無料ブログはココログ

ウェブページ

考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「自治・自律」の記事

2019年4月10日 (水)

岩手県議会の意見書に思う

 今日、岩手県平和委員会の皆さんが、辺野古テント村を訪ねてこられた。岩手県といえば、県知事さんが沖縄の県民投票について、「尊重すべき」と明確に答えていただいている(190318沖縄タイムス)。こう答えたのは、静岡県知事と、お二人だけなのだ。

 今日お出での皆さんは、さらに岩手県議会の意見書をもってきていただいた。「沖縄県民投票の結果を踏まえ、辺野古埋立て工事を中止し、沖縄県と誠意をもって協議を行うことを求める意見書」だ。ごくごく当然の意見書に過ぎないのだが、これ、沖縄を除く46都道府県のお初の出来事なのだ。私とすれば嬉しいというよりも、どうしてと思う。

 以下本文を紹介する。「地方自治と民主主義を尊重し、沖縄県民投票の結果を踏まえ、辺野古埋立て工事を中止し、沖縄県と誠意をもって協議を行うことを強く要望する」。単純明快なのだ。以下「理由」が続く。

 「(前略)今回の沖縄県民投票において、埋立て反対の民意が明確に示された以上、憲法が保障する地方自治と民主主義、国民主権、基本的人権を踏まえた真摯な対応が求められる。

 よって、国においては、地方自治と民主主義を尊重し、沖縄県民投票の結果を踏まえ、辺野古埋立て工事を中止し、沖縄県と誠意をもって協議を行うことを強く要望する。(後略)」2019年3月25日。

 余りにも単純明快な政治が、これほどまでに蹂躙されている沖縄。この沖縄をサポートする知事と県議会をもっている岩手県民の良識に私は涙する。また「岩手日報」も論説に「辺野古の軟弱地盤」と題して、政府に対して英断を求めている(190331)。

 私は、今の安倍政権と安倍政権を支えている国民意識を指して、「独裁国家」だと断じているが、岩手県議会のような声が髣髴とあがってきてこそ、地方自治と民主主義を取り戻す狼煙になると、考えている。黙ってこの事態を見過ごすことは、このまま安倍政治に流され、追認して行く道だ。因みに去る2月24日の県民投票は、沖縄のことは、沖縄が決めるのだとの宣言でもあるのだ。

 しかし今の事態を打開することはなかなか困難だ。従来のように、大多数が流れに身を任せていたら、取り返しのつかない事態になっていく。これは沖縄問題ではないのだ。人々が”生きていく”政治を目指し、このためには、長いものに巻かれない生き方を選択しなければならないのだ。私は、全国各地の方々の英知と決断を求めたい。

2019年4月 2日 (火)

自治体選挙の中でも沖縄・自治を問うべし

 本日午前中に「46都道府県知事の沖縄県民投票に対する態度(私見)」を漸く書いた。これは去る3月18日の沖縄タイムスの記事に触発されて書いたものだ。

http://ponet-yamahide.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-bc96.html

 

 46都道府県知事のあり方が浮き彫りになっており、これを看過できないと考えるからだ。しかし事はそう簡単ではないようだ。この話を私は辺野古テントで記事を読んだ直後からしてきた。だがあんまりぱっとした反応が返ってこないのだ。ここに来る人でもそうなのか。沖縄の問題は自治の問題とみれば、ひとつながりなのにぴんときていない。事態は深刻だ。確かに「革新自治体」華やかし頃ならいざしらず、自治に対する感覚が麻痺し、無能化しているのか。

 そして今真っ最中の11の道府県知事選でも対抗軸を立てた選挙は北海道のみだ。後は保守分裂選挙だったり、維新対自民だ(トホホ)。与野党VS共産党の体たらく。私は共産党が対抗馬を立てることを批判しているのではない。そうではなくて、何故自治体選挙ではこんな構造しかできないのだろうか。暮らしの足下で何を争点にするのか、ピンボケしているのだ。政治とは人々の命の歩みを育み支えるのか、一部の企業の金儲けのために政治を財政を収奪していくのかの争いなのだ。ここを問う選挙を構築できなければ、アウトだ。

