい、人が多すぎで、建物が詰まりすぎていて、息が詰まる。以前よくもこんなところで暮らしていたな。うっかりコートをもっていかず、寒くて、咲きはじめたらしいサクラを見に行かなかった。これは(コートをもっていかなかったこと)大失敗。今回も本屋さんには何箇所か行きました。見たり、買ったり。それにしても「平成」本が多いこと、あきれ返る。そんなにアキヒト天皇のこの30年が喜ばしいのかな。私にはわかりません! 相変わらずうんざりするような右翼本の山。こんなのが売れるのだから、それは沖縄のことなど、視界に入らなくても、無理ないな。やはり視界を見通す軸が大きくズレている。
 そのせいなのか、わかりませんが、池袋の地図を私は忘れていた。「ここは何処?」状態で、待ち合わせに遅れた。またしても、ごめんなさいでした。他方、先日1年ぶりで行った宮古島は、空港に降りた途端に立体図が頭に戻ったのに、この違いは何だろう。フォトグラファーは常に立体図で、立体図を再構成しながら見ているのです。大都会は物質がつまり過ぎているのかな。
 そういえば、今日恐ろしい話を聞きました。天井の窓ガラスが割れたというので、そんな低空飛行をやったのかときいたところ、否、部品が落ちたのだと。航空機のネジらしい(詳細不明)。そのときはよくわからなかったというので、「今度あったら,必ず撮影しておけ」と言いました。それはそうだが、万が一が、また万が一なんて、確率論的にはないんじゃないと。そうか、そこが沖縄と「日本」の差かな。どこであったとしても、詳細不明で自宅破損とか、詳細不明で「不慮の事故死」とか嫌だ。万・万が一だとしても。帰ってきた途端の暗い話で、恐縮です。
 明日、国は辺野古の次の区域に土砂投入を始めるそうだ。埋立て反対!自然環境の破壊を許さない!「日本」の土建屋の大儲けを許さない!

2019年3月21日 (木)

ブログが動き始めた(ブツ、ブツ)

 辺野古は暑くなってきました。ブログ管理者の大ドジ(メンテナンスの失敗・不具合)で、2日半何も書けなかった。入り方も変わってしまい、記事投稿などの画面も全取っ替えで、エー!です。全く別のブログになったようだ。慣れるまで往生しそう。
 明日から東京に行きます。やぼようばかりですが、一休みさせていただきます。色々と溜まってしまった用事もあり、余りブログに取り掛かれません。悪しからず。
 昨夜はご注文いただいた写真パネルの印刷等を行ないました。また、辺野古テントに張り出す写真パネルも制作しました。朝がたこれを貼り込んで、完成させました。タイトルは「私たちが守るべきものは何か?」。A4、3枚で構成。ほどほどのでき。今日張り出しました。お蔵入りするはずだった、パネルはスタッフの支持があり、捨てるのもったいないと言われてしまい、脇に張りなおした。ご支持いただくのは嬉しいのですが、スペースに限りがあり、どうしたらいいか試案中。以前に辺野古のファイルを制作しましたが、貸し出したら未だに返却されてこない。無料で貸し出さなければよかった。そんなわけで、新たなファイルを作るしかないか。
 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

2019年3月18日 (月)

一粒の麦のように、なんてできるのかな?(190318)

 このところ気が集中せず、SDカードの余りがわずかになり等々、室内外でスムースにいっておりません。昨日の昼間は、テントで久しぶりにダイサギ(シラサギ)を真近かから撮影に成功。良く見たら、冬羽から夏羽に生え変わる途中でした。嘴がまだ冬型。黒くなっていない。今のテントに何枚かのバナーを張っており、これが丁度良いブラインドになっています。これが幸いして、かなり近づいてくれました。そこに由里さんが戻ってこようとしたのですが、サギがいる、ヤマヒデさんに連絡しようと思って、テントの方角を見たら、私が撮影中であることを確かめ、その場に数分間待ってくださいました。そのかいあって、私なりに及第点をつけられるものが撮れた次第。感謝。お互いにこのぐらいの思いやりをもてれば、誰もケンカしない。自分の幸福追求を妨げられない、他人の幸福追求を妨げない。お互いの関心なり、クセをしり、配慮し合えれば、もっともっと充実した人生を送れるはずです。

