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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「対話の中から」の記事

2019年2月24日 (日)

ステキな出会いの中で予感していること(190224)

 昨日、今日の辺野古テント村への来訪者が多い。各地からのマスコミも。

 昨日のラストは、まだ若い高校の先生。高校生達の関心を沖縄や基地などにも向けたいけれど、いい智恵はないですか?と聞かれてしまった。私が教えて欲しい。
 帰宅した私は、様々の人たちが語り合う場を持つことが重要だろうと思った。高校生、大学生、今座り込んででも止めたいと思う人、戦争体験者、画家・写真家、文学者、教員。様々な人たちの体験と表現力を学びあうことが重要だろう。沖縄にはこうした懇談が可能な人は珍しくない。やってみればいいのだ。近くに戦争体験者、教員、高校生・大学生がいるし、写真家も居る。むろん、座り込んでいる人も。
 そう思って今日を迎えた。期せずして、神奈川の学生(ゼミ)と「いま、戦争の兆しに心痛む美術家たちの作品展2019」のために沖縄に来ていた京都のアーティストたちが偶然居合わせた。私がこの不釣合いの同居者たちに話すことになった。学生10名余りと、アーティスト5名。年齢差が如実であり、私は躊躇なく学生を主な聞き手として話した。
 今日は県民投票の投票日なので、そこを意識しながら。この投票は沖縄だけのためじゃありませんよ、全国のためでもあり、世界が注視していますと。
 40分余りの話の上で、質問をいただいた。途中からアーティスト達に話を振った。お一人は2歳で東京大空襲を掻い潜りながら、今があると言う人。当時2歳なので全く記憶がないが、焼け跡を生き延びた(生かされた)から、戦争は決してダメだと。もう一人は当時13歳だった。空襲にあわなかったが、教育勅語などで、国に統制されていった歩みを振り返ることが、今の創作活動につながっていると。
 高校時代京都に居た人が、この10年沖縄に居るが、この作品展で、35年ぶりに恩師に再会したと、お二人できていた。
 学生達は、大先輩たちの苦労・今に到る思いを静かに聞いていた。今生きているってことをいくばくかは想起できたのではないか。私は戦後生まれだから、無論、戦争体験はないので、聞いたり、見たり、読んだりしているだけだが、今まさに戦前に回帰していると警告している。それでも今、基地建設が進む辺野古で彼女達の話をきいていると、生き延びたことの決定的な意味を思い知らされた。学生達も気付いたことがあったようだ。
 思わず合同の記念写真を撮ることになった。皆さんの笑顔を見ながら、救われた気がした。諦めるわけには行かないぞ。しばらくあちこちで、小さな懇談が続いていた。
 偶然の出会いが、お互いを感化し合えるのは素晴らしいことだ。こうしたことが人と人の環を作るということだと私は思う。私ひとりの話ではとてもこうはならなかった。この場で出会った皆さんに感謝したい。もちろん、ゼミの先生、アーティストを案内してくださったI先生にも。

2019年1月14日 (月)

あーぁ、忙しかったけれど(190114)

 この3連休は忙しかった。今日もまた。これを「土砂投入効果」と言っていいのか分からないが、何れにしても県内外からの関心が高まっていることは間違いない。

 私の話は基本30分。相手の反応をみながら、60分にも90分にもなることもある。今日は朝から沖合に米国海軍の強襲揚陸艦ワスプがきていた。この関連でどんな動きがあるのか外を注意しながら、来訪者に対応していた。
 こうしたときの来訪者はラッキーなのだ。あそこに見えるのが佐世保からやってきた船であり、海兵隊はこれで海外に戦争(演習)に行きますと。実物教育が出来るからだ。全長250m。まして浜辺から水陸両用装甲車が出たりすれば、よりリアルだ。「これが停泊できる岸壁を大浦湾に造るのです」から始められる。要は普天間の危険性の除去は口実で、ここに新基地建設が狙いなのだ。それも米軍のみならず自衛隊が使う基地になるのだ。
 
 今日の私は2度ほどテントを離れてこのワスプ等を撮りに出た。その合間に幾つかのグループや個人に話した。暗い顔をされたり、うんざりされたりすると、申し訳なくなるが、ここは泣いていただきましょう。ここはこらえていただきしょう。泣いたり、こらえたりすることから、ご自身が思い悩んできたことが見えてくるはずだからだ。
  