 こう考えると、来る7月の参議院選挙の結果も推してしるべしか。ヤバイな。またもや改憲派が3分の2ですかね。先日も立憲民主党の予定候補がSNSでヘイトを飛ばしていたことがわかり、同党の支持を外されたが、当然のことだ。隠れ差別主義者、隠れ改憲論者がまじっているのではないか。野党共闘はいいが、この中でも、明確に沖縄の問題を焦点にしてね。このぐらいできないで、デカイ面しているんじゃありません。最低限「沖縄の民意を尊重する」、「新基地建設を許さない」、「島嶼防衛は戦争を準備するものであり、自衛隊基地の新設反対」、「日米地位協定改訂」ぐらいは掲げてもらいたい。もっとも、オール沖縄会議も「島嶼防衛論」を正面から論議していないはずだ。時代に乗り遅れているのだ。

 帰宅したら、「せたがやYES!」の保坂のぶと区長候補のチラシが届いていた。彼は3期目に挑戦だ。「参加と協働のまち せたがや」論がまぶしい。私は世田谷から出て久しいので、具体的なことを述べることは避けるが、80万都市といいながら停滞していた時代から今や人口91万だそうだ。私は「大きい事はいいことだ」とは考えないが、こうした急増は何故起きたのだろうか。住み易くなったのだろうか。

 戦争に反対し自治に積極的に取組む首長を、議員を一人でも多く誕生させてもらいたい。こうしたことが沖縄を支える基礎になるはずだ。

 

46都道府県知事の沖縄県民投票に対する態度について(私見ー190402)

 2019年2月24日の沖縄県民投票の結果は、これまでにみてきたとおりである(「基地建設を巡る県民投票」のカテゴリーを参照)。沖縄タイムスは、これを受けて46都道府県知事にアンケートを実施した(2019年3月18日記事)。これを参考に私見を述べる。

 質問は①結果を日米政府は尊重すべきか?

    ②政府は移設工事を断念すべきか?

    ③普天間基地の返還方法は? A①県外移設、②国外移設、③辺野古移設、④移設によらない撤去

 驚くべきことに(否、想像に難くないが)、結果を尊重すべきと答えたのは、達増拓也岩手県知事と川勝平太静岡県知事のみだった。政府は移設を断念すべきと答えたのは、岩手県知事のみなのだ。静岡県知事は「民意の尊重こそ主権在民の根本だ」として、「沖縄県と国が話し合い解決策を、探るべきだ」と答えているそうだ。

 Q①もQ②にもどちらともいえないは、宮城・秋田・長野・京都・兵庫・佐賀・大分の7県知事。3つの質問全部に、「その他・無回答」は37知事に及んだ。

 このうち19の知事が「安全保障は国の専管事項」だとして質問に答えていない。質問に答えずコメントを出したのは、鳥取県の平井伸治知事、熊本県の蒲島郁夫知事、長野県の阿部守一知事、大分県の広瀬勝貞知事、大阪府知事の松井一郎知事。

 それにしても沖縄に対する驚くべき無関心ぶりに、私は呆れ果てる。岩手・静岡県知事以外は沖縄への差別に加担しているのだろう。

 しかしこのことは、沖縄問題で終らないのだ。自治体の長としてどう考えるのかが知事は常に問われているはずだ。しかし、この問題意識が欠落している。「国の専管事項」に逃げ込んで、政府におもねる知事たち。

