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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「私たちにできること」の記事

2019年5月20日 (月)

辺野古ドリーム(船団)乗船者大募集!!

辺野古ドリームでは乗船者を大募集中です。一般乗船者と船上クルーの2通りです。

〇一般乗船者は随時船に乗って船上から抗議・監視行動を行ないます。予約制。

〇船上クルーは当面船長の補佐役です。こちらは定期的に担える人が望ましいです。船長を補佐しながら、海の上での危険を防ぎ、カヌーチームとの連携の上で行動をスムースに進めます。先ずは一般乗船を行い、自分でもやれそうだと思ったら、担ってください。

必ず以下を確認してお申し込みください。

ダウンロード - img_20190520_0002.pdf

 

 

2019年5月13日 (月)

全国青年司法書士協議会が辺野古・普天間基地を巡る陳情書を全国の自治体に送付すると決定(190511)

 2019年5月12日の沖縄タイムス、琉球新報によれば、全国青年司法書士協議会(会員約2600名)が11日、那覇で役員会を開き、辺野古の新基地建設を中止し、本土側で普天間飛行場代替施設を引き取るように求める陳情を、全国1788議会に送ることを決めたとのこと。

 この陳情の趣旨は、「沖縄発 新しい提案ー辺野古新基地を止める民主主義の実践」(新しい提案実行委員会編 ボーダーインク刊)による。沖縄への米軍基地の集中は沖縄差別であり、普天間代替施設が必要か否かを含み国民的な議論をし、必要だというならば、本土で民主的に建設地を決めるように求める陳情書。

 同協議会は、6月中旬に全国の自治体議会に送付するとのことであり、各地の皆様もこの審議がどうなるのか、無視されないように監視していただきたい。議会事務局にこうしたものが届いたのか否か、議会のどの委員会で審議されるのか否かを聞き出して、応援いただける議員さんを探し出し、議会傍聴を是非ともお願いしたい。  

 

 全国組織が同様な取り組みを行なうのは初めてであり、まして法に携わる団体が憲法の趣旨を活かしながらこう考える事は、至極全うなことであり、画期的なことだ。「沖縄の基地問題」といわれて久しいが、「日米政府発の問題」をこう矮小化されてきたことが問題だと、私も考えている。

 もう一点付け加えれば、基地・安保問題は「国の専権事項」と言われているが、これ大間違い。人々の平和的生存権を侵害し、住民としての生存権・生活権を侵害してくるものであり、人が生きている・生きていくことを甚だしく脅かすものを正面から問い直すことは、非常に重要なことだ。このことが見えていない「日本」側のブラインドを外す作業は不可欠なことだ。因みにこれがみえないままならば、日本発の戦争を止めることはできないだろう。

2019年1月 8日 (火)

SAVE HENOKO OURA BAYに寄せて(190108)

 今日は偶数の日ですが、悪しからず。

 ハワイ在住の沖縄県系(4世)のロブ・カジワラさんが呼びかけた“SAVE HENOKO OURA BAY”の署名が19万を超えた。内容は「県民投票(19年2月24日)まで辺野古・大浦湾の埋め立てをやめて!」というソフトで、幅広い支持を得られるものだからなのか、人から人へと多数の人々に伝わっていった。

 ローラさんやりゅうちぇるさん、英国のロックバンドのクイーンのブライアン・メイさんらにも伝わり、広がっていった。それも興味深いことに、メイさんに伝えたのは川崎市在住の一ファンらしい。
 辺野古・大浦湾を巡る問題があの18年12月14日の土砂投入によって、一気に関心層を広げ、高めてしまった。ここから始まった。問題は自然を守れと、県民・住民投票と言う住民自治の原点が焦点になっている問題だ。何れも私たち人間の未来に深く関わるものであり、過去の歴史から何を学ぶかが鋭く問われてくる。要はイデオロギーの問題ではない。LIFE(命の営み)の問題です。
 私は期限といわれてきた今朝、ようやく署名した。間にあって、よかった。ここまで裾野が広がってくると、長年関わってきた自分が、スポイルしたのではもったいないと思いなおした。もっともっと広げていきたいものだ。
 また、昨年末には現地にこられた方が大幅に増えた。これも土砂投入の波及効果だろう。今後も大いにきていただき、体験していただきたい。百聞は一見にしかず、ですよ。体験と言っても、機動隊や海保と向き合うばかりじゃないです。無理のない範囲で。先ずはご自身が変わる契機になるような旅を。わからないことがあれば、遠慮なくお尋ねください。私のブログにメールアドレスが貼ってあります。

