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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「暮らしと政治」の記事

2019年10月 3日 (木)

真夏の沖縄に、秋の訪れ、あたらな政治の季節へ(191003)

 2019年10月3日(木)晴れ 

 朝、近くでキセキレイを見た。秋の印。涼しげに感じる。辺野古ではミサゴがやってきた。お久しぶり。運良く今季初めてのダイビングを見たが、魚をゲット。私も撮ったぞ。秋の兆し。

 しかし気温はメチャ暑い。風がなく、唸るしかない。雄大積雲が湧き、空は真夏。海上行動のメンバーは6時30分集合で、埋め立て工事の大前提となる台船の大浦湾への進入を止めるべく頑張った。炎天下での行動は激務であり、海の上で海保と渡り合うのは、緊張の連続であろう。

 このままでは埋め立ては進んでいく。どこで止めるのか。軟弱地盤の大浦湾の埋め立てのための公有水面埋立法の変更申請を止めるしかない。ここが最大の山場となる。この闘いをどうやって組み立てていくのか? 裁判闘争では勝てないのだ。日本国憲法が示す3権分立がなきものにされているからだ。あらゆる闘いを(非暴力に徹しながら)やるしかない。この意味で沖縄の闘いは政治の季節を迎える。現場での闘いの強化と、文化的な闘いとの連携、地位協定の矛盾を突く闘い、そしてなによりも日本全体の課題に押しげることができるのか。アジアの平和を沖縄から伝え、広げていけるのか。

 不戦に生きる沖縄に転じることができるのかが、第一関門であろう。私は微力ながら、11月からできる限る全国行脚に出る。皆様とできる限り議論していきたい。安倍政権を倒す意味合いをクリアにしていきたい。

 今日の琉球新報にこういう記事が出た。米国が沖縄に中距離核ミサイル配備と。米国はあくまでも中国との覇権争いに武力をもちいてでも勝つつもりらしい。愚かすぎる。沖縄の人々がこれにどうかまえていくのか。これは正に新基地建設と直結する。新基地建設(核をおける弾薬庫+埠頭の建設)と「琉球諸島防衛」の対中最前線基地群の構築、宇宙軍構想、そこに今挙げた中距離ミサイルの配備。

 80年代の反トマホーク配備反対の闘いを上回る国際的な闘いを作り出さなければならない。沖縄・琉球諸島が生き残り、アジアが生き残るために、人類が生き残るために全力を尽くさなければならない。これは、私の、あなたの課題である。私たちは決して諦めない。

 15時過ぎ、河口に白い鳥が飛んだ。乱反射がまぶしくよくわからなかったが、大型のアジサシ類か。私は自然豊かな沖縄を愛している。基地の島沖縄を一刻も早く克服したいものだ。だからこそ沖縄に新たな政治の季節を作り出す以外にないのだ。

2019年10月 1日 (火)

2019年10月Ⅰ日を迎えて

 2019年10月Ⅰ日を迎えた。台風18号は西にそれたが、消費税10%はそれなかったらしい。軽減税率があるなどわかりにくいことこのうえない。私のような算数の苦手な人には、負担ばかりかストレスが高まる。

 軽減税率とかポイント還元だとか、こんな些末な手段で消費税の本質が改善されるわけではない。本質が問題なのだ。私たちは些末な問題で一喜一憂するのでなく、税金って何か、国家って何かを考えなければならない。

 私の学生時代(1970年代前半)は高度成長時代であった。自然を壊し公害を垂れ流し、それでも経済成長が「善」だった。それでも福祉国家を看板に掲げており、格差拡大への歯止めの仕組みがあった。累進課税であり、社会保障の「充実」だった。しかし「弱肉強食」という戦前の発想を克服できず、家族主義が残され(元凶である天皇制が残された)、根本的な改革がなされなかった。

 70年代後半からの高度成長の限界は80年代の中曽根行革に行き着き、国家の力の強化に向かう。そして富む人間が大企業が益々富み、貧しい人間は益々貧しく不正規雇用が当たり前になってしまった。この道を促進するのは消費税であり、8-10%への税率アップだ。冗談じゃない。

 こうなれば、私たちは、よりみみっちく生きるしかない。軽減税率とかポイント還元に振り回されず、私たちの生活を貧しくしてくる政治を肌で実感しながら、人権・幸福追求権を手放さない。

