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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2019年1月15日 (火)

夜明け前から撮り、撮影モードで歩いたら(190115)

 今日は夜明け前に家を出て、大浦湾の瀬嵩(せだけ)で撮影。概ね予定通りの撮影が出来た。6時30分から9時まで瀬嵩、辺野古テント村に着いたのは、11時40分。すっかり撮影モードになってしまった(まっすぐに歩けば90分)。

 私は「歩くフォトグラファー」を自称しているので、歩きながらの気付きを重視している。今日、気づいたのは、二見トンネルから弾薬庫前の坂道で、眼下に運搬船が見えた。これを背景にゲート前から入っていくトラックを撮ったら、ダブル搬入を一度に撮れていいかも。また第2ゲート前のバス停を入れて、ゲートから入ろうとするトラックの群れとか、抗議集会に集った人々を撮るのも、絵になりそうだ。もっとも何事も予定は未定であり、思惑通りにいかないものだが、パースぺクティブをもっていれば、その状況の中で、瞬間的に動けるのだ。こうして宿題はたまっていくのだが。
 そして今日の成果は、3月締め切りの「視点展」のタイトルが浮かんだこと。まだそれを明らかにするのは差し支えるが、写真選びの前にタイトルが決まっていれば、構想を練るのも素早くできる。追加撮影も適格に可能だ。頑張ります。

2019年1月14日 (月)

今日で土砂投入1ヶ月(190114)

 2019年1月14日の朝を迎えた。2018年12月14日に始まった土砂投入から1ヶ月を迎える。辺野古崎近くの区域②-1は、既に半分近くが埋め立てられている。既に埋め立て工事はルーティンワークと化しており、既成事実が積み上げられており、自然が民意が打ち壊されている。

 この国は沖縄県が行なった埋め立て承認の撤回に目もくれず、姑息にも一時停止だけで、工事を再開したのだ。県は、「私人」のみがこの行政不服審査請求と言う手法を使えないものを沖縄防衛局が恣意的に使っているとして、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に申し立てている。これがどうなるのか(2月28日までに結論)。いずれにしても国(防衛省)のこのやりかたは、地方自治を実質的に奪うものであり、断じて看過できない。今もこうし「戦前」に回帰しているのだ。否、戦争が出来る国を目指している安倍政権にとっては、新たな戦争国家の創出の一歩なのだろう。
 埋め立てという実質と、行政権の恣意的な運用、自治の剥奪、民意の無効化の中で、私たちは如何に対処するのか。現場での闘いが続く。国内外での関心も格段に高まってきた。
 「沖縄の事は沖縄が決める」ことが、決定的に重要だ。これは沖縄の歴史からして当然のことだが、何も沖縄だけのことではない。住民自治の不可欠性は何処にあっても重要なのだ。一人ひとりの基本的人権を守り抜くこととも密接に重なっている。
 沖縄の中での意識が、たたかいがまだまだ弱い。分断がまかりとおって居る。お金による分断、上位下達の発想・無関心。74年前の沖縄戦を想起し、以来の基地を、沖縄のあり方を巡る闘いを想起しながら、私たちは如何に歩むべきかを定めていかなければならない。2月24日に設定された県民投票はそこにむかう第一歩である。
 この状況を、沖縄の闘いを再び孤立させてはならない。「沖縄だから仕方がない、沖縄が戦場になるのは止むおえない」などの考えを私は断じて看過できない。万が一にそうなったら、皆さん方もどうなっていくのか、ご賢察願いたい。海を守ることは人類の未来を繋ぐことになるはずだ。戦争への道は人々の命の営みを押しつぶしていくのだ。
 土砂投入1ヶ月という節目に当たって、私も何ができるのかをもっともっと考えたい。必ず止めたい。止める。

2019年1月13日 (日)

軍事にもっと目を向けて(190113)

 私はブログの中で軍事を大きく取り上げている。沖縄だから目が行くだけではない。軍事は、巨大な人殺しの、自然破壊のシステムだからだ。そんなものが巨大な利権とつながり、金儲けになっているからだ。憲法9条を守っていれば、平和で居られるという時代は終わっているのだ。否、これがそもそも勘違いだった。沖縄を軍事拠点として米国は、日本国に『平和憲法』を与えながら、再軍備を図ったのだ。この矛盾の極みが安保体制なのだ。

 戦後日本の経済復興は、朝鮮戦争と、これを梃子とした沖縄の基地強化で進んだ。今新基地建設の中心企業である大成建設はまさにこの中軸だった。沖縄や朝鮮半島の分断をよそに押しやり、私たちの視界の外で、この国は軍事化のベースを作ってきたのだ。知らぬが仏。 
 
