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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「文化の目」の記事

2019年10月 2日 (水)

「文化を殺すな!」について朝の一言(191002)

 おはようございます。ツイッターを見ていたら、文化庁前の抗議行動に初めて参加したという人がいた。自分で動くこと、歴史を考えることなどを肝に銘じる良いツイッターだ。

 今の政府が推し進めていることは総じて、歴史を見るな、考えるな、言うことを聞け、こうしたことになる。愛知トリエンナーレへの介入もまさにそうした結果、補助金の不交付決定だ。

 他方でクリエイター関係の男性のツイッターには、「文化を殺すな!」とは過激すぎる、NOと言いたくないとあった。文化を巡る問題だから、YESでいきたい気持ちはわからぬではないし、統一のスローガンになると、一律すぎて嫌だとの見方もわかる。しかし文化庁さんの意図は政府に刃向かう不都合な文化などいらぬ、潰したいが本音。文化庁がこれまでにどれだけの文化振興に役立ってきたかとは別問題だ。

 文化庁がある種の文化・芸術作品を闇に葬る動きは、明らかに文化を殺すことに他ならない。これにNOと言わなくて何というのだ。クリエイターならば知っているだろうが、この国が過去に海外で、朝鮮半島で、中国で、沖縄で、どれだけの文化を殺してきたのか知っているだろう。また、戦争とは、特定の文化を差別し、壊し、文化の素材を壊し、担い手を殺し、受け手も殺すものであり、文化の基層とも言える言葉すら奪うものだぐらい知っているよね。今回の動きはこうした過去をなぞるものなのだ。

 YESというお仕事も大切だが、こうしたことを十分につかんだ上で、やっていただきたい。先に挙げたツイッターの方の感慨を私は支持する。

 後者の男性が「殺すな!」は岡本太郎が関わっていたと知っているようだが、同じ岡本太郎の中にNOもYESもあることぐらいわかるよね。これをご自身の感慨でNOを否定したら、この国が進めているこの国にとって不都合な文化抹殺にあなたが加担していることになる。

●上記の解説はこちら

www.jca.apc.org/~yyoffice/61KorosunaBadgeKaisetu.htm

●岡本太郎には「沖縄文化論ー忘れられた日本」中公文庫もあります。

 蛇足だが、文化とは自分の心の片隅にあるものではない。もっともっとずーんと大きなものなのだ。絵画でも彫刻でも、写真でも発信力があるから権力は恐怖する。展覧会はこうした発信の場であり、そこからどう他人に伝えるか・伝わるかだろう。私たちの努力は生きるためなのだ。だからこそ「殺すな!」と言わざるを得ないのだ。

2019年9月29日 (日)

愛知トリエンナーレ2019へのこの国のあり方に怒!

 愛知トリエンナーレ2019の「表現の不自由展」に対するこの国のあり方が極まっている。文化庁は当初、7800万円を補助するとしていたが、これを0円にすると決定。文化庁は、経緯から判断したので、内容については見ていないし、関係ないと言っている。しかし脅迫のメールや電話などが主催者に届き、河村たかし名古屋市長などが誹謗し、管官房長官らが牽制し、中止に追い込んだのだ。それを追認する文化庁であり、さらにおかしいのはこの7800万円なる金額は愛知トリエンナーレ全体の運営費に対する補助金であり、「表現の不自由展」にかかる金額の約16倍に当たる金額だ。

 文化が泣いています。この国の表現は官許の自由しかないと言うことだな。よってたかって潰しに掛かる時代に入っているのだ。これを文化に対する独裁という。これはいつか来た道。私たちはどこに押し流されていくのだろう。

 政治VS芸術・文化とかあるだろうが、敢えて言えば芸術・文化の方が間合いが遙かに広い。これを統制するということだ。人権VS国家の影も見えるね。人権は国家によっても踏みにじられてきたが、民主的な国家であれば個々人の人権を確保し確立していくのがあるべき道だ。

 芸術とは何か? これを考えておきたい。表現活動であり、その産物だが、人間がなす美的価値の追求だろう。美的とは美しい、美しくないではない。人間の、生命の生きることへの表現であり、讃歌であろう。要は生きることを阻む、生きることを無碍にすることへの抵抗や反発にも芸術的な価値があるということだ。

 かっての大日本帝国時代、様々な弾圧を受け統制され、型に塗り固められた。戦争賛美一色へ。殺しと従順の賛美だ。民族排外主義の賛美だ。GHQ(占領軍)の時代にも検閲があり、統制があった。52年4月28日以降もあったし、今もこうしてある。