 特に安倍政権が軍事で金儲けする国に転換した2014年を、私たちはもう一度想起しなければならない。ごくごく一部の人間たちが人殺しで儲かる仕組み。そんな米国とつるむ奴らだから血も涙もない。

 いやいやと私のアメリカ在住の友人から今朝(日本時間)メールが届いていた。米国では大金持ちは大金持ちなりに社会福祉に貢献する寄付文化がありますと。日本の富豪はテメエらの一人儲けだったのか。

 憤るばかりでは暮らせないが、憤らずにも暮らせない。このまま若者たちを国家の殺し屋に差し出すわけには行かない。沖縄をいつまで戦争準備の島にさせておくわけにはいかないのだ。

 神野直彦さんの本に「『分かち合い』の経済学」(岩波新書)というのがあるが、私たち人間が分かち合いを忘れたら、ダメだ。時代は暴力による一人勝ちを正義だとする勢いに圧倒的に押し流されているが、これをとめずに人間が生きていける展望を探ることはできない。沖縄が強いられてきた歴史の中に(世界的に見れば沖縄ばかりじゃない)新たな可能性が見えるはずだ。

2019年9月30日 (月)

防衛大臣と玉城知事面談、平行線(190930)

 河野太郎防衛大臣が2019年9月29日沖縄に来た。玉城知事と面談したが、お互いの認識は平行線と。知事は沖縄の民意を示し、中断を要請(あたりまえ)、大臣は「普天間飛行場の危険性除去は1日も早い全面返還が一番の対策。辺野古移設をしっかりと進める」と述べた。

 これは水と油。なじむことがない。普天間と辺野古・大浦湾の歴史的経緯と現実を認識させ、民意をもっともっと伝えなければならない。また利権の構造を白日の下に明らかにしていかなければならない。面談で知事は普天間が返還されるまでの危険性除去が課題だと言ったそうだが、日本政府の本音に危険性の除去は含まれていないのだから、やっかいだ。米軍が幾ら事件事故を起こそうが、騒音を立てようがかまわない。外来機を増やして、近隣住民の嫌気を高めて、沖縄を分断して、押しつけるこれだろう。

 だとすると私たちの課題は、沖縄全体で考えることが最重要だ。そして米日政府の沖縄に対する「期待」を打ち砕くためには、彼らの軍事戦略を暴露し、沖縄を再び戦場にするような動きを止めることだ。先日の本部港への米軍海兵隊の救助艇導入の動きなど、関連した問題が噴出している。

 渡具知名護市長が要請したというキャンプシュワブ内のヘリパッドの撤去は確実にやっていただきたい。戦争に備えている沖縄から、人々が暮らす沖縄へ、ここに一歩前に進めよう。明日2019年10月Ⅰ日、モノレールがてだこ浦西駅まで延長される。誇りある沖縄にするためには、ただ基地建設反対だけではできないのだ。道のりは遠いが、がんばろう。

2019年9月28日 (土)

今日の記事からー嵐を呼ぶ男、来県(190928)

 今日の沖縄タイムスの基地関連記事はてんこ盛り。大きな記事は後にして、あの嵐を呼ぶ男が来県する。誰のことか? 河野太郎防衛大臣のことだ。映画「嵐を呼ぶ男」は石原裕次郎であり、太郎と裕次郎を対比しては、いかんだろう。

 しかし河野太郎防衛大臣は過去に脱原発を主張していたにもかかわらず、今では「管轄外だから(関係ありません)」の態度。ご本人もわかっているだろうが、原発と原爆は一字の違い。もとは同じモノ。原爆の開発から原発が生み出されたのであり、核エネルギーであることは福島原発の巨大事故(核爆発)で立証された。「もうどうにもとまらない」のだ。

 防衛大臣たるもの、現在の日本の防衛力なるモノは米国の核の傘にあることを承知しているだろう。核安保体制なのだ。沖縄の米軍基地はその一部を構成しているのだ。誤解なきように言うが、この問題は今沖縄の陸に核が貯蔵されている否かではない。米国の軍事戦略の問題。彼らが必要と判断したら、いつどこにでも持ってくることができるから懸念しているのだ。海中の潜水艦の中、辺野古弾薬庫、嘉手納弾薬庫にも。秘密裏に。

 太郎君に問いたいのだが、米国・米軍がいつの間にか核を持ち込んでも知らんぷり。共犯で隠す?