2018年11月27日 (火)

辺野古現地に駆けつけてください(お願い)

 安倍政権は、沖縄の民意を一顧だにすることもなく、「辺野古・沖縄が、唯一」を繰返しています。去る2月2日の国会答弁で安倍首相は、こう答えています。「46都道府県にもっていこうと思っても、断られてしまう」と。このさりげない考えは一体なんでしょうか? 他方で沖縄ならば、異論を無視し、潰すまでのこと、という2重基準。

 皆さんはこの意味を理解していますか? ご自身の頭で考えてください。
 去る9月30日の沖縄県知事選では、新基地建設反対を掲げたオール沖縄の玉城デニーが勝ちました。皆さんは、この意味を理解していますか? 他人事のまま、沖縄が勝ってよかったは、願い下げいただきたい。沖縄の勝利を皆様方が如何にして活かすのかが問われています。
 11月1日~工事が再開されてしまいました。しかし実態はやっている振り。米国様へのデモンストレーション。辺野古側の護岸内の埋め立て作業は、積出港が台風で破損して
おり、当面不可。その次の大浦湾側の滑走路先の予定地は、マヨネーズ状のズボズボの土壌。ここをこのまま埋め立てることは不可。どうするのか? 変更申請には県知事の許可が必要です。安倍政権がどうやってくるのか、見ものです。
 だが高みの見物は出来ません。皆様方にも、この先の未来が嫌でも待ち受けている。古来から、「知らぬが仏」との言葉があります。無関心のままであれば、いざとなってから、そんなはずじゃなかったと嘆いても遅いのです。知る不幸、知らぬ不幸が、あるのです。
 
 その一端を知るためにキャンプ・シュワブゲート前の座り込みに参加してください。日曜日を除く、毎日の8時~16時まで。
 また海上行動は、日曜日を除く、8時~16時過ぎまで。カヌーに乗りたい人は、事前の練習と合格が必要です。
 抗議船に乗る人は、前日の20時までに、要予約。当日の飛び込み乗船は不可です。
090(3155)0439 はたかけ宛
 天候の悪いときなど中止になることがあります。
◎飲酒、二日酔いの方の乗船(カヌーも)はお断りします。
◎睡眠時間を確保し、食事、水分補給出来るように願います。
◎海上行動に参加する方も、座り込みに参加する方も、事前に最低限の基礎的理解の上、お越しください。漁港際にある辺野古テント村にて解説等いたします。ご利用ください。
◎団体でのご来訪はご予約願います。ファックス 0980(53)6992 ヘリ基地反対協議会宛
◎ご予約は、団体名、代表者名、お電話番号、当日の連絡可の電話番号必須。旅程、問題意識、事前学習の内容等、お知らせいただけると、幸いです。

2018年9月27日 (木)

携帯電話料金を「4割削減」すると堂々と並べル政治について

 県知事に携帯電話料金に関する如何なる権限もない。にもかかわらず私が知事になったならばやるというのは、詐欺師の手法。あきれ返る。

 こうしたウソを見破ることは誰にも出来る。携帯局を管轄しているのは総務省だが、料金の設定を縛る規定はない。
 で、本件を東京新聞の望月衣塑子記者が菅官房長官に質したら(180924)、彼はこう答えた。
 望月:県知事にこうした権限はありませんが、長官は4割削減を求めていくのですか?
 菅:ここ(記者会見の場)は、あなたのご要望にお答えする場ではありません。
 このQ&Aは、記者が求めているのは、佐喜真候補が掲げる「公約」(要望)に長官はどう考えているのかを聞いている。記者が4割削減など、この場で要望していないのに、勝手に摩り替えて誤魔かす。これでも質疑か?!
 菅長官の読解力のなさは天下一品だ。菅さんに担がれ、擁護された佐喜真さんも50歩100歩なのだろうか。何れにしてもウソやごまかしで沖縄の政治をやろうという魂胆が醜すぎる。沖縄に「裸の王様」はいらない。
 私たちは何が事実で何がウソなのかを見抜いていく努力を怠ってはならない。ウソが堂々と流通している社会を私たちは容認してはならない。小さなウソが奔流になっていけば、どうなるのか。
 突然思い出したが、73年余り前「軍隊と一緒に逃げたら安全」と逃げたら、地獄が待っていた沖縄。友軍だと思っていた彼らにも殺された沖縄戦の死者たち。
 こんなものにつきあわされたら、私たちは再び死地に向かわされる。
 あぁ、小さなウソにも気をつけよう。歴史から学ぶことの重大さよ。