 誰が抑圧しているのか? 邪悪な道に進みたい奴らがだ。人間とは邪悪なものでもある。だからこそ芸術が大事なのだ。

 沖縄の人々が言う「命どぅ宝」って、どれだけの人々が殺され、殺し合わされたりしてきた中から生まれたことばなのかを私たちは考えなければならない。死に誘導する統制に誘導する「文化」と闘わなければならないのだ。ひとまず「表現の不自由展」の再開を強く望む。必ず再開させねばならぬ。

 とうとう私たちは74年前の亡国に戻されてしまったようだ。だからこそ、しぶとく生きよう。怒りを超えて生きよう。

2019年9月28日 (土)

佐喜眞美術館で『沖縄戦の図』一挙公開(~2019年12月16日)

 宜野湾市上原にある佐喜眞美術館は今年開館25周年を迎えた。此を記念して『沖縄戦の図』全14部を一挙公開中。初めてのことです。「沖縄戦の図」を描いた画家は「原爆の図」を描いた丸木位里、丸木俊さんのお二人です。1980年代に入ってからでした。この絵に佐喜眞道夫さんがであい、あの普天間基地の一部返還を実現し、佐喜眞美術館を建設したのが1994年のことでした。

 こうして沖縄の地で、『沖縄戦の図』を見ることができるようになったのです。私はこれまで何回見に行ったのかわかりません。100回以上だと思います。だから当然14部を全部見ているはずです。

 これをみたら、沖縄戦を2度と繰り返してはならない、いいや戦争で何を守るつもりかとあきれ果てると思います。お二人の絵には凄惨な現場が描かれています。しかし一人一人の個が描かれており、生きようとした痛切なものが込められています。これらの絵にこそ「命どぅ宝」の思いが凝縮されているのです。

 お二人にとってはヒロシマ・ナガサキを描いたことと、「沖縄戦の図」とはつながっているはずです。人が生きることを絶ちきられていくことの深い悲しみであり、怒りであり、やはり「命どぅ宝」の命の営みを描ききることの一歩一歩だったのです。

 沖縄の島々が再び戦禍に巻き込まれていく動きの中で、私たちは過去から何を学んできたのか、学ぶのかをしっかりと確認するためにもこの機会にお出かけいただきたいと思います。

http://sakima.jp/

 

また、佐喜眞道夫さんの「アートで平和をつくる」(岩波ブックレット 14年7月刊)も参考になります。

2019年9月24日 (火)

文化活動こそ(190924)

 午後は昼食を外で食べ、新たなブログの構想を練る。余り代わり映えしないだろうが。Ⅳ期だから。「よんき」としたら「4機」とでた。私の心理を読んでいるのか? ニャロメ! 私はそんなモノを望まないのだ。

 帰宅したら2通の封書が届いていた。どちらにも演劇の案内が入っていた。懐かしさもあって行きたくなるが、むりだなぁ。ひとつは「野戦の月テント芝居」だ。演目は「2つ3つのイーハトーブ物語第2部 木偶ウーボの振り子」(19年10月19日~22日)。口上がたくさん書かれているが、現実批判の中から理想郷の影を追うかのような話なのだろうか。今回も台湾の役者も参加している。会場は国立市の富士見台4丁目の矢川上公園内特設テント(JR南部線矢川駅そば)

 もうひとつは劇団文化座の「地にありて静かに」。文化座といえば新劇の有名どころだ。こちらもタイトルだけではわからないが、北米のアーミッシュの人々の愛のドラマ。不戦の民族が外に飛び出したとき何を見たのか。2019年10月17日~27日。会場は両国にあるシアターXカイ。

 ここで朗報。文化座は来年沖縄で「命どぅ宝」を上演するそうだ。私は確か2017年に東京まで行って観ている。これは阿波根昌鴻と瀬長亀治郎が出てくる物語。この沖縄公演を是非とも成功させたいものだ。やはりそこで生身の人間が演じる芝居っていいよ。ぐっとくる。

 亀治郎と言えば佐古監督の映画「瀬長亀治郎不屈の生涯」がある。予告編を見たらおもしろそうだった。また先日開かれた公演、津嘉山正種(まさね)の朗読劇「瀬長亀治郎 不屈の生涯」(既報)もあった。