 河野太郎防衛大臣は、9月29日(日)に沖縄に来て、知事に会見、30日、松川正則宜野湾市長や渡具知武豊名護市長、久辺3区の区長にも会うそうだ。誘致派と何を面談するのか? 工事の現場も見るらしいが、台風接近もありどうなるか。29日の日曜日に自衛隊のヘリで来るのか?嵐(台風18号)を呼ぶ男はどんな運不運に見舞われるのか。興味は尽きない。

 衛藤沖縄担当相もモノレール延長祝賀会に来るらしい。やはり9月29日、30日の日程だ。こちらの動向も無視できない。

2019年9月27日 (金)

宜野湾市長・市議会の辺野古移設促進と名護市議会の新基地建設即中止の対立が露見(20190927)

 普天間基地の地元宜野湾市松川政則市長(18年9月当選)は辺野古移設容認派であり、同市議会も容認派が多数である。その宜野湾市長と市議会がこの本音を露見させてきた。2019年9月26日の宜野湾市議会でのことだ。市議会での答弁でこう答えたのだ。「容認せざるを得ないとの思いが強くなった」と。この理由に現状分析と知事発言を取り上げている。前者は新基地建設の進展の現状からの判断であり、後者は知事は移設の代替案を提案しないと明言したとしている。ご丁寧にも「市民のことを一番に考えると容認せざるを得ない。痛切に感じる」と言ったそうだ。

 この見解に多くの批判を上げることができるが、一番の問題は安倍政権への忖度がにじんでいることだ。沖縄の民意よりも安倍の基地建設強行を優先しており、例えば地元の緑が丘保育園や普天間第2小学校への落下物の件などに対して如何に取り組んできたのか、来なかったのか。また外来機の増加について、如何に考えているのか見えてこない。辺野古に移せば演習場もあちらだし、めでたしめでたしだとしたら、ずれすぎていないか。そもそも普天間基地と辺野古の滑走路(計画)は全く違う。前者が2800m、後者は1800mであり、後者は大型機や中型機の一部は使用不可であり、飛行場としての代替機能がないのだ。こんな単純なこともわかっていないの?!

 他方で名護市議会は9月26日、「辺野古新基地建設を即時中止し普天間飛行場の代替施設の必要性を国民的な議論で解決するように求める意見書を賛成13,反対11,退席1で可決している。この意見書の肝は即時中止と、何よりも代替施設が必要というならばそれを国民的な議論を通して決めるべしと言うことだ。沖縄に押しつけられている現状を日本全体に投げ返し、考えることを呼びかけたのだ。この発想は「新しい提案実行委員会」(安里長従代表)が提起しているものだ。

 安倍政権は、しきりに沖縄内の世論を分断し、政権の意向を押しつけようとしてきた。飛行場は基地の周辺の問題かもしれないが、当の航空機の実働は沖縄島どころか琉球諸島にアジアに飛んでいる。事故を起こすのは基地周辺ばかりでない。2016年12月13日夜、オスプレイは大浦湾のすぐそばに落ちた。東村の民地でも緊急着陸・炎上している。

 私たちに求められているのは、分断を乗り越え、沖縄としてまとまりつつ、日本政府、各地の皆様に問題を投げかけ、日本のアジアの平和を考えることではないのか。

2019年9月23日 (月)

小泉進次郎の頭の中は?(190923)

 あの小泉進次郎環境相が気候サミットの会談の記者会見でアホなことを言ったそうだ。気候温暖化の問題は「楽しく、かっこよく、セクシーな問題だ」と。予想通りの口あんぐり発言が飛び出した。すごいね、この感覚。これをすかさず、呆れるそぶりも見せずに言えるピエロぶり。役者だな。

 彼はこの問題について何も知らないのだろうが、彼の思いは米国の言うとおり。親爺譲りの米国ベッタリズム。米国政権は核安保の国であり、原発・火力発電の国だから米国への風当たりを立てない。そうだとストレートに言ったら、馬鹿にされるからこんな表現が出てきた。脱線ピエロなのだ。属国ピエロなのだ。図星だろう。