 私が一番最初に米兵を見たのは神奈川県横須賀の町だった。1950年代後半のことだ。米兵は街にうじょうじょいた。正にここはアメリカの如しだった。いつの間にか大幅に減っていた。1960年安保を境にしてのことではなかったか。
 軍隊は人殺しが本務である。「自衛隊」といおうが、なんと言おうが、字面で事の本質を隠せない。今正に自衛隊は、米国・米軍の指令下で動かされていくだろう。もはや自衛隊も戦争法を経て、列記とした軍隊のお仲間に組み込まれた。堂々と両軍は一体的な演習を誇示するまでになった(19年習志野空挺団の降下訓練初め式等)。
 私が沖縄で見ていれば、2017年の朝鮮半島危機の最中の米軍や自衛隊の動きを見ていれば、一目両全だった。だからもっと皆さんも具体的な米軍の動き、自衛隊の動きに注目して欲しい。演習であれ、本番であれ。否、本番にさせないために。人殺しでも何でも儲かればいいという発想を克服したいものだ。
 軍事は余りにも具体的なことなのだ。その破壊力はどのように命を断ち切るのか。具体的だからこそ、徹底的に隠される。あたかもかっこよくみせかける。知らぬが仏でいってしまえば、オシマイなのだ。軍隊は、こんな狭い沖縄になぜ拘るのか。ここは世界でも稀な素晴らしい演習場だからだ。演習区域に制限されず、その内外に家があり学校があり、人が住んでいる。そのど真ん中で軍事演習ができるからだ。夜間訓練、吊り下げ訓練、パラシュート降下訓練、などなど。こうしたやりたい放題を認めてくれるのは、米国・米軍と言えども、日本政府だけなのだ。「粛々」とオーケイ!
 日本て、たいした国だったんだ。『美しい国』なんだ。涙がこぼれるほど悲しい国だったんだ。辺野古・大浦湾の自然を粛々と壊しながら、「サンゴを移しました」と平然と言える愚か過ぎる首相の支持率がまだそこそこあることが、有権者のオバカさん加減を示してくれている。だがなぜここまでバカ国になったのだろう。カモフラージュに誤魔化されてきたし、生きているという感覚を失ってきた。それにしても何故なのだろう?
 ひとまず私は、軍事の役割を正確に直視していきたい。このことを抜きに、アジアの、人類の平和を見定め、生存を可能とすることは不可能だろう。これ以上の愚劣さに私たちは、まみれないために、慎重且つ大胆な生き方の転換を図りたい。もはや待ったなしの局面にあるだろう。共に歩き出そう。
 
 
 

2019年1月12日 (土)

ちょっと撮影に出た(190112)

 今日の辺野古テント村は暇だった。天気も程々なので、私は撮影に出た。目指すは豊原の高台。徒歩20分だった。詳細は明日に譲るが、例の場所にトラックが数台入っており、埋め立て作業は進んでいる。帰途はやや遠回りしながら、他の埋め立て工事を撮れる撮影ポイントを探した。案外あるものだ。ただ第3者の方にご案内できる場所は限られてしまう。

 私が欲しがっているのは、電気屋さんが使っている作業車だ。電柱の工事現場で使う奴。あれがあれば、高さ4~5mアップできるのじゃないか。どなたか、ご寄付いただけないかな。まさか消防のはしご車は無理だろうから(冗談です)。
 15時30分ごろ帰ってきたら、数組の来訪者がおいでだった。テント村の皆様、ご苦労様でした。やはり、私には説明よりも撮影の方が、楽だ。結果が即出るし。
 
 1月9日と10日の米軍動向について、リムピースに報告した。ご覧ください。当ブログに書いたことだが、より正確を期すために写真を整理しなおした。特に9日のヘリの演習については、何処でどう撮ればいいのか分かったので、今後が楽しみ。ロケット弾のランチャーを付けたのが、びゅんびゅんには、びびりました。敢えて電線を入れて場所を特定できるようにしたのだ。こんな飛行訓練を正確に撮ったら、特定秘密保護法で揚げられかねないのだから、怖い時代になった。ご用心。

2019年1月 9日 (水)

世冨慶から見えた琉球セメント安和桟橋(190108)

2019年1月8日。辺野古バス停でバス待ちしていたら、先ほどお話した方々がレンタカーで通過。乗せていただいた。感謝。

 あっというまに国道58号の世冨慶についた。時間があるので、安和桟橋方面を撮影しておこう。どの程度見えるだろうか?
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安和桟橋。左が土砂運搬船。まだ積んでいないようだ。13:10
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本部鉱山の前に巡視船。PL41「あそ」のようだ。第7管区の福岡からお出でか。
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沖に2隻が待機中。明日大浦湾に来るのか。13:11
来なくてよろしい!