2018年9月25日 (火)

故翁長雄志の49日に当たって(180925)

 今日は故翁長雄志知事の49日。昨日テント村で「明日、49日だね」と話していた。今日の沖縄タイムスに「あなたの遺志は私たち県民が継ぐ」とのデカイ意見広告が出ていた。彼の最後の記者会見の気丈な顔(180727 沖縄県庁)。埋立て承認の撤回を表明したときのものだ。あの日から12日後の2018年8月8日に彼は亡くなった。

 この国が8月17日にも土砂投入すると言っていた中で私たちは、この撤回表明に大変勇気づけられた。しかし8月8日に亡くなってしまった。だがしかし彼の遺志はお連れあいの樹子さん、県庁の副知事謝花喜一郎さんらに伝えられていた。撤回を貫くこと、県知事候補に玉城デニーをなどと。

 「49日」に当たって私も少し考えてみたい。彼の著書「戦う民意」(角川書店 15年12月刊)を紐解いてみよう。はじめにで「21世紀に入り、さらに世界は激動しています。民族や宗教が戦争のキーワードになり、米軍基地の存在意義とされた仮想敵国への抑止力は、もはや説得力を失っています。(中略) 『辺野古に新基地をつくらせない』という主張を象徴として、政治の大きな変革の原点を作っていくことが沖縄を変え、日本を変えることにつながり、真の民主主義を確立することにつながるはずです。(中略)しかし、勝てそうにないからといって、相手の理不尽な要求に膝を屈し、そのまま受け容れられるのでしょうか。もしそうならば、私は一人の人間として、この世界に生きる意味が薄らぐのではないかと思っています。/私たちには少なくとも『主張する権利』があります。これは人間の誇りと尊厳を賭けた戦いでもあるのです。」 何気ない言葉に迫力が篭っている。

 「基地問題の解決は、日本が平和を構築していくという決意表明になるでしょう。沖縄は米軍基地によって世界の安定に貢献するのではなく、『平和の緩衝地帯』として貢献したいと考えています」。

 あらためて読めば、彼の言葉の含蓄の深さに驚かされる。私は常々考え語っていることだが、安部政権が志向する軍事力による安全保障論は、70年前の遺物である。沖縄は経験的にここに気づいているから、今更揺るがないのだ。

 彼は知事になって以降、様々な発言をしている。沖縄タイムス編「沖縄県知事 翁長雄志の『言葉』」から引用しよう。「日米関係が悪化するから作業を続行するなら、それは独立国家の行動ではない」(150327)。基地建設作業の停止に対する国からの効力の停止への反論書から。毅然たるものだ。

 「県民を分断する発言を堂々と国会で言うこと自体が政治の堕落だ」(151111 承認取り消しを巡るやり取りの中で)。

 「いつも米国は東京のせいにし、東京は米国に何もいえない。この状況の中で、沖縄の問題が全く解決しない。日米安保体制は沖縄という砂上の楼閣に乗っている。」(171120)

 沖縄を体現してきた人の発言であり、ひとつひとつが重い。そして最後の発言になった「全ての責任を持ち自分の決断の下で撤回する」(180727)。今となっては、私たちは唸るしかない。

 翁長雄志さんは、私たちの先に逝ってしまった。彼と1歳しか違わない私だが、沖縄に育った彼と「東京育ち」の私では比較しようがないほどの違いがある。何しろ沖縄を軍事の島に押し付けてきたのが私たち「ヤマトンチュー」なのだ。沖縄返還を巡る闘いの中でも、沖縄のことを字面でしか理解していなかったのだ。否、字面さえ理解していなかった。

 翁長樹子さんがこう語っている。(今次の県知事選を弔い合戦ですかと問われて)「違います。沖縄のこれからがかかっているのです」とケチなこと言わないのとばかりにきっぱり(IWJ 180904取材)。

 翁長さんの49日は今日だけだが、私たち一人ひとりの生き様にこれからも引き継がれていくのだ。一人ひとりが引き継いでいこう。前人未到の道だが、皆で渡っていこうではないか。(180925)

2018年8月16日 (木)

私に何ができるのかと問われて Ⅱ「沖縄に係わり続けること」

私に何ができるのでしょうか?と問われて考えていること-「Ⅱ:沖縄に係わり続けること」

  この設問の第2回目を書く。Ⅰは「人間として生きる」(180808)だった。総論とはいえ、抽象的過ぎたかな。2回目は「沖縄に係わり続けること」だ。一度座り込みに来たから、沖縄関連本を読んだからなどの単発的な関わりでは、身につかない。こういうと、またハードルが高いと思われるかもしれないが、如何せん、ハードルは高いのだ。しかし最初から高い目標を掲げることではなく、係わり続ける中で、納得し前に進めばいいのだ。

 以下、自分流を書きながら、参考意見を付記したい。

 

①何で沖縄に係わり始めたのか?

