無料ブログはココログ

ウェブページ

考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「ジャーナリズム論」の記事

2019年3月17日 (日)

「知る権利を守ろう3・14首相官邸前行動」に触れて

 東京新聞社会部の望月衣塑子記者の菅官房長官への官邸での定例記者会見の場での質問が繰返されている。これに対して、司会者が「質問は短時間で」などと、毎回毎回小刻みに制限をかけ、菅官房長官はまともにこたえない。先日は「あなたの質問には答えない」と明言。そもそも官邸で官房長官が定例記者会見を行なっているのはフランスと日本だけだと威張っているのだが、政府広報に熱心なだけだ。

 余計なはぐらかしやウソを言い、疑義に答えない姿勢は、到底容認できるものではない。増して「答えない」とする態度は、個々の案件への取材妨害であるばかりか、権力の横暴さを示してる。民主主義にドロを塗るものだ。
 マスコミ文化情報労組会議は2019年3月14日、首相官邸前で「知る権利を守ろう3・14抗議集会」を開催した。600名が参加したという。私はこうした動きの一連に注目していたが、昨晩、この日行なわれた1時間45分の映像を見た。全国各地の新聞の労働組合や、国会議員が発言していた。中でも神奈川新聞の田崎基記者は鋭かった。これは望月問題ではない、政権による報道への統制がここまできたのであって、報道の一人ひとりが問われているのだと、檄を発していた。発言者やメッセージを寄せていたのはやはり地方記者が多い。その中でも何人かの記者が、沖縄タイムスや琉球新報の話題に度々触れていた。辺野古埋立ての「赤土問題」も出ていた。これが菅官房長官の「あなたの質問には答えない」になったのだから当然のことだが、沖縄のことが全国的な政治焦点になり、報道のあり方を巡る焦点になってきたのだ。
 最後に登壇した望月記者はしっかりと闘っていく姿勢を堅持していた。多くの支援があるからこそだが、なお一層の支援の広がりを私は期待したい。自分なりにできることに取組みたい。権力の暴走を食い止めるのは、記者等のマスコミ労働者だけではない。一人ひとりの読者であるばかりか、今この時代に生きている者の共通の課題にしていかなければならない。このままいけば地獄を見るのは私であり、あなただからだ。
 また、沖縄は孤立していないことを知る1時間45分だった。県民大会から帰った後に視聴したこともあり、この印象を強くもてたのは嬉しかった。 
 
補足:①この問題で山本あすかさんがチェンジオルグでネット署名に取組んでいる。彼女は12歳の中学生だ。自身がいじめにあったことから、望月さんへのイジメをやめろと直感したらしい。私も即署名した。
②14日の発言者に森ゆうこ(自由党参議院議員)さんがいた。森さんと望月さんは「追及力」(光文社新書)の共著者。森さんのこの日の発言は短かったが、ズバリ真に迫っていた。
 

2018年10月25日 (木)

安田純平さんが解放された

 内戦下のシリアで行方不明になり、何者かに拉致されていたと見られる安田純平さんが解放された。18年10月24日現在、トルコのアンタキヤに滞在しているようだ。不当に拘束されて3年4ヶ月。よくぞ、生きながらえてきた。諦めない心に乾杯だ。また、カタールやトルコの当局や他の方々のお力添えもあったのだろう。感謝したい。

 しかし次に彼を待ち受けているのは、「自己責任論」などを持ち出して揶揄する日本国内の声だろう。ある意味、危険な紛争地である中東を取材することに危険が伴う。しかし危険だからといって、何もアプローチしなければ、益々謎に包まれてしまうだけだ。予断と偏見が覆い、真相から益々遠ざかる。
 中東を「危険」地帯にしたのは、そもそも欧米列強の関与によることが多い。中東というくくり方も欧米(特に英国、米国)によるものだ。こうした視点からは見えてこない状況分析は、欧米の視点に囚われている日本の外交や、マスメディアの視点とは異なるものであり、重要なことだろう。
 安田さんには、心身ともに休養していただいて、じっくりと、この3年余りで得た事柄をまとめていただきたい。今後のご活躍を祈りたい。
 