 私は失礼ながら、「今回の沖縄への旅は如何なる目的ですか?」、あるいは、「どんな行程ですか?」とお聞きしている。これがわかれば、そこに焦点を合わせたお話ができるからだ。だから細かい話でもいいから、一言二言返していただけるとありがたいのだ。
 
 今日お出でになった方々に、この質問に即答いただいたグループがあった。知っています、私は皆さんの集いのことを新聞で読みました、とあいなった。このひとことで、俄然、お互いに心を開いたのだ。関連した話も出来る。あなたが新聞に書かれた方ですかから始まり、人の中の多様性を大切にすることが、国に縛られ、命を投げ出されてきた沖縄の歴史を克服する契機になるだろうことや、朝鮮半島を巡る軍事情勢と沖縄などの話が出来た。
 
 突然ですが、私自身の両親や親類に戦争で殺された人は居ないと聞いている。また、民族の違いなどを痛感させられたこともないが、自分の中にある、ある種の違和感を大切にしてきた事は、今日まで重要なことだった。それは小学校時代に母親がなくなり、父子家庭で育ってきたのだ。また隣に養護施設があり、彼ら彼女らは遊び友達だった。余りにも当然なことだが、親がいようがいまいが、子どもは育つ権利があるし、そこに差別があってはならないはずだ。しかし学校と言う場で起きた彼らへの差別の視線に対して、これを許さないとの思いが沸き起こった事件に遭遇している。こうした体験から反差別の意識が生まれたが、いささかネガティブな思考に過ぎたのかもしれない。人間の多様性、個人の中の多様性に気付き、ポジティブに考えるべきだったのだろう。
 こうしたことを再確認できたことは、今日の何よりの成果だった。そしたら、このお出でになったメンバーに、案外古くからの知り合いが居たのだ(お顔を忘れていた)。名刺を手に取ってまたびっくり。懐かしやでした。(「家族写真を巡る私たちの歴史 在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」(御茶ノ水書房刊 ミリネ編、皇甫康子責任編集)を巡るブックトークやワークショップが那覇で開かれた)。
 そんなこんなで、忙しかったが、元気もいただいた一日になった。

2019年1月11日 (金)

何故どうしてが肝心(190109、ゆんたくしながら考えた)

 2019年1月9日、午前中、来訪者が多かった。60代のご夫婦。40代の男性(教員)。たまたま相前後したが、共通する問題意識があるようだ。

 前者の男性は去年までドイツに居住していたと。ひさしぶりに日本に帰ってきたら、困惑していると。ドイツの人々は、政治的な関心を抱くのが当たり前だったし、会社の中でも議論していたと。熱くなるほどの議論しても、終われば、冷静。いがみ合うようなことがなかったと。これが日本だと、ちょっと口に出しただけで、怪訝に思われてしまうと。そうなんだろうね。日本人は知的能力が余りにも劣化している。議論する方法を学んでいない。考える気持ちが萎えている。
 私は後者の方とやや時間をとって話したのだが、彼も考えること、議論することから問題意識は始まるねと同意。自分で考える能力が剥ぎ取られているのは、日本人の頭が「中世」の頭のままじゃないかと私は指摘した。封建社会の意識。長いものに巻かれろ。愛国・忠誠心。これを越える自治とか革命の経験がない。否、あったけど歴史の屑箱に投げ込まれてきたのだ。自分に対する自信がない(育めていない)から、指示や周囲に従ってしまう。自分の意見を持とうとしないのだ。この絶望的な精神構造をどうすれば、改革できるのか?近代151年、戦後74年がこのざまなのだ。
 戦後日本は、米国の言いなりになった。戦後の支配層はこれが安泰であり、利権の構造を育んできた。沖縄は、この泥沼の中に押し込められてきたのだ。新基地建設を認めることは、これでオーケイとの意思表示にもなってしまうのだ。
 だからこそ沖縄は、「沖縄の事は沖縄が決める」と言って来たし、やってきた。沖縄は米・日のくびきから自律しようとしてきた。まだまだ時間がかかるだろう。何故どうして?と、問い続けながら、私たちは前に進みたい。
 
