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考えるための本

  • 川満信一、仲里効編: 琉球共和社会憲法の潜勢力-群島・アジア・越境の思想
     混沌としている状況だからこそ読まれるべき一冊。
  • 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司: 検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉
     今日の米日関係が米日トップの共犯関係で作られて来たことを歴史的に明らかにし、世に問うた力作。米国の核の傘の下に、私達は居続けるのか?
  • ジョン・W.ダワー: アメリカ 暴力の世紀-第2次世界大戦以降の戦争とテロ
    アメリカという国が如何に暴力にまみれた国であるかを示す好著。正規軍による戦争ばかりか、様々な謀略活動が表の顔の裏側に張り付いている。私達はこの国と如何に付き合うべきか?
  • 下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか

    下嶋 哲朗: いま、松下竜一を読む――やさしさは強靭な抵抗力となりうるか
    沖縄本の著作も多い下嶋さんが松下竜一さんの著作・生き方から考える視点を提示している。弱者でありながら強く生きることは可能なのか。

カテゴリー「伊江島」の記事

2018年10月31日 (水)

伊江島の朝焼けに思う(181026)

2018年10月26日 晴れ 5:30起床。

目指すは城山からの朝焼けだ。
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城山は見えた。だが明るい。6:30
早く歩け。階段を登って、ヒー、ヒー。
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おっと。6:38 ちょっと遅かったが、今日もティーダ(太陽)が出た。
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6:40 今日は快晴か。サンライズを撮るのは日の出30分前に立たなければいけません。感激を消化する時間が必要。
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東は本部半島。6:44
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西側。満月が出ている。6:51
昨日歩いた伊江島演習場はこの雲の下か。今は怪しいものは飛んでいない。静かだ。
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「沖縄の太陽」って誰だ?
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東京の高校生だ。朝日新聞で伊江島の惨状を知った彼女は様々な支援物資を送ったのだ。56年に米国下の伊江島に来て激励。
当時の高校生は戦争の記憶がある。貧しさ、食い物のなさの経験がある。共感力が今とまるで違うようだ。
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やや東に行ってみよう。畦に咲くカンゾウの仲間。太陽の如し。7:30
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全国に出荷する菊。まだまだ小さい。7:33
大回りをやめて、南へ
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阿良の浜。7:50
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小さな浜だが、美しい。ここは伊江島の、沖縄の海だ。
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8:07
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アラ浜。ここが昔の港だったとある。出征兵士もここからでたそうだ。
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アラウタキ。海の安全祈願。島人の聖なる場所だ。8:10
私はこうしたところを撮る際、必ず礼をし、許しを乞うている。
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ウタキの碑。
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鳥居は大日本帝国の時代に出来た。島の神は神社じゃなかったはずだ。
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阿良浜港。昔戦争があった。今はどうだ。基地があり、常に戦争の影を踏んでいる。8:12
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今の伊江港に出た。修学旅行生が帰るようだ。8:36
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歓喜の別れ。8:42
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船が出た。島の人が追いながら別れを告げる。8:44
高校生たちに幸あれ。戦争に行くなよ!
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自分も伊江島を出る。10:00
また、きます。

伊江島演習場の周囲を歩く(181025-④)

2018年10月25日 ④ 

私は団結道場の前で一行と別れた。向かうは伊江島演習場。
もっとも団結道場から直ぐ近く。ただまっすぐに行けない。農地があるし。
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フェンス越しの工事を見る。この石積みは、資材置き場らしい。ここから石をとって現場に向かうのか。15:24 塔は? 監視塔。いやな感じ。
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農道を行く。やはりキビが枯れている。15:30
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演習場の中に立てられた新たな管制塔。15:36
しかし揚陸艦の甲板に模した演習施設の建設現場は見えず。残念。
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フェンス沿いの道をトラックが行き来している。先ほどの石を運んでいるのだ。15:36
11月完成とも言われているが、年内完成じゃないか。何れにしてもこれが出来たら、伊江島はもちろんのこと、やんばる中が酷い騒音に悩まされる。岩国基地のF-35が来て、ここで離発着訓練をするからだ。辺野古・大浦湾に新基地ができてしまえば、新基地が拠点になり、伊江島、北部訓練場、中部訓練場と結びながら集中的な訓練が行なわれるのだ。
このどこが「沖縄の負担軽減」なのだ。冗談じゃない!冗談しか言えない連中に政治を任していてはいけない。
今日の宿は食事付き出ないので、ノンビリ戻る。やたらとノンビリと。
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キクの畑越しに伊江港が見えてきた。17:04
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夕陽をバックにシーサーを撮る。17:46

伊江島団結道場の修復を(181025-③)