2019年1月 7日 (月)

もっと自由に! 2019

 2019年1月7日になりました。1月3日に予告したとおり、今年からブログを書くのは奇数日にしました。偶数日はアナログの仕事に邁進する。

 6日は雑務を行い、賀状の返信を書きました。7日になったので、少しブログに書いています。2019年は、沖縄では衆議院(沖縄3区)選挙と参議院選挙、全国的には4月に地方議員選挙が目白押し。安倍政権は改憲に踏み込むとしていますが、私たちはこれを押し返さなければならない。しかし事はこれだけでは終わらない。天皇の代替わり(改元)もある。
 私にとっての2019年は、1989年5月から30周年。沖縄に関わり始めて30周年を迎えます。ここまでよくきたものだ。最初に私を沖縄に行かないと誘ってくれた人たちは、どうしているんだろう。ついぞお目にかからない。寂しい。
 沖縄に来る皆さんから(東京などでも)、よくある質問に、「私たちに何ができますか?」と問われる。自分で出来ることをやってくださいと私は答えているが、それ以前に重要なことは、「沖縄に関わりながら自分が変わること」だろう。自分が変わることなしに、何も変えることはできない。沖縄に関わることは、先ず自分が変わることだと、あらためて思うのだ。
 ところで私は、絶対的敬意(臣民関係)の関係を認めない。歴史を偽造し、正当化するものを認めない。反省なき政治も認めない。だから天皇制も認めない。もっと自由に生きることは可能だし、新しい発見があり、暮らしを豊かに出来る。
 因みに最近のリベラルの言説で、アキヒトさんと安倍晋三さんの違いを言い立てる傾向があるが、無責任や偽造の本家は天皇制にこそある。それをいいことに政治が使ってきたのだ。特に安倍政権が。天皇制に関する言説は、言葉の意味を変えてしまう魔力があるらしいから、やっかいだ。
 
 「私に何ができますか?」 ハイ、もっと自由に生きようよ! だがこれが出来ない人も多いに違いない。自由を自覚できずに無意識のうちに縛られているあなた。この病は日本では重症らしい。
 だからこそもっと自由に!2019から、自分が変わる事から始めてほしい。沖縄の問題は、何も基地という事象だけではない。この奥に何が見えてくるか?
 もっと自由に、沖縄に関わり続ける持続する意思をもって欲しいです。

2019年1月 3日 (木)

2019年の当ブログについて

 2019年になりました。いかがお過ごしでしたか?

 本来ならば、今年の抱負とか書くところですが、まだ準備できておりません。もっと実務的なことを。今年のブログは、奇数の日にブログを書き、偶数の日はアナログデーにします。このため、毎日の報告は不可能になるかと思います。
 いささか説明しておきます。アナログの仕事もたくさんあるからです。資料整理、読書、思考の整理などなど。こうしたことからブログに反映させていきます。
 また、私も年令相応に体力の低下は避けられない。このため睡眠時間を確保しないと、キツイのです。そのかわり、テントの仕事との兼ね合いになりますが、ゲート前や海上に出来る限り出て撮影したい。そのためには、もっと多くの方が、辺野古テント村での座り込みに参加してくれたら、私の負担が減るのですが。どうかご協力願います。可能だと言う方がいらしたら、当ブログにある私のアドレスにメールください。

2018年12月31日 (月)

今年も終わっていく(181231)

 あと6時間で2018年が終わる。時の刻みは止まないのだから。2018年年末は大掃除のひとつもできなかった。情けない。365日がただただ時を刻んでいるだけなのか。悲しい。悲しみにくれることがありすぎる。途方に暮れることがありすぎる。

 「土砂投入に涙した」と言ってくる人が居る。私なんか「そうなんだ」としか思えない。もっと早く涙してよと思うからだ。それはマスコミが伝えていないから知らないのだろう。私たちが伝え切れていないのだし。私は、今涙してくる人に伝えるべき言葉を探している。どう話したら伝わるのか。無論写真もそうだ。どうしたら伝えられるのか?
 帰宅して、こんな言葉を目にした。「決定的なものは大衆である」(思想運動1036号)。違うだろう。「私たち一人ひとりが決定的なのだ」。こんなことをいっているから「左翼」は決定的にダメなのだ。「大衆」の語の中に、主体に立ち上がる人々を抽象化していないか。生身の私たち一人ひとりが立ち上がらなくてどうするのか?また私たちは、ものではない。主体そのものなのだ。
 安倍が言う「日本をとり戻す」ではなく、私たち自身を取り戻さなければならないのだ。長時間労働に呻吟している人たちも、セクハラに苦しんでいる人たちも、サポート体制がとられてこそ、立ち上がれるのだ。沖縄の人たちもそうだろう。何故、基地を容認してしまうのか、声をあげられる条件があるのか?声をあげる条件を作っていくことが必須なのだ。これを抜きに前に進めない。県民投票の成否は、正にこの一点にかかっているのではないか。
 だとすれば沖縄の私たちは、まだまだ負けていない。日本の人々も、徒労感に負けずに、徒労感を払拭できる人と人の環を作ってほしい。サポート体制の根底に問われるものだ。個人の力量だけで図ったら、展望はでてこない。
 