 46都道府県の皆様も、もはや傍観者で居てはダメでしょう。再び戦争する国づくりでいいのか? 原発大事故を再び招いていいのか? 子どもがすくすく生きられなくていいのか? 老後の心配ばかりしなければならないでいいのか? セクハラが蔓延してていいのか? どれもこれも、否でしょ。日常的な「空気」を過剰に読み込むような社会がおかしいのだ。
 悪いのは誰? 否と言うべきことには、否と言おう。政治の問題だと考えてしまうと、窮屈かもしれない。もっと自分に正直に。話し合える人を大切な友にしよう。話し合える家族にしよう。一人ひとりの日常にこそ政治的なことが組みこまれているのだ。
 昔の人は、「3人寄れば文殊の智恵」と言ったのに、近頃こんな言葉を聴くこともなくなった。いやいや「3人寄れば文殊の智恵」を想起できれば、いろいろなことが浮かんでくるのじゃないのか。私はまだまだ絶望したくない。  
 

2018年12月12日 (水)

昨日のこと-環になる(181212)

 昨日、18年12月11日は、秋田からのお客様Sさんをご案内しました。共通の友人を介してでしたが、ほぼ初めてお会いしたといっていい間柄でした。

 マズったことに私は、バスで那覇に向かう途中、車酔いしかけてしまい、大ヤバでした。でもお会いして話し始めたら、すっかり通常に戻り、しっかりご案内できました。自分も前夜の睡眠不足に気をつけないといかんと、大いに反省。
 私は、確たるコースを決めていませんでした。那覇-普天間-ホワイトビーチ-辺野古・大浦湾-嘉手納とザクッと考えていましたが、天気は悪そうなので、適宜微調整すべしでした。ガイドの際の自分の弱点は道案内。自分は車を運転できないので、車が走れる道に弱い。今回もしょっぱなで、ちょいと道を間違えたり、いささか行き過ぎたりで、誠に申し訳ありませんでした。
 このコースを一日で巡るのは欲張りです。しかしこの新基地建設の要点を知っていただくためには、これです。新基地建設の要諦は岸壁。だからホワイトビーチ(うるま市)を見ていただく。普天間にはなんとオスプレイとF-35B戦闘機、C-17大型輸送機がそろい踏み。見たくない光景ですが、明らかに負担増を示すシーンでした。このオスプレイとステルス対地攻撃機は新たな基地にもやってきます。如何なる戦争の拠点になるのか。
 辺野古でいつもどおり解説し、また、大浦湾の瀬嵩から見ていただきました。例の土砂を積んだ船が4隻、霧の中で不気味でした。
 最後に嘉手納に行った頃、漸く晴れ間が見えてきました。短時間でしたので、飛行機等の発着はありませんでしたが、4000m滑走路の広さを知っていただきました。丁度車で半周したので、ある程度広さもおわかりいただけたことでしょう。
 
 戦争とは大規模な人殺しです。目的意識的な殺人行為です。何故こんなことが許されるのか。国家って凄い・怖いです。これが許されてしまう装置をもっている? 恐ろしい。例えばこの国を考えてみましょう。いつのまにかこの国のトップはあの安倍です。日本国憲法を無視し、主権在民に蓋をして、国会を形骸化。こんなお粗末極まりない奴が威張っている。日本国は米国の同盟国として戦争を始める。在日米軍が、自衛隊が出て行く。どのような場で、どのように自衛官は人を殺し、殺されていくのでしょうか。そのとき、自衛官は何を思うのでしょうか。
 私たちは過去から学ぶことを余りにないがしろにしてきました。ここが戦後日本の最大の弱点ではないでしょうか。戦前の反省もないままに、特に侵略と隷従を反省せず、戦後も再び迷走し、欲望にくらみ、差別心を増幅させている。差別の中でも女性差別は私たち日本の男・男社会に余りにも根強い。
 これを私は「思想の複雑骨折」だとSさんに言ったのです。自分自身、Sさんとの対話の中で初めて出てきた言葉です。この問題から私たちが抜け出すのは容易なことでは出来ません。自ら行動し、自らの頭で考えながら、自律と共生の力をしっかりと育む以外にないでしょう。
 私は沖縄に来て、《環》になりたいと言ってきました。人と人を繋ぐ環です。これは自分もそうですし、自分が生み出す写真もそうでなければならないと考えてきました。
 まだまだ修行不足ですが、この道は正しいと益々考える昨今です。がんばります。
 Sさん、本当にありがとうございました。8時間にわたる対話の中で私も様々なことを考えることができました。感謝です。お気をつけて、秋田までお帰りください。
 

2018年12月 2日 (日)

次に繋がる関係が出来たら一番いいな(181202)

 私がここ辺野古テント村で皆様に話し始めて、7,8年が経つ。名護に居を移す以前からのことだ。これまでに延べ何千人に話したのだろう。また自分が各地で話した総数を加えた人たちがどれだけ、自分ごととして捕らえて、行動を始めているのだろうか。