 この例はささやかなことですが、ささやかだからこそ、大切にしたいものです。今日は1週間ぶりにTさんがきてくださいました。私の様々な活動を陰に陽に支えてくださっています。
今日の会話の中で、私が「『嘘つきは泥棒の始まり』と教わったものだが」を読んで欲しいのに、いまひとつ読まれていないのは、残念だと話したら、あれは良かったとお褒めいただきました。こんな言葉は今や死語なのでしょうか。私の拙論は、安倍首相らを批判するものですが、多くの人にぴんときていないのでしょうか。言葉の裏にある意味を汲み取っていただけたら、ありがたいです。まさか沖縄には興味があるけど、安倍には興味がないなんてことはないでしょうね。
 
 一人一人が信じる道を貫きたいものです。聖書に「一粒の麦のように」とあるようですが、人と話すことも写真を撮ることも、一粒の麦のように凛と生きれたら、言うことなしです。私など力不足ですが、そうありたいと思います。先日も今日もおいでいただいた方と、ワン・ツー・パーソンで(意味分かりますね)、話し合いましたが、個々にわが道を話し合いたいものです。ちょっとしたゆんたくの中に、なるほどねとの発想が見えたり、私も皆様との話し合いを楽しみにしています。
 一人の力は小さなものですが、一人ひとりが「一粒の麦」になれるように、力を尽くしましょう。「勝つ方法は諦めないこと」の奥にある意味を問い直したいものです。東京から来ていたある学生曰く「沖縄の人は楽観的ですね」といわれました。だが、悲観しても仕方がないのです。常に闘わざるを得なかったし、今また、足下に地獄が開いている現在、ここに目を大きく開かなければなりません。今諦めていたら、息子や更に下の世代にとんでもない時代を渡してしまいます。
 『一粒の麦のように生きて』などといわれたら、私も緊張します。しかし、これも励ましであり、見ていますよとのお言葉だと思えば、勇気百倍、否、万倍か。できるかできないかではなく、地道に努力を続けることだと、私は考えています。これからもどうぞよろしくねがいいたします。

2019年3月15日 (金)

蒸かし芋とゆしどうふの味噌汁とコーヒーの朝食(190315)

 今日2019年3月15日の私は辺野古テント村を休む。ゆったりと朝食を食べたかった。しかしそうもいかない事情があり、あたふた。漸く、蒸かし芋と、ゆしどうふの味噌汁と、コーヒーの朝食を食べた。余りない取り合わせかな。

 最近、相次いで物が壊れていく。ポットが寿命を迎え、電気ストーブがパチンと音がして切れた。CDも音が出なくなった。買い換えなければ、買い換えなければならない。先日の大西順子コンサートでも彼女らのCDを売っていたのだが、器械が壊れていたので買わなかった。サイン入りのモノを得るチャンスを失った。色々と気力が萎える。
 今朝のniftyニュースに「ローラ政治的発言連発に批判」だとある「まいじつ」の記事。下らない。賛意の反響をあげつつも、批判の声を大きく取り上げ、牽制しているのだ。こうやって個人の考えを抑え込み、ネトウヨ文化を翼賛するネットニュース。呆れるばかりだ。現在の政治文化を支える側は、一人ひとりが声を上げ始めることを怖れているのだろう。
 手前味噌だが、蒸かし芋とゆし豆腐の味噌汁とコーヒーもチャンプルー(ごった煮)文化だ。人間はチャンプルーになってこそ、様々な要素を取り入れた多様性こそが人間が生きていく上で、大きな意味をもつのだ。単一化することに無理があり、早晩滅びていくだろう。だがその自称、単一化(ナショナリスト)グループが権勢をほしいままにしている現代は、油断ならない時代になっている。
 だが日本文化に漢字は不可避。戦後日本政治は米国の支配下であった、あるのだ。自称ナショナリストのご都合主義は度が過ぎて、見苦しい。朝っぱらからめいることばかりだな。チャン・チャン!