2018年10月25日 伊江島③

ワジーを経て演習場北側を見て、一休みしていたら、マイクの音が聴こえて来た。米軍に抗議しているようだ。もしかして日本山妙法寺の平和行進団かな。と思っていたら追いつかれた。では私も出発。
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米軍伊江島演習場前(メインゲート)。14:17
誰も出てこない。普段こちらが一人だと、威嚇的に出てくるのだが。
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妙法寺のAさん。米軍に向かって新基地建設反対の声を高らかにあげる。オスプレイ等の演習に抗議の声をあげる。実に堂々と大地からの声のようだ。14:20
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平和の祈りをあげる。14:21
誰も出てこなかった。
移動。
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団結道場にむかうのだが、木が。枝を折らないように、そーっと進む。枝を持ち上げて無事に通過。14:27
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団結道場隣の門扉の庇とシーサー。14:31
私のお気に入り。
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元わびあいの里スタッフのO君が解説。14:32
1970年に完成した団結道場だが、風雨に耐え切れず、しかしこの闘いの・学びの砦を修復しようと修復工事が始まっている。わびあいの里がカンパ1000万円を只今依頼中。
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1955年の伊江島島民の「米軍に告ぐ」。
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右に立つ柱状のものは核模擬弾の中身のコンクリートの塊。あの時代これがいくつも落ちてきたのだ。農地の上にも落とされたのだ。
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銃剣とブルドーザーで家屋を壊され、農地を潰された彼らが取り決めた陳情規定。非暴力のテキストだ。私たちも、もう一度ここから学ぼう。相手は日米政府に変わったが。
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東を振り向けば城山が見える。14:39
◎わびあいの里のHP
◎団結道場の補修費のお願いは

2018年10月29日 (月)

伊江島で美ら海を見よう(181025-②)

 2018年10月25日 伊江島② 晴れ

芳魂の塔で日本山妙法寺の平和行進と分かれて、自分は自分の道を行く。基地ウォチングだからね。
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サトウキビ畑。台風24号、25号の影響だろう。余り倒れていないのだが、茶色に変色している。肝心なところは茎だが、ここがダメだ。見かけよりも被害額は大きいのではないか。
11:52
通信塔を越えて。北側の海岸に向かう。
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此花は何かな?12:13
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鮮やかなアカバナー。バックの建物は海兵隊の研修施設。12:14
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海が広がっている。牧草のロール。12:19
ワジー(湧き水がでている)についた。
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眼下に広がる伊江島の岩場・海。12:37
いつきても素晴らしい。だが真昼間。撮影には陽が高すぎる。
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12:38
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12:40
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12:45
いいんだけど、今一だよね。
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足下のセンダングサを撮る。バックに伊江島ブルーを配して。12:55
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崖の上から戻れば、これだ。キク科の花だが種名はわからない。12:57
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島の周遊道路に戻ればこれだ。米軍の研修施設の裏門。13:16
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上が研修施設への道。手前が演習場への道。この道から演習場と研修施設が繋がっている。ここは公道のはずだが、裏道でもあり、米兵の移動はこうしたところから村民に殆ど見られずに動ける。
ということで私は念のため、演習場の裏門に向かう。
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この下の占用物は何か。行き先は演習場しかないのであり、軍用はまちがいない。
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こんな戦争遺跡がある。沖縄戦時代の日本軍のもの。特攻部隊の隠れ基地だろう。
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演習場の入り口(裏門)。私たちが行けるのはここまで。13:32
この奥に滑走路があり、演習場が広がる。
ここまでオスプレイやヘリ、輸送機等何も飛ばず。サシバとミサゴとカラスと。てなこった。
 

2018年10月28日 (日)

伊江島で、日本山妙法寺さんと同行させていただく(181025)

2018年10月25日 晴れ。本部港から伊江島に渡る。9時発。

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伊江島到着。フェリー。3台のフォークリフトが待ち構えていた。9:28
同じ船に日本山妙法寺の平和行進のみなさんが。
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港の脇にある被爆慰霊碑の前で追いついた。スピーカーは、名嘉實村議。9:44
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この慰霊碑は戦後、不発弾が爆発した事故(1947年8月6日に起きた米軍爆弾処理船が爆発し、住民を巻き添えに。死者102名、負傷者73名、家屋の全壊8戸、半壊7戸)よる死者を慰霊するもの。皆さんで追悼する。9:58
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伊江村役場に向かう。10:21
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役場までもう少し。10:23
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村長さんは島外出張中で代理の方が、島袋秀幸村長のメッセージを代読してくださった。平和が大事だとの認識は一緒だろう。10:28
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何人かが行進団からも訴える。10:37
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被弾した公益質屋前。戦時中の建物で残っているのは、貴重だ。10:48
僧侶が碑文を読み上げる。
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芳魂の塔。沖縄戦でなくなった伊江島島民の碑。約4000名の氏名が刻印されている。因みに現在の同村の人口は4580人(180930現在)
10:57
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口々にお参りする。10;57
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お花を供え、お線香を各自一本づつ。私もお線香をお供えした。11:00
気が引き締まるというか、あらためて伊江島の戦死者のことを考える。
小さな島で多数の死者が出たことのうえに、一人ひとりのことを考えたい。本来は一人ひとりのことから始まるのだろうが、自分はこうした追悼行為を通して考えたい。
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10:58
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僧侶の追悼する姿はやはり形になっている。11:00
私はちょくちょくきていた慰霊碑だが、行進団と共にだと、気が引き締まる。
ここで一行と分かれた。(次へ)

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