 今更亀治郎でもないはずだが、沖縄では今だからこそ亀治郎を読み直す、見直す事が重要な局面にあるようだ。亀治郎の生き方もあるが、あの時代は亀治郎と共に動いた人たちが層として動いていた。不屈というのは亀治郎本人のものでもあるが、何よりも沖縄民衆が不屈だった時代の事だから勇気と課題をもらえるのだ。

 及ばずながら私も沖縄の闘いを伝えるような努力を重ねていきたい。現場の闘いは重要だが、これだけでは広がらない。もっも広げるための努力があちこちから起こってこないものか。沖縄が米日政権によって再び戦場にされかねない今だからこそ、これを止める力が欲しい。止めなければならない。このための私たちの視線は国内に留まっていてはならない。アジアの人々と共に手を携えなければ、墓穴に蹴落とされかねない。

 

2019年9月21日 (土)

懐メロを聴いて-これはダメだ!(190921)

 昨夜、パソコンで懐メロ特集をやってしまった。3,4時間聴いた。ただ懐かしさに耽っていたのではない。やや教訓を引き出してみる。1960年代の日本の音楽シーンはアメリカンポップスから始まった。ザ・ピ-ナッツやら伊東ゆかり、中尾ミエ。これがオリジナル曲を始めたのが62年頃から。広い意味で歌謡曲。そういえば、高校時代(67~69年)、「走れ歌謡曲」などの深夜放送(ラジオ)を聴いていた。

 GS(グループサウンズ)が典型的だが、これらは殆ど歌謡曲ロック。フォークも流行った。60年代末と73年以降では全く違う。学生運動・反体制運動の波が潰され、夢も希望もなくなる。時代を反映していたな。

 この時代の中だと、北国ものはあっても、沖縄はない。南沙織は少し後。72年5月15日が大きいのだ。私が知らないだけかもしれないが。

 矢張り一番問題だと思うことは(今更だが)、歌謡曲、特に演歌は差別の塊だと言うこと。女性差別の塊。男が歌っても(おまえと見下げ)、女が歌っても(あなたと見上げ)。こういう感覚が流行歌ですり込まれているのだ。恥ずかしながら。左手でウーマンリブを唱え、右耳で歌謡曲だったのだ。こういう世代が時代の中で主流となり、一見進歩派が同時に保守に堕していった。

 文化戦略って重要なのだ。人の無意識を縛ってしまえば、簡単に押さえ込める。私は私。威張るな!

 補足。テレサ・テンは中国系の歌手。日本での歌はもろ歌謡曲だった。「空港」とか。私はたまたま中国で彼女のCDを買った(1995年)。声がまっすぐに届いていて素晴らしい。中国語だから意味はわからないが、歌謡曲を歌うテレサの顔とまるでちがうようだ。彼女には歌謡曲は抑圧的だったのだろう。昨日その画像を見ながら思ったのだった。稼ぎのために歌うのは辛い。

2019年9月15日 (日)

津嘉山正種「沖縄の魂 瀬長亀治郎物語」をみてきた(190914)

 昨夜、2019年9月14日、那覇市内にある沖縄タイムスホールで、津嘉山正種さんの一人朗読劇「沖縄の魂 瀬長亀治郎物語」を観てきた。会場は補助席を含めて一杯だった。

 私は津嘉山さんの芝居を観るのは初めて。どんなかなと思って出かけた。開始のブザーが鳴り照明が落とされ、津嘉山さんが舞台に入場。彼は初っぱなに舞台に入りそびれたようだった。ベテラン俳優も緊張しているのだ。おじいちゃんがお孫さんに瀬長亀治郎の追っかけをしていた経験を説明し、舞台設定が会場の私たちにわかる頃から彼はこの役柄(対話形式)に乗ってきた。以降、私はほっとして、時に緊張感を持ちながら聞くことができた。

 亀治郎が当時の那覇市民など沖縄の人々の支持・信頼を得て、如何に闘ったのかが、にじみ出る朗読劇だった。特におじいちゃんと孫との会話を通じて、亀治郎の言動を追うため、亀治郎の発言ばかりかその時代性を裏打ちするもが出ており、当時を知らない私たちの心にも染みたのではないか。また、復帰前の彼は、沖縄の人々の声をひたすら打ち出していた。2年間獄中に捕らわれて出所したときの万余の支持の声は彼を大いに励ましたはずだ。市民もまた一緒に闘えると励まされ鼓舞したはずだ。こうしたことは彼らが「共産党」ではなく「人民党」だった事がそれを物語っている。そして津嘉山さんが強調してやまないことは、今に至るも沖縄の現実は基本的に変わっておらんということだろう。ただここを解きほぐすためには、もっともっと2つの時代の考証を行い、明確に示すことが必要だろう。でもなんもかわっちゃいないのだというところは、観ていて、悲しすぎる。だからこそ、彼らの経験を引き継いでいく努力が重要なのだ。津嘉山さんのこの一人語りはこの意味で成功していると私は考える。