 しかしこんな役者はいらない。おひきとりください。いいや退場させよう。

 もしも彼が辺野古・大浦湾のサンゴの海をみたら、「ジュゴンもいる超セクシーの海だね。だから基地にしようね。だってアメリカの為だから」なんてことを言いそうな奴だ。

 

 

2019年9月20日 (金)

安倍首相は何を考えているの?(190920)

 2019年9月9日から内閣改造が行われていたが、これは丁度、台風15号が首都圏に掛かった日。東京湾をまたぐ形で千葉県周辺や伊豆七島を襲った。停電・断水・屋根や窓ガラスの破損、瓦が山のように飛び散っていた。今回の災害が驚きなのは、首都圏を襲った災害であり、例えば市原市や袖ケ浦市といった京葉工業地帯での被害。被害が出て、時間が経つほどに被害が発覚。情報収集の態勢が準備されていなかったようだ。

 私は自衛隊の防災出動を促す立場でないが、木更津に陸上自衛隊のヘリコプター団があるのだ。宇都宮には自衛隊のヘリコプター学校もある。機材はそろっているのだ。リサーチする気があるなら即できる。予想外に樹木が倒れて停電の復旧が遅れたと言うが、電力会社だけで不足ならば、県や国がカバーする態勢をとればいい。また個別の支援だけではたち行かないこともわかっているのだから、そのときどうするかの総合的な連係プレーが必要となる。防災訓練を積み重ねても、こうした本番に直結できなければ意味がない。わかっているんだろうか。命の営みを寸断された人たちにとって、ぬくいお部屋で閣議決定して、やってますの意味がどれだけ酷いのか

 災害対策基本法や災害救助法の適切な発動が重要であって、市町村・都道府県との下からの連携プレーが優先されるべきだ。下からのコールが届かなければ、上からバックアップする事が重要になる。

 そして11日が経った本日20日、漸く安倍首相は台風対策を閣議で命じたとか。あなたは亀さんですか? 亀さんはねぇ、水の中に入ったら速いぞ。ウサギとカメの童話の世界と違います。

 安倍さんは、自分に関わる儲け話以外は二の次三の次だということがますます鮮明になってきた。もしかして千葉で11日後ということは、沖縄ならば、110日後か。否、米軍が多いから復旧は早いか。いやいやフェンスで分断されるんだろうな。

 沖縄は、こうしたことも予測しながら自治の力をつけていくしかないのだろう。

街は誰がつくるものなのか?(190920)

 横浜市で林文子市長がカジノにイエスを示している。これに対して「止めろ!」の声が上がり、リコール運動まで起きてきた。沖縄から見ていても実に興味深い動きだ。林市長の立場が急変してこうなったとされているが、もともと彼女の本音はこうだったのだろう。それは横浜市民から悪く言われるに違いない。だまし討ちはいけません。市民自治あっての市長職ですからね。

 因みに地方自治法によれば「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として地域における行政を自主的かつ総合的な役割を担うものとする」(第1条の2)。地方公共団体の「住民」(第10条)を定め、「直接請求」(第74条以下)を定め、「議会」(第89条以下)を定め、「知事」(第139条)・「市町村長」(第140条)を定めている。

 カジノが住民の福祉を増進するのか、真逆なのか、住民がこれをどう捉えるかは大きな地域の課題となるのは必至だ。林市長も、これは危ういと思っていたから、隠してきたのだろう。利権が絡んでいるからダマシ討ちにしたのだろう。分かりやすいことだ。釈明すればするほど嘘がばれる。

 横浜市民がどう判断するのか、私にも興味深い。それは単にカジノがギャンブルであり、住民に与える余波が大きいだけでなく(それだけならば、行かなきゃいい、やらなきゃいい)、街が変わり、市政が変わる。儲け人と、奪われ人で極端な格差が出て、街もすさむだろう。住民の福祉を忘れた市政は、利権と絡み合い、主権者である住民をますます脇に置いていく。

 ここでリコールが成立しなければ、横浜市も破滅する。

 戦後生まれの私の横浜に対する印象は、世界への玄関口だ。ここでまた自分の思い出に触れるが、1961年に山下埠頭に氷川丸が係留され、宿ともなった。その年、ここに泊まった印象は忘れがたい。小学校4年生だった。氷川丸は貨客船だったが、戦時中病院船として負傷した兵隊を引き上げてきた。その話と、明るい横浜の印象は、闇と光を浮かびあがらせるものだった。氷川丸の経営主体は変わったものの、今でも健在だ。

 様々な魅力にあふれた街である横浜を支持する人々は市外にも多いだろう。横浜市民はカジノ問題をどう考えるのだろうか?