 現行の地方自治法には、第1条の二に「地方公共団体の約割、国の役割」があり、「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」とある。②項で国や都道府県・市町村の役割分担に触れている。だが「住民の福祉の増進」と「団体自治・住民自治」に関して明確な規定はない。第2章に住民が規定されており、住民の選挙権(11条)、条例の改廃請求権、事務の監査請求権(以上12条)、議会の解散請求権、解職請求権(以上13条)があるだけだ。

 こうなると基地問題は安全保障の問題であり、自治体が関与することはできないとか、制限されているという論に逃げ込みやすい。沖縄の現実は、こんな逃げ込みは不可能な状態に置かれているのだ。珍しくもない事件・事故。爆音や低空飛行や人家や道路上を飛ぶなどが日常だ。見上げてみれば、ミサイルを見ることすらあるのだ。一旦事故が起きれば、そこが米軍に占拠され管理されてしまうのだ。新基地建設は自然環境を破壊しながら進んでいる。事件・事故がおきる可能性を否定できる者は誰もいないだろう。米軍が決めている「高さ制限」すら守る気がない日米政府。堂々たる安全無視に(軽視ですらない)、秘密主義が大手を振っている以上、福祉の増進を図ろうと思えば、団体自治・住民自治を強く主張しなければならないのだ。このお手本みたいなのが先に行なわれた県民投票だったのだ。

 こうしたことを度外視できる知事は、住民のことを考えていますか? 今、安倍政権が新たな戦争に踏み出そうとしているこのときに、多くの都道府県知事は戦前の官製知事レベルだということだ。国を忖度する知事が、住民を守るはずがない。

 だからこそ、都道府県の皆さんは、こうした知事さんに対して、きちんと説明を求めるべきだろう。油断していたら、この国の戦争の渦に巻き込まれていきますよ。確実に。私たちがやるべき事は、まだまだあるはずだ。 

2019年2月28日 (木)

沖縄の事は、沖縄の人々が決めるということに確信をもとう(190228)

 私は昨日、岩屋防衛大臣の「国には国の民主主義」論に呆れ果て、「『独裁者』の民主主義と、私たちの民主主義」を書いた。今日(190228)の沖縄タイムスは、この問題を社説に取り上げている。タイトルは「そこまで言うんですか」と、嘆いているようだが、論旨は明快だ。

 しかし岩屋防衛大臣であれ、安倍首相であれ、「安倍語」を話す人たちは、不都合なこと一切を隠蔽し、改竄し、「普天間基地返還も沖縄の民意だ」などと都合のいいことしか取り上げない。これでは議論にならないのだ。ここに対話が生まれる余地がない。だからこうした人たちにかかってしまえば、当然の如く、「国には国の民主主義がある」というのだろう。
 だとすれば、私たちは、「沖縄のことは、沖縄の人々が決める」ことに確信を深めなければ、一歩も前に進めないことになる。全てを国任せにしていけば、「お国のために死ね」という74年前の悲惨が蘇ってくることになるだろう。
 今日の琉球新報に、憲法学者の小林節さんが「県民投票に憲法拘束力がある」と指摘している。憲法95条【特別法の住民投票】を参照してのことだ。第95条は、地域限定の法を施行する際は住民投票で過半数の賛意を確認しろと言うことだ。「沖縄だから」沖縄に置けと言うトートロジー的な強権に、今回の県民(住民)投票は立派な価値判断を示したことになる。
 沖縄の事は沖縄の人々が決めるために、私たちは確信をもち、諦めない精神を発揮し、一人ひとりの幸福を追求する道筋を示していこう。
 「国には国の民主主義がある」と言わせたのは、今回の県民投票の沖縄の力の結果であろう。だからこそ、こうした認識の不当性を遍く暴露し、私たちの民主主義を鍛え上げていかなければなるまい。因みにこうした努力は沖縄だけの問題ではない。

2019年2月27日 (水)