 余談ではあるが、会場に来た多くのお客様の中に、私の友人知人がどれだけ来ているかと思いきや、案外少なかった。普段現場に来ていない人たちが多かったことは、これからの可能性を示唆してくれるので、かえってよかったと思う。

 亀治郎の標語とされている「不屈」は亀治郎自身の不屈であり、なによりも沖縄県民の不屈だということも確認できた。だが復帰前と今の違いは、米国の支配から日本の支配になり、お金を積極的にばらまきながら分断支配していることが、より巧妙な支配になっていることだろう。これをオール沖縄の闘いとして跳ね返してきたのだが、まだまだであり、米日共同の支配を如何にして跳ね返すかが未だに課題なのだ。だからこそ私たちは「沖縄の魂」をリニューアルしていく必要があるのだと思う。

 15日も16日もチケットは完売しており、そうじて3日間でどうなるか。可能であれば沖縄県内で連続上演されることを期待している。

 なお、瀬長亀治郎の著書に「瀬長亀治郎日記」3部作がある。琉球新報社編。私も未だ読んでいないので、是非とも読んでみたい。否、読むしかないようだ。それは彼が、党派の人間であって、党派を超えたところに輝きがあったからだろう。

2019年9月13日 (金)

あいちトリエンナーレ2019 出展作家 表現の不自由展・その後 〈壁を橋に〉プロジェクト 今こそ集会

あいちトリエンナーレ2019 出展作家

表現の不自由展・その後

〈壁を橋に〉プロジェクト 今こそ集会

 

【発言者】

表現の不自由展実行委員会

●アライ=ヒロユキ(美術批評)

●岩崎貞明(『放送レポート』編集長)

●岡本有佳(編集者)

●小倉利丸(批評)

●永田浩三(武蔵大学教授)

 

9/15は下線のメンバー、9/17は全員予定)

●中谷雄二弁護団団長(9/15,9/17予定)

●李春熙弁護士(9/17

 

in 名古屋

日時:2019年9月15日(日)開場13時半、1416

会場:東別院会館2階 蓮・橘

(地下鉄名城線「東別院駅」4番出口より、西に徒歩約5

資料代:1000

 

in 東京

・ 日時:2019年9月17日(火)開場18時、18:3020:30

・ 会場:文京区民センター2階 2-A

・ 資料代:1000

 

【〈壁を橋に〉プロジェクト支援カンパのお願い】

中止発表以降の不自由展の保全活動を含む、再開のための様々な活動と、仮処分申し立てに関する費用がかなりかかります。全員東京在住のため新幹線だけでもすでに相当な金額になっています。趣旨をご理解いただき、どうかご支援のほどよろしくお願いします。

 

口座名「表現の不自由展実行委員会」

郵便振替:10140-94898811

ゆうちょ銀行 店番018 普通9489881

 

主催:表現の不自由展実行委員会

■ 問合せ:info@fujiyu.net

公式ホームページ http://fujiyu.net/fujiyu/

FB https://www.facebook.com/hyogennofujiyu/

ツイッター @hyougen_fujiyu

 

(呼びかけ文)少し長いですが、お読みいただければ

■8月1日に開幕した、日本で最大規模の国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」(以下、不自由展)がわずか3日で中止されました。この中止決定は大村秀章愛知県知事と津田大介芸術監督によるものです。作家たちへの事前通知もなく、私たち不自由展委員会と約束した協議もありませんでした。

 

■「表現の不自由展・その後」に対して人種主義や性差別、日本の植民地責任・戦争責任の否定を背景とした不当な攻撃があり、あいちトリエンナーレ事務局が大変な困難にさらされたことは事実です。しかし、こうした攻撃が日本社会でマイノリティにかかわる表現に加えられるという状況は、あいちトリエンナーレから始まったわけではありません。、そうした現状こそが2015年の「表現の不自由展」、そして今回の「表現の不自由展・その後」が展示を通して問題提起しようとしてきたものです。