 たまたま私は「シリアの秘密図書館」(デルフィーヌ・ミヌーイ著、藤田真利子訳、東京創元社刊)を読んだばかりだ。副題に「瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々」とある。この本も2015年からの話であり、安田さんと同時代の話。シリヤの首都ダマスカス近郊の町ダラヤを巡るノンフィクション。アサド政権によって町が包囲され空爆が行なわれている瓦礫の中で、本を持ち寄り図書館を作ったと。知の力を生きるための希望にしていく逞しい若者たち。過激派しかいないという偏見に私たちは囚われがちだが、そこに普通の市民が暮らしているのだ。爆撃され仲間・隣人が殺されても、非暴力で、生き抜こうと尽力する人々。町が権力によって包囲されているから物資が入ってこない。食べ物も。
 著者はインターネットでめぐり合った人々との交信から書き起こしている。だからどうしても迫真性に欠けるが、これはやむおえない。武力によって包囲された中にいる人々と外の世界に分離されていることを私たちの想像力で補うしかないのだ。頼りなさ過ぎる想像力で。こうした本を読むと、余りにもかの地の現実と、私たちの暮らしがかけ離れていることを思い知らされる。しかし、非暴力で諦めずに闘うことの意味は分かる。中東だからシリアだからという枠組みで現実を見失ってはならないのだ。そこには内戦があるだけでなく、市民が生き、殺されているのだ。ここを私たちは見なければならぬ。
 
 安田さんは、かの地に囚われていたので、囚われていたご自身のことも含めて、新たに見えたことがあるはずだ。これは日本という国の外交力の検証にもなり、大変貴重だろう。こうして得た取材が広く読まれ、知られることを私も希望したい。

2018年10月 5日 (金)

西日本新聞の『沖縄知事選 この民意を無視できるのか』に注目

 西日本新聞の社説に注目「沖縄知事選 この民意を無視できるのか」(181002)

 先ほどネットで西日本新聞の社説を拝読した。県外の地方紙が踏み込んだ主張をしている。以下少し紹介しつつ、自論を記したい。

 18年10月2日の社説だ。タイトル「沖縄知事選 この民意を無視できるのか」は、玉城デニー氏が当選したことを報じ、最大の争点である「辺野古移設ノー」と出たとしている。

 国が進めてきた「既成事実化に抗して」の項で、「沖縄県民は今回、『反対』を明確に示した。その意思の強さは驚くほどだ。(中略)政権の意向を受けた『争点ぼかし』戦術と見られたが、有権者からは『姑息』と受けとめられたようだ」と今次選挙結果を概括している。

 次に「基地負担の再検討を」の項で、一歩前を向いている。安倍政権がこのまま「辺野古が唯一」では日米安保体制にも悪影響を及ぼしかねない混乱が生じるかも知れないと危惧し、同政権にもう一度「沖縄と本土の基地負担のあり方や、日本国内における米軍展開の将来像などについて、検討すべきではないか」と主張している。さらに相手候補が日米地位協定の改定を主張していたことを取り上げ、これは「移設容認か反対かを問わない県民の総意といえる」とも書いている。

 さらに「本土住民も考えたい」の項で以下のように締めている。こうした地方からの異議申し立ての声を前向きに取り上げ、本土住民の「無関心は結果的に『沖縄への基地押し付け』を容認し、(沖縄の)民意を無視することにもなる」との正論を吐いている。最後に「『沖縄が反対している』と遠くから眺めるのでなく『じゃあ私たちはどうするのか』と踏み込んで考えることが、沖縄と本土の溝を埋め、基地問題解決を促す力となるはずだ」と結んでいる。

 県外のローカル紙でここまで踏み込んだ言説は珍しいのではないか。特に「じゃあ私たちはどうするのか」を問うことが何よりも重要なはずだ。だが、こうした論及は殆どされてこなかった。西日本新聞がここに踏み込んだことを私は多としたい。こうした発言に到ったのは、同紙編集委員が来沖されているのだと思う。現場を見て聞いたからこそ踏み込んだ発言に到ったはずだ。

  ところでこの社説も「(普天間基地の)移設問題」と捉えているようだ。ここが根本的におかしいと沖縄の私たちは常日頃から主張している。これは96年から始まる「負担軽減策」ではなく、66年の米国海軍が立てた埠頭と滑走路と弾薬庫を備えた海兵隊にとって好都合な新基地建設の延長にある話なのだ。それをよりによって日本政府が全額負担して造るという諸手をあげた米国への大サービスだ。それから50年余りが過ぎた。ベトナム戦争が終わり、米ソ冷戦構造も崩壊した。朝鮮半島も南北の和解が進みつつある。

 また66年当時の沖縄は米国に統治されていた。今は日本という国の一部のはずだ。こうした歴史を負わされた沖縄が日本政府に物申すのは余りにも当然なことではないか。「沖縄が沖縄が」と言わせているのは、この国の歴代の政府であり、「本土住民」だろう。

 もっとも私自身偉そうなことを言える分際ではない。70年から72年の沖縄返還をめぐる闘いに東京で参加しながら、沖縄の実情に向き合わずに来てしまったのだ。72年から17年後に沖縄に行くようになってから、沖縄のことを漸く考え出した有様なのだ。

 だからこそ、こうした西日本新聞の主張に接すると微かな希望を見る思いがする。多くのメディアが、ジャーナリストが生の沖縄に接して、自らの「常識」を問い直していただきたい。心からお願いしたい。

最近のトラックバック

2019年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31