独裁者の『民主主義』と、私たちの民主主義

 岩屋毅防衛大臣が勇ましい。昨日、2019年2月26日の発言に注目。「沖縄には沖縄の民主主義があり、しかし国には国の民主主義がある。それぞれに、民意に対して責任を負っている。」と、彼は、しっかりと新基地建設を進めるつもりだ。「一方、国も民主的に選挙された国会によって内閣が構成され、時の政権は日本の国の安全保障という大きな責任を負っているわけで,私どもはその責任もしっかり果たしていかないといけない」と持論を展開した(沖縄タイムス190227)。ここでも彼ら特有の沖縄と国の2重基準を展開しているのだ。「国の安全保障という大きな責任」を掲げ、これに目が入らぬかとばかりに、上から包み込む態度を隠そうともしていない。

 本気で対話と言うならば、説明責任を先ず果たさなければならぬ。何故沖縄限定の思考に固執しているのか? ウソを並べ、ごまかして恥じないのか。軟弱地盤の工事について、工期工費を明らかにするのが先だろう。見通しも立たないままに強行しても物理的に不可能だというのに、我々の税金をドブに投げ捨てるのか。「民主的に選挙された国会によって内閣が構成され」というが、内閣に不都合な問題は、国会に対する説明責任もはたさないまま、よくも偉そうなことがいえるものだ。安全保障が沖縄の住民の命よりも大切だと言うならば、事実関係をはぐらかすんじゃない。
 沖縄のことは、沖縄が決める。如何に安全保障が重大だとしても、私たちの生活を踏みにじるままにはさせない。民主主義とは、主権者が決めるのだ。少なくとも国家権力の横暴を規制できる状態をいうのだ。岩屋防衛大臣のように2重基準を平然と述べ立て、「出来るだけ理解をいただき」などと押し付けることしか考えていないのは、自身が独裁者の笠を着ていることを曝け出していよう。
 と考えてみれば、こうした発言は沖縄を愚弄しているばかりじゃない。日本全体の主権者を愚弄しているのだ。何をやったって、何を言ったって、安倍政権の支持率は落ちないのだと。情けない。否、このまま黙っていたら、暴走内閣はどこにいくのか?人々は、戦争と追従の道に引きずり落とされるだけだ。私たちの民主主義は生きることに誠実でなければならぬ。
 沖縄の県民投票の結果は、このことを突き出しているのじゃないか。人々は、心して事実に向き合うべきだろう。

2018年12月25日 (火)

沖縄は未だにオキナワなのだ-沖縄に居を移し6年目の短い報告

以下の文は「沖縄の怒りと共に」(第107号)に寄稿したものです。 

 沖縄は未だにオキナワなのだ-沖縄に居を移し6年目の短い報告

 安倍政権は来る12月14日に辺野古の埋め立て工事(土砂投入)を始めると息巻いている。ここ数日の日替わりの展開に頭が痛い。私は今日から長野の上伊那に講演に出る。このため、皆さんのニュース原稿をどうしようかと悩んだ。ここに沖縄の現状の一端を報告したい。

  米軍は沖縄島周辺の陸・海・空を自由に使いながら訓練を昼夜の区別なく行なっている。地位協定の事はまたの機会に書くとして、日常の訓練がどのように行なわれているのかすら、私たちは知らされていないのだ。私はこれを少しでも知ろうと努めてきたのだが。

 例えばこうだ。キャンプ・シュワブは米国海兵隊の第3海兵遠征軍第3師団の一部が駐留している。ここの部隊は水陸両用装甲車等を使っての訓練を日常的に行なっている。この模様をわが辺野古テント村からも見える。松田浜に行けばお隣でやっている。映画のロケだと言いたいが、フェンスを挟んでの軍事演習なのだ。

 国道329号をまたいだ森の中はキャンプシュワブの訓練場。沖縄国立高等専門学校の北沿いも訓練場。オスプレイもヘリも学校があろうがなかろうがお構いなしに飛んでいる。実弾射撃訓練の音も日常茶飯事に聞こえてくる。これはテントに居てもバンバン聞こえてくるのだ。