 私の場合は偶然が多いが、必然もあった。1989年の春のことだ。「沖縄に行けば、安保が見えるよ」と呼びかけられたのだ。当時私が属していた東京都職員労働組合の青年部有志が行なっていた沖縄反戦の旅(正式名称は覚えていない)だ。呼びかけ人は友人であり、私はこれはおもしろそうだとのお気軽な発想から行くことにした。

 東京に居て、安保が見えたのは、728月から11月の相模原戦車搬出入阻止闘争や73年秋の横須賀空母母港化阻止闘争などであり、特に75年の430日のベトナム戦争終結(ベトナム人民の勝利)以降、安保・軍事は見えにくくなった。目隠しされたのだ。

 しかし日米安保・軍事協力関係が消えてなくなるはずもなく、78年に「日米防衛協力指針」ができ、「シーレーン防衛」が叫ばれ始めていた。軍事ほど具体的なものはないはずなのに、見えないのはどうしたわけか。戦争は文書・口ばかりではできないのだ。

 私にとって、この沖縄体験は貴重な経験になった。なるほど、こんなに基地があり動いているのかと、見て取ったのだ。沖縄戦からも学んだし、石垣島で行なわれていた白保のサンゴ礁を守る闘いも印象深かった。

 また、89年という年は、決定的な時間だった。沖縄戦を含むアジア太平洋戦争の最高責任者だった天皇ヒロヒトが同年17日に死んでいる。代替わりの時間が流れていた。私はこうして戦争の被害と加害を同時に問わなければ何も見えてこないことを学んだのだった。

 こうした学びから、もともとフィールドワーカー志向の強い私は、自衛隊の追っかけを始めていったのだ。

 

②沖縄の人たちとの出会いがあったから

 895月の旅は、戦跡や基地を見ただけではない。沖縄の人と出会ったのだ。知花昌一さんは、87年の国体のソフトボール大会の会場で日の丸を引きずり下ろしていた。反戦地主でもあった。チビチリガマの生存者から聞き取りもやっていた。真っ暗なチビチリガマの中で話を聞いていたら、私は驚愕するばかりで、ウ、とかアッとかしかなかった。反応は言葉にならなかった。

 また、現在、連合沖縄会長の大城紀夫さんは、当時宜野湾市職労の青年部長だった。色々とお世話になったものだ。

 やはり人との出会いが、自分を創っていくのだ。出会いを通して自分を育てていくのだ。このとき、聞き役に回りながら、自分の反応を返せるように、学び、考えていかなければならないのだ。こうした積み重ねが「継続は力」になってきたのだ。

 

9594日の米兵3名による少女レイプ事件の衝撃

 年に2,3回は沖縄に通うようになっていた。9594日に起きた少女レイプ事件は私にも電撃が走った。小学校6年生の女の子を拉致してレイプしてしまう兵隊の浅ましさ。情景をチラッとでも思い浮かべれば、恐怖でしかないことが、男の自分にも分かる。

 確かに軍隊は人殺しを制度化している組織だ。人を制圧する能力や、泣き喚こうがかまわずの心も育まれている。軍隊とは兵隊とはそんなものだ。

 この事件を知ったのは、私が東京に居たとき。12月に沖縄に行ったが、幸か不幸か、何の兆候も見えなかった。静まり返っているのだ。この静まり返っている沖縄に何を見たのか?沖縄の苦悶をみたといえば、きれいごと過ぎるだろうが、やはり言葉が見つからなかった。

 私の沖縄に対する見方はこの事件から変わっていった。事実関係の内外に表白している心情への問いかけ。もっと真剣に沖縄に向きあわなければと実感させられた。

 

044月からの辺野古での座り込みと同年8月の沖縄国際大へのヘリ墜落の中で

 046月、東京で辺野古での座り込みの報告を聞いた。これは自分が行かなければとストンと落ちた。私にとって海を守る闘いは67年以来のこと。無論、基地建設反対だ。同年7月、辺野古の海に出た。きらきらの海に痛く感動。守るしかないでしょ。しかし当時の私は大の水嫌い。怖かった。ここらは省略するが、当時の私を鍛えてくれたMさんらに感謝している。

 8月沖縄国際大にヘリが墜落。東京ではオリンピック報道でしらぱっくれていた。米軍が大学構内を7日間、占拠していた。9月には辺野古でのボーリング調査が始まり、海上行動も始まっていた。

 こうして沖縄と日本の対比が鮮明になっていった。そういうことなのか?