2018年12月29日 (土)

沖縄にも寒波が襲来(181229)

 昨日(181228)から名護でも強い北風が吹き出してきました。部屋に居てもビュービューの音が聞こえてきます。そんなわけで、座布団をしき、電気ストーブをだしました。

 ニュースによれば、北国では大雪が降っているとか。気をつけてお過ごしくださいね。また、火事などを起こさないように気をつけましょう。
 さんご礁の海が一番美しいのがこれからです。この海をまもるためにも、大浦湾でのグラスボートなどにも乗ってみてください。百聞は一見にしかずですから。それにしてもローラさんの人魚姿での海を守ろうと言う商業宣伝、なかなかの仕上がりですね。さすがプロが作っています。お仕事とご自身の考え方が融合したのか、自然体で発言されているようで、頼もしい。
 寒さに負けず、この国の無慈悲にも負けず、生きていきましょう。

2018年12月28日 (金)

フォトジャーナリスト広川隆一さんが性暴力事件を起こしていたとは(181228)

 「デイズ・ジャパン」が休刊になると聞き、どうしてだろうと思っていた。そんなさ中の18年12月26日、広川隆一さんの驚くべき話が流れてきた。「ブルータス!お前もか」だった。

 念のためにお断りしておく。私は広川さんとの個人的な付き合いはなかった(すれ違い様にお会いした程度)。デイズの写真展を見たり、彼のパレスチナの写真展も見ている。また「デイズ・ジャパン」についても、私の作風との違いが大きく、パラパラと見る程度でしかなかった。

 彼は、パレスチナ、チェルノブイリ、フクシマなどを長年取材し、2004年からデイズ・ジャパンの編集長等として活躍されていた。日本のフォトジャーナリストの中でも反戦・人権等の分野で確たる仕事をしてこられた。しかし今回告発されたことは、到底容認しがたいセクハラ事件だ。複数の女性たちに同意なき性的関係を強要し、裸の写真まで撮っていたということだ。そのうえ、当該の女性たちへの謝罪は「不実をお詫びします」だけだという(181226現在)。

 私は、彼の権威主義的なところを好きでなかった。これが男権主義と男根主義がひとつながりだったのだろう。海外・戦場取材経験も長い彼は著名なジャーナリストであり、何人もの若い女性が彼の門下を、会社を叩いたらしい。だが「神様のような広川さんに私は服従した」(buzzfeed news-181226)ということをしでかしていたのだ。

 「大義」はしばしば個人の歩みから外れ、一人歩きする。上半身と下半身がずれていくこともある。常に緊張の中にあれば、自己コントロールが利かなくなり、暴発して墓穴を掘る。私たちは、こうしたことに常に自覚的であり、常々自戒しなければならない。緊張には、和らげる事が不可欠なのだ。

 それにしても写真を教えてやると、ホテルに誘うとはどういうことだ。計画的だったといわざるをえない。まして有能な編集者、フォトジャーナリストを育成することも彼の仕事であり、願いだったはずだ。それを女性たちの可能性を殺いでしまったのだ。社員や弟子は上司や師の性的対象ではない。コピーでもない。

 何でこんな当たり前のことを書かざるを得ないのか。悔しい。誠に残念だし、情けない。

追記①:2012年ごろのことだろうか、宜野湾の知り合いがこう嘆いていた。広川さんに「普天間基地を撮りたいのだが、いいところはないか」と一日、案内させられたと。それを聞かされた私は、半ば呆れながら、著名な写真家はそんなにして撮るから、短時日で、いいシャッターチャンスに恵まれるのかと、思ったものだ。私は一度もこんなことしたことない。

追記②:「デイズ・ジャパン」の編集長が若い女性に変わったとき、暫く編集・紙面がかわった。だが、いつの間にか戻っていた。彼が院政を敷いたのだろうと、私は見ていた。 

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