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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「文化の目」の記事

2019年3月10日 (日)

沖縄に来て初めてジャズ(大西順子トリオ)を聴きに行った

 沖縄の名護に移り住んで5年半。初めて沖縄でジャズを聴きに行った。何しろあの「大西順子」が来ると聞いたら行くしかない。あれは20年余り前のこと。東京に大西順子(p)が現れた。斬新でパワフルなピアノを叩きだしていた。

 日本人のジャズピアニストには、片隅に置けないナイスプレーヤーが居るのだが、私が好きな女性ピアニストでは高瀬アキとこの大西順子だった(男性ピアニストならば辛島文雄)。この二人、全く違う傾向の音を出す。アキさんは繊細でしなやか、順子さんは斬新でパワフルといったことろか。
 そんな大西順子だったが、いつのまにか東京のライブスポットから居なくなってしまった。何処に行っていたのか、私は世界中をくまなく探し出すほどのウルトラファンまでいかなかったので、それっきりになっていた。何年かして日本のジャズシーンに復活したと風の便りできいていた。そうこうしているうちに私は沖縄に引っ越してしまい、永遠の別れかと思いきや、今回のチャンスに恵まれたのだ。
 6000円は痛かったが、琉球新報ホールの前から5番目のど真ん中の席をゲット。しかし、期待値が大きかったせいか、パーナルの井上陽介(b)が個人的な音楽外の失態(沖縄に来て、お金を落としたらしい)で、集中力を欠いていたのか、掛け合いなどのジャズらしい表現力に難があった。残念。ドラムスは高橋信之介。まだ比較的若いが繊細な音を叩き出すドラマーだった。
 ジャズってノリがいいだけではダメだめだ。プレーヤー同士の共鳴力が大切だ。そして、どれほどのイマジネーションを喚起できるかだ。これがほとばしるようにでるのが、最高なのだ。この意味で大西順子は自分の型をもってしまったのかもしれない。ジャズって型を破り続ける永遠の変革者じゃなければ、つまらなくなってしまう。これは大変なことなのだ。
 
 余談だが公演料6000円。往復の交通費が約3300円。宿泊費が約4500円だから、高くついた。だが、年に一回ぐらいは贅沢してもいいのじゃないの。写真もイマジネーションだからね。
 

2019年1月18日 (金)

直木賞に「宝島」(真藤順丈著)だと

 今回の直木賞に真藤順丈さんの「宝島」が選ばれたようだ。私は未読であり、何も紹介できることはないが、沖縄戦後のアギヤーたちが主人公。何もない時代に「別世界」だった米軍基地から物資を盗み出して、生活の糧にしていた、せざるを得なかった時代生きた人々を描いているとのこと。

 若い著者が、この時代をどう見て、描いているのか、興味深い。あれから70年余りの時間がたち、大きく変わった今。米軍基地は未だに巨大であり、その影響力は絶大だ。米国への従属という悪弊を断ち切れないこの国の指導層は意固地になるばかりだ。
 
 非文学的な私だから、歴代の直木賞作をどれだけ読んだか、チェックした。たったの7冊だった。人間は理性や悟性だけで動いているものではないが、それにしても金権と情動だけで動く近頃の「人間性」なるものを克服しなければ、人間界は破綻する。
 大衆文学は売れ筋を外すことはないのだろうが、多くの人が金権と情動の中でもがいている今、そこをかきまぜる面白い働きをもてれば、いいな。
 アギヤーたちは、生きることに真っ直ぐだっただろう。今は横向いたり下向いたり、現実逃避策が多すぎる。何事も曖昧にされ、忘れられていく。
 
 「県民投票」を巡ってもそうだ。2択じゃならぬ、4択に、これが蹴られたら、5市長は県民投票事務をやらぬと、曖昧にして、無効化する策略に出てきている。
 そもそも基地・軍事を曖昧にはできないものだ。これが沖縄の、沖縄戦を経た総括だったはずだ。軍隊は住民を守らないと。
 こんな暮らしに誰がしたのだ?! 

2018年12月28日 (金)

何故、日本の芸能界は発言が封じられるのか?