 このとき、私たち「日本人」への弾劾の声はきつかった。貴方は取材に来ているのか、闘いに来ているのか? 私はどぎまぎしながらも、こう答えていた。闘いに来ており、だからこそ取材したいと。

もとよりこのor は矛盾するのだ。矛盾を承知の上でやるしかないのだ。

⑤沖縄への罪責を抱えながら

 ここが一番大切なことだ。私たちが沖縄を知れば、大日本帝国の歴史以来沖縄を併合し、差別し、利用してきたのだ。私が「日本人」である限りこの関係は氷解しない。沖縄に対する罪責を考えなければ、何をやっても50100歩なのだ。

 私がこう考えてきたのはある意味、最初からだが、10年からの「島嶼防衛」や12年のオスプレイの強行配備以降、益々こう考えるようになった。沖縄は米日共同の軍事植民地支配下にあるのだ(この稿、あらためて再考する)。

⑥今がラストチャンス?

 私はこういってきた。短期的な取り組みと、長期的な取り組みを重ねながらやっていこうと。前者はこの1、2年の間の目標。後者は、10年から100年の目標。だが向こうは待ってくれない。19年明文改憲を通して、戦前のような黙って働く臣民を造るのだと。独裁国家万歳か?!

 今、民主主義がありますか、独裁ですか。今平和ですか、戦争に向かっていますか?この答えを私たち一人ひとりが出していかなければならない。これは沖縄のためではなく、自分のため、私たちのために。これが出来て初めて、沖縄と日本の間にある分断を超えていけるだろう。私は超えて生きたい。

⑦果てしのない旅だが、諦めない

 29年間のことを端折りながら書いてみた。まとめてみると心が苦しくなる。しかし一歩一歩積み重ねてきたからここまできたのだ。一人ひとりとの出会いがあり、協力があったからここまできたのだ。私は羅針盤を作り出してきたのだ。

 長続きする工夫は重要だ。めげたり、迷ったりした時にどうするのか。自分流を作り出して。沖縄と出会い、長続きするコツはいくらでもある。様々な文化であり、歴史であり、自然だろう。試されているのは私たちの人間力なのだ。(180816)

 

2018年8月 8日 (水)

私たちに何ができるのだろうか-Ⅰ「人間として生きること」

    私に何ができるのでしょうか?と問われて考えていること-「Ⅰ:人間として生きる」

 来訪者にお話しすると度々こう聞かれる。「私に何ができるのでしょうか?」と。この答えはさまざまでしょうが、なかなか難しい。私はご自身で深く考えてと言いたい。だが、そう言っていると、もはや手遅れになりそうだ。そこで少し私も考えよう。

①沖縄の問題は、人間の生き方の問題だから

 沖縄の問題には様々な論点があるが、つまるところこれだろう。政治の問題である前に人倫の問題なのだ。否、前も後ろもない。沖縄差別が人間の生き方を押しつぶしているのだ。だから否でも、常に自分はどうするのかと問われている。しかし沖縄外の人々は、自分の生活圏から距離が遠く、普段は非日常の圏外の話だから、ほっぽっておくこともできるのだ。

 だから在東京時代の私は、如何にして自分と沖縄を繋ぐのかを考え続けてきた。苦労した。だがこうしたやり方は戦術的に過ぎるのではないかと、私は最近そう思っている。

②「人間として生きる」

  だとすると、大見得を切ったほうがいいのかもしれない。私の生き方は「人間として生きることだ」と。人間として生きることならば、誰もが考えうるはずだ。

 私がこう考え始めたのは、最近の惨状は何だろうと考えているからだ。セクハラ・痴漢・盗撮等が蔓延し、大学まで入試に女性差別を制度化していたりする。こうしたことを開き直り、容認される風潮すらあるから、酷い、怖い。