2019年3月14日 (木)

今日の帰宅時の荷物が重くなったが(190314)

 本日、テントに行くと、沖縄県が出した基地関連資料がどっさり届いていた。素早い対応に感謝。メインは「沖縄の米軍基地(平成30年12月)」(沖縄県知事公室基地対策課刊)(A4 500頁余り)。大部な資料だ。プラスして、「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A」(沖縄県 知事公室基地対策課 辺野古新基地建設問題対策課) と 「沖縄から伝えたい。米軍基地の話」同 、「沖縄の米軍基地マップ」(沖縄県知事公室基地対策課刊)と「他国地位協定調査 中間報告」(沖縄県 知事公室基地対策課)である。

 早速、「沖縄から伝えたい。米軍基地の話」と「他国地位協定調査 中間報告」を読んだ。それぞれまっとうなことが書かれているが、特に地位協定に関する資料は、同じ敗戦国であるドイツ・イタリアの事例と日本国との際だった違いを示している。情けなくなる。やはり私たちは、日米地位協定の抜本的な改訂抜きに、このアリ地獄から脱することはできないだろう。ついでに一言指摘しておけば、ドイツもイタリアも自治体の権限が国に準じるほどあるようだ。自治体も米軍と同等に渡り合えるのだ。羨ましい。
 この国は、端から米国に膝まづいており、物を言える体をなしていないのだ。そんな国が偉そうに沖縄県には、大威張りなのだから、たまったものじゃない。
 帰りの荷物は重くなったが、煮ても焼いても食えないものではなく、「調理」のやりがいがある資料群だ。これからが楽しみだ。私は、以前から「平成25年版」を使っていた。しかし、「平成」などとの元号での記載はやめるべし。沖縄がこんな目に遭っているのは、天皇・皇室・元号の仕組みによるところが大なのだから。悲しいのだ。

2019年3月12日 (火)

どうしたら活路は見えてくるのだろうか?(190312)

 昨夜遅くに、また安倍首相出演のテレビ番組をツイッターで見た。民放のようだが、また大嘘を並べてへらへらしていたので、ついついブログに書きました。「嘘つきは泥棒の始まりと教わったものだが」と題して。私は護憲派でもないので、日本国憲法を掲げた政治論を余り書かないのだが、久しぶりに6法全書から日本国憲法の一部を引用させていただきました。そんなんで深夜2時までかかりました。寝不足だ。

 こう言ったからといって、私は改憲派じゃありません。誤解なきように。今日は辺野古テントで過ごしました。来訪者もそこそこ多い。一度に3団体とか、他に県内の学生が10名ほどできたり。
 私はもう時間がないと考えています。戦争の先端が直ぐそこで開こうとしていると考えているのですが、まだまだ悠長に構えている人が多すぎる。だから、沖縄と向き合うことを、おひとりおひとりが今から動き出すきっかけにしていただきたい。観光のついでに辺野古に立ち寄ったでもかまいません。沖縄と「日本」(46都道府県)との間に広がる時間と空間の断絶はでかい。この断絶を沖縄差別を如何にしたら、突き破れるのか? 日々、考えております。
 この沖縄にはまだまだ沖縄戦でなくなった方々の白骨が埋まったままの方がおられます。74年間も行方不明。無縁仏も。一家全員が亡くなり、誰も確かめようもない方々も。戦争状態の渦中で、そこに基地ができてしまい、立ち入れなくなったりしています。魂(マブイ)はまだまだあちこちに屯しているはずです。
 それでも沖縄の学生ら若者達の意識は、基地がある中で生まれていますから、戦争の中から基地ができてきたことの事実認識が希薄。もっともっとビビッドな反応を期待したいのですが、案外質問が少ないです。これは私たちの説明が足りていないからだとも思います。もっともっとすり合わせて、考えを深めていきたいです。
 これは先日の話ですが、神奈川から来た多分30代の男性。基地・安保問題の良し悪しを見極めたいといらしていました。新基地建設の問題を感じながらも、やはり安保・基地は必要ではないかと。こういう人に私は気を遣っています。畳み掛けるようにではなく、一つ一つ疑問を感じ、納得して行くように時間をかけています。1時間、2時間も。一発でざっくり分かるのは無理だと思います。
 しかし今戦争への道が開かれようとしているなかで、「あなたはこれを認めるのですか?、否ですか?」はまったなし。特に若者達にとっては。沖縄の大学の先生たちも、ここにきて、「若者達にどうしたら分かってもらえるのだろう?」との悩みをうち明けられました。
 74年前までは、国家に命を捧げるのが当たり前と言われていました。こんなことが当たり前だったのですが、何故でしょう。一人ひとりの命は鴻毛の如しと言われていたのです。 
 今は違いますか? 何処まで同じですか? 自分は大丈夫なのか、他人は。親から虐待死させられたり、入管事務所での暴行や、障害者施設での殺害。国外に目を転じれば戦争があちこちでおこり、難民は数知れず。
 自分だけの幸福追求は、他人を無視し、他人の不幸を呼び覚まし、結果的に自分も不幸になりかねないのが現実です。これは個人と個人の間だけではありません。国家を超えた関係が又重要です。そんなことを考えてもどうにもならないのでしょうか? 否、活路はみえてくるはずです。ここで言う活路は10人10色。お互いがお互いを尊重しあう関係を造ることは格別に大切なことです。
 