 

■しかし、「表現の不自由展・その後」が中止され、再開されることのないままの状況は、結果的に不当な攻撃の効果を主催者自らが肯定し、後押しするものになってしまいます。

 

■作家や市民からは、理不尽な妨害、攻撃、脅迫への抗議し、再開を求める声が同時多発的に上がっています。それは日本を超え世界に広がっています。

 

■私たちは中止が発表された8月3日当日、その一方的中止に抗議し、それ以来一貫して展示の再開を求めています。しかし、あいちトリエンナーレ実行委員会・大村秀章会長との再開のための協議は実現していません。

 

■私たちは繰り返し協議を呼びかけ、今まで待って待って待ちづつけましたが、このままでは時間切れで会期が終了してしまいます。

なんとしても再開のための具体的な対策も含めた協議の場を作るために、仮処分申し立てに踏み切ることにしました。これがトリエンナーレ実行委員会と契約を結んでいる不自由展実行委員会が取りうる現実的な手段であり、小さな風穴をあける可能性にかけたいと考えたからです。苦渋の思いでの選択です。

 言うまでもなく、これは、市民の皆さん、作家の皆さんがそれぞれの立場から努力されている「再開のための行動」とともにあるものです。

 

■不自由展会場入り口を塞いでいる巨大な壁の向こうは、8月3日のままです。私たち不自由展委員会は東京〜名古屋を往復しながら交代で作品を守っています。

 

「壁が横に倒れると、それは橋だ」(アンジェラ・デービス)の言葉から、私たち不自由展実行委員会は、再開を求める行動を「〈壁を橋に〉プロジェクト」と命名し、再開に向けた具体的な対策も提案していきます。

■この〈不自由の壁〉を倒し、「表現の伝達と交流の場」を取り戻すのは、私たちです。〈不自由の壁〉を倒したとき、それは、民主主義の基本である表現の自由が守られる世界への「橋」となるでしょう。

 

 ともに知恵と力を出し合っていきましょう!

 

 

 

 

2019年8月19日 (月)

短歌甲子園で沖縄の高校生が団体準優勝(190818)

 全国21校の高校生が短歌を競う短歌甲子園(主催:同大会実行委員会)が盛岡市で8月18日に行われた。沖縄から参加した昭和薬科大学附属高校の3名が準優勝に輝いた。「特別審査員小島ゆかり賞」も同じく國吉伶菜さんが受賞した。

 島袋乃碧さんは「灰色の箱が生み出す爆音は 今か 咲く花ただ揺らすのみ」と詠んだ。灰色の箱とは基地のことであり、咲く花とは自身を含む住民。「ただ揺らすのみ」の「ただ」に感慨が込められている。

 國吉さんは「碧海に コンクリートを流し込み 儒良(ジュゴン)の墓を建てる辺野古に」。沖縄の高校生の面目躍如だね。まだコンクリートは流し込んでいないなどと野暮なことは言うまい。

 同校は浦添市内にあるので普天間基地のほど近く。浦添から辺野古を詠む高校生がいるのだ。

2019年8月12日 (月)

映画『新聞記者』を見てきました(190811)

 台風9号が去った8月11日、那覇にある桜坂劇場に行ってきました。映画『新聞記者』を上映しているからです。2時間びっしり闇の世界を照らし出す画面を見つめてしまいました。

 噂に聞いていたとおりというか、それ以上だったり、なんだだったりを以下に記します。

 やはりこうした映画が、今でき、公開されたことが快挙です。実に今の空気の中で練り上げられた作品でした。例えば、伊藤詩織さんへのレイプ事件のもみ消し事案やモリ・カケ問題が起きるなど、政権は真っ黒ながら、ごまかされているという恐るべき自体の中で。映画のスートーリー展開もまさに現代風。新聞記者の吉岡記者(シム・ウンギョン)と内閣情報調査室の若き官僚の杉原(松坂桃李)が主人公です。杉原の元上司が自殺してしまうことから話は急展開。キーワードならぬキーピクチュアが真実に近づき、2名を結びつけていく。家族を巻き込む心理劇としても、役者さんの好演もあり、納得。

 フォトグラファーである私は映画を見ると、当然カメラワークに目が入ってしまいます。実に優れたカメラワークが光ります。これだけみていたら、大拍手。官邸前だったり、国会前が出てきますから、私の通いなれていたところ。それだけにポイントを押さえていることが痛いほどわかります。ラスト近くで、お二人が近づくシーンでのそれぞれのバックのぼかし方。にくらしいほど。