 さて、水陸両用装甲車が陸上の演習場の中で如何に訓練しているかを私たちはみることができない。だが目前の海では、漁港の水路に入り、そこからサンゴ礁を抜け、外海で訓練を行なっている。よくみかけるのは、①シュワブの浜に10数台が整列し、辺野古川河口沖のマナヌ岩辺りでやって居るパターン。②沖を西へ宜野座村潟原側に移動していくパターン。③この逆コースでシュワブの浜に上陸するパターン、④沖に揚陸艦が来てそれに乗り込むパターン、⑤そこから出てきて上陸するパターンなどなど。

 この装甲車が、国道329号線の交通を遮断して出入りしていることは時々ニュースになり、気がかりだった。演習海域の図面を見ても、キャンプシュワブの演習場の区域図を見ても、彼らの航行の西端はここ宜野座村潟原のはずだ。そこで私は先日潟原まで出向き、この干潟から国道を越えてどう移動していくのかを確かめた。否、確かめたかった。干潟から上がると国道に出る。演習場を示す標識に沿って坂を上がる。両側はゴルフ場。そして農地が続く、沖縄自動車道を渡る。ここまできちゃうのか!驚いた。海から1キロ余り。確かに道路にはキャタピラのあとがついており、ここを通るのだろう。それにしても、突然こんなところにあのデカく、無骨なものが現れたら怖い。この近くの農民は慣れっこになるしかないのだろう。トラクター等が時々通過。

Imgp1186_800x532

国道329から演習場の標識に従って上がっていくと、アスファルト舗装にキャタピラのあとがついている。この両側はゴルフ場。途中2箇所、左右に渡り口があり、通行車両は少ないのに、警報機がついている。

Imgp1189_800x532

沖縄自動車道の高架橋。

Imgp1193_800x532

ゲート前。ここから出入りしているはずだ。

 私はキャンプシュワブのゲートを見つけ、村の水道施設の辺りで待つこと3時間。装甲車等は通らなかった。

 そこで疑問が湧いた。①どうして、高速道や農地がここにあるのか。否、どうして演習場がここにありえるのかが正しい設問だろう。②装甲車等の陸側のルートはどうなっているのか。

 2つとも沖縄がオキナワだから起きている問題だろう。①は1972年5月まで辺り一帯が米軍基地に接収されていたのだ。今で言う中部訓練場はもっとアバウトに米軍に独断的に取られていたのだ。そこをちょぼちょぼと返したようだ。だから民間地が虫食い状態になってる。ここに端的に当時の日本政府の弱腰が見える。自動車道を造りたいので、お返しくださいといったのだろう。この姿勢は今でも変わっていないのだ。

 ②はどうか。潟原北のゲート奥から、辺野古側の実弾射撃演習場の下まで約4キロ、国土地理院2万5千分の1の地形図にも、この間の道は記されていない。この間の4キロ余りをどう動くのか。また、西海岸の許田から東海岸の松田北(潟原の北側)の県道71号のどこかで装甲車等は交差するはずだ。どこだろう。疑問は尽きない。

 この一件だけからも、未だに沖縄はオキナワなのだと私は痛感させられた。軍の中に民が沈められているのだ。この窒息状態を解放することなく、私たちは新基地建設を止められないのかもしれない。

 恥ずかしながらこれまでの私は、沖縄・オキナワと標記を区別することはあっても、72年5月15日以降の沖縄を沖縄県であり、沖縄になったものとばかり思い込んでいた。米国・米軍実権を握っているオキナワを私たちはもっともっと直視しなければならないのではないか。そしてこのことは独立国であるはずの日本国・日本国政府が米国に対してイエスマンになり続けている限り、米国・米軍の実権はオキナワばかりかニホンにまで拡大していくのではないのか。これは皆さんの問題でもあるはずだ(18年12月7日記)

最近のトラックバック

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31