 日本国憲法を俳句で謳ったら、市報に掲載されなかったと、裁判沙汰になった。日本国憲法を守るのが公務員であり、市のはずだ。にもかかわらず、市民に余計な労力を強いたのだ。こうしたことがさもあたりまえになっているのが現代だ。真におかしくなっており、危なくなっている。油断できないのだ。

 ところで日本の芸能界に張り巡らされた政治へのフェンスは余りにも高いようだ。芸能と政治は暮らしの中でつながっていたものだが、これが戦時中に切断され、国家に取り込まれた。敗戦後の厭戦気分は、多少ともこの関係を揺り戻したものの、戦後世代の人たちが第一線を引いた今日、また酷いことになっている。
 モデルのローラさんが辺野古の埋め立てに待ったをかけるホワイトハウス宛の国際署名にツイッターで呼びかけた。520万のフォロワーがいるらしく、影響力を発揮してくれているようだ。また、ウーマン・ラッシュアワーの村本大輔君も呼びかている。
 これにたいして、愚図たちが難癖をつけている。芸能人はダマッとれ式の言説で。しかしツイッターは個人のもの。所属事務所のものでもない。個人の表現の自由を侵害することは、芸能人だからといって許されることではない。芸能人だからいって、この社会に生きている以上、いいたいこと、いうべきことはある。当たり前すぎる話だ。
 ローラさんは人魚スタイルの広告にも出ている。辺野古の海は、人魚のモデルであるジュゴンの棲む海だ。だから今回この呼びかけを拡散してくれたのか否かは、わからないが、思うところがあったに違いない。嬉しい限りだ。村本君の言いたいことを言う姿勢は健在だった。
 今日の芸能がただのドタバタにいつまでも留まっていれば、愚図舟は沈む。溺れてから、焦っても遅いのだ。助からない。政治に操作されているのは、そんな狭い芸能界のほうだ。生きるための笑いが、死に向かうのだとしたら、ブラックユーモアか。お笑いまで操作されている現代は、戦時中に舞い戻っているのだろう。「茶色の朝」は今ここにあるようだ。
 ローラさんや大輔君が呼びかけたことに、数への影響以上の隠された意味があるのだ。

2018年8月 9日 (木)

武田美通・鉄の造形 「戦死者からのメッセージ」沖縄展に寄せて

 先日、T君がこんなのがあるよと教えてくれた。チラシの絵を見た瞬間に理解した。10年ぐらい前にこの美術展を東京の文京シビックで見た。製作者の武田美通さんともお話している。16年5月に亡くなられていたのか。

 鉄から作られたメッセージだが、だからこそ、心象に残るのだ。沈黙の叫びが聞こえてくる。
「繰返さないで /みんな 心ひとつに/あの戦争を恨み/平和をねがって/鉄の兵士たち、/母子たちが語っている」
全30点が展示されます。
日時:18年8月14日~19日(19日は12時まで)
会場:沖縄県立博物館・美術館県民ギャラリー
主催:終戦の月、武田作品を観る沖縄の会/武田美通・鉄の造形「戦死者たちからのメッセージ」を広める会
 今沖縄で観る意義は私も大きいと思います。形から過去を想起する力が問われています。私たちの思いも形にしていきましょう。(ヤマヒデ)
 

2018年6月28日 (木)

韓国ドキュメンタリ-映画 「共犯者たち」を見て(180628)

 先日東京にいった際、韓国ドキュメンタリー映画『共犯者たち』を見た。このタイミングにやる意義は大きい。私は6月9日の中野ゼロホールに駆けつけた(予約)。この映画の醍醐味は、韓国のイ・ミョンパク、パク・クネ大統領時代の報道規制・言論弾圧について、克明に記録しているのだ。韓国では報道機関の主たる担い手を指名解雇、組合弾圧。