2019年3月 9日 (土)

伊良部大橋の上を歩きながらブリザード吹き荒れる下北半島を思い出した

 2019年3月7日、私は宮古島から伊良部大橋を徒歩で歩き、伊良部島・下地島まで歩いた。この橋を渡るのは3回目だった。だが今回は強い北東の風が終始吹き付けてきた。油断したら体が飛ばされそうなのだ。北東の風、約15m/sほどだろう。どうしても右腕に力が入る。ぎゅっと押してバランスをとるのだ。左足で踏ん張る。長さ4500mを50分で歩いた。途中で撮りたいところもあるのだが、余裕なし。ブレルし、それどころかカメラを吹き飛ばされかねなかったからだ。

 この強風で、私は1986年1月の青森県下北半島の小田野沢から尾鮫、天が森、三沢まで歩いたことを思い出していた。詳細は忘れたが、途中の一日、激しいブリザードに見舞われた。地吹雪という奴だ。一旦結氷した奴が飛んでくる。視界は悪い。野鳥観察や写真撮影の余裕なしだった。がそれでも歩きとおした。地元の人に笑われた。歩いてきたの?まだ30代の強みで、登山も現役時代のことだから、たいしたことはない。それでも防雪林とか防潮林のありがたさは身に沁みた。
 そういえば、その前に野辺地で東北本線から大湊線に乗り換え、大湊まで行ったのだ。この夜明け前の野辺地駅で唖然とした。缶コーヒー(無論、ホットコーヒー)をうっかりメガネの上に一滴落としたのだ。あっと言う間に凍り付いたのだ。取れないのだ。手袋を外して爪でぎゅぎゅ。取れないのだ。おそろしや。核再処理工場ができる以前の話だ。
 
 あれから30年余りの年月がたち、自分の体力も気力も落ちているから、程ほどの力でやりとおしたい。無理に力めば余計な力を消耗してしまう。焦らず騒がず。だが程ほどの力を振り絞らないと、パワーは出てこない。振り絞りすぎれば余計な体力を消耗して、バテル。今日の伊良部大橋は、波が打ち付けていたが、下を覗く余裕なし。海をのぞき見る高度感による怖さは、この強風によってどこかに吹き飛ばされていたのだ。
 しかしもっと怖いのは、強風やブリザードではない。原発の破局的な事故だ。だっからよ!

2019年3月 8日 (金)

宮古島から帰ってきました(19年3月8日)

 お久しぶりです。3月5日から今日8日まで、久しぶりに宮古島に行ってきました。直前まで体長がすぐれず、ドタキャンかとも思ったのですが、何とか無事に行けた。ただし、運悪く、丁度自衛隊のトラック等が入港した後の、抗議行動を見逃してしまった。初日は体休めにしていたために。しかしなんたることか。
 遂に宮古島にも陸上自衛隊宮古島警備隊なるものが新編された。対馬警備隊は朝鮮半島を挟むエリアでの警備隊ですが、こちらは350名の対中国警備隊。マジか!?
戦争の、軍靴の足音がケタタマシクなる。それでいて、観光が大きな顔をしている。この欺瞞がわからないのか。
 今回も4日間のうち3日間が雨。寒むかった。7日の伊良部大橋の4500mを50分で渡った。右手側からの強風で、私など車道側に追い出されそうになりながら歩きとおした。
暑いと、暑い暑いと文句を言うくせに、寒いと、気合入らない、と一人で嘆いていました。昔のように体力で押して押して押し捲る力がない。強風にめげず歩く時は独唱の時間でした。お酒は飲んでいませんが。
 帰ってきたら、5月に栃木県でサシバサミットが開かれると。いいなぁと。私は石垣島でカンムリワシセンサス(生息数調査)をやりたいと心の中で準備中。防衛省は遂に工事に着手。○防はえげつない。沖縄県の環境影響調査を逃れたいらしい。沖縄の軍事力強化は辺野古・大浦湾だけじゃないのです。絶対に!
 宮古島の話は後で。