 テント村での話はひとつのきっかけづくり。継続する中で、自分の課題と結びついていくことを期待している。
 今日、18年12月2日の日曜日は、ボチボチの来訪者。愛媛県から来られた女性3人組は、伊方原発を抱えており、話の受け止め方が真剣だった。新基地建設の概説から安倍政権の評価、日本は「米日安保国」になりさがっており、安倍は米国の奴隷頭に過ぎないことなど。ひとつひとつを咀嚼しているようだった。歴史認識の問題と、そのときどきの国際関係を抜きに理解できないことなので、ぽんぽんぽんとはまいりません。その代わり一度理解できれば、様々な問題が共通に重なってくる。また沖縄にきていただきたいし、地元での取り組みを強化していただきたい。
 午後に来た男性2人組は、お一人が「昨年、ヤマヒデさんの話を聞きました」と。今度は先輩を連れてきましたと。大阪からのお二人だった。私は25年大阪万博のことにもふれなふがら、カジノ万博は高度国防国家への起爆剤にもなっていくだろうと話した。いつかきた道を許さないことが問われており、この勝負はあと半年の内に逆転打を放てるかにかかっている。彼らの帰り際に「頑張りましょう」と言って帰られたのが、印象的だった。今後具体的な議論をやっていきたいものだ。

2018年11月 8日 (木)

何故だろう? ハワイのウチナーンチュや、韓国の人々とは了解が素早く出来るのに

 ここ2,3日、ハワイのウチナーンチュ、韓国の人々、日本人等と話したり、ゆんたくしている。

 私は、韓国の人々に、日本の侵略の歴史を謝罪しながら、今こそ東アジアの平和を共に模索したいと話している。彼らは、すっと了解してくれる。ハワイのウチナーンチュも現在の沖縄について了解が早い。ありがたいことだ。
 ところが、46都道府県に暮らしている日本人は、鈍い。何故だろう。多くの日本人は、沖縄を日本列島の南西方向にある亜熱帯の島、海がきれいなリゾートの島程度の認識なのだろう。沖縄の苦悩、民意がつぶされていることを見ようとしていない。ここに来る人の中にすら、ズレを感じるのだ。沖縄が沖縄戦以来、基地の島にされてきたことを正面から見据えているのだろうか。45年9月7日から52年4月28日、それから72年5月15日まで、米国の統治下に置かれ、それ以来今日まで、米日政府によって基地が押し付けられている。日本人には歴史的な分断が見えていないのだ。分断されたからこそ、安保が見えないのだ。日本が起こしてきた戦争、米国が起こしてきた戦争、米日一体による戦争が始まりかねない今ですら。
 私自身がまだあやふやだからだろう。歴史を顧みながら、沖縄を通して日本の影を見出していきたい。

2018年10月20日 (土)

3冊の本を巡って(181020)

 今日のテント村は概ね静かだった。私は3冊の本を持ち込んでぼちぼち読んでいた。①「沖縄発 新しい提案」新しい提案実行委員会編 ボーダーインク刊 ②「辺野古訴訟と法治主義―行政法学からの検証」神野健二・本多滝夫編 日本評論社刊 ③「近代日本の『南進』と沖縄」後藤乾一著 岩波書店 の3冊。

 ①は最近東京の小金井市議会で決議を挙げながら、官邸等に送る文面をまとめられなかった件で話題になっている元本だ。沖縄の基地問題を原点に立ち返って、46都道府県で考えるべしという古くて新しい提案だ。同市議会の共産党は何を考えたのか、議会で賛成しながら後で撤回するというていたらく。私はこの「提案」に賛同できると考えており、ここを吟味したいのだ。
 ②これは無論、沖縄県とこの国の法的対抗の中で、私たち自身が考えを深めるのに不可欠な文献だ。行政不服審査法で国は、再び個人(私人)の顔をして県を訴えた。防衛省の官吏のどこが私人なのか!?
 本件で、こうYさんが意見を投げかけてきた。しかし本書は、安保・地位協定に根ざした論点から、沖縄防衛局は「私人」ではありえないと立論していると私が講釈。だが読み始めたばかりで、十分に説明しきれず、また読み込んでから説明しますとなった。
③を読み始めたわけは、現在の米軍基地問題を沖縄戦から語りがちだが、前史としての近代日本が琉球王国を武力を楯にして併合した歴史から読み解くことが重要だと思っているからだ。
 たまたま見えていたTさんが上記の問題意識を話す際のテキストはないかというので、私は他の本と併せて本書を紹介した。この国は琉球の併合から台湾の植民地支配、朝鮮の植民地支配へと、次々と拡張していく。敢えて緊張を作り出していったのだ。こうして戦争の歴史を歩み続け、挙句に、加害の事実を見ようとしない「国民」を作り出してきた。
 沖縄の問題は日本全体の問題だというとき、私たちは少なくとも1872年まで遡らないわけにはいかないようだ。1609年の島津藩による侵略の歴史まで遡れば、もっと深い論点がでてくるのだが、ここまで立ち返って述べたら、これだけで1時間はかかる。本題に入る前にこれでは困る。
 だが、沖縄の問題ってそういうことなのかという入り口に広い視座を私たちがもっていることは重要だ。人々にとって身近な話題から心を掴む方法を工夫したいとあらためて思った次第。