 私は小樽市の運河をまもる運動を思い出した。こちらは住民による必死の抵抗運動で辛くも運河の一部を守り、その後の小樽市の街作りに貢献しているだろう。私も事前と事後をみているので、一部といえども残して良かったと思う。カジノは景観ばかりか、見えない部分もかえてしまうだろう。カジノが繁盛すればするほどヤバイ。それほどヤバイことはないだろう。これって、基地が繁盛すればするほどヤバイのとどこか似ている。

 2019年9月14日、横浜市内で「横浜市にカジノはいらない! 女性たちよ 手をつなごう」の集会が開かれた。講師は沖縄の元参議院議員糸数慶子さん。糸数さんは沖縄の歴史に触れながら、72年前後からカジノ導入の誘致話が起きたことを話していた。また度々この話が出てきたが、いずれも止めてきたと。またあの仲井真県知事が辺野古新基地建設を承認した裏切り(2013年12月27日)のなかで、カジノ導入を国に呼びかけたことにも触れていた。しかし沖縄は今日までカジノを阻止してきたと報告していた。こうしたなかにも糸数さんらの長年にわたる取り組みが活きていたのか。私は恥ずかしながらよく知らなかった。

 カジノは依存症をもたらし、人々から現実を見えなくする。なんぼスったかでは収まらない問題を引き起こす。軍事の行き着くところは殺戮と破壊だが、これも現実を見失う猛烈な毒が体中に回り、帰還兵はのたうちまわるものだ。

 街を作るのは住民だ。街を作るリアリティをもちたいものだ。これはどこにあっても同じはずだ。

2019年9月12日 (木)

「改憲や、ああ改憲や、改憲や」の安倍の内閣改造(190912)

 台風15号が関東地方・千葉県各地に爪痕を残す中、安倍晋三首相は内閣改造を行った。さぞご苦労なことでした。結果は予想通りの顔ぶれ。高市早苗が復活し、茂木俊充が外務大臣に流れ、河野太郎が防衛大臣だぞ。出ました萩生田光一が文部科学大臣。初入閣組が19名中13名もいる。70歳以上の初入閣が4名だ。最後のおつとめか。

 なんのことはない。「改憲や、ああ改憲や、改憲や」ということでしょう。これじゃ松島が泣いている。先の参議院選で改憲派は3分の2を下回ったが、安倍たちは改憲に固執。無理に無理を重ねてでもやるつもりでしょう。このための素材が沖縄と韓国敵視策。自衛隊を憲法に明記するとは、将来的な【我が軍】をつくること、だからこそ、個人の人権や自治など踏み荒らす。国家優先であり、大日本帝国が行ってきた過去をなかったことにする。軍事産業の儲けを我がこととする。

 「安定と挑戦」を掲げているそうですが、俺たちの安定であり、そのための挑戦に他ならない。その心は独裁だ。

 小泉進次郎が環境相だと言うのも笑わせる。彼は環境について何か知っているのか。人間も酸素を吸って、水を飲んで生きていることすら自覚してないのじゃないのか。こういう者たちが省庁のトップを務まるのは、よほど官僚組織がしっかりしているからだろうが、官僚たちのお仕事も、みくびられたものだ。

 環境庁ができたのが1972年だから、沖縄返還(沖縄併合)と同じ年限が過ぎたわけか。私もこう書いていて気づいたのだが、いかなる縁があるのだろう。政権にとっては2大アキレス腱かもしれない。他方、災害が多発し激甚化していても安倍政権は知らぬふりだし、統括する省庁もない。国家公安と防災を兼務する、自衛隊の組織力に頼り、あとは野となれ山となれ。「自助」と言いながら国家の出番だけは確保している。

 改憲・改憲と叫ぶ(どこで)連中に対して、私たちが主権者ですと言い切らなければならない。何事であれ、そこからしか出発できないようだ。他人任せにしていては、またぞろお国が絶対に戻ってしまう。

 沖縄は形あるものだから、そうはさせない! 河野太郎君については別項で書くか。

2019年9月 1日 (日)

