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  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「自治・自律」の記事

2018年12月25日 (火)

沖縄は未だにオキナワなのだ-沖縄に居を移し6年目の短い報告

以下の文は「沖縄の怒りと共に」(第107号)に寄稿したものです。 

 沖縄は未だにオキナワなのだ-沖縄に居を移し6年目の短い報告

 安倍政権は来る12月14日に辺野古の埋め立て工事(土砂投入)を始めると息巻いている。ここ数日の日替わりの展開に頭が痛い。私は今日から長野の上伊那に講演に出る。このため、皆さんのニュース原稿をどうしようかと悩んだ。ここに沖縄の現状の一端を報告したい。

  米軍は沖縄島周辺の陸・海・空を自由に使いながら訓練を昼夜の区別なく行なっている。地位協定の事はまたの機会に書くとして、日常の訓練がどのように行なわれているのかすら、私たちは知らされていないのだ。私はこれを少しでも知ろうと努めてきたのだが。

 例えばこうだ。キャンプ・シュワブは米国海兵隊の第3海兵遠征軍第3師団の一部が駐留している。ここの部隊は水陸両用装甲車等を使っての訓練を日常的に行なっている。この模様をわが辺野古テント村からも見える。松田浜に行けばお隣でやっている。映画のロケだと言いたいが、フェンスを挟んでの軍事演習なのだ。

 国道329号をまたいだ森の中はキャンプシュワブの訓練場。沖縄国立高等専門学校の北沿いも訓練場。オスプレイもヘリも学校があろうがなかろうがお構いなしに飛んでいる。実弾射撃訓練の音も日常茶飯事に聞こえてくる。これはテントに居てもバンバン聞こえてくるのだ。

 さて、水陸両用装甲車が陸上の演習場の中で如何に訓練しているかを私たちはみることができない。だが目前の海では、漁港の水路に入り、そこからサンゴ礁を抜け、外海で訓練を行なっている。よくみかけるのは、①シュワブの浜に10数台が整列し、辺野古川河口沖のマナヌ岩辺りでやって居るパターン。②沖を西へ宜野座村潟原側に移動していくパターン。③この逆コースでシュワブの浜に上陸するパターン、④沖に揚陸艦が来てそれに乗り込むパターン、⑤そこから出てきて上陸するパターンなどなど。

 この装甲車が、国道329号線の交通を遮断して出入りしていることは時々ニュースになり、気がかりだった。演習海域の図面を見ても、キャンプシュワブの演習場の区域図を見ても、彼らの航行の西端はここ宜野座村潟原のはずだ。そこで私は先日潟原まで出向き、この干潟から国道を越えてどう移動していくのかを確かめた。否、確かめたかった。干潟から上がると国道に出る。演習場を示す標識に沿って坂を上がる。両側はゴルフ場。そして農地が続く、沖縄自動車道を渡る。ここまできちゃうのか!驚いた。海から1キロ余り。確かに道路にはキャタピラのあとがついており、ここを通るのだろう。それにしても、突然こんなところにあのデカく、無骨なものが現れたら怖い。この近くの農民は慣れっこになるしかないのだろう。トラクター等が時々通過。

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国道329から演習場の標識に従って上がっていくと、アスファルト舗装にキャタピラのあとがついている。この両側はゴルフ場。途中2箇所、左右に渡り口があり、通行車両は少ないのに、警報機がついている。

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沖縄自動車道の高架橋。

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ゲート前。ここから出入りしているはずだ。

 私はキャンプシュワブのゲートを見つけ、村の水道施設の辺りで待つこと3時間。装甲車等は通らなかった。

 そこで疑問が湧いた。①どうして、高速道や農地がここにあるのか。否、どうして演習場がここにありえるのかが正しい設問だろう。②装甲車等の陸側のルートはどうなっているのか。

 2つとも沖縄がオキナワだから起きている問題だろう。①は1972年5月まで辺り一帯が米軍基地に接収されていたのだ。今で言う中部訓練場はもっとアバウトに米軍に独断的に取られていたのだ。そこをちょぼちょぼと返したようだ。だから民間地が虫食い状態になってる。ここに端的に当時の日本政府の弱腰が見える。自動車道を造りたいので、お返しくださいといったのだろう。この姿勢は今でも変わっていないのだ。

 ②はどうか。潟原北のゲート奥から、辺野古側の実弾射撃演習場の下まで約4キロ、国土地理院2万5千分の1の地形図にも、この間の道は記されていない。この間の4キロ余りをどう動くのか。また、西海岸の許田から東海岸の松田北(潟原の北側)の県道71号のどこかで装甲車等は交差するはずだ。どこだろう。疑問は尽きない。

 この一件だけからも、未だに沖縄はオキナワなのだと私は痛感させられた。軍の中に民が沈められているのだ。この窒息状態を解放することなく、私たちは新基地建設を止められないのかもしれない。

 恥ずかしながらこれまでの私は、沖縄・オキナワと標記を区別することはあっても、72年5月15日以降の沖縄を沖縄県であり、沖縄になったものとばかり思い込んでいた。米国・米軍実権を握っているオキナワを私たちはもっともっと直視しなければならないのではないか。そしてこのことは独立国であるはずの日本国・日本国政府が米国に対してイエスマンになり続けている限り、米国・米軍の実権はオキナワばかりかニホンにまで拡大していくのではないのか。これは皆さんの問題でもあるはずだ(18年12月7日記)

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