2018年7月30日 (月)

何で頑張れるのと問われたので考えてみた(180730)

 私は先日67歳になった。若い頃には23歳までに死ぬだろうと思っていたのに、その3倍近く生きてきた。

 ある方から、何でそんなに頑張れるのと聞かれた。少し考えて返信した。
以下。
「本当に愕然としますよね。痛いほど分かります。情けないです。
安倍シンパの多さは嘆かわしいばかりです。
 確信犯は安倍と一緒で、軍事・核利権で生きるときめた連中でしょう。
周辺に居るのは、おこぼれをもらいたいと、同調志向ですよね。
何が欠けているのかと言えば、自分たちが置かれている現実認識がゆがんでいるから、自分たちの未来への展望がないので、これでいいやになる。他に考えをもたない。これが半数じゃないでしょうか。
 私は1967年から50年余りやってきました。様々な波がありながらも、今日までやってこられたのは、自然との付き合いを持ち続ける中で、人間だけの繁栄は何を結果するのかを考えてきたから、経済成長志向を脱しなければろくなことにならないと。これが根幹ですね。
 2点目は沖縄を知って、侵略・植民地主義の問題を具体的に考えてきたからです。奴らは日本国家の利益のためには沖縄ごときは屁でもないのです。「日本人」とされている私はこれでいいのかって。よくないでしょ。
 3点目は、いくら少数派になったからといっても、ダメでしょと思う方々がまだいて、様々な繋がりをもつことができているからです。
だから「勝つ方法はあきらめないこと」というのは、おまじないではないのです。会話の中から、行動から、写真から、ブログから、様々な付き合いの中から、諦めない関係を広げていくことが重要です。
 見通しは明るくないけれど、否、真っ暗闇だけれども、今自分が生きているのだから、これを、生き続けることをあきらめたらおしまいです。若い世代を見ればいつもそう思う。これから生まれてくる人たちへの私世代の責任だと。これが4点目。
 嘆いてもいいのです。嘆くことで、駄目さを再認識できれば。
どうしたらいいんだろうと思っている人の多くは、方法が見えていないのです。ここが肝心。それぞれの得意な点を活かして、やればいい。このどこが沖縄と〇〇と繋がるのと思っても、案外つなげることができるのです。自分流を編み出すべし。集会に行く・デモに行くばかりが能じゃない。
 ただ深刻なことはサイレントマジョリティだった無関心層が声をあげてきたことです。「日本を取り戻す」「日本凄い」ヘイトに繋がるファシズムの流れが。
この人たちに伝えられる言葉を私たちはもっているのか。私たちの論理だけじゃなく、そうかと思われる共鳴しあえることが。強者である国家に支えられながら、差別言辞を吐きまくるおかしさを指摘しないと。自分を取り戻す、自分たちを創り出すこと抜きに、新たな一歩は見えてこない。
 どうぞこれからも宜しくお願い申し上げます。」
補足①:以上を短時間で書きました。これは6月に世田谷で6時間しゃべり、先日名護で5時間しゃべっていたから、書けたのです。
補足②:沖縄の外に居て沖縄との繋がりを持ち続けることは並大抵のことではできません。私がやっていたのは、沖縄の塩を食べ、沖縄の砂糖を食べることでした。これならば毎日出来る。沖縄を忘れない。沖縄の文化に触れる、やってみることもいいですよね。つらいことばかり考えたらダメですよ。

2018年6月 6日 (水)

どうしたら、「そうか?!」と思っていただけるのか(180606)