図書館の利用者情報を3市立図書館が警察の求めに応じていたー糸満・名護・那覇ーどういうことだ?(190831)

 2019年8月31日の沖縄タイムスに因れば、糸満市・名護市・那覇市の図書館が警察の任意捜査である「捜査関係事項照会」に応じていたことがわかった。いったいどういうことなのだろう。

 図書館とはそもそも何かから始めなければならない。図書館法の目的にこうある。「国民の教育と文化の発展に寄与する」と。単なる資料提供の場に留まらないのだ。住民の知的発展に寄与することが求められている。そこに警察が個人の特定をしたうえで(無差別でも)、任意捜査として「捜査関係事項照会」を出し、読書の履歴等を収集することは、個人の内心への介入でもあり、恐ろしいことだ。捜査関係事項照会とは刑事訴訟法に基づく手続きだが、その照会の仕方は余りにも一般的であり、求められた方は、YESかNOかしかない。個々の判断のしようがないものだ(だからNOなのだが)。

 図書館の中には、照会に応じるのは義務だと考えていると新聞社の取材に答えたところもあるようだ。とんでもないことだ。図書館、図書館人として、襟を正すべきだ。因みに図書館の自由宣言にこうある。①図書館は資料収集の自由を有する、②図書館は、資料提供の自由を有する、③図書館は利用者の秘密を守る、④図書館は、すべての検閲に反対する。

www.jla.or.jp/library/gudeline/tabid/232/Default.aspx

こうしたことがまもられていなければ、利用者は落ち着いて図書館を利用できまい。図書館こそは、憲法が掲げる個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利(第13条)を擁護すべきだし、思想良心の自由(第19条)、集会・結社・表現の自由、検閲の禁止(第21条)、学問の自由(23条)、生存権(25条)などの住民の諸権利を守るべき機関でなければならない。ここに図書館の図書館たるゆえんがあり、図書館たる根拠があるはずだ。

 図書館の利用者は、無意識であれ、自分がこだわりたい事を如何にしたらできるのか、何をどうすれば良いのかを考えているからこそ来館する。読書等を楽しみながらも、どう生きたら良いのかを考える社会資源として図書館を活用しているはずだ。だから、図書館の潜在的な価値はもっともっとあるはずだ。そこで、諸個人のプライバシーが守られず、知る権利が侵されているとすれば、どれだけの損失になるか。住民諸個人の読書履歴・読書傾向が第3者に盗み見されているとしたら、安心して図書館を使えない。【註】

 特に沖縄では住民が基地のある暮らしに疑問を抱いた際の社会資源として図書館があることに気づけば、図書館は住民に大きく寄与するはずだ。政府が、警察が、ここに注目しているとすれば、恐ろしいことだ。これは沖縄に限らない。各地には各地の問題があり、同様に有力な社会資源であるはずだ。

 公立図書館は地域行政が運営しているが、地域の利用者がリクエストなどを通して図書館を育てているのだ。安易に公設・民営化して貸出冊数を競うだけの図書館になれば、地域住民の要望に応えられなくなる。こうなれば図書館の本来の姿を見失っているのだ。因みに、図書館は今述べてきたとおりの性格をもっており、首長の政治方針で偏向させてはならない。首長の図書館であってはならず、住民の図書館だからだ。

 今やインターネットの時代だからこそ、直接探している用語しかでてこない電子情報だけでは限界があり、事の本質を間違えかねない。その背後にある事柄や、考え方を探れる図書の意味を見直すべきなのだ。一見便利なデジタル社会になればなるほど、底の浅い人間になっていないか。監視の目が強まり、萎縮していないか。

 私たちは、改めて声をあげよう。検閲の廃止! これは私たちが生きていくために欠かしてはならないことなのだ。

 

【註】図書館のコンピュータは、住民基本台帳などの行政事務の機械とは、当然独立しているはずだ。そうでなければ、プライバシーもヘチマもない。図書館の貸し出し事務を司どっているのが、図書館コンピュータシステムだ。これは利用者が借りたものを返却すれば、貸し出し履歴に残らないと言われている。確かに端末のデータからは削除される。しかし大元のホストコンピュータの記録からも完全に削除されているのだろうか。私は疑問に思っている。

 なお蛇足ながら私は、公立図書館で9年余り図書館業務についていたことがある。






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