 しかし時代に迫ろうとしただけに、難しさもあったようです。新聞記者なのか、内閣情報調査室なのか、半端だという批判も散見します。ここは闇の世界である後者よりも前者に的を絞るべきだった。映画の中に望月衣塑子記者もでてくるのですし、もっと実態に迫れたはずです。いや、本人をだしてしまったから、実態に迫れなかったのかもしれません。内調は闇でわからないのであれば、闇であることをもっと大胆に示唆すべきでしょう。

 この映画を生み出したのは望月さんとプロューサ-の河村光庸さんの活躍によるのでしょう。まだまだちぐはぐさが残るのは、制作集団内部の不統一もあったのでしょうか。

 舞台に乗せられるのは、下っ端ばかりで、首相や官房長官、官房長、などの責任者が出てこない。新聞社もデスクだけ。これだけの事案になれば、編集局長や経営陣との葛藤を映し出して当然。論理展開的にはいささか無理がある。よく言えば絵に描いたように分かりやすいが、オイオイのところが随ぶんありました。シリアスさをカメラワークだけで押すのはちょっと。

 もっと切り込むためには、もっと熟議が必要だったのでしょう。ただエンタメとして興行収入をあげるためにはお客がはいらないとならないから、この程度のわかりやすさが適度だったのかもしれない。ジレンマですね。

 文句つけましたが、わざわざ那覇まで行った甲斐はありました。これだけははっきりさせておきます。 

2019年8月 1日 (木)

若者たちはどこに行くのか?ー歌に寄せて(190801)

 「歴史をまるで知らない若者たち」を書いた。気が収まりきれず、「戦争を知らない子供たち」を思い出していた。1970年の曲。ベトナム反戦の時代の中で、アジア太平洋戦争を知らないと。時代は移りゆくのだから、様々に情景も入れかわっていく。なんてことでパソコンで遊んでしまった。

 1967年 「思い出の渚」歌:ワイルドワンズ、「バラ色の雲」歌:ヴィレッジ・シンガーズ

 1968年 「亜麻色の髪の乙女」歌:ヴィレッジ・シンガーズ、「小さなスナック」歌:パープルシャドゥズ

 1969年 「遠い世界に」歌:五つの赤い風船、

 1970年 「戦争を知らない子供たち」歌:ジローズ

 1971年 「出発の歌」歌:上条恒彦と六文銭、「翼をください」歌:赤い鳥、「また会う日まで」歌:尾崎紀世彦

 この1971年に南沙織の「17歳」もでている。すべて懐かしい。1971年は沖縄返還をめぐる闘いがあった時代だ。南沙織は返還を見越して沖縄からデビューし、大いに売れたのだ。当時はまだまだレコード。南沙織のはレコードもCDも持っていた(後者は現存)。

 因みに私は67年が高校1年、70年が大学1年。

 今こうした曲を聴くと、70年安保に負けて、闘いは大きく後退したのだが、71年の曲は案外希望を捨てていない。時代状況とヒット曲、自分の頭にも曲の流れが残存しているものをここにあげてみた。個人的に大好きだった曲・歌手は秘密。

 約10年飛ぶが、1980年「雨の慕情」歌:八代亜紀 は「雨雨降れ降れ、もっと降れ」のフレイズが忘れられない。確か北アルプスの後立山縦走を目指し、毎日雨に打たれ、雷雨に襲われ、コースを変更して下りた(単独行)。体で記憶していることは忘れないな。2800m余りの稜線の上では「慕情」もへったくれもなかったが。やけくそ的なのりだった。

 昔の若者たちはどこへ行くって、いつの間にか安住してしまい、「青年は荒野をめざす」(五木寛之の小説)を外れ、忘れ、荒れ野を作り出してしまったのではないのか。2000年代に入ってから、2001年9月11日、2011年3月11日、安保法や明文改憲などに恐れを抱いて、活動を再開した人もいるが、空白の30年から40年を議論した記憶がない。機会があったら、議論してみたいものだ。

 今の若者たちに待っているのは、「お国のために働け」であろう。これを正面突破するためには、相当なエネルギーと、豊かな発想がなければかなうまい。この50年を総括するような歳になってしまったが、改めて歴史を学び考えることなしに私たちの未来を切り開くことはできまい。若者を嘆いている場合じゃないのだ。

 

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