 平和の敵は無関心と言われてきた。だが今日ほど、救いようのないほど社会的な無関心が昂じている時代は過去にもなかったのではないか。何故こうなってしまったのだろう。

 やや堅い話になるが、人間の生活には、個的な生活と類的な生活がある(但しこの2つを機械的に分けることは不可-たとえば、妊娠・出産・育児は個的な生活であり類的な生活だ)。この2つをつなぐのが社会の仕組みであり、政治の営みだ。

 人間以外の生物は、個と類が同心円上に存在している。だからこの両者に生じる矛盾は限りなく小さい。しかし人間は個と類が激しく対立している。戦争はその極端な現象だろう。誰かの利益のために同じ人間であるはずの人たちを「敵」として撲滅し、自滅しかねないものだ。

 60年代~73年までの高度成長の時代ならば、個的生活能力の向上で自己中でも、将来を展望できた(と思わされてきた)。給料も社会的地位も上がった。だが低成長の時代になった今、これはごく一部の人の特権になってしまった。だから私たち自身が類的生活を思考しなければ、やっていけないのだ。協働性・共同性を考えなければ、ならない時代になったのだ。

 しかしこの頭の切り替えができないから、畢竟、強きものにすがる。国家にすがり、弱き者を平然と差別する。人間が悪矛盾の「泥舟」に投げ込まれているのだ。

 こうした状況から脱しないと、私たち人間の生きる道は閉ざされていく。人間として生きることとは、個と類を意識することであり、私たち一人ひとりが人権と平和を手放さないことだ。既に失っているのであれば、これを取り戻すことだ。これができれば、私たちに恐れるものは何ひとつないはずだ。いや、放射能漏れはこれだけでは解決できない別の意味で深刻な問題だが。

 私たちはあらたな生き方を、それぞれの場で考え出し実践することが一番重要なことだろう。

③今沖縄が問われていることは?

 a:新基地建設を許さないか否か。ここには多様な意味が含まれているが、出撃拠点を強化し、加害者である痛みを忘れ、戦場になりかねない道を選択するのか?

 b:この国にすがりつき、ゼニゲバになっていくのか、この道は沖縄文化・沖縄固有の自然を捨て去り、壊してゆく道だ。

 c:沖縄らしい経済を地域を創り出していくのか否かが大きく問われている。地縁的な国境を越えた繋がりを重視し、沖縄にある資源を掘り起こし、独自の経済を創りだしていかなければ、この国の土壷から抜けられないだろう。

 ウームと唸ることばかりだが、私たちが諦めたら誰が担うのだ。

④基本的な課題

◎私たちはあらたな生き方を自ら考え始めなければ、一歩も前に進まない。

◎だからこそ、連携・協働の道を深く掘り下げていこう。

◎だからこそ、自己表現の能力を磨いていこう。手段は問わないが、自らを表現できずに何もなしえない。

 尚、これは年齢は関係ない。また上手い下手を超えた問題だ。

以下、Ⅱ:沖縄と心をつなぐ。Ⅲ:自分がやっているテーマと重ねる。Ⅳ:具体的なこと。以上、週一に書いていく。(180808)

 

2018年6月21日 (木)

ヘリ基地反対協議会からのお願い(180605)

ヘリ基地反対協議会から以下の呼びかけが出されています。皆様も心ひとつに出来ることをお願い致します。(ヤマヒデ)

郵便振替 振込みは 01700-7-66142 ヘリ基地反対協議会

2018年5月30日 (水)

映画「沖縄スパイ戦史」を見に行こう(18年7月~上映開始)

 三上智恵さんと大矢英代さんの共同監督の映画「沖縄スパイ戦史」が完成し上映が近づいてきたようです。無論、私も見ていないので、どんなだかなですが、概要は以下。

 「ふたりのジャーナリストが迫った沖縄戦の最も深い闇。
   少年ゲリラ兵、戦争マラリヤ、スパイ虐殺
      そして、遂に明かされる陸軍中野学校の「秘密戦」とは?」
です。
上映は沖縄・桜坂劇場で 18年7月21日~
    東京・ポレポレ東中野で、7月28日~
順次ロードショー
詳細は以下を
〇三上さんが言っていました。今回は苦労したと(いつもでしょうが)。地味な映画だから。ですよね。隠されてきたことを如何に開いていくのか? 沖縄戦で語られてきたことと、語られてこなかったこと。軍と国家の非道さを表に出すことが今こそ意味のある時代はなかった。またこのままいけば、表に出せない時代になってしまう。今しかないとの思いが監督達にはあるはずだ。
 私も必ず見ます。紹介も書きます。(ヤマヒデ)

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