 2018年6月1日から辺野古テント村はスタッフの態勢が変わり、私はアタフタしている。この6日間だけでも、何人かの方々から「Tさんはいないの、どうしたの?」と聞かれて、彼女の存在の大きさを改めて感じている。私が同じように振る舞い、話すことはできないが、少しは補えないものかと、苦慮している。だから徒に緊張しても無意味だ。

 そんななかで、今日、横須賀から見えた19名と、同時にやってきた鹿児島の方2名他、計22名にお話しする機会があった。特に普段と変わった話をしたわけではないが、質問も出て40分余りの語りになった。
 沖縄への基地集中、更なる新基地建設、自衛隊、否、将来の国防軍が使用することになり、琉球諸島が戦場として想定されている、横須賀の艦載機の陸上の基地は厚木基地から岩国基地になったのは、中国への対抗上の西への再配置であること、要は横須賀と沖縄も軍事の論理で繋がっていることなどにも言及した。 
 これはいつも述べていることだが、沖縄への旅が、ご自身の生活次元の場から生じる問題意識とどうつながるのか、これが肝要なのだ。終わって、5,6名の方から、そうかという反応を得た。聞きました、終わり、じゃない次へのステップが開けるように、私なりにやっていきたいものだ。このためには、お相手がどこから何を求めてきたのかをまず話していただけると大助かりだ。
 それからここで話す際の利点はそれなりに現場が見えるから、視点の移動がかなり楽に行えることだ。また、質問が出るということは、少しはお分かりいただけたからだろう。語りとはお互いの双方向のものだ。頑張ります。

2018年5月21日 (月)

米日安保は常識ですか?(180521)

 2018年5月21日 雷雨後晴れ。雷雨のため海上行動中止。今日の辺野古テント村への予約は3件。私は予約外を含めて、4回話しました。朝から暑い上に、深夜まで別の仕事に追われていた私は寝不足もあって、エネルギーを最小限に。

 2回目にお話したのが、昨日まで開催されていたハンセン病市民学会に参加されていた台湾の方々。一部の方は、日本語が分かるらしく、ダイレクトにフムフムと。通訳の方を介しているので、慎重にゆっくり。疑問・質問が続出。
 お陰で、長話になってしまいました。彼女達の最大の反応は、日本国が米国に対して、とっている態度を疑問視。新基地建設の費用全額日本もち。ヒェー!ウソ!でした。台湾だったらありえないことです。土地を借りている人間が、費用負担するのでなく、土地を貸している人間が費用負担する真実への懐疑。
 私は同じことを何百回も繰り返してきましたが、この反応は日本人から返ってきません。大概ボーとしている。おかしいでしょう、と畳み掛けないとならない。日本人には、憲法はもちろんのこと契約という観念もないのか。これをイロハから説明しないとならないのか。
 また「米日安保」もかなり噛み砕いているつもりだが、お分かりいただくのは難しい。何故米国の金儲けのために、なぜ米国の戦争に加担するのか? そもそも自衛隊は米国の指示で造られ(1950年警察予備隊、52年保安隊、54年自衛隊、20××年国防軍、こうして米国の戦争に協力するのか? これを問い直す頭が日本人に着いていない? 無意識のうちに米国べったりの頭になっている。
 こういう常識を剥ぎ取らないと何も見えてこない。どうしたらいいのか?
 
 そうなんです。「米日安保」も「日米安保」も、言葉さえ死滅している。無意識であるかに浸透した安保。安保の実態が軍事展開であり、そのための日常的な人殺しの為の軍事演習。それをささえる経済負担。
 
 因みに私は子ども時代、(恥ずかしながら、なんとなく)米国のファン。毎週「コンバット」(米国の戦争活劇)を見ていました。最初に大人の映画をみたのが「史上最大の作戦」(ノルマンディ上陸作戦)でした。そのなかで、疑問に思ったのです。何故主人公は死なないのか? 「史上最大の作戦」では多くの兵隊が死んでいましたが。「コンバット」ではなかなか死なない。あれだけ銃撃戦が激しければ死にますよ。どう考えたって。
 そのうち私の疑問は、西部劇の構造に。白人が先住民を殺していく「開発」。そんなこんなしてたら、実際のベトナム戦争が少し見えてきた。だが沖縄のことはすっぽかしていた。
 そして今私達は何が見えているのか、見えていないのか? これが大問題。

 台湾の方々にお話しましたが、戦争は差別の心があってこそ、人を殺せる。殺せてしまう。だから、差別の心に抗うことが、抗えることが特に重要です。
  

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