 舞台はKBS(韓国放送)とMBS(文化放送)の経営陣と抵抗するプロデユーサーや記者たち。ドキュメンタリー映画の画面に人物が生のまま出てくるのがすごい。こんな場面をよくぞとっていたというところも。表の記者会見ばかりでなく、労組に追及された経営側が逃げ惑う場面もバッチリ写されている。
 プロデューサーや記者たちの活躍がはっきりと捉えられているのだが、同時に労働組合の活躍が個々人をサポートしている。労組が賃金と労働条件を巡る闘いではなく、表現の自由を突き出している。労働者一人ひとりが、表現の自由をなくてはならないものだと闘っている場面も活写されている。日本の現状とここが違う。労働者が持ち育てるべき価値がはっきりと映し出されているのだ。
 さらに市民の闘いがメディアの労働者たちの闘いを大きくバックアップしている。何処の国でもおなじみの政権の居直りとごまかしを許さない。
 それにしても日本の現状は、余りにも寂しい。メディアの労組でまともなところはあるのだろうか。個々人では頑張っている人はいるものの、彼ら彼女らを支える包括的な組織はない。市民が出来るのは、報道を見て、励ましたり批判することだ。こうした映画の上映会の実行委員会も次に繋がるものであってほしい。
 この映画を見て帰ってきた私は、早速「良心宣言 ジャーナりズム2018」に賛同し、一文を認めた(当ブログにも揚げている)。広い意味のメディア関係者が、もっともっと繋がって、協力関係を構築しなければならない。チャラチャラした報道状況に流されてはならない。

 『共犯者たち』監督:崔承浩(チェ・スンホ) 2012年、MBCのプロデューサーを解雇され、非営利のオルタナティブメディア『ニュース打破』で調査報道を続けてきた。この映画完成後、MBC労組は勝利し、会社復帰。そして17年12月同社社長に選任された。
 こんなことがあるんだね。闘ってきたからこその勝利であり、闘いによる勝利だ。

2018年6月14日 (木)

映画「あらかじめ失われた恋人達よ」をみた

 1971年制作の映画「あらかじめ失われた恋人達よ」を2018年6月11日に見た。47年ぶりのことだ。当事の私は20歳直前だったはずだ。それにしても何ひとつ覚えているシーンがなかった。どういうことだろう。桃井かおりの初々しさにあっけに取られたからとか、セクシーな姿にめろめろだったからかもしれない。

 物語は石川県の日本海沿いの浜辺で展開される。半端なアウトローであり、半端にいきがる、だからかっちょ悪い男。聴覚障害をもつ話せない恋人たちに食い下がり、地元のあんちゃんや、町衆らとの暗闘。彼女が拉致され強姦されたことに報復する男二人。「都会の人間」と「田舎者」、性差別と障害者差別などが臆面もなく表白されている。
 
 時代が70年反安保闘争の敗走局面だったからか、大局を見失い、個別的なぐじょぐじょしたところでのアイデンティの追求? 否、個々の人間なんて、所詮いじましいものなのだろう。晴れないから、矛先は「弱者」に向かう。確かにあらかじめ失われた恋人達よなのだろう。
 でも47年前がそうだったとすれば、今時はどうなのだ。怪しげな事件が多いし、「セクハラを裁く法はない」といったり、当たり前のように開き直る時代だ。時代に追い抜かれたということか。
 
 ただ撮影だけは(奥村祐治)、上手いし、見せる。モノクロ時代の効果も抜群だ。
 
 何も分かっていなかったんだと、今痛切に思う。分かってきたこともあり、矛盾を「弱者」に向けない、抗う立ち位置の創出が重要だ。劇映画から教訓を引き出そうとするのは、お門違いなのだろう。ただ、楽しければいい、とはならないはずだ。

2018年6月 7日 (木)

沖縄写真協会様が私の「視点展」入選を報じてくれた

 先ほど久しぶりに自分を検索したら、沖縄写真協会様が私の視点展入選を「沖縄から唯一」と報じてくださっていました。

 自分は全然知らぬところで、ありがとうございました。まだまだ沖縄に暮らし始めて4年半ですので、沖縄の写真界の一部のことしか承知していません。申し訳ないです。
 自分は自分の視点に拘りながら、写真活動もやっています。辺野古の問題等が忙しすぎて、他に関心を回せないのが残念です。可能な限り、様々な沖縄の写真に目を通しながら、学ばせていただきたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
http://okishakyo.com/kyoukai05.html