2019年3月 4日 (月)

疲れましたが、そんなことも言っていられないさんしんの日(190304)

 今日はサンシンの日。12時を挟んでゲート前に上がりました。この場で聴くサンシンは一種独特。緊張を和ませてくれる。しかし機動隊が来て排除されて、私は後ろから前から横から撮り捲り。壷を心得ている私が撮れば、どうだと言えるものが量産できる。こうなると体調が悪いなどといっていられない。ガチガチガチっとやりました。だから嫌なんだが。

 機動隊のやり口は相変わらずだった。知り合いが排除される段は特に丁寧に撮りました。終ってからそのことをある方に話したら、承知していましたと。自分で撮れないので、宜しくと思っていたと。私も頑張った分、体が痛い。足踏まれたし。
 彫刻家の金城実さんは、やはり役者。渋い顔してないで楽しくいこうぜと。おっしゃるとおり。機動隊に排除されるからといって、気概を示せと。特に「日本人」に向かってこう言います。承知、承知、承知。
 今日サンシンの日のプログラムが始まる前に、ある友人からカメラを渡されて、自分も踊るので全体を撮ってと言われました。自分のと、他人のとで大忙し。久しぶりに器用なことをやったからか、あまり上出来に撮れず、申し訳ありません。タダだからお許しを。
 踊りをあわせるのは、先ず上手い人を撮るのが常道。上手い人を撮れば、動きが分かる。その動きを合わせていけば、大概の人も撮れます。否、撮れるはず。上手い人の動きはやはりひと目で分かる。いつもステキです。
 今日の圧巻は、片方で機動隊の乱入が繰り返され、反対側で泰然と踊っている図。彼女はプロだから、いつ見てもすばらしい。機動隊員があほらしく見えます。機動隊ももう30分待てば、サンシンの日のプログラムは終るのに、そうしない。お陰で道路の渋滞が続きました。沖縄防衛局・防衛省は「ここは俺の世界だ」と思っているようです。米軍の下請け役がこざかしい。
 皆さん、がんばりましょう。

2019年3月 3日 (日)

なんだかなぁ(190303)

 もう沖縄は暑いです。すっかり半袖1枚でオーケー。空を見上げれば、かなり発達した積雲が浮いていました。熱い暑い季節まであとわずかか。

 私は体長を少々崩して、体力がない。この間の過労でしょうね。無理をしないようにしているのですが、やらなければいけないことが山積みです。
 今、澤地久枝さんの「密約-外務省機密漏洩事件」を読み直しています。あの苦い記憶は今でも鮮明に覚えています。あの事件が日本のマスコミを大きく右旋回させていきました。「情を通じて、国家機密をばらした」と。国家による米日の沖縄返還に関わる密約を暴露したことを刑事事件にして、大々的に囃し立てた。多くのマスコミは、戦後日本国家の根幹である安保問題を遠げていった。沖縄を取材しても、さらりとやるだけになってしまった。
 また、この弾圧が、沖縄の日本帰属後の現実から私たちを遠ざけた一因になっているのではないかと、私は考えています。迂闊すぎたと。
 澤地さんは既に89歳ですが、未だに現役。毎月「3日」に「安倍政治を許すな!」のスタンディングを継続されています。立派です。
 しかし、安倍政治を生きている人々は、「安倍語」を話しており、私たちはこの「安倍語」に翻弄されています。安倍晋三氏は、「私が国家だ」と言い放って恥じない。国会論戦が成立していない。だからこんな暴言・妄言が吐ける。「あなたは王様だよね」と言いたくなります。
昨夜、ふっと考えたのですが、彼は外交の場でも、「安倍語」を話しているのでしょうか?通訳の人が可哀想過ぎますね。「安倍語」では国内では誤魔化せても、海外では無理でしょう。外交力以前の話じゃないですか。
 こんな人を首相にしている悲しさ。悲しきニッポン。たいした国です。沖縄を何処までも踏みつけながら、米国の属国でありながらの軍事大国で行くと。半端な軍事大国のおっかなさ。沖縄にはありえませんが、薄氷を踏みながらの匍匐前進。
 「安倍政治を許さない!」の奥にある危うさにもっともっと多くの人が気付かなければ、またいつか来た道へ。何で気がつかないのだろう。7月の参議院選挙の結果が気がかりです。

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