2018年5月10日 (木)

山城智佳子監督、「ゾンタ賞」受賞に思う(180510)

 ドイツのオーバーハウゼン国際短編映画祭で、山城智佳子さんが「土の人」で「ゾンタ賞」を受賞した。インターナショナルコンペティション部門での受賞だが、世界から139カ国、5921作品の中から選ばれたというから、なかなか凄いぞ。入賞はグランプリを含めて、7つだから。それも世界広しで、小説より奇なりの素材が溢れている中でだ。

 彼女の作は、常に常識を覆す手法が練られており、奇想天外なのだ。何だこれ?と思っているうちに核心を突いてくるから、ぼやぼやできない。うっかりおろおろしていると、「待ってくれ!」になってしまう。
 私は本作を一度見ているが、2度、3度見たいと思わせる映画だと思う。土の中から漂い出す戦争・沖縄戦が世界の人々に駆け巡ったのだろう。それにしても「復帰っ子」よりも若い彼女がどうしてこうした問題意識に突き当たり、描けたのか、ご本人に聞いてみたいものだ。

2018年5月 4日 (金)

「あらかじめ失われた恋人達よ」を東京でやるらしい!!

連れのツイッターで知ったんだが、神保町シアターで

◎http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/
6月9日から7月6日
「70年代の憂鬱ー頽廃と情熱の映画史」をやるそうだ。このなかに、「あらかじめ失われた恋人達よ」が上映されると。
◎https://filmarks.com/movies/27946
え、えー!でした。丁度このとき、東京に行くので上手くタイミングがあえばいいのだが。
当事、見まして、ぐぐっときたからね。桃井かおりや石橋蓮司がいいし、緑魔子やカルメン・マキも。青春そのものだった。
監督・脚本が清水邦夫と田原総一郎のコンビ。今じゃ考えられないが、画面をみていれば、ここは誰の分担だとすぐに分かった。そのチグハグさがまた異様だった。総一郎君のその後の転向ぶりをみれば、さもありなんだったが。
あの時代の訳のわからなさと、今のわけの分からなさは、全く異なる。今の時代は、復活不能の域に入っているから怖いのだ。
それにしてもここに(上記)ついている感想を読むと、時代の隔絶を痛覚させられる。あーぁッ!!!

2018年4月30日 (月)

三上智恵・大矢英代共同監督の新作「沖縄スパイ戦史」にご注目を

 昨年から三上智恵さんが新たな映画を撮っていることは知っていた。何でも「沖縄裏戦史」とか。三上さんから、「今のうちに撮っておかないと生き証人がいなくなってしまうから」と聞いていた。私も確かにそうだなと思っていたのだが、この「裏戦史」について、ピンときていなかった。あな、恥ずかしや。

 で18年4月28日、三上さんがシュワブゲート前で撮影していた。来ているんだと思いながら、私は辺野古テント村へ。そこで久しぶりに彼女と話す機会ができた。
 私「いつ頃できるんですか?」 三上「夏から上映開始」 
 私「今度の映画は?」 三上「これまで沖縄戦の表の話は語られてきたけど、裏側の話は殆ど知られていないから」
 私「表と裏って?」 三上「表は牛島司令官が自決するまで。裏はその後のことであり、陸軍中野学校が暗躍してね。沖縄の住民を窮地に追い込んでいったの」(以上、概要)。
 「だから本題は『沖縄スパイ戦史』にしたの」。なーるほど。今再び沖縄・琉球諸島が戦場にされかねない中で、国家権力がスパイ連中が必ず手がけってくることは住民の分断であり、殺戮への道に引きずりこんでいくこと。住民に悪の手引きを招き入れること。
 
 今進行中の事態は、島嶼奪還作戦。確かにこれをやるためには戦争になる以前にスパイ分子を島に部隊配置しておかなければならないだろう。73年前の事態と今の事態をよくよく重ねていかなければならないな。軍隊の本質はほとほと変わっていないものなのだ。
 これは見るしかない!上映は18年7月から。詳細未定。分かり次第当ブログでも紹介します。また早めに見て、内容を紹介します。

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